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第8話 舞踏会

 華やいだ音楽が流れる大広間の階上、大扉の前で私は深呼吸をする。母が贈ってくれたドレスに隠された足は、僅かに震えていた。


「大丈夫ですよ、アンジェラ嬢。あなたには、エドワード殿下がいらっしゃるのですから」


 手を引いてくれていたレオンが、優しく声をかけてくれる。


「さぁ、この先へどうぞ。私の役目はここまでです」

「え……えっ!?」


 私の不安を察したレオンは苦笑しながらも緩やかに頭を振った。大丈夫だから、と言いたげに。

 彼が大扉の前に控える衛士達に合図すると、重厚な両扉が音もなく開かれた。途端に、大広間で奏されていた楽隊によるきらびやかな音が響いてくる。

 瞬間、視界に飛び込んできた人影に、私は息を呑んだ。

 舞踏会に相応しい、王族としてこれ以上ないほど立派な装束姿のエドワードが、扉の向こうに佇んでいる。凛とした面持ちに朗らかな笑みをたたえて。


「待っていたよ、アンジェラ」

「エドワード……様……!」


 私の鼓動は激しく跳ね上がり、頭の中が真っ白になった。

 レオンが静かに後方へ退いたことにも気づけないまま、半ば呆然としたまま、それでも私は、差し出されたエドワードの手を取る。

 私の緊張感が手を通して伝わったのか、エドワードは優しく私を引き寄せた。


「言ったはずだ。君は一人じゃない――私がそばにいる。アンジェラ、何も不安がることはないよ」

「エドワード様……」


 エドワードに伴われて階上の踊り場まで進むと、階下で奏でられていた音楽がスッと止まった。楽団が演奏をやめたのである。

 大広間の賑わいも鎮まった。貴族諸侯の皆々が、次々と階上の私達へ顔を向ける。

 知らずと私は、エドワードの手に添えた手を握り締めた。その震える手を、彼はしっかりと包み込む。


「大丈夫だ、私がついてる」

「はい……!」


 エドワードは朗らかに頷き、まっすぐに階下の皆々へ顔を向けた。そして、私のすぐ隣で、スッと手を差し広げる。


「今宵、この場に集いし皆の者に、是非ともに紹介したい――このご令嬢を!」


 張りのある声に、皆の注目は一層のこと私に向けられた。一瞬、息を詰めてしまう。

 だが、エドワードが私に向けてくれる迷いのないまなざしが、私を勇気づけてくれた。

 私は階下の大広間に集う貴族諸侯の方々へ顔を向け、そっと深呼吸する。


「……皆様にご挨拶申し上げます。ウィンストン伯爵家のアンジェラでございます」


 皆々に向けてお辞儀をすると、階下ではどよめきが生じた。亡き父の記憶と、私が長らく姿を見せていなかったことへの驚愕だろう。

 身を起こし、両手を胸もとに置く。ペンダントはもう無いけれど、母の温もりを感じる気がした。


「皆様にご挨拶することが叶った喜びを、歌でお伝えすることをお許しください。……かつて、亡き父が幻想画にて皆様の心を彩ったように、私は今、歌うことで父に倣いたいと存じます」


