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第5話 納屋の中にて

 私は納屋の隅っこで座り込んでいた。

 膝を抱えたまま、もう――何日目だろうか? 一週間? 十日? それ以上なのか? ……わからない。

 戸口も窓も外から板を打ちつけられてしまい、朝も夕もわからないままだ。

 かろうじて納屋の壁板の隙間や小穴から注いでくる陽光らしき片鱗だけが、唯一の明かりなのだから。

 不思議なもので、空腹感や喉の渇きは感じられない。そうだ、伯爵邸で粗末な食事しか与えられてなかったのに元気だったのと同じなのだ。


「何故かしら? ……でも、ありがたいわ。どうにかしたいって気持ちはなくならずに済んでるもの」


 私は無意識に胸もとのペンダントを握った。ほんのりとした温もりが、私を立ち上がらせてくれる。

 ほの暗い納屋をぐるりと見回した。屋根裏部屋とは比べようもないほど、埃やクモの巣でいっぱいだ。とてもじゃないけれど、人が過ごすための場所ではない。

 それもそうだろう。ここは館の裏手にあるのだ。炊事場に近いこともあって、保存食となる根菜類や暖炉の薪を保管するためだけの大きな小屋のようなもの。

 そのぶん、たまにしかここに足を運ぶ機会はなかった。召使同然だった私でさえ、根菜類を炊事場に補充したり、予備の薪を館の中に持ち運んだり、という時くらいしか。


「どこか、外に出られそうなところはないかしら……。って、もう――探し尽くしてしまったものね」


 ふぅ、と深い溜め息をつく私の口もとには、苦微笑めいたものが浮かぶ。徒労感にも似た表情だったかもしれない。

 それでも私は、納屋の壁をコツコツと叩いて回る。もう何度目か……何十回目かの。

 古ぼけてグラグラしている梯子を立てかけて、天井近くの壁もコツコツと叩いてみた。これも、もう何十回となく。

 でも、変わらない。変わりなかった。出入りできそうなところは、無い。


「……無理、か。出られないのかな? ううん、きっと出られるわ。でも、本当に……?」


 諦めたくない。諦めるつもりはない。

 それなのに、どうしてこんなにも疲れた気持ちになるのだろう。泣いてしまいそうになる。

 でも、そのたびに胸もとのペンダントから優しい温もりを感じた。

 それだけではなく、父が描いていた麗しい幻想画――そこに描かれていた美しい風景が、脳裏をよぎったのだ。

 そう、父の幻想的な風景画をともに見て、ともに喜び楽しんでくれた少年の姿も。再会して、私を抱き締めてくれたエドワードの姿も。


『大丈夫だよ。アンジェラのことは、僕が助けるから。絶対に守るよ!』

『アンジェラ――君は、もう一人じゃない。私がいる。もう二度と、私から君を引き離させたりしない。……絶対に、だ』

『必ず助ける。君を守るよ、アンジェラ』


 ――エドワード!

 彼の姿が浮かんでくる。脳裏をよぎり、心の内に強く深く。

 ふ……っ、と嗚咽を漏らしてしまった。駄目だ、泣いてしまう。

 私はしゃがみ込んだ。止められそうにない嗚咽を、少しでも抑えたくて。涙を溢れさせてしまうのを、少しでも抑えたくて。

 そんな私の状況とは裏腹に、叔母の高らかな声は時折に響いてきた。館の裏手にある納屋まで、表側の玄関のほうから届くのだ。

 いつも義姉を伴っているのだろう、というのは推測できる。義姉の声は届かないけれど。

 舞踏会に向けて、ドレスの新調に出かけていく。ドレスだけではなく、靴に髪飾りにアクセサリーの諸々を新たに購入するために。

 その合間にも、お茶会に夜会にと社交の場へ精力的な外出を繰り返していた。

 全ては、国王ご夫妻が主催する舞踏会で義姉を王太子妃候補に――王太子妃とさせるための布石なのだろう。

 王太子――エドワードの妃に、と。


「舞踏会まで、あとどれくらい? このままでは私、お城へ行くことさえできない。エドワード……あなたに会うことさえ」


 ズキン、と胸を突き刺されたくらい深い痛みを覚えた。

 咄嗟に、私は胸の辺りをギュッと抑える。母の形見のペンダントをすがるかのように握り締めた。

 私が舞踏会に行けなければ――参加できなければ、エドワードは? 彼は、誰と?

