第18話(最終話) 癒しの歌と光魔法
「エドワード……様? エドワードさ……ま……!? エドワード……!!」
私は弾かれたように、エドワードに駆け寄った。目の前で崩れ落ちるかのように倒れていく彼へと。
咄嗟に差し伸べた両腕に、ぐったりとした彼の重みを感じる。苦しげに瞳を閉ざした彼の姿に、私は息を呑んだ。
フードマントはもちろんのこと、装束のあちらこちらが切り裂かれていたのだ。邪悪な歌が生む驚異的な圧によるものか。禍々しい調べが刃のような風圧となったのか。
じわりと鮮血が装束に滲み始める。
ドゥーガルの歌声が、その邪悪な威力が、どれほどのものだったかを物語っていた。
――それは全て、私に向けられた禍々しい圧であったのだ。
エドワードは我が身で、その全てを受けた。私の眼前に立ち、私を庇い守って……。
ただ、胸が痛い。軋むほどに痛かった。
じわりと視界がぼやけていく。わなわなと揺らめく瞳に映る彼の姿に、まばたき一つできない。
「エドワード……! エドワード、しっかりして……っ。エドワード!!」
知らず知らずに涙を溢れさせる私の声が――必死の呼びかけが届いたのか、エドワードは緩やかに瞳を開いた。
涙が伝う頬に、彼はそっと指先を触れさせる。
しかも、朗らかな微笑みさえ浮かべていた。この上なく嬉しそうに。……こんなにも傷だらけの身で、鮮血を伴うほどの傷が痛まぬわけなかろうに。
「……あぁ、アンジェ……ラ。やっと、昔のように呼んでくれた……ね。様がないほうが、やはり嬉しい……な」
「エドワード、こんな時に……! こんな状態で……!」
「――そうだね。だから、歌うんだ、アンジェラ。まだ……終わってないのだから。君の歌を……やめてはいけない。――ほら、見てごらん? 向こうも、全身全霊を懸けたのだろう。すぐには動けない……らしい」
「あ……」
――確かに、ドゥーガルは激しく疲弊していた。
半ば崩れかけた玉座でぐったりとしている。荒々しく呼吸を整えねばならないほどの疲労困憊のようだった。
酷い疲労を引き起こすほど、先ほどの悪しき歌は凄まじいものだったのだろう。あるいは、私の歌とエドワードの剣が見せた輝ける光が、ドゥーガルには思わぬ衝撃の大きさだったのかもしれない。
いずれにしても、今すぐにはドゥーガル自身も如何ともしがたいように見えた。
でも、すぐに動けないのは、私達もそう変わらない。
それなのに、エドワードは起き上がろうとしていた。私の腕の中で横たわっている身を、どうにか。痛むであろう身を堪えて、何とか。
身じろぐたびに、装束に滲む鮮血の色が濃くなるのに。――それでも。
「今が……ね、好機だと思う。今……この時を逃しては駄目、だ……。……痛っ」
「エドワード……!」
「……大丈夫だ。いけるよ、私は……ね」
「エド……。――……はい!」
私は、頷いた。ツゥ、と頬に涙が一筋伝うのを感じながら。それでも、頷いたのだ。
負傷しているエドワードの身を思えば、その痛みに耐える疲弊感を思うと、もどかしいほどの気持ちに駆られたけれど。
しかし、私に向けた微笑みにある挑むような表情が、私の唇から癒しの歌を紡ぎ出させるのだ。――今はもう、私だけが奏でられる癒しの調べを。
歌を紡ぎながら、私は彼の頬を包むようにそっと触れた。
そのまま、ふんわりと彼を抱き締める。その調べが、彼の傷を、痛みを、少しでも癒していくようにと。
一瞬、彼は私を抱き返した。グッと強く私を抱き締める。
「……あぁ、やはり君は、私にとっての光だね。君の歌声は、私に力を与えてくれる。……決して諦めない、くじけない気持ちが強くなるんだ」
「それならよかった……。私も諦めない。くじけたりしない――あなたがいてくれるから。……あなたが無事でいてくれるなら」
「あぁ、無事でいるよ。君のそばにいたいからね。そばにいて、君を守りたいから」
エドワードは明るく微笑った。快活な――おそらくは痛みに耐えながら、それでも。
だから、私も微笑んだ。満身創痍のように見える彼を映す瞳が滲みそうになりながらも、歌の調べに乗せて微笑顔を返す。
刹那、エドワードは凛とした面持ちで、床に剣先を突き立てた。杖のようにグッと剣の柄を握り締める。
