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第17話 邪悪な歌と光の守護者

 エドワードとともに、枯れ荒れ果てた大地を踏み締めて進んでいく。十年ほど前、崩壊しつつある郷を父と駆けた道を戻るように。

 やがて、煌めく虹色を失った城の残骸がはっきりと視界に飛び込んできた。

 郷の中央の丘にそびえ立っていた麗しい城の景観は、もはや想像できない。ただ、土台であったはずの石造りの瓦礫が残されるのみだ。

 おそらくは大きな城門があったはずの場所で、私は立ち尽くした。


「ここから、お城の中に入っていたのです。歩けるようになってからは、お父様とお母様に手を繋いでもらって……」

「……そうか」

「でも、あの頃はまだ幼くて何もわかっていませんでした。ここが妖精の郷だとか、お祖父様が妖精王だとか、何も……何一つ……っ」

「アンジェラ……」


 思わず声をつまらせてしまった私に、エドワードは優しく肩を抱き寄せてくれた。彼の温もりに慰められる。

 この郷を時折に訪れていた幼い頃。それは、とても幸せな時間だったのだ。温かく優しいひとときが、どれほどの幸福であったのか――今ならよくわかる。

 だが、泣いてしまうわけにはいかない。今は、まだ。

 そう自覚して、私は眦の辺りを拭う。唇を引き結び、朽ちた土台しか残されていない城趾を見つめた。崩れ落ちた残骸でいっぱいとなった光景を。


「エドワード様、行きましょう。地底深くに到れる階段を探さないと……」

「あぁ、そうだね」


 私達は互いに顔を見合わせ、前へと踏み出した。朽ちてしまった欠片が、靴の下で脆くも崩れ去る音が響く。

 足場が決して良くない中を歩み、程なくして王の間であったと思われる場所に着いた。ずいぶんと開けており、大広間であったのだろうと推測できる。

 崩壊した大柱の土台はかろうじて残っているが、ボロボロであった。玉座らしきものがかろうじて残されているが、もはや座面と一部の背面だけが形をとどめているにすぎない。

 かつては磨き抜かれていたはずの床はひび割れ、柱も壁も――天井さえも崩壊して瓦礫と化していたのだ。

 胸にグッとせり上がってくるものがあり、息を詰めて瞳を細めた。

 次の瞬間――。


「……アンジェラ!!」

「え……!?」


 咄嗟に、私はエドワードの背後へと庇うように引っ張られた。

 同時に、彼は鞘から剣を抜き、私を庇いながら身構える。

 や否や、片手だけで剣を振り下ろした。鋭い剣先が何かを弾くように斬った刹那、まばゆい光が輝いた。

 霧散したのは、不気味な闇煙。禍々しい気配がスッと消え去っていく。

 だが、彼の一撃で霧散したはずの闇煙の名残りが、ユラユラと玉座の背後から立ち上っていた。

 彼は私を背後に庇いながら、徐々に濃くなる闇煙へ剣先を向けたまま、間合いを取る。

 そのうちに、ユラリとした闇煙の蠢きは、重々しい靴音らしきものに呼応していることに気づいた。

 そう、靴音だ。地の底深くからゆったりと、けれど、おどろおどろしい響きを伴って登ってくる音が伝わってくるのだ。

 誰か、が。

 ドクン、と鼓動が大きく波打った。危機を告げるかのように、鼓動が早くなる。私は無意識に息を呑んだ。

 私達の前方――半ば崩れ落ちた玉座の辺り、その背後は、地底深くへと繋がっているのではなかろうか。叔母が言っていた階段が残されているのは、そこなのか?


「エドワード様、もしかして……!」

「あぁ、おそらく階段があるのだろう。……何者かが昇り来ようとしているらしいが」

「きっと、ドゥーガル――あの闇煙、ですね」

「ほぉ、我を呼び捨てにするとはな。無礼にも程があるぞ、たかが人間の分際で……よくも!」

「…………っ!?」


 思わずグッと唇を噛み締め、両足を踏ん張った。

 響き渡ったのは、ゾッとするような低い邪悪な声だ。その声が発してきた圧に、グッと踏み堪える。

 そんな私達をあざけるように見据えながら、ドゥーガルが玉座の後ろから――地底から続く階段を昇り来て姿を見せたのだ。クククッと冷笑い声を漏らしながら、傲慢にも玉座へ腰掛ける。

