第14話 願いと誓い
程なくして、国王は厳かに全ての閉幕を告げた。それをもって、舞踏会の幕が下り、聴聞の場も閉じられた。
その後、国王のもとで、叔母に関する沙汰は速やかに進められた。
叔母からは、伯爵夫人という地位は剥奪されることになった。もちろん、それだけに収まるような罪状ではない。そのため、最終な裁可が下されるまでの間は城内の一角――通常は使われることもない塔の一室に軟禁されていた。
私は……といえば、舞踏会以降はずっと王家に保護されている。賓客のために使われるという格式の高い一室を与えられ、さしあたっての平穏な日々を送ることを許された。
ただ、王国全土に目を向ければ、異様な事態がそこかしこで起こるようになっていたのだ。即座に王国が瓦解するようなものではないが、あまりにも不穏な兆しが生じていた。
大地が妖しく蠢くことが起こるようになった。日に一度どころか、やがて日に何度も。
天候は荒れ模様が多くなった。晴れの日は失われ、どんよりとした曇り空か雨が降るかの日々。しかも、嵐のように荒れることさえ稀ではない。
大地に根付く樹々や草花は明らかに枯れ始めていた。収穫時期だった作物も例外ではない。
あまりの急変は異常事態であり、単なる自然事象ではないと誰もが感じていた。
実際、国王は直ちに王家管轄の魔道士達を王国全土に派遣したのだ。――悪しき魔法が関わっているのではないかと。
王都はもとより、そこから近しいところから次々と報告が入ってくる。やはり、原因は悪しき魔法であるとの見立てばかりだった。
そうして、舞踏会から十日ほど過ぎた頃。
いつになく厳しい面持ちのエドワードがレオンとともに、私に与えられた部屋を訪れていた。
「え……? 叔母様……死罪!?」
「それが妥当であろうとの沙汰が下されようとしている。私も、そう――思う。でもね、君には正式通達の前に伝えておくべきだと思い、父上の許可も得てから来たよ」
「エドワード様、でも……! あの……っ」
思わずソファから立ち上がったまま、私は言い淀んでしまう。
テーブル越しのソファに腰掛けたエドワードは、凛然とした面持ちだったからだ。王太子としての厳しさを感じて、臆してしまった。
もちろん、王家に対する不遜な罪を成そうとした者への裁きとして、当然のものだとわかる。
それなのに、私は立ち尽くしたままドレスの裾を握り締めた。知らず知らずに動揺してしまい、鼓動は早まるばかりだ。
エドワードは一瞬、私を気遣うように瞳を細めた。が、小さな嘆息をつき、すぐ後方に控えるレオンをちらりと見やった。
レオンは手にしていた書類の束を紐解き、叔母に関する罪状と国王から下されるであろう沙汰について告げる。今の彼もまた、エドワードと同様に冷静で事務的な対応だった。
彼ら二人ともに、これまで私に向けてくれた表情でも態度でもない。それだけ、叔母が長年に渡って画策していたことは重大な罪であり、看過できないものであったのだ。
それはわかっている。叔母の罪状と王家による裁可に過不足はない。当たり前の沙汰が下されようとしていると思う。
私は静かに腰を下ろした。膝の上でドレスを掴み締めていることには変わりないが。
脳裏には、父母の姿が浮かんでいた。
父の再婚相手が叔母である。父がその選択をしたのは、いずれ落命するであろう自らの運命を察したからだった。残される幼い私を思い遣ってのことだ。
また、母の実の妹が叔母である。母が叔母の真意を知ることはなかったのだろう――故にこそ、叔母に幼い私と父の無事な脱出を託したのである。
そして――消滅していった義姉の母でもある。義姉という人形を創り出して娘として育てたのは、他ならぬ叔母であったのだから。
父も母も亡くなってしまった。義姉も消え去ってしまった。