次の瞬間、彼は立ち上がった。――私とともに。互いに互いを抱き、支えとしながら。
玉座にあるドゥーガルを見据えた。まっすぐに、折れることのない強いまなざしを向けながら。
「覚悟せよ!」
「ドゥーガル、あなたを封じます!」
「う、ぐっ……! こ……の……っ……! おのれ……っ。おのれ……小娘が! 小娘ごときがぁぁぁぁぁ!!」
ドゥーガルは呻きながら、私達を睨みつけた。憎悪に染まった瞳に焦燥感を募らせつつも、身を乗り出す。
同時に、開かれた口からどす黒い邪悪な調べが発せられた。疲労困憊であるからか、唇の両側から血を流しながらも。
それでも、絞り出すように禍々しい歌が、私達を蹴散らそうとする鋭い調べとなる。
私はエドワードとともに鋭い矢の如く注がれる邪悪な調べに翻弄された。――踏み堪えられないくらいに。
次の瞬間、ザザァッと後方へ弾き飛ばされてしまった。咄嗟に、エドワードが私を守り抱いてくれたが。
「……う、っ。やってくれる……な。――アンジェラ、大丈夫かい?」
「は、はい……。でも、あの、エドワード……あなたは?」
「君を守れるくらいには大丈夫だよ。……だが、まだ――これだけの力を放つことができるとは」
「――でも」
私はエドワードに守られるように抱き留められたまま、ドゥーガルを見つめた。壊れかけた玉座で、苦しげに荒々しい呼吸を繰り返しているドゥーガルを。
無意識にギュッと、胸もとで両の手を重ねる。祈るように重ね合わせ、私は唇を引き結んだ。
――でも、退くわけにはいかない。
封印せねばならないのだ、ドゥーガルを地の底へ。禍々しい闇煙をまとい、悪しき歌を紡ぐ者を大地の奥底深くへ。
かつて、母は自らの全てを癒しの歌に乗せて、ドゥーガルを封じようとした。
母が最後に紡いだ歌の調べが、どのような力となって封印へと至ったのか? ……私にはわからない。
けれど、と私はエドワードへと顔を向けた。私に温もりを与えてくれる彼へと。
私の傍らにいてくれる彼を、ただ見つめる。ひたすらに、彼を。
――私の大切な光の守護者を。
「私は封じたい――ドゥーガルを。今度こそ完全に、かの者を。だから、あなたの力を貸して下さい。私と一緒に……私の歌とともに、あなたの光を!」
「あぁ、もちろん。私の身に宿る光魔法は、君の歌とともにあるのだから。君の想いを叶えるために使うよ」
エドワードはそう朗らかに笑むと、スッと私を抱き寄せる。
刹那、私の耳もとに囁いた。それは――。
私は、パッと顔を上げる。まさか、と驚きに満ちた私に、彼は快活な――どこか挑むような笑みを浮かべた。
「……え? そんなこと……」
「やってみるさ。ドゥーガル自身がしたことだからね――君の叔母上に。ならば、君の癒しの歌を私の剣に乗せて試す価値はあると思う。……今、この刻にね」
「……今、この刻に。この刻にこそ――」
私はエドワードの言葉を反芻して、意を決する。息を呑み、コクンと頷いた。
今、この刻に癒しの歌を紡ぎ出せるのは私だけ。今となってはもう、私が奏でる調べが残されるのみだから。
私達は互いに見つめ合い、朽ち果てた瓦礫の中に立ち上がる。
そうして、エドワードはドゥーガルへと剣先を向けた。その隣で、私はスゥーッと深く息を吸う。
荒れ果てた大広間の残骸の中で、やんわりと優しい調べが生まれた。私が紡ぎ出す歌が、ほんのりとした温もりを伝い広げるかのように。
ドゥーガルが抗うように邪悪な歌を紡ぐけれど。――負けない。
禍々しい調べがドゥーガルの口もとから奏でられるけれど。――屈しない。
エドワードが両の手で掲げ持つ剣の輝きが、私が奏でる歌の響きに伴って力強く増していくから。その輝ける光が、私を守護する盾と化していくから。
私は今、ふわりと柔らかな――けれど強固な光に淡く包まれていた。
だから、より一層のこと、私の歌声は響き渡る。優しく、温かく。そうして――強く。
故にこそ、エドワードの身に宿る光魔法も強まる。彼の剣も、彼の身も、まばゆく照らし出された。
彼は厳しいまなざしを向けながら、静かに――毅然として告げる。
「ドゥーガルよ、そなたの命を奪うまではするまい。アンジェラが紡ぐ調べは、癒しの歌だ――血なまぐさい所業は控えよう」
