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第15話 幻影がもたらしたもの

 城の大回廊を通り抜け、密やかに設けられた細い回廊を抜けた先の塔に向かう。その塔の中にある一室が、叔母に与えられた軟禁場所なのだ。

 レオンの先導でここを訪れた私とエドワードは、厳重な警備を通り過ぎて足を踏み入れた。

 華美とは言えないまでも整えられた内装や調度品とは裏腹に、窓には格子状の鉄柵が打ちつけられている。

 その窓辺に、叔母は気怠げに佇んでいた。伯爵邸で私が着用していたような質素なロングワンピース姿が、より一層のこと疲れ果てた感を漂わせている。

 それでも彼女は、窓の外を眺めたまま冷たい微笑みを漏らした。


「何しに来たの? わざわざ王太子が足を運ぶなんて――しかも、その娘と一緒に?」

「口を慎みなさい。王太子殿下に対してあまりにも不敬な物言いですよ」


 レオンがたしなめると、叔母は苦笑めいたものを唇からこぼした。

 エドワードは衛士達に一旦退出するように命ずる。扉が静かに閉じられる音を確認して、彼は叔母へ厳しい視線を向けた。

 その視線を感じ取ったのか、叔母はようやく私達のほうへ顔を向ける。酷くやつれたように感じられる相貌に、私達を小馬鹿にするような皮肉な微笑みをたたえて。


「フフッ、いったい何事かしらね。……あぁ、私への沙汰が決まったの?」

「国王陛下よりの正式な通達を待つがよい。今日、ここへ来たのは、そなたに訊きたいことがあるというアンジェラ嬢の申し立てあってのことだ」

「……ふぅん、そう」


 叔母の顔から、スッと表情が消えた。私を見やるまなざしは虚ろで、叔母は再び窓の外へと顔を向けてしまう。

 私は意を決し、一歩踏み出した。


「叔母様、教えて下さい。あなたが伯父上と呼んでいた闇煙は、いったい何者なのですか?」

「……そのままの意味よ。私とイーディス姉様の伯父にあたる御方――ドゥーガル様。お前の祖父だった妖精王の兄上ね」

「そんな……。実の弟と姪を手にかけた……!?」

「仕方ないじゃない? 伯父上のほうが強かっただけのこと。父上も姉様も弱かったのよ。――フフッ、何が妖精王よ! 何が跡を継ぐ者よ! 私を蔑ろにした二人の自業自得だわ、伯父上に滅せられて。フフフッ」


