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第12話 闇煙の出現

「御意、エドワード殿下」


 レオンはエドワードに恭しく一礼し、国王夫妻へ向き直った。改めて深く頭を垂れ、手にしていた分厚い報告書を開く。

 その一瞬、レオンがちらりと義姉を見やったのは気のせいだったのだろうか。束の間に二人の視線が交錯する。けれど、義姉は顔を背けるようにして瞳を伏せた。

 やがて、大広間には、レオンの声が静かに響き渡る。冷静極まりない声音が、恐るべき真実を告げ始めたのだ。


「こちらの報告書には、三年ほど前にお亡くなりになったウィンストン伯爵――モーリス殿の死因に関して、薬師と魔道士による検分結果が記されております。どちらの見立てにおいても、毒魔法の痕跡が残されているとのこと。尚、サマンサ伯爵夫人から王家への報告には、一切そのような記述は見当たらなかったことも追記しております」


 私は震える手で口もとを押さえた。貴族諸侯の間から、驚愕を綯い交ぜにしたざわめきが生じる中で。

 母と再会した時に告げられたことは、やはり本当だったのだ。こうして改めて調査結果として示され、震える我が身を抑えきれない。

 思い出せた幼い日の記憶が、今また脳裏をよぎった。痛みと切なさが入り混じるままに。

 父の腕に抱かれ、その温もりに守られていたあの時。それはまるで、母を喪った悲しみを癒してくれるかのように、私を包み込む光の温かさであったような気がする。

 あの時、父は最後の光魔法を使ったのだ。母を喪ったことで失われるであろう、己の身に宿っていた輝ける魔法の全てを。


『お前に向かおうとする悪しき魔法があらば全て、私に還る――私が受けよう。私に残されし光よ……光の魔法よ、全ての力を我が願いに捧げよ。私から消え去る前に……』


 父の優しい声が耳もとに蘇る。父の温もりと優しさ――それらが私を守ってくれたのだ。

 私は我が身をギュッと抱いた。父が己の命と引き換えにしても守ってきてくれた私自身を、丸ごと抱くかのように。涙が溢れ、震えが止まらないままに。

 そんな私を、エドワードが抱き寄せてくれた。


「すまない。君に黙って、勝手なことをした。だが、私は――」

「いいえ。いいえ、そんな……。ちゃんと調べて下さり、ありがとうございました。父が何故、命を落とさねばならなかったのか――真実が皆様にも伝わったことでしょう」


 私は止めきれない涙を拭いながら、エドワードを見つめる。彼の気遣わしげなまなざしが、私の辛い気持ちを慰めてくれた。

 その合間にも、レオンからの報告は続いており、大広間には次第にどよめきが深く広がり始めた。

 父が長らく療養していた先は伯爵邸ではない、というのが表向きの事情だった。亡き妻の故郷であるかなり遠方の地だと、王家にも報告されていたことだ。

 だが、転地療養を始めたという十年ほど前に、そのような遠方まで移動した馬車の記録が一切出てこなかったという。

 また同様に、三年ほど前に父が亡くなった折にも、遠方から伯爵邸に戻ったはずの馬車の記録が全く無いという。

 十年もの間、ウィンストン伯爵家から王家への諸連絡は、叔母を通してのものだった。――不思議なことに、叔母からの報告については、誰もが不審を抱くことがなかったのである。

 貴族諸侯の皆々は、あちらこちらで互いに顔を見合わせる。驚愕と困惑に満ちた気配はどんどん濃くなる一方だ。

 それに気づかぬはずもないレオンは、ただ淡々と調査結果を報告していった。


「……これらにつきましては、魔道士達より、何らかの暗示魔法が使われていたのではないかとの推測が上がっております。あくまで推測であり、確証なきことであると付記してあります。また先日、アンジェラ嬢が納屋に閉じ込められる出来事がありました。これにつきましては、非常に強力な封印魔法が使用されていたことも追記したしました。以上、詳細はこの一冊にまとめております。両陛下にも、お目を通していただけますよう――」

