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第6話 蘇る記憶

 直後、城内で何が起こったのか、私は知る由もない。

 ただ、それからさほどの間を空けることなく、城の通用門から二頭の馬が急くように駆け出した。その馬には、魔道士のような目立たぬ装束をまとう青年が二人。

 一人は王太子エドワード。もう一人は、彼に付き従うレオンだ。

 彼らは、王家の狩猟地でもある直轄領の森のほうへ進路を向けた。もちろん、正確には、その森に隣接するウィンストン伯爵領――伯爵邸を目指していたのである。

 そんな事になっているとはつゆ知らず、私は私で、事態の急変に戸惑っていた。

 忽然と静まり返った納屋の周辺――その気配が気になってならなかったのだ。いったい何が起きたというのだろう?

 しかも、胸もとのペンダントが光を放つようになった。

 もっともそれは、淡く微かなものである。けれど、まるで何かを呼んでいるかのように、いや、まるで何かに応えるように。

 その煌めきが、時折に強くなる。そのたびに、納屋がキリキリと軋んだ。その繰り返しは、一定の調子を保っているようでもあり、不規則なようでもあり。

 けれど、私は不思議と怖くなかった。

 むしろ、徒労感めいたものがなくなっていくのを感じられたのだ。本当は疲れ切っていた心に、光が灯されたような気がしたのである。

 納屋の中央辺りに腰を下ろし、周囲へと視線を巡らしてみた。納屋の中はあいかわらず暗く、明かりの類はほぼ入ってこない。

 だが、時折の軋み音が納屋全体に響くごとに、暗がりが減じてきたように感じられるのだ。まるで、意図的に暗くされていたのが、だんだんと解かれゆくかのように。


「……どこからか、光が漏れてきてる? どこか穴でも空いたのかしら?」

《えぇ、言うなればそうだわ。外から助け手達の力を感じるもの。抗うには弱い力――でも、重ねたらならば打ち破れるかも》

「……え……っ?」

《あぁ、私の声が聞こえるようになったのね! 外からの善き力は、今の私にも力を出させてくれるのだわ》

「……ま……さか……っ」


 私は反射的に立ち上がった。

 辺りを一生懸命に見回す。あちらを、こちらを、まだまだほの暗さが残る納屋の中に、懐かしい人の姿を求めたからだ。

 懐かしい――母の姿を。

 そうだ、聞き間違うわけがない。十年ぶりだろうとも、大好きな母の声を忘れるわけがなかった。


「お母様! どこ!?」

《ここにいるわ。あなたのそばに、いつも――いつだって》

「え? ――あっ!?」


 その瞬間、ペンダントは、私の胸もとで迸らんばかりの強い光を放った。

 まばゆい光。でも、優しい輝き。温かな、包み込んでくれるかのような――光。

 やがて、輝ける光が歌い始めた。光そのものが奏で始めたも言おうか。

 別に歌詞があるわけではない。特に節や調子のある曲になっているわけでもない。――けれど、確かに歌だった。

 まばゆくて、清らかな調べ。そう言えばいいのかどうか。この歌の音をどう表現すればいいのか、わからない。

 程なくして、歌紡ぐ光は柔らかに収束していった。人の姿へと。

 そう、忘れ得ぬ懐かしい――母の姿へ。

 刹那、思うよりも早く私は母のほうへ駆け寄る。駆け寄って、抱き締めようとした……のに。

「お母様……? ……あ……っ?」

《今の私に現身はないわ。あなたのペンダントに宿りし魂――現世に僅かに残された思念。それが、今の私なのよ》


 母は優しく、でも、寂しさも滲ませて語りかける。

 母だけを映し出す瞳から、ぽろぽろと伝う涙をそっと拭おうとしてくれた。半ば透き通った、けれど、ほのかに温かい指先で。もちろん、すり抜けて伝い落ちていくけれど。

 だが、母はそれでも、両腕をふわりと広げた。私を優しく抱き締めてくれたのだ。

 触れられている感触はない。ないのに、母に包まれている温もりが我が身に感じられる。


「お母様……!」

《アンジェラ、愛おしい娘。モーリスに守られ育まれた、愛おしい私達の子……》

 私を抱き締める母の腕に、さらにそっと力がこもったのを感じ取る。

 いや、それだけではない。感じ取れたのは。

 母は微かに身を震わせていた。泣いていたのだ。母は密やかに、秘めやかに。

《あぁ、モーリス……。あの人もまた、確かに命を懸けたのだわ。私達の大切な娘を守ろうとして――守りきってくれたのね。そうして……》

「お母様……? あの、お父様が……ってどういう……」

《モーリスは、あなたへと向けられた毒魔法を己の身で受けることを選んだのだわ。あなたを幼いうちに始末しようとする悪意が放つ悪しき魔法から守ろうとしたの――己の命を盾にしてね。でも……》

