祭りの下準備はよろしくて?
5月半ばのことである。ハルゼー中将はフィリピンで最後の休養を楽しみ、沖縄の野戦司令部へ連絡を取った。これまで潜水艦で何度か物資の補給を成功させ、彼等は作戦の再スタートまで無事に持ちこたえている…ハルゼーはその労いをしてやろうかと思って、手紙を兵に運ばせたのだ。返ってきたのは返礼ではなく救援要請であった。
「どういうことだ、これはっ!?」
ハルゼーは手紙を持って帰った兵を問答無用で殴り飛ばし、怒鳴り散らした。片道3キロ、往復6キロの遠泳で手紙を運んで疲労した兵は簡単に吹き飛び、近くの兵士が駆け寄って介抱する。手紙の内容は司令部という地獄の様子であった。12000名に及ぶ上陸部隊は既に1000名を超える死者を出し、今も2000名以上が傷病に苦しんでいるという。その原因はなんと毒蛇である。1メートルほどの大きさの蛇が夜中、寝床についた兵士を片端から噛み、日本軍の襲撃と勘違いして騒動が度々起きたらしい。さらにマラリアも感染を確認しており、罹患率は押さえられているがじきに集団感染は免れない。これ以上の被害を防ぐために傷病人の搬送を要請する、と。マッカーサーの言っていたフィリピンの悪夢が蘇った。防ぐ事の出来ない感染、止める事の出来ない拡大。ハルゼーはこめかみに手をやると椅子に腰掛ける。病院船の手配はどれくらいでできるか計算しながら、彼は部下に指令を伝えた。
重巡洋艦インディアナポリスはハワイを出発し、沖縄の南東にある北マリアナ諸島へ向かっていた。積荷は米軍の極秘兵器、原子爆弾である。本来なら部品の一部は輸送機で運ぶはずだったが、日本の潜水艦が北マリアナ諸島に進出しているらしく、噂の新型迎撃機の存在も考慮してインディアナポリスが全て運輸を請け負っている。その航行の様子を、水面下で監視する者がいた。世界で初めて実用化された潜水戦艦、伊400改型である。水上機「晴嵐」を3機搭載する事ができる潜水空母(俗称。厳密には潜水水上機母艦)の水上機搭載筒を改修し、42センチ2連装主砲を1基積み込んだ潜水艦であり、珍しい大型有翼潜水艦艇でもあった。高速性は望むべくも無かったものの、開き直った大型化は居住性の向上、すなわち作戦行動時間の拡大を達成し、現に太平洋の最中での行動を可能にしている。敵の背後を取った伊400改が魚雷を発射しないのは、もちろん理由あってのことだった。やがてインディアナポリスが遠い波間に姿を消すと、彼等もまたその巨体を海中に沈めていった。
再び伊400改が姿を現した5月31日午後10時のテニアン島である。北マリアナ諸島北部のこの島には、120機ものB-29が配備されており、日本空襲を1944年10月から連日行っていた。予定では7月に特別なB-29と爆弾が届くのだが、太平洋艦隊壊滅にともない、急遽5月中に到着していると先日の偵察で判明した。伊400改は10隻の蛟龍を牽引し、特戦隊と共にテニアンへ向かう。彼等の目的はただひとつ───原子爆弾の奪取だ。特戦隊は陸軍の所属とされているが、隊員の中には海軍の陸戦隊の者もおり、実質その立場はあやふやである。だからこそ表立って陸軍と海軍の対立が起こらず、米軍の情報網に引っ掛からないで済んだのは幸運といえる。50トンもの重量を持つ蛟龍を10隻牽引できるのはこの伊400改だけで、その蛟龍でテニアンに潜入し、原子爆弾を奪取できるのはこの特戦隊だけ。それだけのことであった。テニアンまで250キロの地点。蛟龍の作戦行動半径が約200キロのため、作戦開始まであと2時間をきった頃、艦内の赤い警報灯が灯った。すぐさま潜望鏡を伸ばすと、前方から黒い影が何十と向かってくるではないか。日本海軍の見張り員は優れた夜目にちなんで、「猫目」と呼ばれている。その猫目は、影の中で最も大きな物を空母だと認めた。1隻だけではない。2、3…5隻以上。見張り員は機動部隊接近の旨を伝え、すぐさま潜望鏡を収めた。艦長はいたって冷静に深度50、水平慣性航行を命じ、組んでいる腕を入れ替える。近くの者に無音行動徹底を全艦に知らせるよう指示を飛ばして、中村乙二中佐は微笑した。伊400の血を受け継ぐこの艦は1分もかけず急速潜航を行う事ができる。闇と波が全長130mもの艦体を覆い隠す蓑となり、そのまま伊400改は身を潜めた。すると艦内は極めて不自然な静寂に包まれる。頭上では何十という米艦隊が通過しているというのに、なんと平穏なることか。中村はいよいよ鳥肌が立ち始めた。にわかな緊張の高まりは、中村だけではなく、他の乗組員にも不思議な高揚を与えているようだ。一時間ほど経過して、中村は試験装備であるソナーのことを思い出した。元は米軍の装備だが、呉の技術士官がくれた大切な玩具である。
「ソナーは使えるか」
「アイ。全て異常ありません」
答えた士官は待っていたとばかりに計器盤に手をかけた。新しい玩具に喜んでいるのは自分だけでない事に安心した中村は音探作動の令を下す。
「音響ひとつ。打信」
「音響ひとつ。…打信よろし」
カン。と、甲高く響いた音は米艦隊の位置を寸分の狂いも無く捉え、艦長以下を安堵させた。
「3ノット進路このまま。上げ舵30、浮上後20ノットで南進せよ。作戦まであと2時間だ」
今から10年ほど前、1932年に上海事件が起こった。大軍で押し寄せる中国軍に対し日本軍は苦戦したが、この戦線を支えた部隊に、海軍陸戦部隊がある。その名を、上海陸戦隊という。陸軍に劣らぬ地上戦装備を持ち、3万もの中国兵をたった4千の兵力で撃退した、まさしく精鋭集団であった。その後は戦車の台頭や空挺部隊の登場により活躍の場は無くなったが、屈強な精神と練達な技術は受け継がれ、海軍の奥深くに眠っていたのだ。だから、齢50の少佐たる自分がこんな最前線に立つことができたのは僥倖と言わざるを得ない。特戦隊隊長、赤野進少佐は右のこぶしをぐっと握り締めた。自身の死に場所は司令室の小奇麗な椅子ではなく、弾と血の混ぜ返る戦場だと決めている。水兵服は脱ぎ捨てて、握るのは指令書でも羅針盤でもない。漆黒の特殊野戦服を身にまとい、刀と小銃を携えて、彼は蛟龍に乗り込んだ。赤野進、元上海陸戦隊の小隊長にして、最も中国兵の返り血を浴びた水兵である。