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吉瀬 友菜子の第四章 四日目 決意表明と心中


『ワン!ワンワンワン!ワオォォォォォオン!』

 この日は、このアラームでも私をハッとさせることはできませんでした。

 私は昨日のことをお玉に置き、自分の癖を悔やみながら、着替えをし、授業道具をそろえました。なんだか、頭の回りがいつも以上に悪いように感じます。

 少ししてから、リビングへ向かいました。頭の中は昨日の古戸さんの話でいっぱいです。

「おはよう」

「あら、今日も早いのね」

「ん。いいことだ。さて、食べよう」

 こうして、いつもと変わらずに時間は進んでいきます。私の心境とは裏腹にです。

 今日はいつもの時間に近いということもあり、途中で樹利亜と会いました。

「ああ、ゆなーーおはよーー!」

「あ、じゅり。おはよう」

「昨日話聞いたぞ。古戸さんのことでしょ!」

「うん。じゅりはどう思ってるの?」

「あたしは直接会ったことはないから何とも言えないけど、父さんの言うことを聞いてる限りは、かわいそうな優しすぎる人だと思ってるぞ」

「そうなんだ……よかった」

 樹利亜はお父さんから、話を聞いているらしく、冷静でいてきちんと、とらえていました。

「さ、いこーよ。悩んでたって時間がもったいないよ。決断していこうよ!」

 やっぱり樹利亜は素敵ですごいなと思いました。今の私に足りないモノそのものです。

 そう、悩んでたって時間は過ぎていくものです。どれほど止めようと頑張っても止まらないものです。ならば、決断して結果を早くに出さねばならないのです。

 その日は一日中授業に身が入りませんでした。頭の中は帰ってからのことでいっぱいです。

 そして、放課後。私は樹利亜とも早々に分かれ、自宅へと急ぎました。

「ただいま」

「あら、おかえり」

「父さんは?」

「帰ったぞー」

「今帰ってきたみたいね」

 私は、深く呼吸をしました。自分を落ち着かせるためです。

「父さん。母さん。話を聞いて」

「どうしたの?急に改まって」

「どうしたんだ」

 もう一度深呼吸。

「古戸 晶って知ってる?」

 この一言が、私と家族との間に、埋まらぬ溝を産むことになりました。

「ええ、あの殺人鬼でしょう?」

「ああ、確か裁判の時だけ精神異常を装って六人殺しておいて死刑を免れたやつだったな。懐かしい。で、どうしたんだそれが」

 この瞬間に、私の中の家族に対する何かがポロリと落ちたような気がしました。大事ななにかが。

「そんなことは嘘っぱちなんだよ!あれは事故なんだよ!」

「なんなの突然?」

「ああ、なんかおかしいぞ今日のお前」

 私としたことが、つい感情的になってしまったことを後悔しました。ですが、一度穴が開いて噴出したものは、抑えることができなくなってしまいました。

「父さんも母さんもよくそんな無責任なこと言えるね。事実は違うって言われたら?本当は事故のようなものだったら?本人が何も言わずに受け止める気だったら?もし、本人が目の前に居たらなんていうきなの!?」

「落ち着いて!」

「どうしたというんだ!」

「父さんと母さんはその人に会ったことあるの!?」

「あるわけないじゃない!」

「会ったら今頃殺されてるぞ!」

「そんなわけないじゃない!現に私はこうして生きているのよ!それなのに殺されるって?あの人はやさしい人なんだよ!」

「あなた……!」

「お前、古戸にあったことがあるのか!」

「あるよ!この三日間毎日会ったよ!けど、私は殺されてないし、何もされてないよ!」

「嘘だわ!」

「古戸に……会ってた?お前、嘘もいい加減にしないと」

「嘘じゃない!!菓子折り持ってたときあったよね?あれだって古戸さんに持っていくものだったんだよ!」

「嘘おっしゃい!」

「……どうだ」

「なに?父さん」

「勘当だ!!そんな嘘をつくように育てた覚えはないし、殺人鬼と仲良く過ごすように育てた覚えもない!!それ以上嘘や、その古戸という殺人鬼について言ってみろ!親子の縁を切る!」

