特戦隊は戦う
真夜中のテニアンは不気味だ、と井口賀谷大尉は思った。規則正しく寄せては返す波の音と、風に囁く木々の葉擦れの音。生温い潮風に頬を撫ぜられ、体がぶるりと震えた。特戦隊はテニアン島北部にて蛟龍で上陸し、赤野率いる原爆奪取部隊と、これを援護する支援部隊に分かれる。隊長の赤野を含む本隊は上陸地点から島を反時計回りに、山を迂回して飛行場に潜入。原子爆弾を確保したのち”B-29で脱出”する。支援部隊は山を直進し、本隊脱出と同時に攻撃をかけて本隊を逃がす。本隊脱出後は来た道を戻り、蛟龍で自分達も脱出するという作戦だ。支援部隊引率の大尉はこの作戦は成功しないと踏んでいる。言外だが、未知の兵器を敵地から盗み出すというのだ。その未知の兵器とやらも、中立国スウェーデンの力がなければ存在すら気付かなかったというのに。これでは日の丸もあと数ヶ月で沈む…この太平洋戦争に敗北するだろう。今更な悪足掻きである事に、井口は嫌悪感を禁じえない。これが失敗し、もし日本が新型爆弾に焼かれようものならば、より多くの犠牲が生ずる事は想像に難くないはずだ。しかし、ならばなぜ自分が今ここにいるのだろうか。妻子への遺書を仲間に託し、切腹を乞う英文を何度も見直してきたのか。おとこ、井口はこの戦争に勝つ事が目的ではない。皇国がその威光を失い、堕する様を見たくない。その一心である。だからこの特戦隊の招集に応じた井口は、隷下の隊員に望遠鏡を借りると、目標の飛行場を観察し始めた。
赤野は戦場に立つには老い過ぎている。若かりし頃は刀一振りで10の敵を葬ったものだが、今ではただの一人も殺める事は適わぬ。海岸線の向こうからは港の活気も、朝焼けの光も届いてこない。ただ暗闇に潮が漂い、ときたま米兵が浜を散歩をしているのみだ。林沿いに忍び寄り、背後から一突きに仕留めてやるのが道中何度かあった。幸い、見張りとは言えないような一人歩きをしている兵士しかいない。小銃も潮にあたったり、砂に落としたのか、まともな物を持っていなかった。赤野は今の状況に内心、苦笑する。
(油断とは恐ろしい)
確かに、自分がアメリカの立場であったら、こんな所に日本軍の兵士が襲撃をしてくるとは思わない。終戦を目の前にして、こんな小島で厳重な警備などしようと誰が言うのやら。しかしさすがに飛行場内部はなかなかの賑わいをみせている。砂浜を越えて金網越しに敷地を覗くと、夜中であるのに大変な騒々しさが辺りを揺らしていた。夜間爆撃を終えたB-29が着陸し、火薬庫からは爆弾が次々と運ばれていく。役目を終えた機が格納庫の前に整列しているが、一機たりとも中へ入ろうとしない。さすがに100もの機を全て格納庫へ収めるのは無理がある、ところが格納庫はどうやら閉めきっているらしい。
「お宝はあそこでしょうかね」
隊いちの若手が赤野の隣で革の軍手をはめた。瞳が輝いているのは、明かりのせいばかりではない。
「急くなよ。冒険家はいたって冷静に事を運ぶのだ」
赤野は髭をたくわえているが、顔の作りは若々しい。もし髭と髪を剃り上げれば、青年に見紛うこともありうる。年季の入った雄姿は隊の誰もが羨むものである。
「2班制だ。1班はお宝を狙う、俺と来い。2班は電探と通信を破壊しろ」
2班と指名された6名は赤野に細かく指示を受けたあと、飛行場の縁を這って移動していき、やがて闇に溶け込んだ。残る6名は開かずの格納庫に向かって林を抜けていく。その中に本命があることは確実であり、一行は足を止めない。巨大な格納庫は電灯に明々しく照らされ、表では機が未だに応急修理などを行っている。背後の林から静かに忍び寄る赤野達は、ツタの茂った使われていない扉をゆっくりと開け、内部へ侵入する。扉の向こうには小部屋があり、清掃用具などが乱雑に置かれていた。その奥の扉からは声が二人分聞こえてくる、米兵だ。
「おい、番号がそのまんまだ。書き直さないと」
「いいんだよ、どうせ誰も気にしないさ」
「カールが怒るぞ。手柄を他の隊に盗られたって」
「はは、どうせこれで戦争は終わっちまうんだろ?ならいいんだよ」
日本兵に聞かれていることなど露知らず、二人は談笑しているようである。英語に堪能な隊員たちは会話の内容を理解するのに苦は無かった。よってこの先にあるものが目的の品であることもまた、理解した。隊長の手信号で、三人が扉についた。片手には鈍く光るナイフ。内の一人が取っ手に手をかけ、音も無く捻り──弾けるように開け放った。わずかな金属の摩擦が広大な格納庫の片隅を彩る。飛び出した二人は米兵が身構えるより前に、断末魔ごと喉を切り裂いた。足元にコップが転がり、小さな水溜り…そして血溜まりが広がる。死体を片隅へ追いやると隊は速やかに集合した、一機のB-29の前へと。眩しいほどに照明を浴びている機体は、所々が傷付いている。歴戦の機体なのだ、と元飛行士の隊員が呟いた。赤野は機体扉を開け、機内へ進入しながら、何人かに指示を与えて散らせる。一人は格納庫の大扉の制御室へ、一人は隣に立地する武器庫へ、一人は窓際で見張りについた。
