番外編 りんと-1-
また時間が空いた…
ちゃりん
賽銭を投げ込み、拍手の手順を踏む。
「……さて」
視線を上げ、屋根の淵から飛び出した焦げ茶色のローファーに焦点を当てる。この靴の持ち主は鳥居の外から確認している。
「おーい、起きろー」
大きめの声で呼びかけるが、反応はない。
……他の神社なら、もう起こすのを諦めるんだが。
「はぁ、仕方ない」
短いため息の後、境内の外にある小屋から梯子を持ち出して、飛び出したローファーの少し横に立てかける。神社の屋根が軋む音を聞き流しながら登り、瓦の上で寝息を立てる姿を目に入れる。
「あまり見ない制服だけど……中学生か?」
シンプルなセーラー服の上からクリーム色のカーディガンを羽織る、小柄な少女だ。
起こすのが戸惑われるほどの気持ち良さそうな寝顏だが、この格好で放置すれば風邪をひいてしまうだろう。気が引けるが、起こすことにする。
「おい、起きろ」
「……ぅんむ」
声をかけるが、身じろぎする程度で起きる気配はない。
「起きろって! 風邪ひくぞ!」
仕方がないので大きめの声をかける。少女は大きく身じろぎをし、頭を動かしている。どうやら起きたようだ。
「あ、やっと起きたか。こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」
少しの安堵を含んだ声をかけると、一泊ほど遅れて少女が俺に気づいた。
「ぅ……だれ?」
目が合って数秒後、寝ぼけ声の少女が声を発した。
「俺は磯部鱗人。鱗人って呼んでくれていい。お前は?」
自分の名を名乗り、少女にも尋ねる。
「……灯」
問いに短く答えた少女は、しばらくぽけーっとしていたが、目が覚めたらしい。探るような視線を俺に向けてきた。見知らぬ男に起こされたのだから、まあ当然だろう。
罰当たりな中学生も起こしたし、退散するか、と考えていた俺だったが、灯の言葉がそれを止めた。
「ねぇ、私のこと見えてるの?」
大抵のまともな人間なら、何言ってんだこいつと流すような言葉だが、俺はとある理由でそのような対応はできない。
詳しい説明は省くが、俺は強い霊感を持っている。普通の人間と同程度にくっきりと幽霊を判別できるほどだ。
「お前、幽霊だったのか」
もし痛い人だった場合の保険として尋ねると、灯は少しの思案を挟み頷いた。
肯定を受け、気を引き締める。
「どうしたの?」
俺の雰囲気が変わったのに気づいたらしい灯が尋ねる。
「心残りはなんだ? 俺に出来ることがあれば教えてほしい」
霊感が強いと、当然ながら幽霊が見える。その幽霊のほとんどは、一人の例外を除き、強い未練のために成仏できない幽霊だった。灯も、何か心残りがあるのだろう。実際に十代ほどの幽霊はよく見かけるしな。
灯は一瞬唖然とした表情を俺に向けたが、すぐに困ったという表情になる。
「未練なんてないよ。ここに存在しているのは、私がこの神社の神様だから」
「神様って言えば、髭でモッサモサのおっさんって決まってるだろ。誤魔化さずに教えてくれ」
髭でモッサモサのおっさんだなんだというのは適当に言った言葉だが、流石にこの小柄な少女が神様だとは信じない。だいたい、中学の制服を来た神様なんぞ何処のフィクションだ。
俺の言葉に灯が実に煩わしそうに表情を歪ませる。恐らく、俺が信用されていないためだろう。
「嘘じゃないよ。力が弱いから願いをかなえたりできないけど、本当に私がここの神様なんだよ」
「……そんなに俺が信用ならないのか? 灯と似たような幽霊の成仏を手伝ったこともあるから、少しくらい力になれるぞ」
またもや私は神様だと誤魔化そうとしているようだ。
なにやら思案する灯。まだ神様がどうだと言うつもりなのだろうか。だいたい、ここの神様はもっとーー
「めんどくさ」
突然空を見上げた灯が、脱力して呟く。諦めたか?
灯はすくっと立ち上がると、跳ねた。え、跳ねた?
「ちょっ」
「じゃあねー」
呆然と見上げる俺に、灯はイイ笑顔で言った。
「次話しかけたら、そのアホ毛むしりとるからなー」
***
木漏れ日の光が弱まり、辺りが暗くなってきた。
灯が森に消えてから、ダメ元で粘って二時間。一向に現れる気配はない。これは、もう無理かな。
「……帰るか」
諦めて帰ろうとした俺に、後ろから声がかかった。
「あのー、さっきからそこで何をされてるのですか?」
「ん?」
首だけで振り返ると、巫女服の少女が立っていた。この神社に巫女なんか居たかな。
「んと、この神社に中学生くらいの幽霊が居たから、成仏させてやろうと思ったんだけど……ちょうど君くらいの女の子なんだけど」
事情を話しがてら巫女さんを観察する。……顔が違うし、まあ別人か。
哀れみの視線を向けてくる巫女さん。なんなんだ。
「そういえば、君は誰だ? ずっとここに座ってたけど、人が通ったことは無かったんだが」
「私はこの神社の巫女です。それと、この神社には幽霊なんていませんよ神様なら居られますが」
もしかして、巫女さんは灯を見ていなかったのだろうか。あんなに堂々と屋根で寝ていたのに。霊感がないのだろうか。
「そうなのか? ということは、あの子は本当に神様なのか?」
さりげなく探りを入れる。これでここの神様は女神だと言ったのなら、アウトだ。ここの神様は、男なのだから。
が、巫女さんは俺を心配するような視線を向ける。どうやら、本当に灯を見ていないようだ。
「じゃあ、俺は帰るかな。神社の巫女さんってことは、君はここに住んでるのか?」
最後の探りだ。
「はい」
アウト。
「……またな」
俺は、モヤモヤとした気分で鳥居をくぐった。
フラグてんこもり