「ちょっとあなた……」

「私の方こそ!父さんや母さんは信じてくれると思ってた!そんなメディアに踊らされているような愚かな両親だと思ってなかった!」

「友菜子!!」

「出ていけ!!お前など俺の娘でもなんでもない!その殺人鬼と一緒に野垂れ死にしろ!!」

「うるさい!!分からず屋!!こっちから出て行ってやる!!」

 こうして私は、勢いのままに、感情的のままに家を飛び出していきました。外は暗く、冷たいほど月の光がまぶしいです。

 私は行くあてもなく、ただただ制服で走っていました。

 いや、行くあてはなくとも、最初からここに来ようと思っていたのかもしれません。

 気が付くと、古戸さんの家のチャイムに手をかけていました。

『ピンポーン』

とチャイムが鳴りました。それから少しすると古戸さんが玄関を開けてくれた。

「こんな夜更けにどうしたんだ。吉瀬さん」

 私は、声を出すことができませんでした。緊張でも、困惑でもなく、言い表せない何かによって、胸の辺りでせき止められました。そのせいもあり、うつむいていました。

「……夜とはいえ、人目に付く。中に入れ」

 やはり、人目を気にしているようで、人目に着かないよう配慮してくれました。私は返答もしないまま、古戸さんの家の中へ上がりました。

「吉瀬さん。あれから、俺の名前を両親に聞いた上で、ここへ来たのか?」

「……はい」

 私は正直に答えるしかなかった。

「何で来たんだ。俺がどういう人物か……」

「そのことで両親とケンカしたんです……。ここ数日間会っていると言ったら…… いろいろ言われて。勘当とまで言われました」

「……成程。俺が何をしているのか知ってる両親は、よく思ってないわけか。それで喧嘩して家をでてきたと」

「え?……あ」

「ならここで待ってろ。俺が話をしてくる。その前にちょっと着替えてくるから待っててくれ」

 古戸さんはいったい何をする気なのでしょうか。樹利亜のお父さんから聞いた話では、優しい人なので乱暴なことはしないと思いますが。

 するとスーツに着替えてきた古戸さんが私の心中を察したかのように言いました。

「安心しろ。もう、この家を長い間空けたくはないからな。平和的に解決してくる。家の場所だけ教えてくれ」

 私の家にスーツに着替えて何をしに行くのでしょうか。正直気になります。

 私は私の自宅の行き方を教えました。すると、古戸さんは

「わかった。行ってくる」

 と、言って、出ていきました。おそらく私の家へ行ったのでしょう。

 私は、古戸さんが何をするのか、それと私の家に行って両親がどういう反応をするか気になり、ひっそりとついていくことにしました。

 古戸さんは私の教えた道を迷うことなく歩き続け、私の自宅へたどり着きました。私の家の表札をちょっとだけ見て確認をしてから、インターホンををしたようです。

『はい』

 微かにですが母の声が聞こえました。震えているようにも思えます。

 すると古戸さんは、憶せず、隠さずに言いました。

「夜分遅くにすいません。古戸 晶です」

 すると何やら、家の中でどたどたしているようです。それもそうでしょう。私が出て行った原因ともいえる人がいきなり、尋ねんてきたのですから。

 それにしても一体古戸さんは……。私の疑問が解けないまま再び声が聞こえてきました。

「すいません。これから、窓の方へ向かわしていただきますので、よろしければ俺の態度と、話を聞いてくださいませんか」

『……いいだろう。庭に出ろ』

 気が付けばインターホンの声は父さんになっていました。古戸さんはその会話の通り、家の庭へと行きました。どうやら、私の父さんと母さんが庭の窓から、古戸さんの姿を見ているようです。

「このたびは、この俺が、娘さんと数日間過ごしたということで、よくないように思っておられるようですので。一言、言いにきました」

 古戸さんは本当に私の両親と、話し合いで何かをするようです。

「……顔を見る限りは確かに古戸だな。殺人者の話になんのいみがある」

 発言者は父さんでした。私の話を聞かずに、一方的にイメージだけで古戸さんを判断しているためか、古戸さんに対する言葉が厳しいものです。

 真実を知らない人以外は、ああいうモノなのかもしれません。

 古戸んさんは、父さんの発言に言い返すでもなく、静かに土下座をしました。

 私のためにです。

 ここ数日しか交流のない私のために、です。

「お願いですから聞いてください。俺と娘さんは確かに数日とはいえ交流がありました。そのことでご家庭を乱したことを、まず、謝らせていただきます。次に、今後の娘さんとの接触は一切しませんので、どうか勘当を取り下げてください」

 古戸さんは確かにそう言った。つまりは、私をあの家庭に戻すために、世間体の悪い自分とはもう関わらせない、だから、家族の中に戻してやってくれ。というのです。土下座のままに。