 叔母は肩を震わせて冷笑した。

 その信じられない光景に、すぐ背後でエドワードとレオンが息を呑む。私自身も震えが止まらず、眦から涙が滲んでしまった。

 私は叔母の目の前まで駆け寄り、両腕を掴む。涙で視界が滲むまま叔母を見つめた。


「酷い……! 二人とも必死で守ろうとしてくれたわ! 叔母様も一緒にいたのだから、知ってるはずなのに!」

「……だから、何? 父上も、イーディス姉様も、私を侮っていたんだわ。私を軽んじていた者達が次々と伯父上の前に滅されたのを見られて、ただただ喜ばしかったわよ!」

「叔母様……!」

「うるさいわね! お黙り!!」


 瞬間、私は叔母から乱暴に振り払われ、頬に鋭い痛みを覚える。叔母の爪が、細い一閃となって頬を掠めたのだ。うっすらとだが、頬に鮮血が伝った。


「――痛っ」

「そなた、よくも……!」


 体勢を崩した私を、エドワードが素早く片腕で受け止める。

 もう一方の腕で、咄嗟に鞘から抜いた剣を構え持った。鋭い切っ先が、叔母の眼前に突きつけられる。

 叔母は指先を押さえるようにして数歩後ずさった。

 押さえている手の間からは、スーッと鮮血が伝う。エドワードが抜いた剣先が、叔母の指先に触れたのだろう。

 それに構うこと無く、彼は刃のような鋭い瞳を叔母に向けた。


「アンジェラは今、王家が保護する者だ。この期に及んで、王家に対する罪を重ねるつもりか!」

「重ねても重ねなくても、どうせ私は死罪だわ。そうでしょう?」

「私は、そなたのへ沙汰を伝えに来たのではない」

「……ずいぶん悠長ね。私に死を命じる前に、伯父上に滅ぼされるわよ?」


 エドワードはさらに表情を険しくさせるが、さほどの間を置くことなく剣を腰もとの鞘へしまった。

 その合間に、私はレオンからハンカチを渡される。

 だが、そのハンカチを頬にあてようとする間際に、私達の耳もとに歌が聴こえたのだ。それは、まるで二人の血に呼応したかのように、母と祖父の二つの歌声が重なるように響く。微かだが、確かに。

 私達は顔を見合わせ、周囲に浮かび上がる幻の光景を見やった。

 呆然と立ち尽くす叔母は、懐疑と不信を綯い交ぜにして私を睨みつける。


「……何よ、これ。……お前の仕業なの?」

「私ではありません。叔母様にも、おわかりにならないことなのですか?」

「私? ……私にはもう、魔法なんてこれっぽっちも宿ってないのに? 伯父上が私の身から魔法の力を根こそぎ消し去ったのに?」


 刹那、叔母は痛恨極まりない辛そうな面持ちとなり、室内に繰り広げられる幻影を見留めた。

 私と同年齢くらいの母と叔母が映し出される。


《イーディス姉様、本当にそう思う? 笑わない? 変じゃない?》

《えぇ、もちろん! だって、あなたが作る木彫りの人形は、あなたの魔法で生きてるみたいに動くし、喋ってくれるのだもの。この赤ん坊も愛らしいこと! ステラと名付けたのよね? こうして抱き上げていると癒やされるわ。ホッとする!》

《ほんと!? 嬉しい……! 私は父上や姉様みたいに癒しの歌を歌えなくて、こんな弱い魔法しか使えない……から》

《サマンサ……》


 母はステラと名付けられたらしい木彫人形を叔母に返すと、慈しむように叔母を優しく抱き締めた。赤ん坊の木彫人形を抱き締めて俯いてしまった叔母を。

 その光景はすぐに別のものへと切り替わる。婚礼衣装であろう装束をまとった若き父と母が浮かび上がってきた。


《お前達にはすまないと思っているのだよ。だが、イーディスには私の世継ぎのままでいてもらわねばならぬ》

《どうか父上の御心のままに。モーリスにも了承してもらっているのだから。ね?》

《私は君とともにあれるのなら、それでいい。光の守護者として、どれだけ君に応えられるか――未知数であってもね。……ですから、義父上も安堵されますよう》

《光の守護者よ、どうかイーディスを頼む。お前達に全てを負わすことなきよう、私の御代が永く続くことを願うているが。なれど、万が一あらば、その折には。サマンサには、この責務を負わせられぬ――あまりに重い故な》

《そうね、父上。サマンサは優しい子……あの子の魔法は優しすぎるもの。自分の伯父上と戦い、討ち封じねばならない重荷は似合わない》

《そうだな。そのぶん、お前には重く辛い役目を負わせることになるが……》

《私は大丈夫。だって、父上の御代は永く続くのでしょう?》

《あぁ、そうあらねばな。……ただ、郷の地底深くに存在する懸念は拭えぬ。お前達の母が喪われた後であったが故に。光の守護者を喪ったまま成した封印に、どれだけの効力があろうか》

《義父上、光の守護者がともにあらねば……悪しき者の封印は不完全なものになってしまうのでしょうか? あなたの癒しの歌をもってしても?》

《……わからぬのだよ。兄上ほどの強者が邪悪に染まるなど、全く予期せぬことであったからな。しかも、私は光の守護者を……妻を喪っていた。そんな状況で兄上を封じねばならず……。ありえぬことばかりでな、この先どうなるのか――測りかねておるのだ》


