大きな小休止
米軍12万の兵が沖縄に消え、上陸部隊野戦司令部が敵地にて孤立した。上陸部隊のうち1個師団が集結して構築した塹壕地帯は、飛行場攻撃部隊が壊滅する間に拠点として改造され、敗走してきた攻撃部隊を回収する。昼過ぎには飛行場前に死体の山が積み上がり、日本軍は僅かな損害で米軍を撃退する事に成功した。本来なら戦車と航空機が飛行場の対空砲火と陣地を蹂躙するはずだったのだ。しかしふたを開けてみれば戦車部隊の泥沼な進軍と、航空機に至っては空母と共に海の底に消えた機体が殆どである。そして一番の損失は艦隊と司令の消滅であった。スプルーアンスは戦艦と空母を含む50隻以上の主力艦艇を沈め、自身も艦隊と運命を同じくした。もし彼が運良く生き残っていたとしても、査問にかける必要もないくらい重罪であることに変わりはなかったが。もちろん、米軍高官達はこの作戦を絶対の自信をもって実行した。通商破壊や機雷封鎖は入念に行い、南部諸島は全て占領し、中国軍への工作もした。日本陸軍は中国大陸で苦戦し、勢力はもはや台湾までが限界だと踏んでの、最高に綿密な作戦だったはずなのだ。司令部は沖縄への上陸を断念し、アイスバーグ作戦を2ヶ月遅延する事に決定した。太平洋艦隊の戦力を再結集し、戦力を整えてからもう一度沖縄を攻撃するのだ。今度はイギリスから空母機動部隊が増援に駆けつけ、撃破された米空母の代替となる。かつてインド洋で日本軍に手酷い目に合わされたイギリス海軍は、息巻いてこのアイスバーグ作戦に参加を表明し、2年の歳月をかけて培われた戦力は失われた米海軍のそれを容易く埋めあわせて、来たるべき6月1日の決戦に備えてサイパンに駐留する。ここには戦艦インディアナポリスが運んでくる、ある秘密兵器が配備されていた。
沖縄の飛行場が守られた。本来なら米軍の手により一つ残らず破壊されるはずであった工場と研究所は傷一つ負わず、多数の技術官が生き延びて本州の工廠へ渡る。彼等が届けたのは、土壇場でしか思いつかないような、奇想天外とでも言うべき研究成果と設計書だった。海軍には潜水戦艦、潜水戦闘機。陸軍には飛行船、防空艇。見たことも、聞いたことも、考えた事もない兵器の羅列である。これにはさすがの軍需企業も開発を渋った。今はB29を撃退するための新型戦闘機の開発に力を入れるべき時期であるし、それが実用に耐えうるのか、実績すらないのに開発が成功するかなど、問題が山積みであったから仕方ない。ところが沖縄帰りの技術者達は、年初にドイツから密輸されていたミサイル・飛行艇のモデルと、アメリカの工作員が送ってきた飛行船・潜水戦闘機の実験記録を叩き付け、開発にこぎつけた。ドイツは既に大戦に敗北して降伏していたが、その直前にドイツ兵器の情報が沖縄に届けられていたのである。また、アメリカ人全てがアメリカの隷下だとは日本人は思っていない。祖国を追われた者など幾らでもおり、特にアジアとの麻薬取引を行っていたギャングなどは日本にとって最高の友であった。仕入先中国と売上先米国を同時に支配できるのは現状日本だけであり、この戦争に日本が勝利すれば酒屋と醸造家を一人で経営するが如く、自演的な商売ができる。そうすれば放っておくだけで金が溢れかえる裏社会経済が手に入る。愛国者はとても協力的であった。
新型兵器の開発は企業の予想を裏切り、概ね順調に進んでしまった。まず潜水戦艦だが、これは潜水空母である伊400型を改造することでコスト及び建造期間を大幅に削減した。最終増産態勢に入っていた伊400型のうち一隻を拝領して、格納庫を改装。航空機の代わりに、砲台を積み込んだ。もちろんそれだけでは足りない。もし浮上して砲台を展開し、砲撃を行ったら、艦体が問答無用でひっくり返ってしまう。これを防ぐために水中翼を装備した。これにより浮力と安定性を確保する事で、42センチ主砲が安心して砲撃できるようになった。サイズが大きくなって乗組員は不満を漏らしたが、回収した米潜水艦の最新ソナーと管制機構を積むとおとなしく黙ってくれた。
