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地下2階の備品倉庫。入室して3秒で、俺は回れ右をして帰りたくなった。
部屋の中央に、巨大な段ボール箱が置かれていて、その箱から黒い髪の毛だけがワカメのように溢れ出していたからだ。
「……何をしているんですか」
俺が問いかけると、箱の中からくぐもった声が返ってきた。
「……梱包作業」
「中身は何ですか」
「私」
ガサゴソ、と箱が揺れる。
中から雨宮さんの顔がニューッと出てきた。今日も気だるそうだ。『雨宮さんは今日も気だるい』なんてタイトルが付けられそうなくらいの気だるさとビジュアルの良さが共存していた。
「墨田さん、ガムテープ持ってる?」
「持っていますが、使い道によります」
「段ボール蓋を閉じて。このまま宛先を書いて、ブラジルのアマゾンの奥地に送ってほしい」
「人間を送るなんてとんでもない……」
俺は鞄を置き、段ボールの横にしゃがみ込んだ。
雨宮さんは体育座りで箱に収まり、膝に顎を乗せている。捨て猫というよりは、出荷待ちの不良在庫だ。
「……ここ、落ち着く」
「狭くないですか?」
「狭いのがいい。世界がこの四角い枠だけで完結してるから」
彼女は段ボールの内壁を指でなぞる。
「外の世界は広すぎる。選択肢が多すぎるし、酸素が薄い。でも、ここなら空気の量が決まってる」
「二酸化炭素濃度が上がって窒息しますよ」
「それもまた一興」
彼女は「ふぅ」と深く息を吐き、箱の底に沈み込んだ。
「墨田さん。私を『取扱注意』のシールまみれにして欲しいくらいだよ」
「なぜですか?」
「割れ物だから。メンタルがガラス製なんだ。強化ガラスじゃなくて、100円ショップの薄いグラス」
「100円ショップのグラスは、意外と頑丈ですよ」
その時だ。
廊下から、カツ、カツ、カツ、という硬質な音が近づいてきた。
スニーカーのゴム音ではない。革靴のヒール音だ。
俺と雨宮さんの視線が交差した。
彼女の目が、恐怖で見開かれる。
「……誰か来る」
「まずいですね」
「見つかったら終わる」
「何がですか?」
「私の聖域が……連れ戻される。あの眩しいスタジオに」
足音は、扉の前で止まった。
ガチャ、とノブが回る音がする。
鍵は閉めていない。俺が入ってきた時に開けたままだ。
俺は反射的に動いた。
段ボールの蓋を掴み「頭を下げて」と声をかける。
「えっ」
「息を止めてください」
バタン。
俺は段ボールの蓋を閉じ、その上に腰を下ろした。
同時に、倉庫の扉が開く。
「……あれ? 誰もいないのか?」
入ってきたのは、プロデューサー然とした男だった。
腕に高級そうな腕時計をつけ、苛立ちを撒き散らしている男。
彼は部屋を見渡し、段ボールの上に座る俺を見て眉をひそめた。
「君、誰?」
「リコーダー社の墨田といいます。複合機の定期点検を行っているところでして……」
俺は座ったまま、タブレットを操作するフリをした。
「ここはトナー粉塵が舞っています。服が汚れますよ」
「ああ、そう。……ここに、雨宮いなかったか?」
「雨宮……さんですか?」
「お天気キャスターの雨宮ちゃん。朝、見てないの? 『心に虹をかけましょー!』ってやつ、俺が考えたんだよね。彼女、どこを探してもいないんだよ」
俺の尻の下で、微かな振動が伝わってきた。
雨宮さんが震えている。
俺は少しだけ体重をかけ、その震えを押さえ込んだ。
「見ていませんね。ここは機材と埃しかありませんから」
「そうか……チッ、どこ行ったんだあの女」
プロデューサーは舌打ちをし、靴音を鳴らして部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
俺は立ち上がり、段ボールの蓋を開けた。
箱の中の雨宮さんは、膝を抱えたまま固まっていた。
酸欠なのか、恐怖なのか、顔が真っ白だ。
俺は手を差し出した。
「大丈夫ですか」
彼女は俺の手を見つめ、それからゆっくりと、その冷たい指を俺の手のひらに乗せた。
引っ張り上げる。
彼女はフラフラと立ち上がり、俺の作業着の袖をギュッと掴んだ。
「……怖かった」
「プロデューサーでしたね」
「ん。そう。あの人の、靴の音が怖いんだ」
「パワハラですか?」
「や、いい人だよ。ただ『期待』の音がするんだ」
彼女は俺の袖に額を押し付けた。
「『数字取れよ』『笑えよ』『期待に応えろよ』っていう、足音」
俺は、袖を掴まれたまま動けずにいた。
彼女の体温が、作業着越しに伝わってくる。
心拍数が、平常時より上昇した。だがこれは吊り橋効果による一時的な興奮状態に違いない。誤認してはいけない。
「……ここは、防音設計です」
俺は努めて冷静に言った。
「扉を閉めれば、期待も視聴率も入ってきません」
「……うん」
「それに、段ボールは構造的に優れています。中に入れば、視界も遮断できる」
雨宮さんは顔を上げ、俺を見た。
死んだ魚の目に、わずかに色が戻っている。
「墨田さん」
「はい」
「さっき、箱の上に乗ったでしょ」
「隠すためです。失礼しました」
「……重かった」
「成人男性並みの体重はありますから。成人男性なので」
彼女は俺の手を離し、再び段ボール箱を愛おしそうに撫でた。
「決めた」
「何をですか」
「この箱、私の別荘にする」
「ゴミとして回収されますよ」
「墨田さんが守って」
「は?」
「『使用中』の張り紙して。あと、中にクッションとLEDライト持ち込んでいい?」
「ここはマンガ喫茶ではありません」
彼女は俺の文句を聞き流し、ポケットからマジックペンを取り出した。そして、段ボールの側面に、迷いのない手つきで大きく書き殴った。
『天地無用』
『取り扱い注意』
「……これでよし」
彼女は満足そうに頷いた。
「墨田さん、配送はしなくていいから、管理だけお願いね」
「……保管料、高いですよ」
「出世払いで」
彼女は初めて、テレビ用ではない、いたずらっ子のような顔でニカっと笑った。
その笑顔は、画素数が粗く、ノイズ混じりで、そしてどうしようもなく人間臭かった。