「……はぁ、はぁ。甘い……ことをぬかすものよ。さすがは……卑小な人間よな、我を滅ぼすことはできぬと悟ったか? 我が魔法――我が紡ぐ歌は抑えきれまいて。はぁ、はぁ……」
「甘いかどうかは、封じられた後にじっくりと考えることだな。そなたには、永き封印の刻が訪れるのだから」
「何だ……と……っ、っっ。……はぁ、はぁ」
エドワードの凛然とした様に、ドゥーガルは身じろがせる。エドワードは、静かすぎるほどのまなざしでドゥーガルを見据えた。
と同時に、凛として声を上げる。己自身に宿る光魔法に向けて、ただ一つの願いを口にしたのだ。
「我が身に宿る光よ……光の魔法よ、全ての力を我が願いに捧げよ! ドゥーガルに宿りし魔法の全てを滅するのだ!!」
「な……っ、っっ!?!?!?」
刹那、エドワードが振り下ろした剣先から鮮烈なまばゆい光が迸る。一閃の輝ける軌跡がドゥーガルへ向かい、その身を貫いた。
そのまま、ドゥーガルを輝ける光が包み込んでいく。激しい光の奔流はドゥーガルを包み込んだまま、まばゆい光球と化した。
苦痛か苦悶か、恐怖か狂乱か。ドゥーガルは光の中で、苦しげにもがき足掻く。
「ば、馬鹿な……! 人間ごときが、この我から力を……奪うだと!? い、嫌だっ!! わ、我の力が……っ。我の魔法が……消え……っ……っっ! うあぁぁぁぁぁっ!!」
ドゥーガルの断末魔のような怒号が、朽ち果てた王の間に響き渡った。その全身から魔法が完全に消え失せていくままに。
その瞬間――。
バリバリッと激しい音とともに、玉座の真下で床が大きく割れ始めた。
たちまちの内に亀裂が広がり、底しれぬほどの深い大穴が生じる。玉座の残骸が砕け散りながら落ちていった。
と思う間もない。
まばゆく光り輝ける鎖が、大穴から何本も数え切れないほど勢いよく迸ってきたのだ。
それらの鎖は、それぞれに清らかな調べを奏でている。全てを浄化するかのような不思議な音色の。
――まるで、私が紡ぎ続けた癒しの歌そのものであるように思えた。
そんな輝ける光の鎖が、狂乱するドゥーガルの身を戒めたのである。決して逃しはせぬ、と言いたげに。
「う、うぐぅぅぅ……っ、っっ!! 嫌だ……嫌だっ! 許さぬ……っ、っっ! あぁ……あぁぁぁぁぁっ……っ、っっ!!」
輝ける鎖によって幾重にも絡み取られ、ドゥーガルは恐慌状態に陥った。
ガシャンガシャンと激しく抗う音と、ドゥーガルの呻くような怒号だけが、辺りに響き渡る。
だが、さほどの間を置かずして、それらの音は急速に鎮まった。ドゥーガルの足掻きも、絶叫に近い悲鳴さえも、不意に途切れてしまう。
――それもそのはずだ。
ドゥーガルはもはや、動くことも、声を発することも、叶わなかったからだ。完全なる石像と化してしまったが故に。
光の鎖は、触れたところからドゥーガルの身を石化していったのである。まるで、邪悪なる歌を――魔法を完膚なまでに封じるかの如く。
魔法を完全に失ったドゥーガルには、癒しの歌という輝ける光に抗える何物も残されてなかったのだろうか。いや、ドゥーガルの全てが邪悪なる歌そのものと化していたのかもしれない――身も心も。
それ故の、石化であったのだろうか。
間もなくして、光の鎖は石像の如きドゥーガルを解き放った。
ドゥーガルは戒められていた名残りともいうべき淡い煌めきに包まれたまま、大穴の底へと落ちていく。ゆっくりと、けれど、あっけなく、深い……深い地の底奥深くへと。
それを見届けたかのように、忽然と光の鎖は輝ける円状の封印紋章を描き始めた。ドゥーガルが落ちていった大穴を塞ぐように、煌めく紋章が幾重にも張り巡らされていく。
やがて、輝ける紋章は柔らかな光を放ちつつ溶け失せていった。
あとはもう、何事もなかったかのように床と玉座の残骸が残されるのみだ。
私とエドワードは、ただ呆然と立ち尽くした。
「封じることが、できた……?」
「あぁ……。おそらく、きっと」
ただ静寂な気配だけが漂う中、私達はどちらからともなく見つめ合う。お互いにホッと安堵した次の瞬間――。
「え……!?」
「これは……!?」
エドワードと私は、互いに顔を見合わせた。
視界の隅で、崩壊していた瓦礫がサラサラと逆巻くように動き始めたのである。まるで時間が巻き戻るかのように。