次に潜水戦闘機である。これは実はもう実験は外国で行われていた。あまり良い成果ではなかったが、その貴重な記録を元に試行錯誤を繰り返した結果、推進機構の問題に行き詰まった。プロペラで潜水艦は潜れず、スクリューで戦闘機は飛べない。このジレンマを解決したのが、プロペラとスクリューの中間のスパイラーの開発である。風と水の両方を効率よく掻き分け、なおかつサイズは小型、そしてこれを多数内蔵する。一つ一つは小さな推進力しか生まないが、小型ゆえに数で馬力を克服したのだ。まるで米戦闘機のムスタングを8発爆撃機にしたような外見だが、鋭角後退翼には機体と平行にスパイラーが内蔵され、空では時速480キロ、海では15ノットが期待できた。燃料のガソリンが両用のため、航続距離は1500キロと控えめだ。離着水は普通の飛行機の車輪のように、注水タンクを取り付けたフロートを展開して行う。車輪を装備できないため、水上機と同じ使用を想定している。
飛行船が一番の難関だった。なんせアメリカが一度計画に失敗しているのだ。そんな高度な計画が自分達にできるのか。…できるのである。水素ガスとヘリウムガスを混用した浮上機関と潜水戦闘機に使われたスパイラーを多数装備し、その巨体を遥か1500メートルまで持ち上げた。飛行船の命である風船部分は装甲を施された。といっても重厚な鉄板ではない。柔軟なゴム質を骨格に巻き付け、被弾時の損害を押さえる方向に持っていったのである。更に多重に区画を分けることで生存率の向上にも努めた。小口径ながらも砲身を長くする事で威力と射程を高めた機銃も各部に取り付けられ、戦闘機対策も取られた。最後、本体部分は定員200名の輸送型、定員100名の戦闘型に作り分けされる。輸送型は武装を施さず、ひたすら物資と人員の輸送能力に重点を置き、後方支援を目的とする。戦闘型は対空砲火と対地装備を施され、爆装量10トン、75センチ砲2門の空飛ぶ要塞に仕上がった。
防空艇は日本海軍でも以前から構想だけはあった兵器だ。大型の4発機に多数の対空兵装を積んだ、まさに飛ぶ火薬庫である。これが実用化すれば、爆撃機や攻撃機が戦闘機に一方的にやられるような事態が減り、万が一単体で戦闘機と空戦に入っても、一定の有効な戦果が得られると判断され偵察機にも推薦されていた。これには二式飛行艇がベースとなり、重装飛行艇として装甲と武装が進められた。
新型兵器のどれもが莫大な資材を必要としたが、特攻作戦に用いられるはずだった飛行機と爆弾をかき集め、貯蓄した資源全てを投じて壮大な開発計画は急速に集成する。また神風隊員の再育成を行って整備や本格的な空戦技術を教え込んで純粋な戦力化を図り、特に国内でも極秘に進められたのが特別作戦部隊の創設だった。これまでも特殊な意義を持つ部隊は数多く存在していたが、今回の特戦隊はこれまでのものとは一線を画する存在であった。恐らく戦況を一変させるほどの大きな意義をもった部隊である。これは国内から優秀な歩兵を選りすぐり、徹底的に個人の能力を高め「敵陣で孤立しても一人で生還できる程度」の力量を要した。敵国語である英語の習得、あらゆる武器の扱いの習熟、多岐に渡る戦術の練達。わずか30名の部隊は、地球上で最も強く、賢く、そして恐ろしい部隊として名を残す事になるだろう。