 いや、そもそも舞踏会なのだから、彼は参ずる様々な令嬢達との時間があるはずだ。たった一人ではなく、集ってきた多くの令嬢達と踊ることになるはずだ。


「私……。このままじゃ、その場に存在することさえ――できない。あなたと相まみえる可能性さえ、ほんの僅かにも。そんな……の……っ」


 でも、それこそが、叔母の望みなのだ。きっと。おそらく。

 私は唇をキュッと噛み締めた。

 それでも、ふるふると震えてしまう身をどうにもできない。やるせない気持ちをどこにも持っていきようがなくて、ただ、我が身を抱き締める。


「私はそんなにも……? 叔母様にとって、私はそんなに……っ」


 叔母はウィンストン伯爵家の夫人となり、その地位と権力を確固たるものにしてきた。

 でも、それだけにとどまらない。叔母の望みは狂気にも感じられるほど強すぎるものだった。義姉を王太子妃にさせることさえ、最終目的ではないような――。


『そんなあなただもの、王族の頂点に立つことだってできるはず』


 叔母は自慢の娘ステラ――義姉に対して、そう言っていたのだから。

 ウィンストン伯爵家どころか、この王国までも、自らの手に入れようとしているのだろうか。

 信じられない望み。いや、欲望といおうか、野望というべきか。ただ、歪んでいる……深すぎるほどに。

 では、歪み故のことか。

 叔母が亡き母へぶつけた侮蔑するような不満は、いったい……? 私は、叔母がいつになく感情的に発した言葉の数々を思い返す。


『イーディス姉様は滅ぼされたし、たかが人間のモーリスだって死んでしまったじゃないの!』

『全く愚かなイーディス姉様の娘よね。たかが人間ごときと結ばれた姉様を、次代の妖精王だと認め続けるなんて父上も父上だったのよ! 私がいるのに! 妹の私がいたのに!』


 叔母の強欲さはどこから来ているのだろう。いや、亡き母への強い負の感情は、いったい……?

 母が妖精王――になるべき者だったから? 人間と結ばれたから? それでもなお、次代の妖精王として請われていたから?

 そんなにもいけないことだったのだろうか。叔母がこれほどまでに激しい憎悪を向け、強い権力や権威を手に入れようとするくらいに?

 その瞬間、脳裏をよぎった推測に、私は忽然として顔を起こした。おそらく呆然としていたと思う。


「お母様は、どうして亡くなられたの? そうして、お父様は……? お父様は、ただ体調を崩されて……本当にそれが原因なだけ?」


 私は知らず知らずに息を呑む。

 ふと突き当たった想いに、背筋を冷たいものが駆け抜けていった。

 その瞬間、胸もとのペンダントがまばゆく煌めいた。ほんの僅かだけれど一瞬、束の間だけ。


「え……?」


 私の気のせいだったのだろうか? 胸もとのペンダントはほのかに温かいだけで、光ってなどいない。

 何だったのだろう?

 ただ、そのまま、沈黙の時間がしばし過ぎたのだと思う。

 不意に、納屋の外が不自然なほどの静けさに満ちているような気がした。叔母から命じられた召使たちの足音が、ピタリと止んだのだ。

 それは、私が納屋へ閉じ込められてから決してなかった変化だ。

  ――誰もいなくなった? そんなはずはない。叔母がそれを許すはずがない。

 まるで、この納屋周辺から意図的に、何者かの力で誰もが遠ざけられたように思えた。この静寂は、私の勘違いではない。

 でも、どうして? どうやって?

