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第13話 虹色の木の実

 ただ虚ろに紡ぎ出される叔母の言葉に動揺と反発を覚えながらも、私はレオンのもとへ駆け寄ろうとした。

 しかし、直前までのしかかっていた闇煙からの禍々しい調べによる疲弊感で、よろけてしまいそうになる。

 そのたびにエドワードが支えてくれた。彼もまた酷く疲労しているだろうに、それでも、私を抱く腕の温もりは力強い。


「アンジェラ、大丈夫か?」

「はい……っ」


 頷く私に、彼もまた頷き返してくれた。

 私を抱き支えつつ、すぐ後方の衛士達へ鋭いまなざしを向ける。叔母を捕らえている衛士達だ。


「サマンサ伯爵夫人を速やかに連行せよ。国王陛下より正式な沙汰があるまで、別室にて厳重な監視下におくのだ」

「ははっ」

「……フフ、もう駄目よ。伯父上に勝るなんて無理だもの。アレだってお人形さん――魂無き者なんだから。もう終わり……何もかも無駄。全部ぜーんぶ、もうお終いよ。……フフフッ」


 叔母は力なく微笑っていた。

 衛士達に囲まれ、後ろ手で捕らえられたまま連行されても。天井付近を見やったまま、虚ろな笑い声を響かせるだけであった。

 私はキュッと唇を引き結ぶ。

 耳もとに残された叔母の言葉が、胸を締め付けた。いや、心臓が軋むほどの痛みだった。

 その理由は、私の視界に飛び込んできた光景を前にすれば、明らかだ。


「ステラ義姉……様……? そんな……っ」

「これは、さきほどの……」


 エドワードの呆然とした呟きに、私の脳裏には霧散して果てた召使達の姿がよぎる。眼前の光景と、消え失せていった彼らの姿がくっきりと交錯した。

 レオンに抱き支えられた義姉の姿を前に、私は思わずしゃがみ込んでしまう。ガクリと力が抜けそうになった私を、エドワードが背後から支えてくれたが。

 ふわりと広がる私のドレスの端が、力なく無造作に伸ばされた手に触れる。

 ――いや、手であったもの、か。義姉がまとう華やかなドレスの袖口から見える腕は、まるで木彫人形のようであった。

 しかも、その指先辺りからサラサラと霧散し始めていた。少しずつ、緩やかに。でも、徐々に、確実に。

 私はまばたき一つできなかった。自らの瞳に映る光景が、義姉の姿が、あまりにも……。

 ただ、知らず知らずに視界が滲むのを自覚する。

 しかし、滲みゆく視界の中で唯一、義姉の身をしっかりと、且つ、優しく抱き支えるレオンの姿だけははっきりと見えるような気がした。不思議なことに、何故か。

 もしかしたら、義姉はドレスに隠れた足先から霧散し始めたのかもしれない。――召使達が消失し始めた時に、少しずつ。

 脱げてしまったのかどうか、義姉が履いていた靴だけがドレスの裾から垣間見えたのだ。もっとも、その靴さえも霧散してしまったのだが。

 いずれにせよ、体勢を崩して倒れ込みそうになった義姉を、レオンが咄嗟に抱き留めてくれたのだ。おそらくきっと。

 微かに震える彼の手が、義姉の頬に触れた。

 そんな彼の手に、義姉の手が弱々しく重なる。艶やかで滑らかな肌が嘘であったかのように、指先まで木彫人形と化していた。しかも、それさえもポロポロと霧散しつつあるのだ。


「……レオン様、あなたはまた、私を助けてくれたのね。フフ……この身が砕け散らずに済んだわ」

「それは……幸いなことでした、ステラ嬢」

「あなた、不思議な御方ね。さすがに……今の私は怖くないのかしら?」

「――今更でしょう? と、先ほど、夜更けの小広間でも言ったはずです。もう、お忘れですか? こうして触れているあなたが、あなたであることには変わりないのですよ……私にはね」


 レオンは事も無げに応える。

 けれど、義姉を見つめる瞳は、その瞬間、切なさをたたえた。彼女を抱く腕に、優しくも――グッと力が込められたのだ。

 そのせいか、あるいは、それら全てのせいなのか、義姉は瞳を大きく揺るがせる。レオンを映す瞳はひときわに見開かれ、戸惑うような感を漂わせた。

 悲しく、切なく。でも、ホッとしたような、泣きたくなるくらいの温もりに救われたような感覚が、私の胸の奥にまでじんわりと伝わる。心の琴線に、直接触れたような気がした。

