貴方は強くない
米戦車部隊は大きく迂回して罠を避け、歩兵は伏せたまま前進し続けた。日本軍からの攻撃は依然として止まず、へばり付いた地面に血溜まりができていることもあった。それでも果敢に歩みを進めた結果、荒れた岩場に囲われた飛行場を目視する。
「ニック、砲撃部隊に要請!邪魔なネストを吹き飛ばせ!」
指揮官の声に続いて、ニックは背負った機器から受話器を手に取り──直後、海兵隊のものでない銃声が二発、響いた。指揮官は素早く身を這わせ、ニックに近づく。
「おい、どうした!早く…」
うつ伏せたままのニックを彼が無理矢理ひっくり返すと、だらしなく口を開いた血みどろの、ニックだったものがそこにあった。指揮官は悪態をついて受話器をかっさらい、砲撃を請う。飛行場からこちらを睨む、いくつもの銃口に気付くこともなく。
志田は生徒達を一足早く後退させ、米軍の最後の足止めを行っていた。戦車は左右に散り散りとなり、歩兵は日本軍を恐れて積極的に攻撃に出られない。先程聞きかじりの英語で不穏な単語を拾ったため、草むらからはみ出た機器の足元を射撃した。効果はどれほどあったか知らないが、九九式小銃の力強い発砲音が彼に闘争心を絶えることなく与える。飛行所を振り返れば、既に日本軍の部隊が展開し、堅固な防御陣地から機関銃を覗かせていた。
(潮時か…)
志田は後退速度を速め、持ち場を放棄する。飛行場の塀を乗り越えた瞬間、背中越しに米戦車の悲鳴が志田の耳に届いた。
米軍の主な目的は沖縄に点在する飛行場の奪取である。標的にされたのは中西部に位置する中飛行場だった。東には嘉手納飛行場を擁し、豊富な航空兵力を活用できる重要な拠点だ。もちろん日本には沖縄に配備するほど戦闘機は余ってはいない。しかし、それは航空兵力が皆無であるのとは話が違った。まともな戦力でない事を除けば、帝国は1500機以上の飛行機を保有し、新型兵器の開発が今なお進んでいる事を、米兵はおろか、日本兵さえ知らない。少なくとも彼等にとって、今この場で戦う事が至上の使命。日の丸が懸かった建物の窓辺で、機関銃の引き金に手をかけた青年が汗を拭うことなく正面を見つめる。草むらの中、這い寄る敵の気配を身に浴びながら、彼は銃剣が手元にあることを確認して、指揮官の命を待った。心臓の鼓動が早鐘を打ち、体の中から破裂しそうな重苦しさが圧し掛かる。やがて時間の判別がつかなくなった頃、横に立つ指揮官の命令が、彼の手を動かした。
「撃てぇぇぇ!」
羅列する銃窓から、無数の火線が目の前の平原に向かって突き抜ける。耳をつんざく炸薬の音が脳を揺さぶり、屋外から戦車の砲撃音も聞こえた。少数配備された味方のチハ戦車であると思うと、背中を押されるような気分にのし上がる。こちらを狙う米兵を機関銃で穴だらけにしてやり、膝立ちの通信兵を機械ごと薙ぎ倒し、突進してくる火炎放射兵を火達磨にした所で弾が切れた。素早く弾倉を取り替えて彼は撃ち続け、岩場に隠れた敵を岩ごと削り、微かに見えた鉄帽を貫くと、裏からわんさかと敵が溢れ出る。隣の兵士に援護を頼むと、彼は再び弾倉を取り替え、撃ち続けた。