「そんな……。そんなことって……。お父様、そんな……!」


 私は悲鳴に似た声を上げてしまった。

 ぶるぶると身震いが止まらない。身体中が、辛くて悲しくて喘いでいたのだ。

 嫌だ嫌だ、と気がつけば頭を振っていた。涙を流すことさえできない。

 ただ、辛い。ただ、悲しい。胸が痛くて、心が悲鳴を上げていた。

 けれど、母は包み込んでくれる。悲しみに喘ぐ私を、その身を、その心を、優しく――しっかりと。余すところなく抱いてくれた。


《でもね、アンジェラ。ねぇ、聞いて? モーリスは同時にね、守られていたのよ……あなたに》

「え? 私? 私……は何も。私はただ、そばで看病をしてただけよ? それしかできなかったわ……それくらいしか」


《いいえ、アンジェラ。あなたは歌を紡いでいたじゃないの。私がよく歌っていた調べを、あなたは覚えていて歌っていたわ――モーリスの傍らで》

「そ……れは、だって。だって、お母様が教えて下さった歌だから。だから、お父様にお聞かせしたら嬉しいかもって。お父様を元気づけられたらって……」

《そうよ、それでよかったのよ。あの歌はね、まさに癒やしの調べだもの。妖精王となるのに相応しい者だけが紡ぎ出せる歌――癒やし魔法そのもの。だから、モーリスは三年前のあの日まで長らえることができた。そうでなくば、もっと……もっと早くに儚くなっていたわ》

「…………!?」


 私は、その瞬間、弾かれたように母を見つめた。母の腕の中で、息を詰めたまま。

 すぐには理解しきれなない。少なくとも全てを理解することは……。それくらい衝撃が大きかったのだ。

 幼い頃に、母から教えてもらった歌に、そのようなものすごい力があったなんて知らなかった。

 いや、それよりも――。私を混乱、困惑させるものは……。


「……妖精王? ……に相応しい者だけが歌える? って、それはどういうことなの? 私が何故? お母様はどうして?」

《その言葉どおりなのよ、アンジェラ》


 その瞬間、私を抱き締める母の透き通った姿が強く輝いた。

 強い光だ。強すぎるほどの。私を丸ごと覆っていくかのような輝きが広がっていく。

 次の瞬間、私の脳裏をよぎったのは記憶だった。

 まばゆい光が、忘れていた――覚えていられなかった記憶を紐解いていく。ゆっくりと柔らかに。でも、はっきりと、確実に。


「……あ……あぁ……っ」


 突如として、迸る記憶の渦に溺れそうになる。

 立っていられないほどの衝撃か。痛みか。辛さか。悲しみか。――それさえも考えられないくらいの。

 ただ、触れられない母の温もりだけが支えとなっていた。

 でも、母はどこか辛そうな面持ちだった。慈しむような優しい微笑顔なのに、それなのに。

 ――ごめんね、と私を映す母の瞳が言っているように思える。

 そう感じる間もなく、その言葉は、声は、奔流する記憶の渦からも響いてきたのだった。


『ごめんね、アンジェラ。母様は行かねばならないわ』

『お母様っ? どうして!? 私も一緒に行く! 行きたい!』

『駄目よ、モーリスと一緒にお逃げなさい。今ならまだ戻れるわ。サマンサが手助けしてくれるから。さぁ、早く!』

『嫌っ! 逃げるなら、お母様も一緒に! 私は、お父様とお母様と一緒がいい!』

『アンジェラ、母様は一緒にいるわ。あなたのそばにいつも。いつだっているわ』


 あぁ、あの日――あの時の母も、そう言ってくれたのだ。

 祖父王――母の父親たる妖精王が妖しい闇煙に討たれたあの日あの時、崩壊し始めた妖精の郷で。父母と一緒に、たまたま訪れていた郷で。

 私は視ていた。

 十年も前に起きた怖ろしく悲しい出来事を。私の想い出の中で、鮮やかになっていく光景を。

 母は泣き腫らした瞳で、父たる妖精王を討ち取った者を見据えた。

 その背後にいる父と私を庇い守るように佇み、その者へと厳しい言葉を放つ。そんなにも深い憤りを滲ませる母を見るのは、初めてのことだった。

 父に手を引かれ、それでも、母を案じて後ろを振り返ってしまう私の瞳に映っていた母の姿。

 そうして、母の眼前に存在していた、禍々しい圧倒的な何か。ユラユラと闇煙のようなものが、崩壊を始めた郷の大地から立ち上っている。

 母は軽く大地を蹴り、ふわりと浮き上がった。禍々しい闇煙と対峙するために。


『私がいることをお忘れのようね。父には、跡を継ぐ者が今もいるのよ。――この私、イーディスが!』

《たかが人間と結ばれることを選んだ小娘になど、妖精王の地位が務まるものか。我が弟も耄碌したものよ。ク、ククク……》

『それは、あなたのほうだわ。己の欲望を満たすために壊し滅することしかできない者に、妖精王が務まるはずがない!』

《黙れ! 小娘が! 強き力持つ者が全てを統べ、全ての頂点に君臨してこそであろうが! それを良しとせぬハーヴェイは妖精王として不適格。故に、この兄の手で滅されたにすぎぬ。自業自得というものだ。そなたも滅ぼしてくれようぞ!》