 そうしてさらに、新たな別の光景が浮き上がってくる。王の間で言い争う姿が。


《何故よ!? イーディス姉様は人間の王国で生きていくのでしょう? それなら、父上の後継者は私になるのではないの!? どうして、姉様のままなの!?》

《サマンサ、それはな……》

《私の魔法が弱いせい!? 父上や姉様みたいに癒しの歌を歌えないから! 母上のような光の守護者でもない! 卑小な魔法しか使えない私は役立たずだから……っ》

《やめよ、サマンサ!!》

《だって、父上はイーディス姉様を世継ぎにしたままじゃないの! 何故、郷にずっといる私が父上を継ぐ者になれないの!?》

《万が一のことを考え抜いてのことだ。あの子には、その覚悟がある――いや、覚悟を強いさせてしまったのだ。だからこそ、優しき魔法を扱えるお前には、あの子の支えになってやってほしい。お前の魔法は優しく温かい……》

《何が優しき魔法よ!! 覚悟!? 支え!? 結局、私は妖精王になる器じゃないってことじゃない!! ずっとそう言われ続けるの!?》

《誰が!? 誰がそのような馬鹿げたことを申しておるのだ!?》

《伯父上……っ。い、いえ、あの――伯父上だって、強大な魔法を使えるのに妖精王の器じゃないって判断されたのでしょう? だ、だから…っ。父上も姉様も、本当はそう思ってるんでしょう!? もういいわ!!》

《サマンサ、待て! お前、どうして今になって兄上のことなど……!? 待つのだ!!》


 走馬灯のように次々と別の光景が浮き上がっては消え去る。最後に浮かび上がったのは、この直後の光景だろうか。

 王の間には、幼い少女が取り残されていた。叔母が駆け去る時に振り払われたのかどうか、転んだように座り込んでいる。

 郷を訪れたらしい母は抱いていた赤ん坊の私を父にそっと託して、少女のもとまで急ぎ歩み寄った。


《大丈夫、ステラ?》

《水、無イカラ大丈夫。水、濡レルト大丈夫ジャナイ。私、腐ル――オ母様ガ言ッテタ。ダカラ、今ノすてらハ大丈夫》

《イーディス、ステラとアンジェラは私が見ていよう。君は、義父上と少し話をするといいよ》

《ありがとう、モーリス》

《さぁ、ステラ。私とアンジェラと一緒に、サマンサを探しに行こうか》

《さまんさハ、オ母様ノコトネ。あんじぇらハ、何?》

《アンジェラはね、私とイーディスの娘だよ。君とは従姉妹になるね。アンジェラがもう少し大きくなったら、姉妹のように仲良くしてくれると嬉しいな》


 父は赤ん坊の私を抱き、幼いステラと手を繋いで退出していった。それを見送り、母は感慨深そうに微笑む。


《……ねぇ、父上。今のステラはニ、三歳くらいの幼子に見えるわ。姿の変化は妖精や人間の成長よりもかなりゆっくりだけど、サマンサを母と慕ってて愛らしいこと! 木彫人形への優しい想いがあればこそ、あの子はこんなにも素敵な育成魔法を使えるのね》