 私はそっと口を開き、幼い頃から慣れ親しんだ優しい調べを紡ぎ出す。母が教えてくれた懐かしき歌を。

 心地よい調べが大広間を満たしていくと、ざわめきは次第に柔らかな沈黙へと変わった。そして、その沈黙さえも感嘆へと移っていく。

 ――やがて、私は歌い終えた。自然な所作で優雅に頭を垂れる。

 次の瞬間、階下からは表現し難いほどの歓声と、鳴り止まない拍手が届いた。

 皆々の顔には、親愛と感謝の想いを滲ませたものが浮かぶ。心から癒されたのであろう和らぎが大広間に満ちていた。

 階下からの空気が一変したことに、私は胸を撫で下ろす。緊張感の全てが取り払われたわけではないが、ホッと一息つくことができた。

 そんな私の傍らで、エドワードは嬉しそうに、そして、喜ばしげに私を見つめる。


「やはり、君の歌声は素晴らしいな。初めて君の歌を聴いた時のことを思い出すよ」

「エドワード様……」

「さぁ、降りようか。私が君を伴い階下に降り立てば、楽隊が最初のダンス曲を奏で始める手筈になっている」

「私……と? 最初の?」


 弾かれたように顔を上げる。彼が私と最初のダンスを踊ろうと告げたように思えたからだ。

 彼は、切なく狂おしい感を滲ませたまなざしを私に向ける。


「君以外に誰がいると? 私の心は君以外を求めていないのに。君と交わした、あの幼い日の約束からね」

「約束……あの幼い日の」


 十年前に交わした、彼との約束――忘れたことなどない、とても大切な。

 それを思い出しながら、でも、私は慌てて申し出た。


「あ、あの……! 私、ダンスを正式に習う機会がなかったも同然なのです。ですから、その……っ」

「大丈夫。言っただろう? 君には私がいる。私に全てを任せてくれればいい。この私にね。さぁ、踊ろう――私と」


 エドワードの快活な笑顔に背中を押され、私はおずおずと手を差し出した。

 私達が階下に降り立った瞬間、楽隊の指揮者は指揮棒を振り上げた。最初のダンスを彩る華やかな楽が奏でられる。

 かくして、エドワードのエスコートは完璧だった。

 無駄のない彼の優雅な所作は、戸惑う私を滑らかに誘う。臆しそうな気持ちも不安感も、彼の巧みなリードが消し去ってくれた。私は軽やかに楽しく踊ることができたのだ。

 幼い頃に見たことがある父と母が踊っていた時の様子を思い出す。あの楽しげな父母の笑顔の意味が、今の私にはわかるような気がした。エドワードの腕に強く優しく支えられ、彼の笑顔に応えて微笑む私の今の心地はおそらく――あの頃の父母と同じ。