 ものすごい威圧感であった。

 私の前に佇むエドワードは、私よりも邪悪な圧をより強く感じているのではなかろうか。心配で、思わず彼が掴んでくれている手をギュッと握り返した。

 刹那、彼はフッと微笑みめいたものをこぼす。私を振り返ることはなかったが、応えるように手をさらにグッと握ってくれた。


「大丈夫だ、アンジェラ。……これは、むしろ好都合だと考えよう。私達はわざわざ階段を降りずに済んだのだから」

「は、はい……!」


 そうだ、深い地の底まで降りる必要はなくなった。ドゥーガル自身が現れたのだから。

 だが、期せずして対峙することになった私の緊張感を察したのだろう。ドゥーガルは可笑しそうに眉を上げ、余裕綽々で足を組み直してみせる。


「イーディスの娘よ、無駄なあがきはやめよ。愚かな弟ハーヴェイ――そなたの祖父が成した封印も、そなたの母が成そうとした封印も、我を抑えられなかったのだからな。クッククク! 全ては我あってのものと思い知らせてやろうぞ。ワーハッハッハ!!」


 ドゥーガルは座したまま、鷹揚に両手を広げて喜悦満面に語る。

 それだけではない。広げていた両手を頭上高くへと掲げ伸ばし、愉悦混じりに口角をニヤリと上げ、呪文のような調べを呟き始めた。

 不穏な響きを持つ声が、呪文のような歌を紡いでいく。背筋が寒くなるほどの嫌悪を抱かせる調べだった。

 それは、そのまま私とエドワードの身にも邪悪な圧となって注がれようとする。

 抗おうとしても抗いきれず、私は思わずしゃがみ込んでしまった。同時に、エドワードも片膝をついてしまう。

 けれど、私は、ピリピリと震える腕を必死で伸ばそうとした。悪しき調べに押し潰されそうな圧に逆らい、懸命に抗う。


「……いけな、い。この歌……は、駄目……!」


 そうだ、これこそが王国に襲いかかっている異変の正体なのだ。

 ドゥーガルが紡ぐ、この邪悪な歌を止めなくては。この調べを食い止めなければ。

 ――それは、直感だった。

 その瞬間――。

 気がつけば、私は歌っていた。

 か細い、途切れ途切れにしか口ずさめないけれど。禍々しい圧に押し潰されそうになりながらも、癒しの歌を紡ぐ。その調べを懸命に紡ぎ出した。

 立ち上がろうとしても立ち上がれず、天を仰ごうとしても顔を上げられない。苦しくて、とても辛い。

 両の手をつき、ひざまづいたまま。それさえも苦しく辛かった。

 ――でも、歌を紡ぐことはやめない。

 唇からこぼれる調べは、あまりにも微かで滑らかなものではないけれど。それでも、歌う。

 ドゥーガルは私をちらりと見やったが、せせら笑うようなまなざしを向けただけであった。

 だが、ドゥーガルは有頂天になりすぎていたのだ。私の姿に絶対的な己の優位を感じて、私以外の者への注意を怠ってしまった。

 私の傍らには、エドワードがいたのに。私の大切な、光の守護者たる彼が。

 彼は立ち上がろうとしていた、私の眼前で。両の手にした自らの剣を床に突き立て支えとし、ついてしまった片膝を何度となく起こそうとする。

 その顔は決して俯くことなく、ドゥーガルを厳しく見据えたままに。

 けれど、背後の私を案じてくれている気配は、優しく温かだった。相当に苦しいだろうに、私に伝わってくる優しさも温もりも変わらない。


「アンジェ……ラ、頑張れるかい? 君の歌声……は、私を奮い立たせてくれる。まだ……歌える、か?」

「……は、い。エドワード……様も、大丈夫です……か?」

「君が大丈夫なら、私も……。私は、君を守る……守りたい、からね」

「ならば、私も……頑張れます。あなたが、ともにいてくれる……なら」

「……私もだよ」


 荒い呼吸の中で、エドワードがフッと和らいだ微笑い声をこぼした。

 そんな彼の後ろ姿へ、私も微笑みを返す。肩を大きく上下させながらも、それでも。

 互いの瞳がかち合うことも、互いの姿を見つめることも、今はできないけれど。

 しかし、私達に襲いかからんとする邪悪な調べに――その恐るべき圧に、踏みとどまり堪えられるような気がした。

 私は、ひたすらに歌を紡いだ。立ち上がれず、座り込んだままだけれど。

 両の手を胸の辺りで祈るように組み、癒しの歌を――その調べを何とか奏でゆく。

 やがて、エドワードは立ち上がった。

 ぐらりと揺らめきそうになりながらも両足でしっかりと踏み堪える。

 そして、剣を構えた。

 剣先をまっすぐにドゥーガルへと向け、毅然として佇む。私が紡ぎ出す調べをまとったかのように、彼の剣は輝ける光の如く煌めいた。

 闇煙をまとうドゥーガルへ、エドワードは厳しいまなざしを向ける。


「アンジェラの歌が、私に力を与えてくれる――まばゆい光の力を。この輝ける光を、そのまま彼女に捧げよう。悪しきそなたを封じようとする彼女のためにこそ、この光を使う!」