少女はのろのろと前進する、まるで亀のように群れを成すM4中戦車の隊列に目をつけた。どの車両も無防備に横腹を晒しながら砲身を飛行場に向けている。彼女は落下傘部隊が降下せんとする勢いで肢体を反転させ、一直線に降下した。ハッチの中心に勢い良く着地すると、その戦車の装軌は地面に半分埋まってしまう。当然の如く砲身は捻じ曲がり、機関が聞いたこともないような唸り声を上げる。内部から人の声が聞こえたような気がしたが、エンジンが火を噴き始めたので彼女はすぐさま次の車両に飛びかかった。着地のクッションにされた戦車はつぶれたハッチを内側から叩かれながら、爆炎に呑まれる。外の様子など知らない戦車は最後尾のものから食われていった。少女が飛びかかりざま左手を大きく振りかぶり、鋭く突き出すと、並の戦車には傷一つつけられない装甲が紙のように貫通し、燃料だけでない赤い何かも撒き散らした。M4シャーマンは痙攣のように車体を揺らして、動かなくなる。最後の一両がひっくり返され、車体後部を穴だらけにされた時、米兵の一人が少女に気付いた。正体など知るわけもなく、少女が戦車を素手で破壊したことに疑問を抱く前に、米兵はM1ガーランドを構える。白煙をくすぶらせる戦車の上で背を向ける少女に引き金を引こうとすると、振り向いた彼女と目が合った。途端、全身は言いも知れぬ感情に支配される。少女がこちらに一歩踏み出したのと同時、彼は全力で小銃のトリガーを引く。乾いた発砲音がいくつか、響いた。彼はこの平原に散った300人目の戦死者だった。
米艦載機部隊はわずかな生き残りが飛行場へ進路を取った。空母が壊滅し、帰る場所が無くなった今、敵の飛行場に降りる他ない。幸い、10機前後の爆撃機がロケット兵装を装備していたため、上陸部隊に有効な支援ができることなま違いなかった。生き残りの中で最も階級が上だったジェイク中尉が指揮を任され、彼の機が先頭に進み出た。戦闘機は良く生き残り、40機を数える。やや高度を取って追随する彼等は、海軍の最精鋭パイロットであり、誰もが共同含め撃墜スコア3機を誇った。いちいち確認をとったわけではないが、少なくともこんな所で死ぬ連中じゃないとジェイクは考える。制空権だって自分達の手の中にある。だから、彼は何の気兼ねも無く飛行場へ進入し、対空砲火の洗礼を浴びる羽目になったのだ。それは日本軍にとって当たり前のことである。必然ともいえる。飛行場は大鷹だ。航空機という羽を持つ大鷹だ。だが、その羽がない。ところが、それは無力を意味するのだろうか。答えは否、だ。大鷹は鋭い爪を隠し持っていた。のこのこと近づいてきた米軍を引き裂くだけの力を秘めた、強力な爪だ。対空砲火は、襲い掛かる脅威を易々と退けてみせた。
前田は開けた場所を避け、入り組んだ飛行場の中央を通り抜けて後方に下がろうとしている。岩ばった坂を駆け上がり、陣地の側面に差し掛かった時、轟音を引き連れて飛行機が地に突き立った。爆風と熱風に顔を庇い、再び陣地に目を向けると、ひどい光景が広がっていた。撃墜された米艦載機が死に土産とばかりに突っ込んだのだろう。数秒前までさかんに弾を吐き出していた機関砲はすっかり大人しくなってしまっている。その機関砲にすがりつくように立ち上がる兵士を見つけた前田は、腰に下げた水筒と包帯を確かめて、兵士のもとに駆け寄った。その兵士は半死半生の状態だった。腹を鉄の棒が貫き、止め処なく流れる血が下半身を赤黒く変色させる。前田は言葉も出なかったが、急いで男を支え、手当てを行おうとした。ところが男は前田を認めるや否や、機関砲の射撃席に押し倒す。死にかけている人間の力ではなく、前田は突然の衝撃に喉がつぶれかけた。目を白黒させる彼に、男は席に寄りかかって前田に話し掛ける。