 それなのにもかかわらず私の父は

「だれが!!精神異常と判断され、死刑を免れたやつの言い分を聞くやつがあるか!!」

 と罵るばかりか、窓を開け、バケツに組んだとみられる水を浴びせたのです。

 私の頭の中には「世間の目というのは厳しい。いかなる事情でもな」という言葉が頭の中に浮かび上がってきました。

 土下座をして、数日の交流、それも人目になんてついてない、いや、つかないように古戸さんが自分の世間体を理解したうえで、配慮をしてそうしたうえでのほんのちょっとの会話、それもすべて私から一方的にかかわっていったにもかかわらず、迷惑とも思わず、あろうことかそんな一方的な私の家庭を気遣ってこうまでしてくれているのに。私の父さんの返答はあるまじきものでした。

「出ていけ!!この街からな!!」

 ここで、私の中の家族に対する何かが完全に切れました。ぷつりと言うよりは、ほどけるように。

 しかし、そんな感覚とは対照的に私の感情は限界に達していました。

「……それで、娘さんとの勘当を取り下げていただけるのなら」

「ふざけるな!!」

 私は、今まで自分でも出したことない声に少し驚きました。ですが、今度という今度は、こちら側に非はありません。

 私は自分でも知らないうちに息をフーフーと荒らげていました。

「吉瀬さん……いつから」

 古戸さんも驚いた表情でこちらを見ていました。

 しかし、なんと言われようと、答える余裕はありません。私の感情は自分の両親の愚かさに対する怒りでいっぱいです。

「元はと言えば私が悪いの!感情的になって、言い過ぎたりして……でも!!間違ったことなんて一言も言ったなんて思ってない!!それに古戸さんは、私たちの家庭に対してもないも悪いことはしてないじゃない!!それなのになんなの今の仕打ち!!これが正しい謝り方をしている人に対する態度なの!?返答なの!?私は今あらためて、私からも言います!あなた達とは親子でもなんでもありません!赤の他人です!!私は、過去に過ちを犯してなくても正しい態度をとれない大人になるより!過去に過ちを犯していても!それを受け止めて!今後を正しく生きる大人になりたい!!!」

 私はもう迷いません。完全に踏ん切りがつきました。

 私は、そう決意を大きな声で言い散らすと、父さんの顔を見るでも、古戸さんの顔を見るでも、母さんの顔を見るでもなく、家に上がり、自分の部屋から制服全三十着と、それの中に学校道具をくるみ、再び家を出ました。