『叶わぬ夢よ。あなたに滅ぼせるものなどないわ! ――だから、今は、この命を懸ける。かつて父上が成されたように、あなたを再び郷の奥底深くへ封じる! 覚悟しなさい!』

《ガーハッハッハッ! 笑わせてくれる。そなたの守護者を遠ざけ、どうやって我に歯向かおうというのだ? ほぉれ、そなたの後ろ……光の守護者が惨めにも逃げ出しておるではないか》

『あなたにはそう見えるのね?』

《何だと? ……いや。お前、まさか……?》

『私は言ったはずよ。――命を、懸けると!』

《お前は!? まさか、本気か? 馬鹿な……っ、ぐ、うぅっっ》


 その瞬間、背後から歌を奏でる母の声が聴こえてきたのだ。

 それは、いつも母が歌っていた――私にも教えてくれた歌だった。美しくも優しい音色の。ホッとするような温もりを、癒やされるような優しさを、いつも感じさせてくれる歌である。

 しかし、何故かこの時だけは違った。美しい調べの内には、悲壮なまでの覚悟――ともいうべき何かを感じたのである。

 鼓動がやけに乱れ打った。不安で、心配で、胸が締め付けられた。どうしようもない悲しみと寂しさが心の奥底から湧き出してくる。もどかしいくらい、とてもたまらない気持ちに駆られたのだ。

 思わず振り返ってしまった。父に手を引かれて駆けていながらも。

 でも、私に見えたのは、まばゆい輝きだけだ。いや、正しくは光ではなかったのかもしれない。

 ただ、母の歌声そのものが、美しく麗しく響き渡る歌そのものが、ひときわに眩しい閃光と化したように感じられた。思わず瞳を閉じてしまうほどに。

 瞬間、私の手を掴んでいた父の手にグッと力が入った。……震えていたように思う。もしかしたら、泣いていたのだ。その時の父は。

 ――しかし、父は駆けるのをやめなかった。

 私の手を掴んだまま、私を連れて、ひたすらに駆けたのだ。

 叔母が創り出した大鏡へと向かう。伯爵領に広がる森の見慣れた風景が映し出された大鏡へと、まっすぐに。

 叔母は時折ふらつきながらも、必死で大鏡を維持しているように見えた。


『急いで……! 私の魔法はそんなに強くない……わ。消えてしまう前に、早く……っ』


 苦しく辛そうに見える叔母の姿に、父は私を抱き上げて駆け出した。

 叔母が保持してくれている大鏡を通り抜けた瞬間、大鏡はぐにゃりと大きく揺らめき始める。

 だが、それ以上に驚いたのは、私と父だけが大鏡を通り抜けた事実に気づいたからだ。

 叔母は荒い呼吸を繰り返しながら、大鏡の向こう側――滅び去ろうとする妖精の郷に残っていたのだ。


『私は確かめなければならないの。イーディス姉様が、あの闇煙を完全に封じることができたのかどうかをね。もし、不完全な封じ込みだったら、いづれは人間の王国も危うくなるわよ』

『だが、無謀すぎる。サマンサ、ひとまずこちらへ来るんだ。まだ大鏡が消え失せないうちに、さぁ』

『でもね、無謀というのなら、イーディス姉様だわ。モーリス義兄様――あなたという光の守護者無しで封じようなんて。……あぁ、そうよ、妖精王という至高の地位にあった父上でさえ、母上という守護者亡き後では完全に封じられてなかったのよ。それが、今日の事態を招いたの』

『それは、しかし……っ』

『だから、決めたわ。私は郷の奥へ――奥底深くへ行ってみる。父上も姉様もいない今だもの、私が行かないと……。じゃあ、ね』


 叔母は疲弊しきった面持ちで、けれど、必死な面持ちで悲しく微笑む。

 や否や、父と私に背を向けて駆け去った。消えゆく大鏡は、遠ざかっていく叔母の姿を映し出したまま霧散するように消滅した。

 その瞬間、消えゆく大鏡の向こうから、嘲笑うような甲高い声が響いた気がする。一瞬、叔母の声のように感じたけれど、崩れゆく郷を吹き荒れる風の音にかき消されてしまった。

 だから、私も父も見ることはなかったのだ。

 私達に背を向けて去っていく叔母が、高笑いする姿を。祖父王を愚弄し、母を嘲笑って、楽しげに駆け去る姿を。

 その後、滅び去った妖精の郷――その地底深くに封じられたはずの闇煙が邪悪な調べを響かせながら、崩壊した城趾から立ち上る様も。それを楽しげに誇らしく見つめる叔母の狂気にも似た笑顔も。

 その当時の私と父は、全く知らなかった。

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