第16話 妖精の郷へ
叔母に会ってから十日ほど経った頃、国王は叔母への処遇について正式に通達した。
それは、王国領内において過酷な辺境地とされる海辺の修道院で終生を送るというものだ。
そこは年老いた修道士や尼僧が終の住処として暮らす場であると同時に、王国を揺るがしかねない大罪を犯した貴族の収監先でもあった。故に、一度収監されれば、死ぬまで出ていくことは許されない。
伝え聞くところでは、叔母は何一つ物申すことなく、静かに修道院へと旅立ったという。
私が叔母に会えたのは、闇煙について訊くために訪れた時が最後となった。叔母たっての強い要望もあり、私が彼女と対面する機会は二度となかったのである。
いずれにせよ、本来ならば死罪となっていたはずの叔母だった。しかし、王国を滅ぼしかねない闇煙――ドゥーガルに関する情報をもたらしたことで、一抹の恩赦が与えられたのだ。
叔母への沙汰を決するまでの間にも、国王夫妻とエドワードを中心として王国全土への支援策が様々に取られていた。全ては、ドゥーガルによる脅威へ抗うためのものだ。
王都を中心に広がる異変への対処として、荒れた天候による農作物、建物、街道への被害の修理修繕と、食料・流通品の支援が急がれた。
また、国王と王妃を守るための厳戒態勢が敷かれ、政務の滞りが起こらぬように万全の配慮が取られた。
さらには、エドワードの要請もあり、王家が保管してきた古文書の調査にも余念がなかった。王国全土から集った学者達によって、ドゥーガルという悪しき存在に関する詳細な情報を得ようと努めたのだ。
そうして、叔母が修道院へと発つ頃、私は国王夫妻の御前にいた。
侍従長をはじめ、政務の中心を担う近臣達も同席する会議の間で話し合われたのは、禍々しい闇煙のもとに行かんとすることに関するものだ。
私は発言を許されると、ただ一つの願いを口にした。
「どうか私を妖精の郷へ向かわせてください! あの闇煙を封じるには、癒しの歌が必要なのです。今、その歌を紡げるのは私だけです。この王国の異変を止めるためにも、どうかお願いします!!」
舞踏会で歌った私の姿は、会議に参加している者達の記憶にも鮮やかだった。あの歌の調べで、心癒された事実を皆が体感している。
私を危うい処へ向かわせることになる点を除いては、特に大きな懸念や反対意見は上がらなかった。
しかし――。
私に同行するとエドワードが申し出たことで、会議は長引いてしまった。
彼は王太子なのだから、国王と王妃でさえもすぐに頷けるはずもない。
けれど、エドワードは押し切ろうとしたのだ。彼自身の想いと、王位を継ぐ者としての立場、その両方を皆に訴えることで。
「このままでは、我が王国は潰えてしまう危機にある。だが、それを打破できる策がある。それを成さんとする者がいる。ならば、その者とともに、王太子として助力を惜しみたくない。この王国の民を守る次代の王として、此度の件は必ずや糧となるだろう」
「し、しかし……。王太子殿下、御身に万が一のことあらば、いかがなさるおつもりでございますか?」
「万が一など無い。私は必ずここへ戻って来る。我が身に課せられた責務を無責任に放棄するつもりはない――必ず戻ると約束する。決して違えぬ」
「いや、でもですな……」
「必要なのだ、彼女とともに私も行くことは。そなたらの手もとにある報告書に目を通したのならば、理解せよ。癒しの歌を紡げる者が如何なる存在か? その者のかたわらにある光の守護者が如何なる存在か? 二人ともにあらねば、昔々からの悲劇が繰り返されるのみと知れ」
エドワードは言外に告げる。妖精の郷が滅びた今、次はこの王国の滅亡が待つのみなのだ、と。
決して激した声音ではなく、威風堂々とした声音で、ただ真摯に語りかけたのだ。
会議の場はシン、と静まり返った。
エドワードは立ち姿のまま、皆々を見回す。有無を言わせない気迫と、威圧感とは異なる凛とした気配を醸しながら。
その瞳が私へと移り来た時、彼はスッと手を差し伸べてきた。ごく僅かに表情を和らげ、私に立ち上がるように促す。
「エドワード様?」
「そろそろ会議を終わらせよう」
「え?」
結論が出されようはずがない現状だったから、私は何のことだかわからない。
しかし、彼はフッと微笑って、私をやんわりと引き寄せた。