 古戸さんの方を見ると、父さんと母さん……いえ、ある男性と女性の顔が目に入ったので、せめて最後に一言。言うことにしました。

「今までお世話になりました!!今後はまっとうに生きたいので、見本となる大人のもとで生活していきます!!」

 そう男女に告げ、私は古戸さんの手を掴み、歩き出しました。

 もう、後戻りはできないません。する気もありません。

 そうして、古戸さんの家に戻ってきました。あの罵詈雑言の嵐の家です。

「吉瀬さん……何で、来たんだ」

 玄関へ入り、持ってきた制服を廊下へ置かしてもらうと、古戸さんの声が聞こえました。

 考えてみれば、せっかく私のためにしていたことを、その私が無に帰したというのですから、怒っているのかもしれません。

 けれども、私は間違ったことをしたとは思っていません。

「私は、古戸さんのすべてを知りました。この数日間、接していても古戸さんが優しい人なのはわかりました……」

 だって事実私はこう思っているからです。

「誰に聞いたらそうなるんだ。俺は……」

 そう、理由はどうあれ、罪は罪。ですがそれをしっかりと償って、そのうえでそれそれを超えるものを受け止めようとしてる。

 私にそれを、真実を教えてくれたのは一人だけ。

「二ツ橋さんです」

 この名前を口にすると、一瞬ではありますが、古戸さんが懐かしげな顔になったように見えました。

 私は続けて言いました。

「同級生がいるんです。私のクラスに……」

 すると、古戸さんは悲しげな表情を覗かせながらも、吹っ切れたような表情になりました。

「そうか……だがひとつだけ間違いがある」

「え?」

 私が一瞬なんだろうと考えると、その瞬間に制服の胸元を掴まれ、玄関の戸に勢いよく押し付けられました。

「きゃっ!」

 私は思わず、声を漏らしました。あまりに急なことだったので驚いのです。

「それは俺が優しいってところだ。せっかく、うっとおしい奴を俺の家に近づかせないようにできると思ったのに……」

 古戸さんはダルそうに私に向けて言いました。

 さらに、私の目を見てこう続けました。

「だがもう、それもかなわないようだ。それだったらお前の体を楽しんでから殺してしまうとするよ」

 古戸さんはその言葉を言った瞬間、私の制服のシャツに手をかけ、私のシャツは破られました。シャツの下は、下着だけです。

 私は怖くなりました。ですが、それ以上に、古戸さんを見ていて、痛くなってきました。

 古戸さんの内心を考えると、私はいたたまれなくなりました。

「どうした?声のもあげれないのか?好都合だ」

 今度はスカートに手を伸ばし、またしても破かれました。

 私の着ているものは、もう制服とは到底、呼べるものではなくなっていました。

「……」

 私は、それでも古戸さんの目を見ていました。もう、私の心は痛くて、痛くてどうしようもありません。

「ははっ。俺にはもう失うものはないんだ。手加減なしで……」

 もう、我慢ができませんでした。

「なんで……古戸さんはそこまでして、私に優しくするんですか?」

「お前……おちょくんのも、大概に」

 私は、古戸さんに抱きつきました。まるで、大けがをしているのに、平気なふりをして、心配をかけまいとする健気な子供の用です。こうせずにはいられませんでした。

「……何やってんだ。お前」

 古戸さんは、何をしているのかわからないといった声で、こちらへ信号を送っていました。

 しかし、こうできることが何よりの証拠です。

「ほら……簡単に振りほどける。古戸さんは、最初っから私に、乱暴する気なんてなかったんでしょう。二ツ橋さん全部聞いたんですよ。あたなが真面目に働いていたこと、不慮の事故がきっかけだったこと、世間の声を全部受け止めようとしたことも……」

 私は知っているんです。知っているんですから、そんなに強がらなくてもいいんです。受け止めようとしなくてもいいんです。そう思わずにはいられません。

「そんなもの。相手がそう思ってるだけじゃ」

「じゃあなんで、初日に私を逃がしたんですか?」

「……」

 古戸さんは答えません。

「なんで、謝罪の時、きちんと対応してくれたんですか?」

「……」

 古戸さんは返答しません。

「なんで、たった数日しかあったことのない私のために土下座までして、水を浴びせられ、罵倒されてまで私を家庭へ戻そうとしたんですか?」

「……」

 古戸さんは言葉を発しません

「なんで、そんなに苦しいような目で、私の服を破いたんですか?」

「……」

 古戸さんが私を脅しているとき、それはそれは痛々しく見えました。少なくとも私には、そういう目に見えました。

 私の目からは、感情の波の結晶である涙が流れました。

「……俺は、人殺しだ。殺人鬼だ。理由はどうあれ、人を殺めた。六人も」

 抱きついているので顔は確認できませんが、古戸さんお声は少し、落ち着いていました。

「知っています」

 私はもう、思いのままに答えることにしました。

「世間は、俺のことを知っている奴らは俺をよく思ってはいない」

「知っています」

「ならどうして、俺に知ってもなお、近づいてきたんだ」

「……どうしてでしょう。放っておけなかったのかもしれません」

 興味本位で、近づいて、怒らず、逆に私のことを気にかけてくれた古戸さんのことが気になっていたのかもしれません。

 その時、私の肩の辺りに、ぽつりと落ちました。

「私は、数日、いえ、数時間ふれあってみて、世間の人が言うことと、実際の人を比較して、違ったの気が付きました。もちろん、最初は、家や留守電のこともあり、すごく怖い人だと思ってました。古戸さんのことを知らないながらにも、そう思ってしまったんです。ですけど、あって接して、違うと思い、過去に何があるのかも知りました。そして、今までの古戸さんの発言や行動に、あてはめてみたんです。古戸さんは、あなたは優しすぎる人です。自分の立場を理解して、その上で私を傷つけないように配慮しながら、今まで接してくれてたんですから」

 私は、思いのままに言いました。

 もう、強がらなくていいですよ。

「じゃあ、今はどうなんだ。俺は吉瀬さんを犯そうとした」

「そんな気なかったくせに。そうやって怖がらせて、自分のもとを離れさせようとしたのでしょう。二ツ橋さんの名前を聞いた瞬間のことだったので。きっと、家に戻れなくなった私は、二ツ橋さんの家に行くと思ったのでしょう。同級生もいますし。でも、同級生は古戸さんを知っていましたが、ちゃんとした目で見ていました。それに、ほかの同級生に話している姿も見たことがないです」

