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第10話 夜明け前

 叔母は、いったい何を言っているのだろう?

 ほくそ笑みながら朗々と語る叔母に、ゾッとしてしまう。冷たい嘲笑みを灯した瞳には、呆然とした私が映っていた。


「えぇ、そうよ! お前が悪しき者とね、此度の企みを練っているのを見かけた召使達がいるのよ。良心の呵責に耐えかねて、私に教えてくれたの。あぁ、急いでここまで来てよかったわ。両陛下がご無事で何よりだもの!」

「そ……んなの、あるわけないわ。私、そんなことしてないもの! ……だって、知ってるもの。私は知ってるのよ。――お父様やお母様を喪うことがどれだけ辛く、悲しいか……! わかってるのに、どうしてそんな……ことをっ」


 唇を引き結んだが、わなわなと震える身を止められない。

 頬に、冷たくも熱い雫がいくつも伝い始めた。瞳から溢れるものを抑えきれない。

 刹那、温かい手がサッと私の目もとを背後から覆った。私はエドワードにトン……と背を預ける形となる。


「君の涙は見たくないよ。……君をこんなふうに泣かせるとは、許せないな」

「エドワー……ド様」

「――許せるはずがない。……許さない」


 エドワードの声は、私の耳もとにしか届かないほどの微かなもの。だが、抑えきれない苛立ちと怒りが見え隠れしていた。

 やがて、彼は私からそっと離れる。


「……私のことを信じてほしい。決して君を悲しませるようなことはしない。だから、私を信じていてくれ」


 エドワードが私からそっけなく離れた様子は、誰の目にも冷たい態度に見えたはずだ。私に対する親愛の情が全く感じられない対応に見えたことだろう。

 現に、叔母は嬉しそうに目を見張ったのだから。国王と王妃の前に歩み出たエドワードの言葉によって、叔母の歓喜はさらに大きくなるのだが。


「陛下、この状況は由々しき事態かと存じます。両陛下の御命が狙われたのですから。故に、この場にて曖昧に終わらせるわけにはまいりません。舞踏会が終わる夜明けの刻に、此度のこと――真実を明らかにするお許しをいただけないでしょうか?」

「――聴聞の場を設けたいということか。なるほど、良かろう。エドワード、そなたの裁断に任せる。今宵集いし貴族諸侯の皆々が、善き証人となってくれるであろう」

「ありがとうございます、陛下。それでは、早速……」


 エドワードは国王と王妃に丁重な一礼をし、小広間にいる者達を見回す。国王夫妻は彼の意図を察し、静かな微笑みをたたえた。

 妙に静まり返ったこの場に、次の瞬間、彼の凛とした声が響く。決して大きな声ではなく落ち着いた声音だが、一切の反論を許さぬ圧を感じさせた。


「この件に関わるウィンストン伯爵家の三名は、これより夜明けの刻まで王家の監視下に置く。王家への許しがたい罪人という可能性があるためだ。それぞれに一部屋を与え、不審な者との接触を避けさせよ。この処遇は彼らが潔白の場合に、真の罪人から命を狙われる恐れを防ぐ保護であることも心せよ」


 小広間を満たす静寂さに、息を詰めるような緊張感が滲む。

 そんな空気を意に介さず、エドワードは叔母へ視線を移した。


「サマンサ伯爵夫人――そなたには、護衛として王家が誇るよりすぐりの衛士を複数名つけよう。安心されるがよい」

「まぁ! 護衛の者をつけていただけるとは! アンジェラの息がかかった者に何かされるのではと案じていたところです。私へのお気遣い――感謝申し上げます。何とありがたいことか……」