 これはきっと、義姉の想いだ。――それは直感だった。理由なんてわからないけれど。

 でも、その瞬間、癒しの歌の調べが胸の内に湧き上がった。私が感じた想いを包み込むかのように。

 あぁ、と。気がつけば、ドレスに触れていた義姉の手――今ではもう木彫人形の如き手を、私は両の手でそっと包み込んでいた。


「ステラ義姉様……」

「……アン……ジェラ……?」


 ビクッと義姉が身を強張らせたのが伝わってくる。

 私へと顔を向けた彼女の瞳には、私への恐れのようなものがあった。

 けれど、私はやんわりと頭を振る。大丈夫だから、と。ともすれば涙が滲みそうになるのを堪えて、微笑みを向けながら。

 それに安心したのか、あるいは、私が知らず知らずに紡ぎ始めた歌を聴き留めたからなのか、彼女の表情がスゥーッと和らいでいく。

 そう、私は歌を口ずさんでいた。母から教わった歌を。ごく自然に、意識するよりも早く。

 私を見やる彼女のまなざしは凪いでいた。綺麗な硝子玉のような瞳は、微かにひび割れを起こし始めていたけれど。


「アンジェラ――あなたの歌声は、私にはとても怖かった。……お母様やあの御方から引き剥がされていくようで。けれどね、あなたの歌を聴いていると、レオン様のことを考えることができるの。レオン様を想う私でいられたのだわ。不思議でしょう? でも、とても――。とても……どう言えばいいのかしら。わからないわ……」

