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地下2階の備品倉庫。雨宮さんがハンガーラックの前で殺気を放っていた。
彼女の視線の先には、衣装らしき服が吊るされている。春らしい、ふんわりとしたパステルイエローのカーディガンだ。
雨宮さんはそれを、親の仇のように睨みつけている。
「……暴力」
俺が工具鞄を置くと、彼女はボソリと呟いた。
「……これは、視覚に対するテロ行為」
「カーディガンです」
「黄色だよ? 黄色」
彼女は指し棒で、ふわりとした布地をツンツンと突いた。
「黄色は、自然界における『警告色』なの。スズメバチ。踏切の遮断機。『立ち入り禁止』のテープ。……生物としての本能が『逃げろ』って叫んでる」
「一般的には『ビタミンカラー』と呼ばれています。元気の象徴です」
「元気の押し売り。カロリーが高すぎる」
雨宮さんはため息をつき、その場にしゃがみ込んだ。
黒いジャージ姿の彼女が、鮮やかな黄色を見上げている構図は、まさに危険色。黒と黄色のコントラストが本能に『逃げろ』と訴えかけてくる。
だが、俺はいつものように備品倉庫に留まってしまっている。
「……黄色を見るとね、交感神経が刺激されて動悸がするんだ。恋かな?」
「それは恋ではなく、ストレス反応ですね」
「ん。そう。毎朝、この服を着るたびに、私は『全力で逃走したい』という衝動と戦いながら、『皆さんおはようございます☆』って言ってる」
「そんなにですか……」
俺はハンガーを手に取り、カーディガンを彼女の顔の横に当ててみた。
雨宮さんの顔色は、地下室の蛍光灯の下で青白く透き通っている。そこにパステルイエローが重なると、確かに違和感があった。
深海魚に、ひまわりの花冠を被せたような居心地の悪さ。
「……似合いませんね」
「ふふっ。素直すぎ。でも、実際そうでしょ? 肌の色と喧嘩してる。全面戦争してる。水と油だよ」
「水と油は対立する物事の例えに使われますが、乳化させることで混ざります。つまり……黄色いカーディガンも着こなし次第かと」
「むー……そうかぁ……」
雨宮さんは立ち上がり、俺の手からカーディガンを奪い取った。そして、自分の黒いジャージの胸元に当てて、鏡代わりのガラス戸に向かった。
「……見て。この不協和音」
似合うか似合わないかで言えば似合う。朝の顔らしく、ばっちりだ。
だが、それを本人が良しとしていないのも痛いほどに分かった。これだから人間は面倒だ。
「……目がチカチカしますね」
「でしょ? 墨田さんなら何色を着る?」
「私はエンジニアです。複合機の修理もありますし、グレーか、紺。汚れが目立たない色が最適解です」
「じゃあ、私は?」
彼女はガラス戸越しに、俺の目を見た。
上目遣いのその瞳は、色素の薄い茶色。光の加減で琥珀色にも見える。
「……私に合う色は、何?」
俺は少し考え、スマートフォンで色見本を検索し、一つの色にたどり着いた。
「……これですね」
「どれ?」
彼女が覗き込む。俺が指差したのは、限りなく黒に近い、深い青緑色。
「鉄色です」
「……暗い」
「ですが、解像度は一番高い。貴方の輪郭がぼやけず、ノイズが乗りません」
俺は色見本を彼女の顔の横に並べた。
距離が縮まる。
彼女の髪から、微かに湿った匂いがした。
「……この黄色いカーディガンを着てお天気を伝えているところを見たこともあります。良く似合っていました。でも……この地下で黒いジャージを着ている時だけ、貴方は『高画質』になる」
「……」
「俺は、ドット欠けのない映像の方が好みです」
雨宮さんは瞬きもせず、色見本と俺の顔を交互に見た。
数秒の沈黙。
サーバーのファン音だけが響く。
やがて、彼女はパステルイエローのカーディガンを、乱暴に丸めた。
「……わかった」
「何がですか」
「これは、着ぐるみ」
「はい?」
「明日の私は、この黄色い着ぐるみを着た『中の人』として出演する。……中身は、鉄色のままで」
彼女は丸めたカーディガンを、俺の胸に押し付けた。
柔らかい感触。
その奥にある、彼女の指先の体温。
「……服をシワにしないでください。アイロンがけの手間が増えます」
「業務命令。スチームアイロンで、この服の『殺意』を抜いておいて」
「繊維の性質上、不可能です」
彼女はふふっと笑い、軽やかに踵を返した。
その背中は、最初に入室した時よりも、幾分か警戒色が薄れているように見えた。
俺は手に残された黄色い塊を見つめ、小さく息を吐く。
……明日の天気予報は、晴れのち、局地的に「鉄色」。
視聴者には見えないその色を、俺だけがモニター越しに受信することになるのだろう。