 そんな状況を引き起こした原因は、ここから離れた王都――城の中で推し量ることができる。

 私には伺いしれない、王太子たるエドワードの私室で交わされた会話の中で。


「エドワード殿下、そろそろ国王陛下と王妃陛下のもとへ向かわれたほうが良いかと」

「……そうか」


 エドワードは自らの私室で、お辞儀をするレオンへと振り返った。

 開かれた大窓からレオンのほうへと歩む彼は、きらびやかな装束をまとっている。

 カーテン越しに注ぐ朝の陽射しが、殊更にエドワードの姿を、装束を際立たせる。

 そう、今日この日のためだけに用意された正装の一つだ。昼間はこの格好で到着した各貴族諸侯との謁見に臨席する。国王夫妻のかたわらで。

 夜の舞踏会には、また格別な正装が用意されるのだ。それはまだ後のことだが。

 恭しく頭を垂れるレオンの前を通り、エドワードは扉へと向かう。だが、通り過ぎる寸前、彼は歩みを止めた。

 視線は扉のほうへ向けたまま、凛とした面持ちのまま、静かに呟く。


「ウィンストン伯爵家から馬車は出立したか?」

「えぇ、お二人とも確かに」

「二人――伯爵夫人とステラ嬢……というわけか」


 エドワードは憤怒を滲ませて瞳を細め、グッと両の手を拳にした。相当の憤りを我慢し抑えていることは、拳がわなわなと震えを醸す様が示している。

 それでも、ふぅ……と抑えた呼吸を一つばかり。束の間、瞳を強く閉じて、再び扉のほうを見据える。


「アンジェラの居場所は? まだ掴めないか?」

「いえ、さきほどようやく場所の特定はできたと伝書鳥から文が届きました。伯爵邸敷地内の納屋だそうです」

「そう、か。魔道士達の総力をあげても、ニ週間もかかるとは……! それで、納屋周辺の状況は?」

「非常に強力な魔法が納屋周辺にかけられているようです。外からは納屋自体の姿を見えなくしているとか。その魔法を完全に解き、納屋の中へ踏み込めるようにするには、まだしばしの刻を要します」

「伯爵夫人に、そのような強力な封印魔法が使えるなど聞いたことがない。……つまり、他の何者かが存在するということだな」

「その通りかと。殿下が古文書から推測されていた件と併せ、お調べいたしましょうか?」

「いや、アンジェラの救出が先だ。レオン、そこでだが……」

「殿下におかれましては、王の間で到着される皆々様との謁見にご臨席を。国王陛下、並びに、王妃陛下がお待ちでございます。アンジェラ嬢の救出には、私と魔道士達で力を尽くします故」

「待ってくれ、レオン。――私も行くぞ」


 エドワードは静かに、けれど、有無を言わせないほどに凛として言い切った。

 レオンは、何事か――おそらくは、エドワードを制する言葉をかけようとしたのだろうが、押し黙る。

 それほどまでに、エドワードの面持ちは決意の固さを表していたからだ。誰にも、今の彼を止められない。そう判断するしかないくらい、今の彼は。


「伯爵邸には、私達が密かに警備を敷いていた――アンジェラの身の安全を考えてな。だが、招待状が届く頃を境にして、突然、彼女は消え失せた……警備の目をかいくぐってだぞ? 魔道士達でさえ、彼女の気配を全く掴めないなどありえない事態だ。何か酷く悪しきことが彼女に起こったのに違いない」

「王家の管轄下にある魔道士達が困難を極めるほどの強力な魔法の使い手がいる――あなたはそう推測されましたね」

「あくまで推測だ、それは。とにかく今は、彼女の無事を確認することが最優先だ。彼女の身を守るつもりが、この事態だ――放っておけるものか。彼女を守りたいんだ、私が! 他の誰でもない、私がだ!」


 刹那、エドワードはきらびやかな正装に羽織っていた豪奢なマントを乱雑に脱ぎ捨てた。

 はらりと床に落ち広がるマントの狭間で、ぱらぱらと宝石かボタンかが床に転がる。装飾物だったのだろうか。

 その音が鎮まっても尚、彼は両の手を握り締めていた。

 両の拳が小刻みに震えるのに構うことなく。激昂している自らを、ギリギリのところで抑え込みながらも。

 レオンは、ただ無言でエドワードを見つめていた。叱責するのではなく、諌めるのでもなく。

 エドワードを映す瞳に、痛ましそうな、労るような、そんな色をそこはかとなく滲ませる。それでも、レオンは容易に賛同できる立場ではないのだ。


「……お待ちいただけませんか、殿下? 私は、あなたのために尽力いたします。必ずやアンジェラ嬢をお救いし、あなたのもとへ連れ帰りましょう。――それでも?」

「お前を頼りにしているよ、いつも。だが、今回は待てない。いや、待ちたくないんだ。私が行く。……これは決して覆さぬ。一切、譲歩するつもりはない。絶対にだ!」

「殿下!? お待ちを! エドワード殿下!!」


 レオンが咄嗟に手を差し伸ばした。

 だが、エドワードは振り切るように扉を開け放つ。

 レオンの声を振り切り、そのまま駆け出したのだ。――納屋に閉じ込められた私のもとへ、誰にも止められない決意とともに。

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