「侍従長、レオンから報告書を受け取るのだ。速やかに両陛下へお渡しせよ」


 エドワードが凛然として侍従長に命じる。

 侍従長はレオンから報告書を受け取ると、急いで国王と王妃のもとへ戻っていく。

 国王と王妃が報告書に目を通し始めた。その表情が次第に曇っていくにつれて、大広間に広がっていたざわめきは大きなうねりへと化す。

 彼らの視線は、自然と叔母のほうへ向けられた。叔母への疑問と疑惑、驚愕と不信感、それらが綯い交ぜになったまなざしが、次第に叔母へと注がれる。

 私に注目していたはずの好奇の目は、今や別の方向を向いたのだ。

 でも、私に安堵感はなかった。何故なのか、胸騒ぎにも似た落ち着かない心地なのだ。

 知らず知らずに、私はエドワードの胸もとにすがるように身を寄せていた。


「エドワード様……!」

「――あぁ、これでケリが付いたわけではないよ。たぶん、これが始まり……かもしれない。見えるかい、君にも?」

「え? あ……っ、叔母様!?」


 その瞬間、私は見た。いや、見えた。おそらくエドワードにも。

 叔母がわなわなと震える姿を。憤怒と苛立ちからのものであろう身震いを。

 そうして、叔母の身から滲み出るように見え隠れし始めた不気味な闇煙を。

 無意識にビクッと身を固くしてしまった私を、エドワードは守り庇うように片腕だけで抱き締める。

 もう一方の腕は、玉座へと差し広げられた。その瞳を、叔母へと向けたまま。


「魔道士達よ、国王陛下と王妃陛下を守護せよ! 衛士達よ、サマンサ伯爵夫人を取り押さえるのだ!」

「あ、あぁ、あぁぁぁぁぁ……っ!」


 刹那、叔母は喉を掻きむしるようにして怒り怒髪天の悲鳴を上げた。禍々しい闇煙を見え隠れさせながら、激しい憎悪を浮かべて私を睨みつける。


「嘘よ……こんなの全部、お前の作り話だわ! よくも……よくも!! 私にこんなにも恥をかかせるなんて!! 何て酷い娘なの!!」


 私のほうへ必死で両腕を伸ばした。しかし、衛士達に制されて一歩も進めない状態である。

 彼女の形相は、麗しい伯爵夫人からは程遠いものだった。美しいドレスには醜いシワが寄り、優雅な髪型は崩れかけ、乱雑にアクセサリーが揺らめく。

 ただただ甲高い声で、悲痛な訴えを繰り返していた。


「あぁ、信じないで!! 私じゃないわ! アンジェラよ! この娘が企んだのよ!! 全部、全部そうよ!! あぁ、嫌よ! 嫌っ!! 信じないで下さいまし、国王陛下! 王妃陛下! アンジェラに騙されないで、王太子殿下! あぁ、あぁぁぁぁ……っ」


 それは、大広間の隅々まで響き渡る絶叫だった。痛恨と怨嗟と悲哀が入り混じり、つんざくような反響を巻き起こす。

 ――そうして、プツンと。

 叔母は忽然としゃがみ込んでしまった。まるで操り人形の糸が、突然切れてしまったかのように。

 衛士達に囲まれたまま、するりと彼女はひざまずいたのだ。全身の力が抜けたかの如く。

 叔母にまとわりつくように見え隠れしていた不気味な闇煙も、いつしか失せていた。

 それなのに、むしろ私は不安感に襲われてしまう。猛烈な危機感を覚えた。

 と思った瞬間。

 大広間のそこかしこから悲鳴が上がったのだ。


「きゃあ!? 何なの、あれは!?」

「どうなってるんだ、いったい!? あれは!?」


 貴族諸侯達の視線は例外なく、ひれ伏していた召使に向けられた。

 そこには、あっけなく霧散していく召使達の姿がある。ひれ伏したまま、砂の如く崩れ去っていくのだ。着ていた服さえも霧散して消えてゆく。

 瞬く間に、召使達の痕跡は何一つなくなってしまった。

 私もまた、驚愕のあまり身を強張らせてしまう。まばたき一つできなかった。


「な……にが……?」

「人間ではなかったということか?」

「そんな……。あの召使達は確かに伯爵邸で働いていた者達です。見知らぬ者達では……ありません」


 いったい何がどうなっているのか?

