銀髪狐面神主(重めマシマシ)
「……ねぇ、小日向」
「なぁんですかぁ? ししょー?」
「そろそろ、降ろして欲しいのだけど」
「やーです。このまま持ち帰ります」
ひとしきり私を抱きしめた後、小日向は私を抱えたまま境内に戻ろうとしていた。あまりに彼女が嬉しそうなので、私は強く否定することも出来ず、流されるままだった。
「仕方の無い子ね……いつからそんな駄々っ子になったのかしら」
「ついさっきだよー。もう我慢とかしないからー」
「全く……こんなところ野乃花に見られたら私の威厳が──」
「──天さん?」
「損なわれ、る……」
眼鏡を掛けた、金髪ロングの少女のような声が聞こえた。端的に言えば、野乃花の声がした。私はそれを確認すると、さり気なく小日向の腕から降りた。そのまま、まるで何も無かったかのように、野乃花に笑いかけた。こういう時は、焦らないのが肝心なのだ。
「野乃花。その服装は奏に作って貰ったのかしら?」
「あ、はい。あっという間に製作して頂きました。ところで、どうし──」
「似合っているわ。とても可愛い」
間髪入れず、感想を述べる。実際、紺色のブレザーと黒色のスカートに、肩から掛けられた矢筒を装備したその姿は、年頃の少女らしさと巫女らしさが程よくマッチしていた。奏、良い仕事をするじゃない。
「えへへ……ありがとうございます。って、そうじゃなくて! なん──」
「あぁ、私も少し奏に話があるから、先に小日向と特訓をしてて頂戴。小日向、さっき言った内容で、野乃花に稽古してあげなさい」
「はいはーい! それじゃあ九重後輩! こっちに行きますよー!」
「待っ……! 無視しないでっ──てぁあああぁあ!? は、早っ……!」
そのまま、小日向に野乃花を連行させた。後ほど、上手くはぐらかそう。私はそのまま、野乃花を見送って先に進んだ。
境内を進み、中心の御社殿に入る。そこには神聖な雰囲気の内部にそぐわない、煙草を吹かしながらだらける一人の女性が居た。
「奏。調整と補給に来たわ」
「次は天か。儂は今さっき仕事を終えたばかりなんじゃぞ。もうちょっと、年寄りを労ってはくれないのかねぇ?」
狐面を被った、年齢不詳のこの女性は、神主の天川奏だ。床まで届きそうな銀髪に、白と赤の巫女服を着たその姿は、この世のモノとは思えないほど美麗だった。実際の彼女は、怠け者で可愛い物好きの俗物だから、私は何とも思わないけれど。
「薬と護符、後は新しい槍と刀のメンテもお願い。全部今日中にね」
「お主はまた無茶を言いおる。つい先週も、頼まれた物資を拠点に送ったばかりではないか。久々に顔を出したと思うたら、今度は新しい巫女の面倒まで押し付けおって」
「普段、小日向に家事をやらせているのだから暇でしょう? 野乃花の弓は今日中でなくても、三日でやって貰えれば結構よ」
「……のぉ、もう少し手心をじゃな」
「いいから、やって頂戴」
「……分かったでの。うぅ……いつからこんな横暴な子に育ってしもうたんじゃ」
怠け癖はあるものの、奏は非常に優秀だ。豊富な知識によるアドバイスと、様々な道具の作成、改造まで行ってくれる。彼女が居なければ、私は五年も巫女を続けることは出来なかっただろう。本当に感謝している。
「……なぁ、天よ。その腕、また使ったのか?」
「えぇ。野乃花を守る時にね」
しばらくして、物資を運んできた奏は私の腕を見て、ポツリと呟いた。
「何度も言うが、副作用を考慮せい。誰かを助けるためにお主が犠牲になっては、それこそ本末転倒というものじゃ」
「巫女の身体はそんなに弱くないわ。副作用だって、支障が出るほどじゃ──」
「天。強がりは辞めい。儂に隠し事は無しじゃぞ」
「…………お見通しなのね」
巫女の身体は普通の人間よりも頑丈だ。傷の治りも早いし、現代医学ではどうにもならない傷や欠損も何とか出来る。
