2.指輪(1)
人一人が辿れる未来には限りがある。
だからこそ、人の未来を羨み、妬み、憧れる。
自分の未来が良きものであるようにと人々は願う。
そんなものを差し出してまで得るほどの力なのか。
未来と引き換えに得られる力ならそれはそれだけ大きな価値のあるものだと思い、反して未来が不定形であやふやなものだからこそ、簡単に差し出せてしまうのか。
◆
大学のゼミ室のドアがノックされた。
「はい、はーい」
女性がそれに答えるようにドアを開ける。
「あ、本多君、お客さんよー」
ニヤニヤしながら、女性は奥の資料棚の前に座っている男に声をかける。
「失礼します」
女性がまだドアの前に立っていたが、客は気にせず屈んで女性の脇から部屋に入ってきた。
「あ、ごめんねー。 本多君、私帰るけど二人きりだからって危ないことしないでよね」
「別に僕と彼女はそう言う関係じゃないよ」
「うそうそ、最近大学内で一緒にいるのよく見かけるんだから、じゃ、またね、卒研がんばって」
「あぁ――」
男の返事を待たずに、女性は部屋から去っていった。
「元気な、人ですね」
客が、男に声をかけた。
「ごめんね、悪いやつじゃないんだけど」
「いいの、そういう意味じゃないわ」
長い黒髪を耳にかけながら、お客である高校生くらいの女の子は、資料棚に散乱している本を手に取って開いた。
別段興味があった訳ではなく、ただその所作で少しの時間を潰したかっただけだ。
「理彩、それで今日は何の用なんだ?」
「……」
時間を潰したかったというよりは、心の準備をする時間を稼ぎたかった。
少し後ろめたさとか罪悪感とかがあったからだ。
「あの新しい指輪使いに接触したわ――」
男が言葉に反応して顔を上げた。
「君は、……そう軽々しく――」
「分かっているわ。 でも、彼は違った、やっぱり新しいやつだったのよ」
「分かっていないよ、“彼”が焦って近づいて殺されたことに何も感じていない訳じゃないだろ、指輪使いは危険なんだ」
指輪使い――――。
彼らはカウフマンに指輪を与えられた者たちをそう呼称している。
指輪使いたちはその指輪に宿る個々の能力を持っている。
能力の全く分からない指輪使いに接近することは危険であり、指輪を奪われかねない。
また、所持している指輪が一つだけとは限らない――――。
「私の力なら、もし犯人だったなら直ぐに拘束できる、問題ないわ。 それにもし何かやられても生きているのなら貴方が戻してくれる……、私たちから踏み込まないで香苗を殺した奴は見つけられないわ」
彼女は、そう強く男に反発した。
それでも、男にも同じくらいの強い気持ちがあった。
彼女まで死んでしまったら、と。
「大切なのは今生きてる君だ、君は違うようだけど、僕は君まで殺されたら合わせる顔がないよ」
「――身勝手な我が儘なのは分かっているわ、貴方がどういう思いで私に協力してくれているのかもね、でも、私は彼女を取り戻したいのよ……今でも」
潤んだ彼女の瞳の奥には揺るぎない意思があった。
気持ちが昂ってしまったのを隠したくて、彼女は男に背を向けて本から手を離した。
――しかし、本はそのまま宙に浮いている。
そうして、ひとりでに動き出し、本が閉じて元の場所に収まった。
「僕だって気持ちは同じだよ、――彼の死と引き換えにこの大学に在学している指輪使いだというところまで辿り着けたんだ、後は誰なのか、だよ」
男はその事態に全く動揺していない。
彼女の力がそういうものだと言うことを知っているからだ。
「…………恐らく、この大学にいる指輪使いは貴方と彼を含めて5人で間違いないわ、ただ後の3人の内誰かはまだ分からない」
「能力も不明、確かにもう君の言う通り一人ずつ接触していくしか手は無いのかもしれないな」
二人は肌寒いゼミ室の片隅で思案していた。
彼らは一年前に消えた本多香苗を今でも探している。
カウフマンによれば本多香苗はある指輪使いに殺された。
二人はその言葉を信じて、その犯人を追っている。
半年懸けて、ある大学に通う指輪使いだと断定した。
それはもう一人、その犯人を追っていた仲間の功績で、しかしどこの誰かまで分からなかった。
もちろん、分からなかったのは彼らであってその仲間ではない。
だがその仲間は犯人の手にかかって死んだ。
一ヶ月程前の事だ。
それから二人は犯人探しに行き詰まっていた。
二人の指輪の能力は人探しには適さない、そういう能力ではなかったからだ。
――――それはつまり、この二人の想いの根源は“犯人を探し当てること”ではないことを意味する。
◆