「……そうか。だが分かっているなら、出て行った方がいいんじゃないか?俺の世間体は見ての通りだ」

 その言葉も、全部優しいが故でしょう。

 だから余計にこちらも痛いのです。

「そんなこと、関係ありません。私は自分で知ったうえで、ここに居たいんです」

「……何でだ?何でそこまでして俺にこだわる?」

「言ったでしょう。放っておけなかったんです。自分の知ってる人が、間違った目で見られて罵倒され続けてたら、放っておけないでしょう。それにここまで、気遣いできる人を、正しくあろうとする大人を、私は知りません」

「そうか……」

 そういった古戸さんの声は今まで聞いていた声より、少し優しくなったというか、気負いがなくなったように感じられる声でした。

 私の思いを理解してくれたでしょうか。

「……分かった。俺はもう、何も言わない。何もしない。ただ、もう少しだけ、このままでいいか?」

 古戸さんは、落ち着いた声でそう言ってきました。ますます子供のようです。ですが、私も泣いて、顔が少し赤かったりして、ひどいことになっているかもしれません。このままでいいでしょう。

 なにより、私自身も、もう少しこのままでいいと思っています。

「ええ、いいですよ。私も、もう少し。このままがいいのです」

 素直に、そういいました。これはもう、抱きついているという表現よりも、抱擁と言った方がしっくりくるかもしれません。この時私は生意気にも、お母さんのような気分になっていました。女ならではの母性本能というやつでしょうか。

 そうして、おそらく数十分は経ったでしょうか。私と古戸さんはどちらともなく離れました。

 古戸さんは確認するかのように言ってきました。

「……制服を破いたり、いろいろと怖い思いをさせて悪かった。ところで本当にここにいる気なのか?」

 そんなもの、聞くまでもないじゃないですか。

「いいんです。ここで。ここがいいんです」

 私は立ち上がり、背筋を伸ばし、しっかりとした正しい姿勢で答えました。

 目線が違うので、何ともえらそうですが、そんなつもりはないです。

 古戸さんは、少し困った表情になっていました。……私がいては不都合があるのでしょうか?それとも……そう考えていると、古戸さんが口を開きこういいました。

「そうか……その、なんだ。俺がしといてなんだが、目のやり場に困るというか」

 私は、ハッとしました。考えてみれば私は実質下着姿です。こんな格好で背筋を伸ばしていたのです。ああ恥ずかしい。私はすぐさま、廊下に置いておいた制服に着替えます。

 すると、古戸さんは再び申し訳なさそうに言ってきました。

「その……なんというか。本当にすまなかった。そこまで知っていてくれているとは思わなかったんだ」

 この人は本当に優しくて、素直な人です。

 再三にわたっての警告を無視してきたのは私で。無視してまで関わってこうしたのは私です。

 さて、その旨を伝え、さらに頼みごとをしなければなりませんね。

「いいんです。私すべてをきちんと知りました。その上での私の決断です。……ということで、改めてのお願いになるのですが」

 私は、意を決して、頭を下げて言いました。

「ここに住まわしてください!」

 もしこれで断られたら……私は行くあてはもう樹利亜の家ぐらいです。

 でも、出来れば……ここに住みたいです。

「俺は構わないが……本当にいいのか?俺はこれから就職活動だし、正直、世間体のことで就職しづらいとも思うから、生活は厳しくなる。それでもいいのか?」

「いいんです!もちろん古戸さんがいいとおっしゃってくれるならですが」

 そんなことは承知の上ですから構いません。それとも……やはりまだ、遠ざけようとしているのでしょうか。

 少しの沈黙の後、古戸さんは満たされたような感じで返答してくれました。

「ああ、いいさ」

その言葉を聞いた瞬間、なぜか足の力が抜けて、へなへなと座り込んでしまいました。

 理由は自分でもわかっています。断られたらどうしよう、という不安から解放されたからです。涙まで出てきました。

「う、うう……」

「ど、どうしたんだ。急に……」

「いや……これで断られたらどうしようかと思っていたので……」

「いや、吉瀬さんに気が付かされたところもあるんだ。恩人だ。それを抜きにしても突っぱねはしないさ」

「ありがとうございます……」

「礼を言うのはこっちだ。ありがとう」

 こうして言葉を交わし、この日の濃密すぎる時間は幕を閉じました。


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