朽ちた土台しかなかった城の残骸が、瞬く間に元の美しい虹色に煌めく城へと変わった。柱や壁どころか、天井までもが再生されたのだ。
私達は、急ぎ城の外へと駆け出した。そうして――。
再生された壮麗な城門に目を見張り、城の外に広がる風景に目を見張るしかなかった。
荒れ果てていた郷の大地は今、瑞々しい柔らかな草地に覆われていたのだ。
朽ち果てていた樹々は虹色に煌めき、清かなる風に枝葉を揺らす。
空はどんよりとした不気味な雲から解放され、青空が広がっていた。
爽やかな風がそよぎ、キラキラと虹色に煌めく。
――麗しい妖精の郷の風景が戻ってきたのだ。幼い頃の記憶に残されている郷の風景が、父が描き続けた幻想画にあった美しい景色が、完全に。
私たちは言葉もなく、しばし魅入られたようにその光景を見つめた。心地よい風に、髪とマントを揺らめかせながら。
やがて、込み上げる想いを抑えきれず、私はポロポロと泣き出してしまった。……でも、それでも、満ち足りた微笑顔をエドワードへ向けたのだ。
「エドワード、あなたに見せられてよかった! この郷の風景を、あなたと一緒に見られて……!」
「ああ、アンジェラ。私も嬉しい。幼い頃の約束――君と交わした約束が今、叶ったんだ!」
エドワードは快活に微笑いながら、私の頬を伝う涙を拭き取ってくれた。
そのまま優しく、そっと私を抱き寄せる。――グッと抱き締めてくれたのだ。
「さあ、戻ろう。皆が待っている」
「はい、エドワード……!」
私は力強く頷き、エドワードとともに蘇った美しい妖精の郷を後にした。
無事に伯爵領の森へ戻ってきた私達は、魔道士や衛士達の安堵した笑顔に迎えられた。皆、疲れ切った様子ではあったが、喜ばしい空気に包まれていた。
無事に城へと戻ってきたエドワードを、国王と王妃は喜びの笑顔と涙で抱き締めた。どれだけ案じていたことか、そうして、どれだけ安堵したことだろう。
彼の傍らにいた私のことも、国王夫妻は優しく温かな抱擁を与えてくれたのだ。これ以上はないくらいの感謝の言葉とともに。
それらを控えめに見守っていたレオンは、駆け寄ったエドワードへ恭しく頭を垂れた。
私達がドゥーガルに対峙している間、その邪悪な歌は、やはり王国へと降り注いでいたらしい。レオンの面持ちには、私達に負けず劣らずの疲労と負傷の痕跡があった。それでも、彼は潤んだ瞳にホッとしたような喜ばしい微笑みを向けてくれた。
「御二人のご帰還を、心よりお待ちしておりました。――おかえりなさいませ、エドワード殿下。アンジェラ嬢」
レオンの言葉が、私とエドワードの心にじんわりと染み渡った。それは、私達の無事を祈っていてくれた皆の想いでもあったからだ。
その後、エドワードは負った傷が癒えるまで休養を取るように命じられた。無論のこと、傷が癒えた後は国王の政務を補佐し、いつもの忙しい日々に戻ったのだが。
王国内に目を向ければ、各地の異変は無事に収まった。枯れていた大地に瑞々しい緑が戻り、皆々の日々にも笑顔と賑わいが戻ってきたらしい。
――そうして、辺境の修道院で暮らす叔母は、彼女を大切に想っていた亡き人達への祈りを捧げる日々を送っているとのことだった。静かで凪いだ時間が、これからの叔母の余生を慰め、せめてもの癒しになることを願った。
また、王国内に落ち着きが戻ってきた頃、レオンは家族と暮らす邸宅の敷地内に、義姉が残した木の実を植えた。やがて、それは芽吹いて瑞々しく成長していく。その様は、エドワードの片腕として多忙な日々を送る彼にとって、何よりの癒しとなったのである。
こうして、それぞれが過ごす日々を経ること数年、私はエドワードと婚儀を挙げた。王太子妃と呼ばれる身となったのだ。
それからさらなる歳月が過ぎた頃、エドワードの父である国王が隠居による退位を宣言したことにより、王太子である彼が新たな国王として即位した。私は王妃となり、彼とともに王国の平安なる刻を守り支えた。折々に癒やしの歌を紡ぎ、その調べが皆々を優しく癒やすことを願い祈りながら。
遠く後の世の歴史書には『国王エドワードの御代は、王国史上、最も穏やかで安らぎに満ちた時代であった』と綴られることになる。
もちろん、それはまだ来たらぬ未来のこと。今の私は、知る由もないのだけれど――。