 幸せで、この上なく幸せで甘いひととき。

 演奏が緩やかに静まっても、私達はしばらく佇んだままだった。互いの満ち足りた微笑顔を、ただ見つめ合いながら。

 やがて、大広間が感嘆に包まれる中で二曲目の演奏が始まる。

 再び奏でられた楽の音に合わせ、楽しげに踊る人達の流れに沿いながらも、私とエドワードはテラスへと移動した。大広間の開け放たれた大窓の外へと。

 今宵は、眼前に広がる美しい庭園も開放されていた。いくつもの松明が爛々と燃え、星空のもとにある庭園の夜をきらびやかに照らし出す。

 淡く浮かび上がるような庭園の美しい姿を眺めながら、私はエドワードの隣でホッと一息ついた。少しだけひんやりとした夜風が心地よい。


「疲れたかい?」

「いいえ、エドワード様。今、こうして過ごしていることが夢みたいです」


 互いに微笑い合う、その時だった。

 松明の死角となる庭園の暗がりから、忽然と叔母が姿を現したのだ。私を睨みつけて歩んでくる。

 ――怖い。

 無意識に後ずさろうとする私を、エドワードは庇うようにスッと前に佇んだ。


「我が城の庭園はいかがかな? 夜の風景もまた格別であろう、サマンサ伯爵夫人?」

「え……えぇ……っ。もちろんですわ、王太子殿下」

「それは上々。だがな、今は大広間へ戻られよ。今宵は父上と母上が主催の舞踏会だ――訪れしそなた達の楽しむ姿を見せてやってほしい」

「あ、ですが……っ。私は、アンジェラに……」

「サマンサ伯爵夫人! 私は今、そなたに何と言った? 私の言葉を無視するつもりか? 違うというのであれば、戻られよ――大広間に」


 エドワードの冷徹な剣幕に、叔母は激しく動揺して急かされるように頭を垂れた。悔しさを隠しきれない足取りで大広間へ戻っていく。

 エドワードは安堵の一息をつき、私へと振り返ろうとした。だが、庭園の一角で視線が止まってしまう。

 つられるようにして、私も同じ方向へと顔を向けた。


「あれ……は、ステラ義姉様?」

「サマンサ伯爵夫人は庭園のほうから現れたが、どうやら娘も一緒だったようだな」

「……それに、レオン様……も?」


 そう、義姉とレオンがこちらのほうへ歩んでいた。彼が義姉をエスコートしているのか、いや、どうやら義姉が彼を案じているようにも見える。

 私はエドワードと顔を見合わせた。

 無意識に私は、もの問いたげな面持ちをしていたのだろう。彼は軽く頷いて苦笑う。


「あぁ、うん。君を私のもとまで連れてきた後、レオンにはサマンサ伯爵夫人を監視させていたんだよ。あのご夫人が君に近づくことがないように、とね」


 レオンは私達に近づくと、恭しくお辞儀をする。

 義姉も優雅に頭を垂れるが、その所作は一瞬遅れた。私の存在に気づいたからだろうか。


「お母様がいらっしゃらなかった? あなたに話があると言っていたのだけれど」

「大広間のほうへ戻られるのを見送ったところだ、ステラ嬢」


 エドワードはつかさず応え、私を義姉の視界から遮るように動いた。そうして、レオンを見やり、いくらか眉をひそめる。

 それもそのはずだ。レオンの頬が少しばかり腫れて赤みを帯びていたのである。

 瞬間、義姉は身を固くした。

 それをちらりと視界に入れながらも、エドワードはレオンに尋ねる。


「その頬は、どうした? それが原因なのか? お前ほどの男が、サマンサ伯爵夫人が私とアンジェラのもとに近づくのをおとなしく見過ごしたとは思えないんだが」


 レオンは珍しく言い淀み、頭を垂れたまま動かない。その表情は伺いしれないが、物理的な痛みではなく痛恨極まりない感情を滲ませているように感じられた。

 刹那、不意に義姉が進み出たのである。咄嗟に思わず、という急ぎ慌てた様子を漂わせながら。


「……あの、王太子殿下に申し上げます。レオン様は、その、私を庇って下さったのです。――お、お母様から。叱責から……私、を」


 と告げた途端、義姉はうろたえた。我に返ったかのように、自らの唇を両手で塞ぐ。

 ふるふると頭を振る姿には、激しい動揺があった。

 それは、初めて見る義姉の姿だ。あまりにも心もとない義姉の姿は不安げな幼子のようにも見えて、私は動かずにはいられなかった。


「ステラ義姉様……!」


 放っておけない、と私は義姉をふんわりと抱き締めた。

 刹那、義姉はビクッと身を強張らせる。そのせいなのかどうか、私の両腕には、木材のような硬い感触だけが伝った。肌の温もりさえ、一切感じられない。

 ドレス越しとはいえ、そんなことがあり得るのだろうか。人間とは思えない感触に、私は密やかに息を呑んだ。

 次の瞬間、私はドンッと大きく跳ね除けられてしまう。


「さ、触らないで! 私に!!」


 激しく動揺したらしい義姉に押された私は、体勢を崩しかけた。だが、エドワードにしっかりと抱き留められる。

 義姉もまた、反動で体勢を崩してしまった。

 咄嗟にレオンが義姉を抱き支えたものの、彼の瞳にも、私と同じ驚きと戸惑いが浮かび上がる。

 それを察したのか、義姉は口もとに苦微笑みを滲ませた。麗しい表情に、何故か諦念めいたものを見え隠れさせながら。


「……何故? あの日――あの時も、さっきも、今も、どうして私を助けてくれるの? 私……を何故?」

「私は、その答えを知る者ではないようです。――わからない、私には……私にも」

「フフ、お互い様……というのかしら? あなたへ助け舟を出せば、お母様を責めることになるのに。何故、私は……」


 義姉はやるせなさそうにも見える淡い微笑みを浮かべ、レオンの腕から離れた。

 私達に一礼する姿は、いつもどおりの優雅な振る舞いである。

 が、それでも、私をちらりと見やった義姉がまとう雰囲気は、常のものとは異なっているように思えた。


「気をつけなさいな。十分すぎるほどにね。だって……」


 次の瞬間、義姉の瞳から何かが消え失せた。ただ硬質で、ただ無機質な、冷たく煌めく硝子玉の如き瞳が私を無感情に見据えている。


「私はね、卑しいお前と話す時間はないの。お母様のもとに行かねばならないのだから」


 くるりと身を翻して大広間へと戻る義姉の背中に、私はただ立ち尽くすしかなかった。胸の奥がチクリと痛む。


「ステラ義姉様は、いったい……? 何か……何かを伝えてくれようとしていたのに」

「それを知る手がかりならば、レオンから聞ける報告にあるかもしれない」


 エドワードが真剣なまなざしでレオンに顔を向ける。レオンは恭しく頷いた。


「エドワード殿下のご命令どおり、私はサマンサ伯爵夫人とステラ嬢の動向を注視しておりました。距離を取って観察していたため、会話の内容は聞き取れておりません。しかし、私には感じられたのです……確かに。あの者達ともう一人、そばにいるように思えました」