「ふん、偉そうに。ようやく立っているだけのお前に何ができようか。たかが人間如きが光の守護者だと? ずいぶんと笑わせてくれるではないか。フハハハッ! なすすべもなく、人間どもの王国が滅ぶのを待っているがよかろう」


 ドゥーガルは、玉座に座したまま微動だにしない。ただ冷たい嘲笑みを浮かべるだけだ。

 しかし、エドワードが怯むことはなかった。

 彼は、剣を握る両の手に力を込める。その剣がまとう光は、徐々に少しずつ強まっていたのだ。

 私の歌声に呼応するかのように。私が紡ぎ出す調べに呼応するかのように。剣がまとう光は、幾重にも輝きを増していく。

 刹那、エドワードは大きく剣を振り上げた。まばゆいくらいに輝ける剣を、両の手で頭上高く。

 彼はドゥーガルを鋭く見据える。その瞳に、強い輝きを灯して。


「私達が滅びるだと? 滅びるのは、そなたであろう? この妖精の郷を――郷に生きていた妖精達を、そうして、我が王国を――王国に生きる者達を、傷つけ苦しめてきたそなたこそが滅びるのだ!!」

「たかが人間の小僧が生意気なことをほざきおって! お前の光魔法とやらも、イーディスの娘の歌も、我が歌を凌駕できぬではないか? 我の歌が宿す魔法に打ち勝てる者など、もはやおらぬわ!!」


 ドゥーガルは瓦礫と化している玉座から立ち上がった。怒りに打ち震えている。

 私も咄嗟に立ち上がった。無意識のことだった。

 我知らずと、胸もとで祈るように重ねていた両の手にグッと力を込める。癒やしの歌を紡ぐ声が、ひときわに大きくなった。

 周囲に満ちていたドゥーガルの邪悪な歌を、その一瞬、打ち破るかのごとく。

 ドゥーガルは玉座から身を乗り出し、予期せぬ事態に慌てたように私を睨みつけた。

 刹那、エドワードの剣が今までになくまばゆく輝き始める。剣を掲げる彼自身ごと、まばゆい光をまとったのだ。

 まるで、雲間から陽光がサァーッと注ぐ瞬間の如き輝きだった。一直線にドゥーガルへと注がれるような。

 その時、初めてドゥーガルが苦悶にも似た動揺の声を上げた。壊れかけた玉座までヨロヨロと後ずさって座り込んでしまう。。


「ば、馬鹿な……! あ、ありえぬ……! お前が……そこまでの癒しの歌を!? み、認めぬ……ぞ。許さぬ……。ぐ、ぐぬぅ……っ」


 ドゥーガルは忌々しそうに私とエドワードを睨みつけた。だが、立ち上がれないらしい。

 しかし、ドゥーガルは片腕をドンッと前方へ差し伸ばした。必死の形相で、私達を牽制するかのように。

 それだけではない。

 唸るように歌を紡ぎ始めたのだ。これまでにない悪しき調べが低く響き始めた。

 激しい憎悪、深い妬み、強い劣等感、それら全てをひっくるめた邪悪な感情にまみれた闇というべきか。

 それが、ドゥーガルを包み込んでいく。

邪悪な調べの全てを私へ向けたドゥーガルを、覆い尽くさんとしたのだ。


「あぁ、煩わしい小娘が! お前さえいなければ――お前の歌さえなくば、光の守護者など風前の灯! お前さえ……お前さえ……!!」

「――させるものか!!」

「小賢しい守護者め! ならば、お前が先に果てるがよかろう――その娘の目の前でなぁ!!」


 刹那、ドゥーガルを包む闇煙が一層のこと暗い邪悪な色と化した。その全身が闇煙に完全同化したかの如くに。

 次の瞬間、私達を見据える闇色の瞳がグワッと見開かれた。

 その口までもが大きく開かれ、これ以上はないほどの咆哮を迸らせるように邪悪な調べを放つ。

 凄まじい風圧のような重苦しい調べが、荒れ狂う暴風雨のように襲いかかってきた。

 だが、ドゥーガル渾身の邪悪な調べが、私を貫くことはない。

 エドワードが己の剣で全て防いでくれたからだ。

 彼は、光輝ける我が身ごと私を守る盾のように立ち塞がった。己の輝ける剣で、襲いかかる邪悪な調べを一筋の閃光の如く斬り払ったのである。

 彼は私を守護してくれた。光の守護者という呼び名のとおり、私を。幼い日の約束のとおりに――。

 ……だが、しかし。

 次の瞬間、グラリ――と彼の身が大きく揺らいだ。

 と思うまもなく、彼は倒れ込んでゆく。まるで、フッと糸が切れたかのように……私の目の前で。

 その瞬間、私は、まばたきを忘れた。大きく瞳を開くしかない私の視界の中で、彼は――。


「そ、んな……っ……!?」

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