「めぼしい物は全部運び込め。ここは宝の山だ」
今の彼等には、この一帯が輝いて見えるだろう。傍の机には大事な書類が束ねられ、隊員たちは我先にと書類を漁り出す。一方、爆弾倉を開いた赤野は息を呑んだ。そこに積まれていたのは大きな爆弾である。今まで見たことも無い奇怪な爆弾である。それ以外には1発も積んでいない。そういえば武装もなかった。異質な機の様相は、すなわちこれが目標の新型爆弾、その搭載機であることを如実に呈している。
「隊長、重要そうな物は全て回収しました…隊長?」
ふと部下に声を掛けられ、彼は我に返った。何を呆けているのか、自分は。
「わかった、2班の合図と同時に発進する。準備しろ」
手短な命令に部下は返事し、踵を戻した。後は2班を待ってここを脱出するだけ…それが最も難しい問題であると、赤野は知っている。
井口の体感時間は2時間程度だ。夜は変わらず特戦隊の姿を飲み込み、米軍は未だ日本軍の襲撃に気付く様子は無い。彼は少々痺れを切らしていた。盛大な爆発が脱出開始の合図だと聞いているが、あの赤野のことである。火薬を潮で湿気させたので、別の案でも練っているのか。どちらにしろ、彼等が動かなくては自分も動けない。そろそろ合図が欲しい頃合だ…そう愚痴を唱えた瞬間、飛行場に花火が上がった。ただでさえ明るい飛行場が、真昼のごとく煌々と炎に炙られ、まるで小さな太陽が生まれたのかと錯覚させる爆発である。
「こちらに発光モールスです。キ、タイ、ノ。ブウン、ヲ、イノル…以上」
傍らの青年が双眼鏡から目を離し、その手を小銃に持ち替えた。井口もまた小銃を構え、鉄帽を被りなおす。
「上出来ではないか。さあ諸君、我々も務めを果たさんとしよう」
井口と共に17名の兵士は視線だけで言を交わし、それぞれの持ち場についた。3名の兵士は八十九式擲弾筒に弾を込め、事前に済ませておいた測距で素早く照準を合わせると、観測員の指示のもと強力な一撃を繰り出す。前進する井口達の後ろから爆音が発せられ、飛行場にまた花火が咲き誇った。
「エンジンは動くんだろうな、こいつ!」
「燃料計はどれだ。エフ、エフ…」
「機関銃が載ってない!丸裸じゃないか!」
第2班は工作を済ませて、慌しい格納庫に戻ってきた。既にB-29の発動準備にかかっており、訓練を受けた隊員が全力で操作を続けている。
「急げ、5分で起爆するぞ!」
もたもたとしていれば夜が明け、作戦の遂行は困難になるだろう。その前にこのテニアンを抜け、夜明けと共に帰還するのが望ましい。必死にB-29操縦訓練を思い出しながら作業をした功が成り、B-29はエンジンを震わせて発動する──これからが勝負だ。
「全員戦闘に備えろ!」
赤野の一喝に見張りをしていた隊員達が一斉に銃を構えた。と言っても、どれも米軍の銃器である。隣の武器庫からくすねて来た特売品ということだ。警備をしていた兵士には永遠に眠ってもらう事になったが。脱出の狼煙が上がるまで、あと3、2、1…。格納庫は一瞬、地震に出くわしたかのような揺れに襲われた。鼓膜を突く爆発音と閃光が、大扉の向こうから漏れ出してくる。
「ようし、機体を発進させろ!急いで滑走路に乗れ!」
けたたましく警報が鳴り響き、周囲は司令塔へ注目していた。アンテナと通信機器が置かれていた施設が丸ごと炎に包まれ、作業をしていた米兵が大声をあげて走り回る。制御室の隊員がレバーを乱暴に跳ね上げると、大扉はゆっくりと外の景色を映し出した。近くを通った米兵が、起動している機体を見て、慌てて停止を呼びかけるが、すぐさま特戦隊は射殺する。異変に気付いた米兵が何事かと駆け寄ったが、同じくM1ガーランドの前に伏した。目立つ銃声はエンジン音が打ち消してくれたようである。騒ぎに構わず赤野は前進を命じた。事態を把握した兵士が、増援を引き連れて格納庫の前に立ちはだかる。数は30程度、しかし態勢が整えば500を超える兵が特戦隊を包囲するのが容易に想像できた。赤野は短機関銃を乱射しながら格納庫から駆け出す。目的は目と鼻の先にあるジープである。丁寧にも機関銃を装備したタイプだ。狙いを察した部下の2人が追従し、3人は一気に車両へ駆け込んだ。まだ武装の整っていない米兵はまともに彼等を攻撃する事ができない。