「いいか…坊主、無駄な事するんじゃない…」
血反吐を無理矢理飲み込み、今にも死にそうな声で男は続けた。
「この操縦桿で動かして…この輪っかに飛行機が入ったら…引き金を…引け!」
前田はこの兵士が自分にやらせようとしている事をやや遅れて把握する。撃たせようとしている、この機関砲を。自身の半分にも満たぬ齢の子供に、一人前の兵士が扱うべき「おもちゃ」を。
「引き金はここだ…強く引け。弾が出なくなったら逃げろ…全力で、だ…」
男はそれだけ言い残すと席の反対側に回り、大きな弾倉を滑車から引きずり下ろして、機関砲の薬室に流し込んだ。くすぶっていた火が再び盛り始めたように、機関砲はひと揺れする。
「やれ…任せたぞ…」
兵士は機関砲に身体を預け、そのまま滑り落ちた。それは二度と目覚める事のない眠りについた何よりの証拠だ。前田は男の遺志を汲む。逃げる事を忘れ、機関砲の操縦桿を握り締め、引き金に手を掛け、空を見上げた。米軍の航空機がゴマ粒のように、やがて大鷲に見紛うほどの威圧を伴なって押し寄せる。前田は無心に引き金を引く。放たれた光跡は大きな爆弾を抱えた飛行機の中央を捉え、その機は一瞬で砕け散る。続けて前に進み出た戦闘機の首を叩き折り、応酬として他機の機銃がすぐ横の建物を穴だらけにしていく。それでも彼はひたすらに照星を敵機に合わせ、撃ち続けた。4機目の敵が襲い掛かり、機銃が機関砲の設置台を掠めて甲高い金属音を立てる。しかし敵の戦果はそれだけだ。代償に黄色のペイントがされた機体を丸ごと40ミリの弾丸に貫かれ、名も知らぬ搭乗員が届かない悲鳴と共に100メートルの高度を落下していった。パラシュートなど役に立つはずがない。慰めに開いた落下傘は同じく撃墜された航空機の墜落に巻き込まれて引き千切られ、露出した岩場に消えていった。6機の敵を撃墜したのと同時、引き金を引いても弾が出なくなる。前田は弾切れに気付くまで幾ばくかの時間を要した。興奮、焦燥、緊張、恐怖、どれとも分からない、あるいはその全てが、ない交ぜにされたような気分だった。自分の置かれた状況がようやく頭に入ってくると、彼は急いで席を飛び降り、前線と反対方向に走り出す。30メートルほど離れた時、さっきまで座ってい機関砲が爆弾の直撃を受けて四散した。あの近くで生き残っている兵士はいないだろう。前田は立ち止まって後ろを振り返り、少し戦線を見つめてから、再び走り出した。
「ひ…ひっ!化け物…!?」
暗い屋内で、大の男が情けない声と表情で後ずさった。これが米軍の誇る海兵隊の一兵士かと思うと、彼女は溜息がこぼれる。海兵隊員はとっくに弾の尽きた拳銃を未だに握り締めて壁際まで退いた。往生際の悪い奴である。どこかで落としたサバイバルナイフ、飾りにもならないマガジンベルト、すすこけた迷彩服。哀れな敗残兵の末路であった。
「上陸部隊はぁ、あと3万人必要でしたねぇ」
日本陸軍の制服を着た少女は気の抜けた声で話しているが、男は震えるばかりで聞いていない様子だ。少女はもう一度溜息を吐くと、同じく気の抜けた声で男に話し掛ける。
「いふゆーあたっくとぅおきなわぁ、ゆーしゅどはぶもぁあーみぃー…」
男はとうとう気が動転したのか、立ち上がりざま、少女に殴りかかった。本来なら彼の奇襲ともいえる行為に普通の兵士は吹き飛ばされていただろう。だが、相手が悪かった。少女は少しだけ目を細め、口元を緩ませて、口ずさんだ。
でも、貴方は強くない…。