皆々を見回し、最後に国王と王妃を見つめる。その瞳は毅然として強い輝きを放ち、決して揺るがない固い決意を滲ませていた。
「王太子の名において、これは決定事項として申し上げます。我が王国が――民が平穏に過ごせる日々を取り戻さんため、私はアンジェラ嬢に同行する、と。……国王陛下、並びに、王妃陛下。この件につきましては、これ以外の結論は無いことを進言いたします」
「……そうであろうな。それはわかっておる。この場にいる者は皆、な。なれど……」
刹那、床からドンッと大きく突き上げられる震動を感じた。
瞬間、大窓へと叩きつけるような強風と大粒の雨が激しい音を立て始める。
私は、咄嗟にエドワードに守られるように庇われた。
皆々は座したまま、大地の轟くような揺らぎと荒れた天候の凄まじさに顔を見合わせる。日を追うごとに強まる異変に、どの顔にも緊迫感と不安感が入り交じっていた。
国王と王妃もまた、唇を引き結んで互いに顔を見合わせる。真剣な面持ちの中に、エドワードを案ずる想いを抑え込みながら。
やがて、大地の蠢きが収まると、国王は静かに立ち上がった。
皆々を見回し、片腕を差し出して粛々と宣したのだ。強風と激しい雨の音をかき消すほどの張りのある声で。
「王太子による決定事項を、国王として認可する。直ちに王太子とアンジェラ・ウィンストン伯爵令嬢の出立準備にかかれ。――これをもって会議の閉会を宣言する」
その言葉どおり、慌ただしさが一気に増した。
そうして今、私はエドワードとともに伯爵領内の森――その一角にいる。近くに停まった数台の馬車や馬達とともに。
馬車から降り立った私とエドワードは、森をそよぐ風に互いのフードマントを揺らす。その合間から、動きやすいように剣士装束が垣間見えた。できるだけ身軽に俊敏に動けるよう選んだ装束だ。
ここは、かつて父に抱き上げられて滅びゆく妖精の郷から脱してきた場所だった。叔母が作り出した大鏡――転移魔法によって繋がった辺りである。
懐かしさよりも切なさが勝り、私は眦の涙をそっとぬぐった。
エドワードは、そんな私を優しく抱き寄せてくれる。温かみのある、けれど、案ずるようなまなざしが向けられた。
「大丈夫か? いけそうかい?」
「もちろんです。……魔道士の皆様に用意していただけますか? 私は歌を紡ぎますから」
「わかった。それならば、始めよう」
私は、涙を振り払うように微笑みかける。
エドワードは細めた瞳にほのかな微笑みを浮かべ、私の頬にやんわりと手を置いた。
その温もりに、私も自らの手をそっと重ねる。信じられる温かさを感じ取り、頷いた。
そっと瞳を閉じる。両の手を胸もとで祈るように握り合わせた。
唇からこぼれ始めたのは、母が教えてくれた癒やしの歌の調べだ。
その歌を中心に、魔道士達は力を合わせて陣を張った。彼らは遠く妖精の血を受け継ぐ者達だが、生粋の妖精ではない。この王国とは全く異なる妖精の郷へ繋がる大鏡を出現させるのは、かなりの負担を強いる転移魔法であった。
だからこそ、私は精一杯、歌う。私の歌声が、彼らの成そうとする大鏡の出現を誘い、負うであろう疲労を少しでも軽減できるように。
ただ無我夢中で歌を紡いでいった。記憶に残る、美しく麗しい郷の風景を思い浮かべながら。
程なくして、エドワードが妙に硬い声で私を呼んだ。
「アンジェラ、魔道士達は無事に大鏡を繋いでくれたようだ。しかし、これは……」
「エドワード様……?」
私は、胸騒ぎにも似た不安に駆られて瞳を開く。
刹那、私は全身から血の気が引いていくような錯覚にとらわれた。
自分の瞳に映る光景は――大鏡に映し出されていた郷の風景は、想像以上に無惨なものだったからだ。
滅び去ったという言葉では言い表せないほどの瓦解した風景。そこには、生前の父が描いていた幻想画にある美しく麗しい風景は何一つ存在していなかった。
幼いあの日、私は父に抱き上げられて、郷が砕け散る様を目にしている。だが、完全に滅されてしまった郷の姿は知らなかった。
今、大鏡に映る光景には、生命あるものは動植物に限らず全く存在していないように見える。寒々しい風景だけが広がっていたのだ。
私は、きつく両の手を握り締める。
――震えている場合ではない。ここで踏みとどまってしまうわけにはいかない。今はただ、動くべき刻なのだ。