どういう経緯であれ、一緒に暮らしていた頃のことがどうであれ、幼い頃から私とともに過ごしていた人達はもう……叔母以外はもう、この世にいない。
近しい身内は、もう叔母しか残されていなかった。
あらためてそう自覚したせいか。――生きていてほしい、とわけもなく願う自分がいた。
「……叔母への裁可は、私も妥当だと思います。でも……。ですが、私は……」
私はグッと唇を引き結び、瞳を閉じた。さらに強くドレスを握り締める。
不意に泣いてしまいそうになったから。叔母との日々を思えば、馬鹿げていると思うのに。甘いとも思えるのに。――けれど。
私はまた、置いていかれることになるのだと。また、喪ってしまうのだと。そんな想いが込み上げる。
叔母に優しくされたわけじゃない。叔母が伯爵夫人として伯爵邸で暮らすようになってからの歳月は、伯爵令嬢として相応しいとは思えない日々を強いられた時間でもあったのに。
それなのに、聴聞の場で見せた叔母の、絶望的な姿を思い返すたびに胸が痛むのだ。必死にすがりつこうとする姿が、とても。何だかとても……。
あれはいったい何だったのだろう。哀れと言えば哀れで。けれど、それ以上に、まるで幼子が懸命に助けを求めるような姿にも見えて、思い返すたびに胸が詰まる。
あぁ、そうだ。
あの不気味で禍々しい闇煙――叔母が伯父上と呼んでいた者に、叔母は必死ですがろうとしていたのだ。あんなにも不穏で邪悪な気配を漂わせる、悪意の塊のような不吉な存在に。
その瞬間、城内が不規則に揺らめいた。
大地の底から突き上げてくるような地響きが轟く。同時に、激しい土砂降りの雨が降り出し、突風に煽られた雨粒が大窓に叩きつけられた。
この一週間、時折に生じる不気味な天候異変の一つだ。
カーテンが大きく乱雑に揺らめいた。テーブル上のティーカップからは、湯気の立つお茶がこぼれてテーブルに広がる。ティーポットは倒れて中身が全て溢れ、暖炉上の花瓶も床へと叩きつけられてしまった。
「アンジェラ!!」
「エドワード様……!」
私はエドワードが覆いかぶさるようにして守られた。彼がテーブル越しに飛び出してくれたのだ。
そんな私達二人をさらに覆い庇うように、レオンが駆け寄る。
土砂降りの激しい風雨は続いたままだが、大地からの不穏な揺らぎは間もなく収まった。雨粒が乱雑に大窓に叩きつける音だけが、室内に不気味に響く。
それでも、私達はひとまず安堵の一息をついた。
「御二人とも、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫だ。アンジェラは? 痛むところはないか?」
「はい、大丈夫です。……でも」
私は、大窓のほうへ顔を向けた。ここ一週間ほどであっという間に増えた天候不順の異様さに表情を曇らせてしまう。
悪しき魔法が原因だというのならば、その元凶はやはり、叔母の身から這い出てきたような闇煙しか考えられない。
我知らずと私はキュッと胸もとで両の手を握り締めた。私を抱き留めてくれているエドワードへ振り返る。
「お願いです。叔母様に会わせてほしいのです。国王陛下のお許しをいただけませんか?」
「……何のために会いたい? 相応の理由が無くば、父上は許可されないと思うが」
「叔母様にお尋ねしたいのです――あの闇煙の居場所を。叔母様ならご存知ではないかと思うのです。だから……」
「なるほどな。……しかし、君が直接会わずともよいのでは?」
「駄目です! ……あ」
思わず強く反論してしまった。気まずくて、咄嗟に俯いてしまう。彼から顔を背けるようにして。
だから、気づかなかった。エドワードが束の間、瞳を丸くしたのも、すぐに私の意を見定めるように瞳を細めたのも。
でも、いずれにせよ、私が会わねば意味がない。