 叔母は即座に顔を両手で覆い、ホッとして泣き崩れる姿を見せる。しかし、顔を覆う手に隠された瞳には冷たい嘲笑みと冷酷な光が宿っていた。

 そんな表情を両手で隠したまま、叔母の安堵感に満ちた嗚咽を漏らす。謂れなき罪に陥れられようとしていた身である、と皆に誇示するかのように。

 そうして叔母は座り込んだまま、義姉のほうへ大げさに両腕をパッと広げてみせたのだ。


「あぁ……! ステラ!! 可哀想に……。さぞ怖かったことでしょう。もう大丈夫ですよ、私と一緒に行きましょう。ねぇ、ステラ!!」

「――は、い。……お母、様」


 二度、名を呼ばれた義姉の瞳からは、瞬時に一切の感情が消え失せた。彼女を支えてくれていたレオンの手も、彼自身の存在さえも全く気にかけることはない。

 レオンは一瞬瞳を見張ったが、すぐに冷徹なまなざしを叔母へ向けた。

 そこへ、エドワードがつかさず告げたのである。


「レオン、ステラ嬢を止めるのだ。さきほど命じたとおり、母娘といえども同室はまかりならぬ。ましてや、彼女は問題の香油を持ち運びし者だ。お前が監視と護衛を務めよ」

「……御意、エドワード殿下」


 レオンは即座に立ち上がり、義姉の眼前に佇む。

 義姉は無感情の瞳でレオンを見つめた。


「私はお母様に呼ばれたのです。そこをおどきなさって、レオン様」

「それはなりません、ステラ嬢。王太子殿下のご命令です。……お留まり下さい、私のもとに」

「――――っ」


 刹那、義姉は微かに身を震わせる。そんな彼女の手にレオンが触れた途端、空虚な瞳には動揺めいた混乱が滲んだ。


「……レオン、様」


 義姉の声は、小声にも満たない微かなものだった。しかし、その響きに、不安と諦念、そうして――助けを求めるような切なさがあるように感じられたのは気のせいか。

 レオンはごく僅かだけ痛ましげに瞳を細め、義姉の手を取った。そのままやんわりと彼女を引き寄せる。

 優雅で華やいだドレスをしなやかに揺らめかせながら、彼女は彼の腕の中に収まった。ふわりと、だが、しっかりと。

 それを視認したエドワードは、再び叔母のほうへ向き直る。


「サマンサ伯爵夫人、そなたの娘については、レオンを護衛につけることとする。私が幼き頃より、彼は護衛として私とともにある者――信頼に値する者だ。安堵せよ」

「は、はい……っ、承知いたしました! 娘に王太子殿下の護衛をつけてくださるとは……。ご厚情に感謝申し上げます!」


 叔母は、まさに勝ち誇った面持ちで私を見やる。このままでは間違いなく破滅するであろう私への、この上ない優越感と期待感に満ちていた。

 私は咄嗟に顔を背けてしまう。たが、その先には、険しい面持ちのエドワードがいた。期せずして、彼と視線がかち合う。

 だが、彼の瞳の奥深くには、私を疑い裁かんとする冷たい光は一切なかった。伝わってくるのは、私を気遣う優しい温もりだけだ。


「アンジェラ嬢には問いただしたいことがある。今しばし、この場に留まれ。サマンサ伯爵夫人の発言によると、そなたが首謀者である可能性が高いからな」

「……仰せのままに。私は、王太子殿下の御心に従います」


 私は恭しく深々と頭を垂れた。エドワードの厳命を受け入れる。

 エドワードは、信じてほしいと言った。私は、そんな彼を信じる。

 そっと顔を上げれば、彼は私を見つめ返していた。そのまなざしも表情も、幼い日、私を見い出した時の安堵したような彼にどこか似ている。

 彼には伝わったのだ。私が彼を信じている――ということが、確かに。

 叔母は開かれた大扉の外に立ち並ぶ衛士達のもとへ、嬉々として誇らしげに歩む。衛士達に優雅な礼をしながら、私へは愉快極まりない一瞥を残して小広間を辞した。

 次いで、義姉もレオンに手を取られたまま、静々と退出する。彼の手に置かれてた手は微かに震えながらも、それでも、決して離そうとはしないままに。

 玉座では、国王と王妃がホッと一息つき、和らぎを浮かべた。


「それでは、我々は大広間に戻るとしよう。主催の我らが揃って長い間、休息するわけにはいくまい」

「えぇ、陛下。私達は集っている皆々に伝えねばなりませんもの。今宵の舞踏会――閉幕は常とは異なりましょうから」


 国王と王妃はエドワードと私に微笑みかけると、大広間へと戻っていった。

 私はエドワードと二人、小広間に残された。来たるべき夜明けの刻が至るまで、ここで休憩するように――と国王と王妃が心遣いをしてくれたからだ。


「……アンジェラ」

「はい」


エドワードはまっすぐに私を見つめ、私の両頬を柔らかに包み込んだ。


「許してほしい。……君を突き放してしまった。だが、そう見せねば、サマンサ伯爵夫人は油断せぬだろうから」

「わかっています、エドワード様」

「――ありがとう。夜明けに始まる聴聞の場でも、私を信じていてほしい」

「私には、あなたを信じるという選択肢だけがあるのです。あなたを疑うなんて……ありえない」


 私は笑顔で頭を振る。

 頬に伝わる彼の温かな手にそっと自らの手を重ねた。伝わってくる温もりは限りなく優しい。私は瞳を伏せる。

 エドワードという温もりが、脳裏に刻まれた禍々しい闇煙への恐れと不安からの盾のように感じられた。

 故に、口にして問うてみる。彼に。


「……あの、今さきほどの叔母を、あなたはどう思われましたか?」

「どう、とは?」

「私は見たのです。いえ、見えたというか……。叔母が小広間へ姿を現した時に、一瞬だけ見えたものが、あるのです。気のせい……かもしれないけれど」

「黒い煙か霞のようなものかい? 酷く禍々しい気配の?」

「――エドワード様にも!? あなたにも見えたのですか!?」


 私は身を乗り出し、彼の腕を掴む。

 彼は真摯に頷き、私を抱き留めてくれた。


「あぁ、サマンサ伯爵夫人にまとわりついていたように見えたよ。――あれは良くない、悪しきものだと思う」

「悪しきもの……。――それこそ、お母様やお父様が危惧していたものでしょうか? お父様は光魔法で、私を悪しきものから守ろうとしてくれました……私へ向かう邪悪なもの全てを自らに負わせて。だから、父は……」