 レオンは、叔母と義姉、そして得体のしれない――見えない誰かのやりとりを見ていたという。

 そして、遠目にも厳しく責められているように見えた義姉を庇ったのだ。思うよりも早く体が動いてしまったらしい。

 その結果、義姉の代わりに叔母の張り手を受け、直後に身動きする自由を失ったのだと明かした。


「つまり、魔法か? 何らかの……呪縛魔法だな、それは」

「……おっしゃる通りかと。私もそのように思います」


 二人の会話を聞きながら、不意に、幼い日の記憶が私の脳裏をよぎった。母を喪った時の、あの日あの時の――叔母の姿と言葉が、何故かはっきりと浮かび上がってきたのだ。


『私は確かめなければならないの。イーディス姉様が完全に封じることができたのかどうかをね』

『私は郷の奥へ――奥底深くへ行ってみる』


 あの時、崩壊しつつあった妖精の郷に、叔母は残った。

 母が自らの命と引き換えに封じようとした悪しき存在――その封印を、叔母は確認しに行ったはずだった。

 でも……。いや、それなのに……。


《妖精の郷を滅した悪意ある者は、あなたを見逃しはしない》


 母の言葉が胸を突き刺す。

 何故、叔母と義姉は、私に対してあまりにも冷たい態度だったのだろう? そこに、悪しき存在は関与していないのか? 少なくとも、レオンは見えない誰か――もう一人の気配を感じていたのだが。

 いや、そもそも悪しき存在は、自らの命を懸けた母によって封じられたはずだ。関わりがあるわけない。

 だが、もしも、封じきれていなかったならば? もしも、封じられていたものが解かれていたとすれば?

 いずれにせよ、悪しき存在を解き放った誰かがいる――ことになる。

 そう考えるに至り、私は身震いした。


「……まさか、そんな。……叔母様、まさか」


 私は膝から崩れ落ちそうになり、両手で顔を覆う。エドワードが片膝をつき、しっかりと抱き留めてくれた。


「アンジェラ!? 大丈夫か?」

「エドワード様……。私、どうすれば……。叔母様はもしかしたら、とても怖ろしいことを……!」


 エドワードは私を優しく、ただ温かく抱き締めた。

 怖ろしい推測に動揺して乱れ打つ鼓動の中で、彼という存在の温もりが気持ちを落ち着かせてくれる。戸惑いに満ちていた私を優しく照らしてくれる光のように。

 そうだ、まさに光だった。エドワードは、まさしく私の光の守護者なのだ。

 そうして私は、そんな光の守護者とともにある者。父と母、母の両親たる妖精王夫妻がそうであったように。

 ならば。いや、だからこそ。

 私は、ギュッと両手を握り締めた。

 怖ろしい推測が現実のものであるならば……。私が成さねばならない。そうだ、おそらくきっと――私が果たさねばならぬことがある。

 覚悟と決意が形になりゆく中で、それでも今はただ、エドワードの優しい温もりに包まれていた。

 ちょうどその頃――。

 ウィンストン伯爵家に与えられた控えの間では、叔母が私への憎悪をあらわにしていた。


「アンジェラ! よくも、よくも……!!」

《イーディスの娘め! よくも、よくも……!!》


 叔母の呟きに重なるように、叔母にまとわりつく禍々しい闇煙もまた、憎悪に満ちた声を響かせる。


《あの小癪なイーディスの娘、何とも忌々しきかな。だが、まだ手を打つことはできようぞ。お前が創りし傀儡人形を使え――あれには私も力を貸してやったのだ。存分に役立てよ》

「確かにステラは美しく、伯爵令嬢として完璧でございます。なれど、伯父上。あの王太子めはアンジェラを贔屓にしておりますが……」

《だから言うたであろうが、庭園でな。もう忘れたか?》

「い、いえ! 他の貴族諸侯達と同じく、我が家も献上の品を王家に――でございますよね。他にはない、特別な格別のものを」

《うむ。あのイーディスの娘が惨めに完膚なまでに破滅する様を我に見せよ。楽しみにしておるぞ》


 程なくして、甲高い高笑いと低い嘲笑い声が響く控えの間の扉が開かれた。

 そこに佇むのは、一切の感情を感じさせない義姉である。


「お母様、何用です?」

「庭園で打ち合わせたとおりよ。もう世迷い言は言わないようにね、ステラ」

「はい、お母様。お母様のお望みのままに、献上の品を両陛下へお届けしますわ」


 優雅に一礼する義姉を、禍々しい闇煙が覆い尽くす。次いで、叔母の身をも覆い尽くした。


《それでよいのだ。傀儡人形など、我が意のままに動いていればよい。サマンサよ、卑小なそなたなれど、良い傀儡を創りしことは褒めてやろうぞ》

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