 私は無意識に叔母のほうへ顔を向けた。力なくうなだれているはずの叔母へと。

 けれど、叔母は上方を見上げていた。激しい動揺を浮かばせた顔は、すがりつかんばかりに高き天井へと向けられている。

 衛士達にグッと取り押さえられて自由を奪われながらも、上方へ助けを求めるように足掻いていたのだ。


「あ…ぁ、お願い……伯父上。お願いだから、戻ってきて……。私を見捨てないで……っ」

「伯父上……? ……あ!?」


 刹那、私は目を見張る。

 叔母の周囲から消え失せていたはずの闇煙が、天井付近で渦巻くように漂い始めていた。徐々に禍々しい気配が強まり、その色も不気味に濃くなる。

 貴族諸侯達の視界にも捉えられるようになったようだ。

 霧散し消えた召使達から、叔母の頭上高くに浮き上がった闇煙へ。彼らの注目が移りゆく。驚愕というよりも、何とも言い難い不安げな面持ちで。

 その瞬間――。

 突如として、闇煙による圧が増した。いや、これは声……何かの調べか。低く――酷く低く重苦しい音が、急速に膨張していく。

 禍々しさをそのまま歌と化したかのようなに嫌な気配に圧されて、立っていられなかった。

 大広間にいる者は、誰も彼も膝を屈するようにしゃがみ込んでいく。互いに身を寄せ合い、不安と恐怖でひしめき合うしかない。

 私やエドワードも例外ではなかった。上方に漂う闇煙から発せられている不快な歌声のような調べが、あまりにも重くのしかかってくるのだ。

 エドワードが私を覆い包むかのようにして守ってくれた。互いにしゃがみ込みながらも、彼の温もりに守られる。

 彼自身は腰もとの鞘から剣を抜き、己の身を支える杖代わりにしていた。


「アンジェラ、大丈夫……か?」

「私……よりも、あなた……のほうが」

「君のそばにいるのに、君を守れないほうが苦しい……よ」


 エドワードはこめかみに汗を滲ませながらも明るく笑む。その笑顔に、私も何とか微笑みを返した。

 しかし、じわりと禍々しい調べが生み出す圧が強くなっていく。

 そんな中にあって、叔母だけは上方の闇煙に呼びかけていた。苦しげながらも、必死の形相で。

 衛士達は不気味な歌声による圧に苦しんでおり、叔母は彼らの腕を振り切ったらしい。自由になった自らの両腕を精一杯、上方へ差し伸ばしていた。


「あ……ぁ、伯父上……! あなたの魔法が必要なの……! 私から離れないで……! どうか、どうか私を見捨てないで……っ」

《我に指図するとは、愚かにもほどがあるぞ。所詮は我の役に立つ器ではなかったな、そなたは。たかが人間が調べたことなど、うまくかわせばよいものを……。ただ見苦しいだけの姿を見せおって。もはや、そなたは我には不要――むしろ邪魔だ》