グッと前方を、大鏡の向こうを見つめる瞳に力を込めた。
母や祖父が命を懸けて守ろうとした麗しい郷が、こんなにも完膚なきまでにめちゃくちゃにされていようとは。
私は、すぐ隣に佇むエドワードへ顔を向けた。
私の表情を見た彼が、ハッとしたのがわかる。私を気遣わしげに見守っていた彼の面持ちが、サッと真摯なものに変わったからだ。真剣な、それでいで、果敢に挑むような感が、彼の表情に浮かび上がる。
私は、意を決したように頷いた。
「私、行きます。行かなくては……!」
「あぁ、わかってる。君が行こうとする処に――君が対峙しようとする者のもとに、私もともに行こう」
「エドワード様……!」
エドワードは快活に微笑む。私を安心させてくれる優しく朗らかな笑顔を向けてくれたのだ。
互いに頷き、あらためて周囲を見回した。魔道士達と、彼らを護衛する衛士達、そして――レオンを見つめる。
レオンは静かに佇んでいた。国王と王妃から、二人の出立を見届けるよう命じられたからだ。
エドワードが顔を向けると、レオンは恭しく頭を垂れた。
「エドワード殿下、おそばでお仕えできぬのが心苦しい限りでございます。アンジェラ嬢とともに、どうかご無事でお戻りください。」
「レオン、お前には父上と母上を頼むよ。ドゥーガルの悪しき魔法が引き起こす災厄が、御二人の大切な御身を傷つけることがないように。私とアンジェラが戻るまで、御二人と王国の守りを――」
「お任せください。殿下とアンジェラ嬢がお戻りになられる処を失わせはしません。御二人の無事な帰還を待ち望む両陛下の御身も、必ずやお守りいたします。ですから、どうか……」
「大丈夫だ。必ず戻って来る。この王国にふりかかる災いの元を完全に封じてみせる――彼女とともに」
「――御意」
レオンが静かに顔を起こした。怜悧な瞳には、万感の思いが滲んでいる。
出現させた大鏡を保持し続ける魔道士達も、彼らを護衛する衛士達も、一層のこと緊張した面持ちとなった。
そうしてついに、私とエドワードは大鏡の向こうへと足を踏み出したのである。互いの手をしっかりと握り合って。
刹那、ゾッとするような空気がまとわりついてきた。
今、眼前に広がっているのは、滅び去った郷の残骸ともいうべき風景だ。ただただ、無惨としか言いようのない、酷い有り様の。
柔らかな草地に覆われて瑞々しかった大地は、枯れ果てていた。乾ききってひび割れが生じるほどの荒れ果てた地だ。
かつては瑞々しい枝葉を広げていたはずの樹々は、例外無く朽ち果てている。虹色の煌めきはどこにも見られず、大空は陰鬱な重苦しい雲が覆い尽くしていた。
そよぐ風さえも、重苦しく禍々しい気配に満ちている。
――生命の息吹が何一つ感じられない。
この風景が、父母とともに訪れた幼い日の記憶に残されてた美しい郷の今の姿とは……。
私は思わずエドワードの手をギュッと握り締めた。
「……信じたくない。こんな……ここまで……」
「君が見せてくれたモーリス伯のスケッチ――幻想的な美しい風景からは、想像がつかない。……できるわけがないよ」
「――はい。……どこにも、お父様が描き出していた風景が感じられません」
衝撃のあまり掠れた声で呟く私に、エドワードは静かに頷いた。
フードの下の彼の表情は窺い知れない。それでも、私の隣に佇み、私の手をさらに強く握ってくれた彼の温もりからは、悲しみと怒りが伝わってくる。
私は意を決してグッと前方を見つめた。かつて麗しい城の姿が垣間見えていたはずの方向を。
「あちらにお城があったはずです、エドワード様」
「あぁ。――では、そこまで行って、君の叔母上が言っていた地下へ続く階段を探そう」
「はい。……そうして、あの闇煙――ドゥーガルを封じます、必ず。エドワード様、どうか私とともに――一緒にいて下さい。母と祖父が果たせなかった完全なる封印を、今度こそ果たすために」
「もちろんだよ、アンジェラ」
エドワードは私の手をグッと握り、快活に笑む。私を安堵させてくれるように。
拭えきれない緊張と不安も、彼が傍らにいてくれるのなら大丈夫。そう思えた。
だから、私は彼の手をしっかりと握り返す。決してくじけるまい、諦めるまい、と彼に微笑顔を返しながら。
そうして私達は、一路――崩壊した城へと歩を向けたのだった。




