ただ、悲しいだけの夢
「お姉ちゃんとお風呂入るのも、なんだか久しぶりだよねー」
「……ねぇ、星奈」
「今日はシトラスの入浴剤を入れてみたんだけど、どう?」
「え、えぇ良い香りだわ……そうじゃなくてね」
私は今、星奈に抱きかかえられるようにして湯船に浸かっている。こういう場合、向かい合って入るのが一般的だと思うのだが……まぁ、おかげで窮屈な思いはしていない。とはいえ、それにしても距離が近過ぎるだろう。
「お姉ちゃん成分を摂取してるんだよ。アネニウムはお肌にも良いし」
「そんな未知の物質、お姉ちゃん分泌してないわ」
「んーん、してるしてる。私にしか観測出来ないし、私にしか効果無いけど、確かに存在してる。というかしないと駄目、しろ」
首筋に顔を押し当てられ、匂いを嗅がれる。こうも好かれているのは、姉冥利に尽きるというものではある。しかし、何だか今日はいつもより過激だ。何かあったのだろうか?
「星奈、何かあったの?」
「……何で?」
「お姉ちゃんだから、かしら」
「理由になってない」
星奈は少し黙ってから、私のことを強く抱きしめた。それは、普段の甘える仕草とは違い、不安を掻き消すためのように思えた。
「最近、変な夢を見るの。内容はあんまり覚えてないんだけど……目が覚めると、とても悲しい気持ちになる。とても大切な何かを、失ってしまったみたいな……」
「…………」
巫女の中には特殊な能力を備えた存在が居る。勘が異常に良かったり、一部の感覚が鋭いというものだ。星奈がそういった特殊持ちである可能性は、十分にあり得ることではあるだろう。
「私にとって一番大切なのは、やっぱりお姉ちゃんだからさ。ここ最近は、お姉ちゃんが居なくなった時のことばっかり考えて、勝手に落ち込んでた」
「心配しなくても、居なくならないわ」
「だといいけどさ……そんなの、分かんないじゃん」
思わず、手を握り締めた。本当は、星奈ともっと一緒に居てあげたい。しかし、巫女の務めは果たさなければならない。そして、それには大きな危険が伴う。きっと、星奈が私のしていることを知れば酷く傷付くことになるだろう。
星奈を守りたい。星奈を傷付けたくない。星奈に危ないことをして欲しくない。それらは全て、私のエゴだ。だから、私は自分が傷付かないように巫女になった。隠しておけば、知らなければ問題が無いと。嘘を吐き、これからもそれを貫こうとしている。
けれど、私はその道を進んできた。そして、これかも進み続ける。たとえ、その先に何が待って居ようとも。
「大丈夫よ。そんなことよりも、もっと楽しいことを考えましょう?」
「楽しいこと……」
「週末、出掛けるなら何処に行きたい? お姉ちゃん、どんな所にも連れて行ってあげるわ」
「……じゃあ、映画見に行こ」
「良いわね。他には?」
そうして、私達は他愛も無い話を続けた。先のことを想像するのは、何も辛いことばかりでも無いはず。この先の未来はきっと明るいと、そう信じたい。
未来など、誰にも分からないのだから。
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「どう? 今日の私、完璧だったでしょー!」
「えぇ、悪くないわ。でも、それは巴のカバーがあってこそよ。もう少し死角を意識しなさい」
「うん……すみちゃん、何回か、危なかった。私のおかげ」
「巴も、私達に視線が飛びすぎよ。敵は前以外にも居るのだから、もっと周囲を警戒なさい」
声が聞こえる。あぁ、またこの夢だ。私は、記憶に無いはずのその光景を、何度も見ていた。そして、何度も忘れている。
黒い巫女服を着たお姉ちゃん。白いドレスを着たすみれ。大きな帽子を被った巴。皆、手に武器のようなものを持っている。そんな風だから、すぐに夢だと分かった。
「星奈、今日はとても良かったわ。その調子でお願い」
お姉ちゃんが笑いかけてくる。私はそれがとても嬉しくて、夢なのに幸せな気持ちになっていく。もっと、もっと欲しい。お姉ちゃんの愛が、もっと。
「──野乃花も、支援ありがとう。とても心強いわ」
「天さんの後ろは任せてください。必ず守ってみせます」
──誰だ、そいつは? 見覚えも無い、名前を聞いたことも無い。なのに、その姿ははっきりとしている。眼鏡をした、金髪の改造された制服を着た少女。私の知らない誰かが、そこには居た。
風景が流れる。気がつくと、雨が降っていた。空は黒く淀んでいて、遠くから雷の落ちる音がしていた。
「はぁっ! これ、で……! おしまい!」
「……っ! すみれ後ろ!」
「なっ……! きゃあああ!!!」