「い…や……っ。嫌……よ! 伯父上、どうか………っ。どうか許し……。――きゃあぁぁぁぁぁ……っ!!」


 刹那、私はグッと自らの胸もとを押さえる。身の内深くまで抉られるかのような、底しれぬ絶望が伝わってきたのだ。

 同時に、クックッと喉の奥で冷笑う低い音が大広間に響いた。ゾクッと背筋が寒くなるような禍々しい冷笑い声が、私達を圧倒する邪悪な調べに入り混じる。


《そなたが我と同じ妖精であろうとも、弱きそなたに魔法は不相応であろう。いっそ、そなたは妖精よりも――卑小な人間のほうが似合うていたのではないか?》

「そんな……。そんな……伯父上……。あぁ……あぁ……っ。私……私の、魔法が……! 私から……魔法が消え……る……っ」


 叔母は呆然としていた。ガクッと一気に全身から力が抜けてしまったかのようにへたり込む。

 ガクガクと震える自らの両手を見つめる叔母の瞳には、恐怖と不安に彩られた絶望感しかなかった。

 だが、私にはそれ以上、叔母を気にかける余裕がなかったのである。

 闇煙が叔母への興味を一切失ったのか、私へと視線を向けたからだ。

 無論、闇煙は人の形を成しているわけではない。

 しかし、たった今、闇煙が私を視界に入れた――とわかった。鋭い、貫かれるかのような冷酷な一瞥を感じたのである。

 刹那、強烈な危機感が全身を駆け巡った。いけない、このままでは。

 禍々しい――この上なく邪悪な一撃が迫るのをひしひしと感じた。


「あ……っ……」

「……させるか!!」

「エドワード……様!?」


 次の瞬間、とてつもなく邪悪な調べに乗って私へと向かう激しくも鋭い闇煙が、大きく二つに割れたのだ。

 同時に、闇煙は激しくどよめいた。反射的に天井付近まで立ち上る様は、さながら、逃げ上ったようにも見える。

 それを厳しく見据えるエドワードの両肩は、大きく上下していた。苛烈に振るった剣先を床に突き立て、杖のように支えにしながら何とか立っている。

 そう、彼の鋭い一閃が輝ける光となり、禍々しい一撃を斬り裂いたのだ。

 その一瞬、彼の剣はまばゆい光をまとっているように見えた。


「エドワード様……!」

「アン……ジェラ」


 片膝をついて呼吸を整えようとするエドワードに、私は思わず駆け寄る。低く重苦しく響く闇煙の歌声が、私の身をよろめかせたけれど、それでも。

 そんな私達へ向けられたのは、激しい憤怒と怨嗟を綯い交ぜにした視線だった。闇煙からの。


《……光の守護者か。イーディスの娘までもが、既に守護者と出会おうておるとはな。何と忌々しきことよ。だが、まぁ良かろう》


 闇煙は禍々しく揺らめきながら、冷たく嘲笑った。ゾッとするような邪悪な調べを紡ぎながら、ククク……と冷たい嘲笑い声だけがひときわに大きくなる。


《我の身を戒める光は既に無く――卑小な足手まといにかける力も無用となった今、全ては偉大なる我のもの……我次第と知れ! さぁ、歓喜に打ち震えて待っているが良い。我がそなたらの王国も滅してやろうぞ――愚かな妖精王のもとにあった郷のようにな。クックククッ――ワーッハハハッ!!》


 次の瞬間、闇煙は消え失せた。愉快でたまらないとばかりに、冷酷な嘲笑い声だけを高らかに残して。

 その響きが禍々しい調べとともに大広間から完全に失せて、ようやく私達を圧する嫌な気配も消え失せた。

 そこかしこで、安堵の吐息と会話が漏れ聞こえるようになった。貴族諸侯達はホッとした様子で、一人……また一人と立ち上がっていく。

 ――しかし。


「ステラ嬢!? ……ステラ!!」

「――え? ステラ……義姉様?」

「レオン……?」


 互いに顔を見合わせるのも束の間に、私とエドワードは悲痛な声が上がった方向を見やった。

 いつも冷静だったレオンが、彼らしからぬ必死な面持ちで義姉の名を呼んでいる。

 私の瞳には、レオンが片膝をついた姿が映し出された。――彼の両腕に抱きかかえられた義姉の姿も。

 その瞬間、とてつもなく悲しく寂しい気持ちが伝わってきた。胸を突かれたかのように辛く苦しい、悲痛な感覚に襲われたのだ。

 考えるよりも早く、思うよりも急ぎ、私はレオンと義姉のほうへ駆け寄ろうとした。

 そんな私の耳もとに、囁きにも満たない虚ろな呟きが届いたのだ。

 衛士に再びしっかりと捕らわれた叔母が、呆然と漏らした言葉だった。今にも泣き出しそうな顔で、天井を見上げながら。


「――無駄よ。いくらお前でも、お前の歌でも、無理なの。だって、アレは命無き者。ただの人形だから……ね」

「……そんな!? ――でも、でも!!」


 私はグッと両の手を握り締め、レオンと義姉のもとへ駆け寄った。レオンの悲痛な声が――必死で義姉の名を呼ぶ声が大広間に響き渡る中で。

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