《だがな、サマンサは気づいておらぬ。お前や私――あるいは、兄上のような強き魔法が全てだと思っているようだ》

《伯父上ですって!? あの御方の魔法は確かにとても強かったけれど、あまりにも邪悪すぎたわ。あれは、あの子の優しい魔法とは全然違うものなのに……》


 ――それは、母と祖父が心底から叔母を慈しみ、愛し、大切に想っていたことがわかる光景だった。

 次の瞬間、不意にガタッと床が鳴る音が響いた。全ての幻影は消え去ってしまう。

 私達が振り向くと、顔面蒼白となった叔母が崩れ落ちるようにしゃがみ込んでいた。


「……何、なの? 知らな……い……。こんなの……っ」

「叔母様……」

「どうして……? 父上……。姉様……。今になって、こんな……っ……」


 叔母は嗚咽混じりに慟哭する。幻影によって、彼女が知らなかった母と祖父の愛情を知り、心の奥底で何かが瓦解していったのだろう。

 代わりに、叔母の心に生じたものは――。おそらく、深い悲しみ。そうして、尽き果てることのない悔恨。

 私はふらりと叔母のもとへ歩み寄った。両膝をつき、叔母をそっと優しく抱き締める。

 瞬間、叔母の嗚咽が止まった。

 私は、母から教えてもらった癒しの歌を口ずさんでいた。それこそが、今の叔母に届く言葉であるように思えたからだ。ただひたすらに、叔母の心へ届くように……と祈りながら。

 やがて、叔母は静かに私を我が身から引き剥がした。その表情に母のような優しさはないものの、それなのに、どこか母の何か……言葉にできない何かに似ているような気がした。

 叔母は苦い微笑みを浮かべると、ゆらりと立ち上がり窓辺に佇む。私を見ようとしない横顔には、深い静けさだけがあった。


「……お前が本当に訊きたかったことは、何? 伯父上が何者か――だけを尋ねに来たわけではないのでしょう?」

「――はい、叔母様」

「何を訊きたいの? 言ってごらん……聞いてあげるわ」


 私は両の手を胸もとで合わせ、叔母の横顔をまっすぐに見つめた。


「あなたが伯父上と呼ぶ闇煙の居場所を。そこへ行くための方法を。教えて下さい……私に」

「…………っ」

「私がせねばならぬことがあります。あの悪しき存在を完全に封じねばなりません」

「……それ、本気なの? 伯父上の魔法が凄まじく強大なことは――その片鱗は、お前も味わったでしょうに」


 叔母は深い吐息をついた。

 だが、私は退くわけにはいかない。エドワードがいつか統べる国で、妖精の郷が滅び去った光景を再現させたくはないのだ。


「叔母様、それでも私は闇煙のもとへ行きます。今度こそ、あの悪しき存在を完全に封じてみせます!」

「大きく出たものね。あの伯父上を完全に封印することは無理だったのに。……父上さえも。……イーディス姉様さえもよ?」

「でも、だからこそ、私は行かねばなりません。お祖父様やお母様が命懸けで守ろうとした想いは、決して無駄ではなかった。そう――思うから。今、私はそう思えるから」

「こうして生きているのだものね……お前は。イーディス姉様とモーリス義兄様が命を引き換えにしても守った……」


 叔母は遠くを見つめるように瞳を細めた。やがて、万感の思いを込めたまなざしを伏せ、静かに語り始める。


「妖精の郷へ行くことね。かつて、お前がモーリス義兄様と落ち延びた伯爵領の森から行けるわ。魔道士達の総力にお前の歌声が重なれば、もしかしたら大鏡は郷へと繋がる……たぶんね」

「……はい、叔母様」

「伯父上はね、地底の奥深い処に封じられていたの。郷の城には、そこに繋がる階段があったはずだわ。お前が完全に伯父上を封じたいなら、あの闇煙だけでは駄目よ。あれは伯父上の思念にすぎない――伯父上の身ごと完全に封じるしかないわ。……これでいい? 話しすぎて疲れたわ。私は休みたいの」


 それだけ告げると、叔母は部屋の隅の天蓋付きベッドへ向かう。私を見やることもなく、カーテンを引いて叔母の姿は全く見えなくなった。

 ただ立ち尽くす私に、エドワードが気遣わしそうに声をかけてくれた。


「……行こうか、アンジェラ」

「――はい」


 扉の外へと踏み出す前に、それでも私は、室内へと振り返った。カーテンが引かれたままのベッドへと向き直る。

 私は深々とお辞儀をした。ただ一つ、ただ一言に全ての想いを込めて。


「叔母様、お会いして下さり――ありがとうございました」

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