「ついてるな、良い機関銃だぞ!」
赤野はハンドルを握り締め、ペダルを勢い良く踏み込んだ。左操縦席は外国車を乗り回していたために慣れている。急加速した車両は、格納庫を包囲する兵士の群れに突っ込んでいった。頭上からは重低の発砲
音が断続的に聞こえてくる。ハンドルを切るたび、アクセルを踏むたび、逃げ惑う兵を轢き飛ばすたび、出庫するB-29は前進していく。
「前方、戦闘車両!」
助手席で射撃を行っていた隊員が、張り詰めた声で叫ぶ。前方からは同じ車が重機関銃を発砲しながら怒涛と接近してきた。軌道からして、ぶつかる覚悟か。乗り捨ても思考によぎる赤野だったが、空を裂く飛来音をかすかに感じ取り、思いとどまる。むしろ速度を上げ、こちらからひしゃげにいく心積もりでアクセルを押し込んだ。相手と衝突するかと思われた瞬間、赤野は思い切ってハンドルを右に切る。車体は仰け反りながら旋回し、危うく横転しそうになりながらドリフトした。相手の車両はハンドルを切る直前、空から降る擲弾に貫かれる。小型ながらも、非力な装甲しかない車両を容易く貫通する榴弾。それを受けた敵車両は木端微塵に砕け散り、大破した。
「井口の隊か!よくやる!」
爆産した車に続き、バリケード代わりに立ちはだかる兵員輸送車や作業車を、擲弾が次々と蹴散らしていく。B-29はやっと尾翼を夜空に晒し、米軍の猛撃に激しく機体を戦慄かせる。格納庫の中から現れたB-29はプロペラをより一層激しく回転させ、テニアンの大地に歓喜の産声を轟かせた。滑走路まで50m。B-29の前部降着脚に隠れて応戦している隊員の背後から、シャベルを振りかぶった米兵が襲いかかる。隊員の頭蓋を直撃したシャベルは折れ曲がり、鉄帽が砕け散った。…40m。米兵はシャベルを放り捨て、もんどりうつ隊員にのしかかり、苦悶の声に拳を打ち下ろす。1発目は白い歯が一つ飛んでいき、2発目に鮮血の飛沫が米兵の頬を濡らしたが、3発目は受け止められ、隊員の鋭い拳骨が相手の鼻頭を貫く。…30m。体格的な優位性に慢心した米兵は強烈な反撃によろめき、起き上がった隊員に蹴飛ばされ、地面を転がる。しかし辛うじて身体を引き起こし、突進してくる隊員と組み合った。互いに相手を崩そうと左右に振り合い、食いしばり、叩き下ろす。二人は敵を放さぬまま体勢を乱して地に落ちる。…20m。隊員は両手で相手の襟首を掴むと、血を流す頭を剛健と打ち付けた。米兵も負けじと片手で相手の頭をわし掴み、擦り切れた拳固を何度も振り抜く。至近に着弾した擲弾が脳内で共鳴し、殴りあう二人の時を一瞬、鈍らせた。…10m。先に動いたのは隊員だった。右腕を大きくしならせ、突き出す。米兵はこれに良く反応し、刹那の遅れにも関わらず身をかがめると、応酬のアッパーを繰り出そうとして、気付いた。敵は、右腕を完全に振り切っていない──フェイント。隊員は左足を神速で米兵の顔面にめり込ませ、その巨体を吹き飛ばした。米兵は鼻血を噴き出しながら転倒、倒れた先でB-29の後部降着脚が、その身体を乗り越える。隊員は声にならない声を上げる米兵を見向きもせずに、B-29の搭乗口へ急ぐ。入り口で待っていたのは赤野だった。
「よう、チャンピオン。待っていたぞ」
隊員は苦笑いをして、赤野に庇われながら機に乗り込む。彼が最後だったようで、赤野は素早く搭乗装置を仕舞うと、操縦者に合図を出した。B-29は滑走路に乗り、充分な距離をもってして離陸態勢に入る。
「蹴散らせ、ここまできたんだ!落とさせるな!」
井口の隊は規定の戦線を大幅に引き伸ばして基地内に侵入し、本隊を支援した。後方の八十九式擲弾筒を操る隊員が、巧みな照準で武器庫を捉える。炸裂した小型榴弾は大量の火薬に引火し、星の欠片をまといながらテニアンを赤く染めた。続いて迎撃に出ようとする戦闘機を出庫して間もなく捕捉、パイロットを紅蓮の棺桶に封じ込める。井口は戦闘機が居座っている別の格納庫へ走る米兵を一人残らず打ち倒し、B-29の離陸を見送った。B-29は全身を銃痕だらけにしながら、それでも力強く羽ばたく。降り注ぐ銃弾を跳ね返し、立ちはだかる米兵を物ともせずに、そして飛び立った。夜空でかすかに機体の扉が閉まるのを確認した井口は、撤退を命令する。基地の損壊は激しく、そして通信装置を破壊された司令部はまともに外部と連絡を取る事ができない。統率の執れていない米軍はまともな迎撃・追撃を行えないまま、特戦隊を見逃す事となった。