しかし……それでは時間が掛かり過ぎる。一人で巫女の仕事をする上で、懸念となったのはそこだ。私が怪我をした時、その分のロスを埋める人材が居ない。
今回の右腕の傷も、奏に協力して貰って集中的に治療したとしても、全快には早くて三日というところだろうか。
だから私は、奏に頼んでとある処置をして貰った。リスクの高い賭けだったが、それは成功し、私の治癒速度は大抵の怪我は数時間で完治するほどになった。
そして、当然のようにその反動は存在する。
「……最近ね、味覚を感じにくい時があるの。特に再生中なんかは、全く味がしない。全部、無味無臭なのよ」
「そうか……普段は平気なのか?」
「まだ大丈夫。でも、その内痛覚みたいに感じなくなるかも」
痛みを感じなくなったのは、慣れたからではない。ある日を境に、全くもって痛みを感じなくなってしまったのだ。それもきっと、副作用のせいだろう。
「お主が巫女としての務めを果たし続けて、もう五年じゃ。だというのに、変異種は減らず、お主は未だ巫女の責務に囚われておる。いい加減、これからのことを考えたらどうじゃ」
「……まだ駄目よ。その時が来ていない」
「星奈のことか? あの子が成人するまで、お主は巫女を続けると?」
巫女としての成長のピークは、基本的に10代の頃におおよそ決まる。たとえ潜在的な才能が高かろうと、成長期にそれを伸ばすことが出来なければ意味が無い。それは、経験では覆せない絶対的な壁なのだ。
「星奈が一人立ちして、私が居なくても大丈夫な様になったら、私はいつ引退しても構わないわ。それまでの間に、後任も育成するつもりよ」
「…………儂は心配じゃ。お主はそう言うが、本当に引退などするつもりがあるのか?」
「もちろんよ。その時が来たら、ね」
「天。儂はお主が死んだら泣いてしまうぞ。年甲斐も無く、みっともなく、三日三晩泣きわめいてしまうぞ」
「……大袈裟ね」
奏は膝をついて私の頭を撫で始めた。仮面で隠れてその表情は見えないが、その手つきはとても優しかった。
「大袈裟なものか。今や鷹司本家の人間は、もうお主と星奈しか残っておらんのだ。血を残せなどと強制はせぬ。せめて、その天寿を全うして欲しいのじゃ」
「大丈夫よ。私は死んだりしないわ」
「嫌じゃ嫌じゃ……これだから歳は取りたく無いわい。涙脆くなってしもうて仕方がないからのう……」
私は黙って撫でられ続けた。ポタポタと巫女服に落ちる涙を見つめながら、自分の命の重さを感じていた。
私と星奈には両親が居ない。幼い時、大きな変異種絡みの事故が起きて、それで父と母は死んでしまったらしい。その時、奏は私達のことを引き取ってくれた。謂わば、親代わりの存在なのだ。
愛されていると思う。だからこそ、辛い思いをさせているのだろう。奏にとってみれば、娘を死地に送り出している様なものなのだから。それは、案外情に厚いところがある彼女に、耐え難い心労を与えているはずだ。
「いつもありがとう、奏。愛しているわ」
「もう、辞めい……! これ以上老人を泣かせてくれるな! 必要以上に執着してしまうじゃろ……!」
「ふふっ……それじゃあ、私は二人のところに行ってくるわ。残りもお願いね」
「あぁ、承知した。完璧に仕上げておこう」
御社殿を後にして、野乃花と小日向のところへ向かう。その後ろ姿を、狐面はじっとりとした視線で見つめていた。
「……歳は取りたくないものじゃのぉ」
髪を軽く手櫛でとかす。その銀色の髪は、天の黒髪に混じる白髪と酷似していた。
「自らの宿痾を分け与えるなど、どうかしておるよ」
自分の行動を嘆きながらも、僅かながら仄暗い感情を滾らせる。本当に愚かだ。
けれども、その顔は慈しみに溢れていた。自分が生涯得られるはずもないと諦めたものが、そこにはあったのだから。
「全く……お主は本当に、魔性じゃの」