私達は何かと戦っていた。動物や人型のナニカ、多種多様な異形の存在。その数は多く、私達五人の何十倍も居るように見えた。皆ボロボロで、状況はとても悪いようだった。
「すみれ、怪我は!?」
「っう……! 多分、折れた! 左でなんとかカバーする!」
「……四人とも、良く聞きなさい! 今から4時の方角に道を作るわ! 一度撤退するわよ!」
お姉ちゃんが何本もの槍を一斉に投げた。凄まじい土煙と共に、包囲が一時的に崩される。私達はそこに向かって走り出した。唯一人を、除いて。
「お姉さん!? なんで、立ち止まって……!?」
「……! 止まっちゃ駄目です、走って!!!」
「でも、天ねぇが!」
「体勢を立て直したらすぐに戻ります! だから、今は逃げなきゃ駄目なんです!」
「~~~!!! 分かっ、た……!」
すみれが苦々しげにそう言った。私達の誰もが、その顔を暗くしていた。しばらく直進をしていると、化け物の姿が減ってきていた。
見通しの良い場所を陣取ると、金髪の少女は指示を出し始める。その間、少女は私の手をずっと握り締めていた。まるで、私を離さないかのように。
「巴さんはすみれさんの治療、私と星奈さんはこのまま戻って天さんの援護へ行きます」
「うん、分かった。終わったら、私達もすぐ行く」
「急ぎましょう! 天さん、無事で居て……!!!」
二人を置いて、来た道を戻る。私の中は焦燥感で溢れていた。ただ、お姉ちゃんのことだけを考えて、足を進める。
「星奈さんっ! 先走り過ぎです!」
うるさい。そもそも、どうして一時撤退などしたんだ。あのまま、お姉ちゃんと私も残るべきだったんだ。それを、こいつが阻止した。私の手を引いて、逃げさせられたのだ。
進む。進む。進む。後ろから声が聞こえなくなるまで、どんどん加速していく。
そしてついに、元いた場所へと辿り着いた。周囲にはいくつもの化け物の死体が転がっていて、今も金属が擦れ合うような甲高い音が鳴り響いていた。
「──っ、星奈来ちゃ駄目!!!」
「お姉ちゃ───」
私は血塗れのお姉ちゃんを見つけて、すぐに傍へ行こうとした。けれど、お姉ちゃんは私を見るなりとても焦ったような顔をして、近付いてきた私を突き飛ばした。その瞬間、大きな音と目が眩むほどの閃光に包まれた。
映像が途切れた。少しの静寂の後、また風景は動き出す。未だ、雨は降り続いていた。
「──ごめんなさい、天さん」
「──────」
「……っっ! っうぁあああああああああ!!!」
ざくり。聞こえないはずの音が、やけに大きく響いた気がする。
少女の手には、お姉ちゃんの刀が握られていた。そして、その刀身はお姉ちゃんを貫いていた。
お姉ちゃんを、貫い、て……
「あぁああぁああああぁああ!!! どうして、こんなことにっ……!」
もう化け物の姿は無かった。あるのはただ、祈るような姿のまま、血を流しているお姉ちゃんと、慟哭する少女の姿のみだった。
「な、んで……? なんで、お姉ちゃんを……?」
「……っ! ほし、なさん……これは、ちがっ──」
「人殺し……!!! お姉ちゃんを、返してよぉ!!!」
「ひと、ごろし──私が、天さんを……」
言葉の勢いのまま、手に持った刀を振るった。少女は一瞬回避が遅れ、眼鏡と顔を切り裂かれた。少女は傷跡を抑え、手にべったりと付着した血を眺めていた。私が何を叫ぼうとも、届いてなどいなかった。
「私が……殺した。天さんを、ころ、した」
「そうだ……! 絶対に許さない……!!!」
「そう、ですよね……約束は、守らないと」
「お前……何を言って」
「──もう、貴女を独りにはさせない」
そう呟くと、少女はお姉ちゃんの刀を手に取った。そのまま、懐から取り出した何かを砕くと、少女の周囲がぐにゃりと曲がっていった。
「っ……待て!!!」
すぐさま近付いて刀を振るうが、既にそこには少女の姿は無かった。あるのはただ、見たくも無い現実だけだった。
「星奈ー!!! 無事……え?」
「嘘……! 駄目、嫌だ……!」
「そ、らねぇ……? な、なんで、どうして……!?」
悲しいだけの現実。でも、これは夢だ。ただ悲劇的な、幻想に過ぎない。目が覚めれば、いつも通りの生活が待っている。そうだ、心配する必要なんて無い。だって、これはただの夢、なんだから。
「いやだぁ……!お姉ちゃん……私を置いて行かないで……!」
──なのに、この胸の喪失感は拭われない。涙が溢れて、嗚咽が溢れて、ひたすらに悲しい。どうして、こんなにも苦しいのだろうか。
訳も分からず、私は深い眠りにおちていく。その胸に刻まれた、果てしない絶望だけを抱えて。今日も私は、夢を見る。




