プロローグ
あたりを隙間無く埋めるのは膨大なる質量の闇。
その中を狐火を思わせるランプの灯りが揺れながら泳いでいる。
ランプの青白い光は周囲を取り囲むブロックに当たっては滑り落ちる。
この艶のあるブロックは平面に立体に、あるいはねじりを加えて積まれていて、高いアーチ状の天井を作り、横壁に形容しがたい人知を超越した意匠を与えていた。
そして今、ランプと共に進む彼の息づかいと衣擦れの音が、あたりに積もり重なった静寂をやすりがける。
ハヤミ・アユムはもう一度ランプを高く掲げた。
壁と、人の背丈の三倍ほど高い天井まで青白い光を受けて輪郭がはっきりとわかる。また奇妙なことに自ら鱗粉のように淡く発光している様にも思えた。
これが通常より遠くを照らす『マナランプ』の力だ。
古びた鉄の瓶に囚われてはいても『マナ』のみいつは力をふるい、あたりを力強く照らすのだ。
アユムは異常がないことを確認すると、手にした『オリ』のタグを壁に手槌をもって打ち込んだ。
繊細な音を立ててタグはその身を壁にめり込ませると、ランプの光をはずしても自らに光を留めていた。
アユムは左手の時計をみた。
このダンジョン用の時計はスイッチをさわるとマナの濃度を教えてくれる特別製だ。
アユムの目の前でデジタルの液晶は四十という数字だけを浮かべて消えた。
アユムはマスクを外すと、のどを絞り、すこし先を行くコージに声をなげた。
「濃度四十パーセントです、コージさん、このへんで一服しましょうか!」
アユムの声があたりに反響する。
少し先をいくコージの灯りがゆれた。
了解の合図だ。
アユムが追いついたとき、既に腰をおろしていたコージは背を壁にもたれ、タバコを吸っていた。
コージの口元で青い火が踊り、あたりに甘いにおいの煙がとぐろをまく。
普通のタバコと違ってアユムは、コージの吸う『マナタバコ』の匂いは嫌いではない。
アユムは背負っていたザックを下ろすと、かたわらにランプを置いた。
アユムの物と、コージの物、二つの光の輪は重なりあって、まるで白昼のような明るさを作り出している。
座り込む前に念のため、アユムはもう一度マナ濃度を確認した。
(四十度、よし、大丈夫だ。)
アユムは少し離れて腰をかけると、かぶっていた帽子を脱ぎ、一緒にマスクをはぐった。
三日間ぶっ続けでつけている『マナマスク』のフィルターは真っ黒に変色している。交換の合図だ。
取り出した水筒の水でタオルを濡らすと、顔をふいたアユムの口から開放感のあまりおもわず声がでた。
「あー、風呂入りたいですね。」
ずいぶん前に上階で水浴びして以来、二人はしばらく風呂に入っていない。
砂をまぶした髪は乱れ、顔には垢が浮いている。
そして彼らが着ている『探検服』は血のようなシミと泥で汚れ、傷が浮き、ここまでの道のりの厳しさを物語っていた。
「あゆむ、そろそろ出しとけよ。」
コージがアユムの快楽に水を差すようにいう。
「わかってますよ。」
アユムは鞄から『マナデール』と表記された小さな親指大のスプレー缶を取り出すとその先を鼻にあてた。
シュっと音と共に薬剤がアユムの鼻に入り込み、アユムはむせた。
やがて、喉に絡む物を感じて立ち上がると、アユムは少し離れて、口内のものを床に吐いた。
吐かれた痰は奇妙な事に自ら光を放っている。
体内から排出された『マナ』の結晶であった。
マナたばこで濃度を調整しているコージと違って、アユムはこの行為をしなければ『潜行病』になってしまうのだ。
『潜行病』は恐ろしい病気だ。
ダンジョンの探求によって高濃度のマナに長時間被曝すると人は体内のマナ濃度が狂ってしまう。
ましてやそのまま地上に上がってしまうと急激なマナ濃度の変化によって、体内でマナが結晶化してしまい異常を発してしまうのである。
この病気でかつて多くの探検者が亡くなった。
アユムは目の前で光をはなつ自らが吐いたゲル状のマナを見る
「コージさん、いつも思うんですけど『オリタグ』使わなくても、これで目印になるんじゃないんですかね。」
「おいおい失礼な、『ノーム』に殺されんぞ。」
いつのまにか、コージはアユムの水筒の水を飲んでいる。左手の指では『マナタバコ』が遊んでいた。
「あー!!何やってんですか」
アユムの絶叫があたりに反響する。
「お前うるさいよ」
「いやいや、コージさんこそ何やってるんですか!それ俺の水筒ですよ!」
「昔、偉い人が言いました、『お前のものは俺の物』・・・。」
コージは飲む手を止めようとしない。
「ちょっとまってくださいよ!」
アユムはコージから水筒を取り戻そうと手を伸ばす、
壁に写った二つの影が輪郭をうしない、ぐちゃぐちゃになった。
その壁沿いに再び影が覆って、巨大な獣のはらわたを思わせる迷宮は果てしなく続いている。
ここがダンジョン、アユムの職場だ。
あゆむの手がコージの隙をつき、ザックの口に滑り込むと中から乾パンの袋を引きずり出した。
「あっ、てめー!!」
「よっしゃー、ゲット!」
コージから奪い取った乾パンを口に放り込みながら、
アユムはここに来ることになった運命の日を思い出していた。