「…………っ!? アンジェラ、それは……!」


 エドワードは目を見張った。

 彼の腕の中で身を震わせた私は、ただ嗚咽を漏らさぬようにするのが精一杯だった。

 父も母も命を懸けたのだ。自分が大切に想う者を守ろうとして、己の全てを懸けたのだ。

 私の記憶に鮮やかに残る両親の姿を想い、頬を涙が伝う。


「私は、お父様とお母様に守られてきました。だから、くじけてしまうわけにはいかない。――そう、思うのです。だから、私は……」


 負けるわけにはいかない。諦めるわけにはいかない。母の最後の言葉が脳裏に浮かび上がった。


《あなたは、妖精王の世継ぎだった私の娘。妖精の郷を滅した悪意ある者は、あなたを見逃しはしない》

《でもね、あなたには王太子殿下がいてくれる。だから……》


 祖父たる妖精王や母の懸命さを踏みにじった悪しき何か――悪しき者に、今度は私が立ち向かわねばならない。

 そんな時が来たれば――その時には、私のそばにいてほしい。……他ならぬ、エドワードに。

 それは、とてつもなく我儘な想いだ。ちゃんとわかってる。だから、口には出さない。出せようはずもなかったけれど。

 でも。

 涙で滲むエドワードを、ひたすらに見つめた。彼の優しさと温もりは、きっと私を奮い立たせてくれるから。

 彼の指先が優しく私の涙を拭き取る。そのまま、やんわりと私の頬を捉えた。

 私を見つめる彼のまなざしは温かく、優しい。けれど、どこか複雑そうな感を醸していた。


「……言ってはくれないんだね、まだ。今、この時にあっても、まだ……無理かい?」

「え……?」


 ドキリ、と鼓動が跳ねる。

 一瞬、口に出せないままの言葉が、喉もとにまでせり上がってきた。それを堪らえようとして、エドワードが拭ってくれたはずの涙が再び眦に溜まる。

 ただ、彼を見つめることしかできなかった。頷くことも、頭を振ることもできずに。

 そんな私を、彼はそっと抱き締める。私を温かく包み込んだ。


「君を困らせるつもりはないよ。……それに、そうだね。今は、夜明けの来たるべき刻のことを優先しよう。あの禍々しい黒き何かへの足がかりになるかもしれないのだから。でも、ただ……」

「エドワード様……?」

「……ただ、君を王家に対する大罪人として、皆々の前に立たせてしまう」


 エドワードの口調は重苦しかった。本意ではないのは、その声音と表情に表れている。

 私はやんわりと涙混じりに微笑んだ。彼の温もりにくるまれたまま、彼の背にそっと両腕を回して。


「そうすることが、進むべき方向への道しるべとなるのならば平気です。何よりも――」

「アンジェラ?」

「エドワード様……あなたが私を信じていれくれるのなら、私は平気です」

「ならば、大丈夫だな。私が君を疑うなど、ありえないことなのだから」

「はい、エドワード様……!」


 私は、ようやく朗らかに笑むことができた。互いの額をそっと合わせ、エドワードの安堵したような快活な笑顔に笑顔で応える。

 ――もうすぐ夜明けとなる頃合いになっていた。

 閉ざされた大扉の向こうから恭しく声がかかる。国王からの伝令だった。


「王太子殿下、大広間へアンジェラ・ウィンストン伯爵令嬢とともにお越しくださいませ」

「……わかった。すぐに参ろう」


 大扉へ顔を向けたエドワードは、凛とした真摯な面持ちとなった。

 彼は私へと振り返る。腰の辺りにそっと手を回し、小広間の外へと誘う。


「さぁ、行こう。この夜明けの刻、君は決して一人ではない。君を苦しめ悲しませてきた悪しき企みを白日のもとに――」

「はい、エドワード様」


 私は彼の温もりに背中を押され、静かに頷いた。

 恐れや不安が完全に消えたわけではない。しかし、私を包んでくれる温もりと優しさが、確かなものとして傍らにあった。

 そうして、私達二人は、聴聞の場となる大広間へと向かったのである。

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