何故なら、私は母の娘だから。妖精王の後継者だった母の血を引く者で、母がそうであったように癒しの歌を紡ぎ出せる者だから。
かつて、母が命を懸けて封じようとしたあの闇煙を――封じねばならない。今度こそ、完全に。
何故ならば、あの闇煙は妖精の郷を滅ぼしただけではなく、王国にも悪しき魔法を突きつけ始めたからだ。――エドワードが生きる王国に。いずれ彼が統べることになる王国に。
だから、私の気持ちは定まっている。自分がせねばならないことも、ちゃんとわかっていた。今は、はっきりと。
故に、私はまっすぐに眼前のエドワードを見つめた。
彼の瞳は静寂さをたたえる。いや、私の瞳の――心の内にある気持ちを見定めようとするかのような、凛とした意を忍ばせた静けさだ。
一瞬、私は息を呑んだ。……けれど。
「あ、の……お願いです。私……じゃないと駄目なんです。きっと、私がせねばならないこと……だから」
「……あの黒煙を討つことを?」
「は、はい……! あ、いえ、封じるのです。妖精の郷の奥深い処への封印が必要……っ、あ!? いえ、あの……っ」
「そうか、封印――すればよいのだな」
「エドワード様!!」
私は慌てて何かを言おうとしたが、口をついて出てきたのは彼の名だった。
彼は、ただ真摯なまなざしを私に向けている。だが、同時に、軽く手をあげてレオンに命じた。
「父上と母上のご無事を確認してからで良い――アンジェラがかの者と会う許可を申し出てきてくれないか。理由はそうだな……此度の異変を解消するためには、かの者の助言が必要と思われる、とな」
「御意、エドワード殿下」
レオンは恭しく一礼すると、足早にこの部屋を退出した。国王と王妃のもとへ急ぎ向かう靴音が遠ざかっていく。
その靴音が大窓を打ち叩く激しい雨音に紛れて聞こえなくなると、エドワードは軽く一息入れた。
「さて、レオンが戻って来るまでの間、少し話をしようか」
「……は、はい。あの、でも、その……っ」
「――アンジェラ」
あくまでもエドワードは落ち着いた物腰だった。焦る心地の私とは対照的である。
私を見上げる瞳も穏やかで、ほのかな微笑みさえたたえている。でも、どこか複雑な感情を秘めているように思えた。
そこはかとなく苛立ちめいたものが、彼の表情の下に隠されているような。
そう感じてしまうのは、私の気のせいなのか。それとも、気のせいではないのか。
ただ、緊張感のようなものだけが強まり、さらにギュッとドレスを握り締めてしまった。
その手に、不意にエドワードの手が重ねられる。ビクッと身じろいだのが、彼にも伝わっただろう。
彼はそのままそっと私の手を掴んだ。
伝わる温もりのままに、穏やかな声音が私の耳に届く。優しく、けれど、どこか諭すようでもある彼の声が。
「君があの闇煙を封じるつもり――ということは理解したよ。確かに、あの闇煙は何とかせねばならないからね。だが、それならば、君は私に言わねばならないことがあるだろう?」
「……ない、です。ありませ……ん」
「そうか……。ならば、言え――と命じようか? 私はそれができる立場にあるからね。そうすれば、強制的に無理矢理にでも、君は私に言わねばならなくなる」
「エドワード様、それは……!」
「うん、私もそれはしたくないな。……だから、言ってほしい」
何だか泣いてしまいそうになる。
エドワードが決して声を荒げなかったからだろうか。厳しいことを言われているのに、それなのに、彼の声音は優しくて切ない。私を包むような温もりが伝わってくるのだ。
でも、だから、私は頭を振るしかない。彼を見つめることもできなくて、瞳をきつく閉じた。
「言えません。……言えるわけないでしょう。あなたは王太子です。この王国を支える大切な御方――失うわけにはいかない存在の御方なのに」