「幸せ――だと思えたのよ、ステラ義姉様。きっと、そうだわ。私がエドワード様を想う時……心に思い描く時ね、とても……そう感じるの」


 歌い終えた私は、義姉の手を優しく握ったまま微笑んだ。

 彼女の姿は、今の私の瞳には滲んで見える。でも、それ以上は滲まぬように、ただ微笑んで語りかけた。彼女の言葉に応えたかったのだ、どうしても。

 既に、義姉の身のほとんどは木彫人形と化していた。そこに生身の人間のようなたおやかさも温もりもない。

 ただ、その相貌だけは、まだ何とか今までの麗しさが残されていた。――それでも、はめ込まれた硝子玉のような瞳は、ひび割れが徐々に大きくなっていたのだが。

 けれど、義姉の表情には凪いだ微笑みが浮かぶ。霧散していく自らの手を胸の辺りに置いて、柔らかに微笑うのだ。


「あぁ、そうなのね。レオン様を想うのは、とても幸せなこと。この胸にあるのは幸せな気持ち……なのね。教えてくれてありがとう、アンジェラ」

「ステラ義姉様……」

「私、レオン様を想うことができて嬉しいわ。とても……幸せ。――でもね、アンジェラ。レオン様にはご迷惑かしら? 私はもう、こんな……だから」

「――迷惑ではない!! そんなわけがない……だろう……!」


 刹那、レオンは義姉を強く抱き締めようとした。

 だが、もはや――。

 彼はハッとする。今はもう、ただ、そっと包み支えるように義姉を抱くことしかできない。彼女の身は、そのほとんどが霧散しようとしていたからだ。

 まるで、霞か幻のように儚く消えゆく彼女を。ただ愛おしそうに抱くことしか……。


「ステラ嬢、私は……っ……」

「ありがとう、レオン様。私に、こんなにも幸せを感じられる心があるなんて……。レオン様、ありが……と……」


 義姉は幸せそうだった。

 完全にひび割れてしまった硝子玉の瞳は、ただ一途にレオンの姿を映し出していたのだから。

 その身が全て、余すところなく霧散し消え去ってしまうまで、ずっと。


「ステラ嬢!? ……ステラ! ステラ!!」


 レオンの悲痛な呼びかけが、大広間に響き渡った。普段の冷静で落ち着いた彼の姿からは想像できないほどの。

 貴族諸侯達は、ただ立ち尽くすのみだった。

 恐怖と驚愕が続けざまに押し寄せた彼らには、一言さえも発する余裕はない。まばたきすることさえ忘れたかのように、静まり返ったのである。

 私もまた、座り込んだまま立ち上がれずにいた。ドレスをギュッと握り締め、泣き出したい気持ちを必死で抑える。

 何故なら、一番辛いのは、私の滲んだ視界に映るレオンだから。

 彼は肩を震わせていた。義姉を抱き支えていた両の手を――その重みがなくなってしまった両の手を、きつく握り締めたまま。

 おそらくは、身の内を奔流する感情を、彼は懸命に耐えようとしていたのだろう。

 それなのに、私の視界はどんどん滲みが濃くなった。グッと握り締めた拳を微かに震わせるレオンの姿が、ぼやけてしまう。

 そんな私を、エドワードがそっと抱き締める。後ろからふわりと両の手を回してくれたのだ。

 瞬間、ポロポロと涙が溢れてきた。咄嗟に、彼の腕をギュッと掴む。

 それに応えてくれるかのように、彼は私を抱く腕にギュッと力を込めた。静かに、けれど、確かに。

 その腕の温もりに、しがみつくようにグッと彼の腕を掴んだ。


「私……っ……。助けられなかった……ステラ義姉様を。止められなかった……っ。ステラ姉様が消えていくのを、私は……!」

「そうだね、止めることはできなかった……君の歌でさえも。けれど、君はステラ嬢を救ったんだよ。君の歌は――歌声は、確かに彼女を光のもとへ導いたと思う」

「光……のもとへ?」

「そう、幼い頃の私が、君の歌声で君という光へ辿り着けたようにね。ステラ嬢もまた、彼女自身の光を見い出せたんだよ」


 エドワードはレオンのほうへ顔を向けた。その瞳に痛ましそうな、案ずるような色をたたえて。

 その身動ぎにつられるかのように、私もレオンを見つめる。

 彼は片膝をついたままだった。

 だが、ふと、レオンは握り締めていた自らの拳を訝しげに見やった。その手の中に、何か違和感を覚えたようだ。

 微かにまだ震えが残る拳を緩やかに開いた彼は、いつもは怜悧さをたたえる瞳を大きく見開いた。

 彼の手のひらには、胡桃ほどの大きさの、一粒の珠のようなものがあったのだ。

 虹色に煌めくそれは、宝石ほどの硬質さも、ただの石のような無機質さも感じられない。

 ただ、目を離せない。煌めく虹色が幻想的ながらも優しい光をまとっているからだろうか。胸の内に温もりを伝えてくるような、不思議な感覚を覚えるのだ。

 レオンはじっと、それを見つめていた。どこか切なく悲しげに、でも、どこか愛おしげに、そっと虹色の一粒に触れる。


「これは……何でしょうか? 何故か、ステラ嬢の姿が思い浮かぶのです――不思議なくらい強く、はっきりと」

「……彼女のもの、だと?」

「わかりません、殿下。しかし……」


 レオンが不思議そうに見せてくれた何かに、エドワードも首を傾げる。見慣れないというよりも、見たことのない珠のようなものだったからだろう。

 しかし、私は知っていた。

 おぼろげな幼い頃の記憶の中で見覚えのあったのだ。時折に、父母に連れられて訪れていた妖精の郷で、その美しい虹色に煌めく風景の中で、確かに見かけたことがある。

 エドワードとレオンの会話が耳に入る中、私は忽然と察したのだ。いや、悟ったのである。


「レオン様、それは木の実だと思います」

「アンジェラ嬢?」

「妖精の郷では、秋になると樹々が虹色の木の実をつけるのです。涼しい秋の風がそよぐと、木の実達は互いに触れ合い、軽やかで愛らしい音を奏でます。幼心にも、とても美しく、とても可愛らしい風景だったのを覚えているのです」

「妖精の郷に息づく樹々の実が、レオンに残された――ということか」

「はい、エドワード様。たぶん、ステラ義姉様は……。おそらく義姉様は……」


 義姉は妖精の郷に根付く樹々で作られた人形――だったのではなかろうか。

 彼女を作り出したのは、おそらく叔母だから。その叔母は魔法を扱える妖精の一人、妖精王の後継者たる母の妹だったのだから。

 そう推測するのが、はたして真実なのかどうかはわからない。

 けれど、樹木のようになりながら霧散していった義姉の名残りであるかのように、レオンの手には虹色の木の実が一粒残されたのである。

 レオンは手のひらの木の実を優しくそっと包むように、再びふわりと握った。その拳に愛おしそうに口づける。


「大切にせねばなりませんね、この木の実は。――アンジェラ嬢、これはあなたが成されたことですか? ……あなたの歌が贈って下さったのでしょうか?」

「いいえ。私の歌は、ステラ義姉様が自らに心が息づいていることを気づくきっかけになっただけです。この木の実が残されたのは、きっとレオン様の……」

「――私、ですか? 私は魔法など……。あなたのような歌声も持ち合わせてはおりませんよ」


 どこか辛そうな微笑みを浮かばせて、レオンは私を見つめる。

 でも、私はやんわりと頭を振った。木の実がレオンの手に残されたのは、魔法や癒しの歌が起こしたものではないから。


「私の歌ではなく、魔法でもありません。ステラ義姉様に誰かを想う心を――その幸せを贈ってくれたのは、レオン様……あなただと思うのです」

「ステラ嬢にとっては、お前が光だったんだ。レオン、お前こそがな」

「エドワード殿下、それは……」

「昔から、お前にはよく話していただろう? 幼い私が森で迷子になった時のことを。あの時、アンジェラの歌声は、暗闇から光ある処に導いてくれる一筋の光明だった。彼女に出会えた瞬間、まばゆい光に出会えたように感じられた――不思議なことにな。本当に不思議だが、そうとしか思えなかったよ。……ステラ嬢は、お前にそう感じたのだと思う」

「私が、彼女……の?」


 エドワードはレオンへ優しく頷き、私へ温かいまなざしを向けてくれた。

 レオンはエドワードと私を交互に見つめる。呆然と、いや、胸がいっぱいになったかのようなまなざしで、しばし。

 その瞳から、おそらくは我知らずと涙が一筋こぼれ落ちた。

 それを隠そうとしてか、身の内を駆け巡る感情を抑えようとしてか、レオンは木の実を包み握った拳を胸もとに添えて俯く。

 そうしてそのまま、恭しく頭を垂れたのだった。


「ありがとう……ございます」

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