「それは重々承知しているよ、私自身に与えられた――果たすべき役割であり責務だから。でも、だからこそ今、言ってほしい」
「……言えない。きっと危険なことだから。危ういことが待ってると思うから」
「それでも、言ってほしいんだ。言ってくれ、アンジェラ」
「ううん、駄目よ。……私は、お母様じゃない。お祖父様のような妖精王じゃない。自分が成さねばならないことを自覚して、覚悟して、ずっと生きてきたのでもないわ。だから、どうなるのか……本当に何もわからない。それなのにどうして……!」
言えるのだろう、エドワードに。喉もとにまでせり上がってきている想い――願いを、どうして言えるというのか。
彼に掴まれたままの手を、痛いくらいに握り締める。その手が微かに震えていたのは、彼には伝わっていたのだろう。
刹那、ふわりと。
私は彼に包まれるように抱き締められた。耳もと近くで優しく告げられたのだ。
「大丈夫だ。アンジェラのことは、私が助けるから。絶対に守る――守ってみせる!」
『大丈夫だよ。アンジェラのことは、僕が助けるから。絶対に守るよ!』
懐かしく、決して忘れることのなかった幼い日の彼の言葉が――声が重なった。たった今、私に告げてくれた彼の毅然とした真摯な言葉――声に、ぴたりと。
あぁ、と私は彼に抱き締められたまま、彼の温もりを間近に感じながら、瞳を開いた。
開いた瞳からぽたぽたと涙が溢れてくる。自分がこんなにも泣き虫だっただろうか、と思うくらいに。
「あなたの……言葉、ずっと覚えてた。あの時にした約束も、ずっと……。でも、でもね、今は……もう指切り、できない……。だって、あなたは……っ……」
「指切りできないなら、それでいい。でも、だから、言ってほしい。それでいい。それだけでいいんだ」
「でも、エドワード様……」
「アンジェラ、言ってくれ。私を信じて、言ってほしい」
エドワードの声に、言葉に、切なさが色濃くなった。ただひたすら、ただ一途に、私からの言葉を――私の心にある願いを請い求めているのがわかる。
私は、それでも堪らえようと思った。言ってはいけない、と。求めてはいけない、願ってはいけない、と。
でも、もうせき止められない。溢れて止まらない涙の如く、ただ願い――ただ求めるものを口にしてしまった。
「私と一緒に来て下さい……あの闇煙を封じるために。今度こそ、完全に封印するためにどうか一緒に……! 一緒にいてほしい――あなたに!」
「それを聞きたかったんだ。一緒に行くよ、君と。君のそばにいる、いつも。だから、ともにあの邪悪な闇煙を封じよう――必ず」
「……はい。はい、必ず……!」
私はひとしきり泣きじゃくった。そんな私を彼はただ優しく抱き締めてくれたのだ。
どれだけそうしていたのだろうか。
気がつけば、大窓へと叩きつけるような土砂降りの雨と荒れた風はやんでいた。ただ、陽射しは相変わらず差すことはなく、どんよりとした雲が大空に満ちているのだが。
程なくして、レオンが戻ってきた。恭しくお辞儀をして、彼は告げる。
「国王陛下、並びに、王妃陛下におかれましては、ご無事でございます。エドワード殿下、並びに、アンジェラ嬢のご無事もお知らせしましたが、安堵されておりました」
「それはよかった。――それで、もう一つの件は?」
「はい、殿下。陛下は、アンジェラ嬢がかの者に会うことをお許しになられました。この王国にもたらされし災いを滅するためであるならば、と」
「よし、上々だな」
レオンからの報告に、エドワードは即座に立ち上がった。ソファに腰下ろす私へスッと手を差し伸べる。
「では、行こうか」
「はい、エドワード様」
私はエドワードの手を取り、ソファから立ち上がった。
彼に手を取られた私は、レオンの先導によって軟禁されている叔母のもとへ向かったのである。




