師匠大好き(色んな意味で)
一撃、二撃、三撃。打ち合う度、練度の違いを思い知らされる。毎日毎日、手が擦りきれるくらい鍛錬を続けたのに、未だ届かない。こちらが必死に打ち込む中、師匠は涼しい顔をしてそれを捌いていた。
一体、どれほどの修羅場を潜ればここに至れるのだろう。これで、右腕を負傷していて本調子で無いというのだから、末恐ろしくて仕方が無い。
けれど、裏を返せば私は勝負の土俵に立ててはいるのだ。同じ槍同士では間合いの有利は取れないが、師匠も刀を出すことはしない。それだけ、槍と刀では間合いに差があるからだ。
(刀が届く距離まで詰められたら終わる! 今の状況を維持しながら、何とか隙を見つけないと──)
「小日向。それは違うわ」
「なっ……!」
瞬間、槍が投擲された。神力によって強化されたそれは、必殺の威力を備えた凶器となっている。意識が槍に向いたその時、師匠の姿がブレたように見えた。
瞬歩。本来のそれは人間の死角に入り込み、まるで瞬間移動でもしたかのように錯覚する歩行技術だ。けれど、師匠のそれはそんな生易しいものではない。
神力を足に溜め、一気に加速するその瞬歩は目に捕らえられないのだ。そんな速度から放たれる一撃は、例え装甲型の変異種であっても耐えることは叶わない。
山勘で防御と巫術の防護壁、護符の身体強化を施す。展開と同時に、防護壁は甲高い音と共に崩れ去ってしまった。その結果に、私は違和感を感じた。
「師匠……どうして、本気で打ってこなかったの?」
「貴女も知っているでしょう? 瞬歩と抜刀術の組み合わせは、身体に大きな負担を掛ける技だということを」
「だとしても、本気でやればそれで決着はついていたはず!」
見てから防御が間に合うなんて絶対におかしい。本当に本気なら、防護壁の展開はおろか、防御すらも出来ずに切り伏せられておしまいのはずだ。なのに、そうはならなかった。
つまり、私は手加減をされたのだ。私程度に本気を出す必要は無いと、侮られた。それが、堪らなく悔しかった。
「私じゃ、駄目なの……? 臆病で、弱くて、役目から逃げ出した私はもう、師匠の隣を歩いちゃいけないの……?」
もう二年も前のことになる。私は、とある事件を境に巫女としての務めを放棄し、この神社に逃げ込んだ。師匠が独りぼっちになってしまうことを、理解していながら。
ずっと後悔していた。私が弱音を吐いたから、師匠は一人で変異種と戦うことになった。私のせいで、師匠は何度も何度も傷付くことになった。私のせいで、私のせいで、私のせいで──!
「──小日向。こっちを見なさい」
「え……?」
言われるがまま、私を師匠を見た。恐らく、常用している治療の副作用であろう、白髪混じりの黒髪。私よりも小さいその身体の下には、数え切れないほどの傷が今も秘術で隠匿されている。そんな私の憧れの師匠。私の、大切な人。
「私はね、貴女が苦しんでいるのを、ずっと知っていたわ。その上で、私は素知らぬ振りをしたの。本当に最低よね」
「そんなことない! 師匠はずっと優しかった! 私が巫女を続けたくないなんて言わなければ、そんな風に……! 師匠が痛い思いをする必要も無かったのにっ!」
「違うの……! 全部、私が悪いのよ……!!!」
師匠の顔が苦痛に歪んでいた。どんなに傷付こうと、怪我をしようと顔色を変えることの無かった師匠が、とても苦しそうな表情をしていた。
「小日向まで死んでしまったら、きっと私は逃げてしまう。巫女としての務めなんて放って、星奈だけを守るために生きてしまう。貴女が居てくれたから……私は今も、頑張れているのよ」
「…………」
何も間違ってない。結局、私は役目を押し付けたのだ。変異種を恐れ、師匠の足を引っ張ることを恐れ、何もかもから逃げた。私が、今も師匠を苦しめている。
「でも、それじゃ駄目だったのよね。私に出来ることは限られていて、私一人ではいつか限界が来る。そんな当たり前のことを、新米に教えて貰ったの」
「……何が言いたいの?」
「貴女も私も、いい加減過去の清算をしなくてはいけないのよ。私は、もう逃げない。小日向。貴女はどうしたい?」
「わた、しは……」
また、師匠の隣に立ちたい。あの頃みたいに、一緒に戦って、困難を分かち合って、今度は守られるんじゃなくて、師匠を守りたい。
「でも、今の私なんかじゃ……」
「ごちゃごちゃ余計なことは考えない!」
「なぁっ!? ちょ、師匠!? 今の当たったら、痛いじゃ済まないんだけど!?」
槍の投擲を寸前で回避するが、普通に本気の一撃だった。何だか、昔の師匠に戻ったみたいだった。
「うるさい。何をどうしたいのか、それすらはっきりと口に出せない小日向が悪いのよ。野乃花は現実に打ちのめされたって、それでも自分の願望を押し通していたわ」
「……っ!」
気に入らない。師匠が私よりも先に他の巫女を選んだのも、その巫女が新米で、世間知らずで、師匠に何があったのかも知らずに発破をかけた。とても不愉快だ。
だというのに、私が長年悩んできたことを簡単に解決してみせた……何もかもが、気に食わない。
あぁ……そうだ。私は気に食わなかったんだ。自分の不甲斐なさも、私を頼ってくれない師匠も、唐突に現れて、私の大切な師匠を奪おうとするぽっと出の新米も……全部全部!
「そんなに聞きたいなら……言ってあげるよ! 師匠の馬鹿!」
「馬鹿はお互い様よ」
「うるさい! もうとっくに限界な癖に、なんで私を頼ってくれないの!? 私だって師匠が壊れていくところなんて、見たくなかったのに!」
勢い任せに槍を振るう。きっと、隙だらけで崩すのは師匠にとっては容易だろう。でも、師匠はただ黙って防御していた。私の言葉を、受け止めるみたいに。
「弱音を吐いたって、いつもは引っ張ってくれたのに、どうしてあの日はそうしてくれなかったの!? 師匠しか、私には居なかったのに!」
「…………」
「なのに……! なんで私じゃない子の手は取るの!? 私の手を、一番に引いて欲しかったのに!」
ずっとずっとそうだった。無理だとか、もう嫌だって言う私を、いつも師匠は引っ張り上げてくれた。手を引いて、繋いで、握りしめてくれた。それを私は困ったような振りをしながら、安心して握り返していたのだ。
「私を選んでよ! 私を……信じてよ!」
「えぇ、そうよね」
「ぁ──」
ふわっと、身体が浮いた。重力のまま、身体が地面に倒れる。私の上には、師匠が座り込んでいた。私の手には槍は無く、手首は師匠に掴まれていた。もう、私には打つ手が残っていない。詰みだった。
「私は、小日向を信じるべきだった。なのに、貴女を失った時のことばかり考えて、私は信じようともしなかった」
「違うよ……信じて欲しかったなんて、私のワガママなんだよ。私が弱いから、師匠に信じてもらえなかった……ただ、それだけのことだよ」
弱いから、失う。弱いから、信じられない。弱い自分が、全て悪い──私の頭を、後悔と自責の言葉が巡っていく。
不意に、私の手を師匠が握ってきた。指と指を絡めた、恋人みたいな繋ぎ方。その時初めて、私は師匠の手が震えていることに気がついた。
「私も同じよ。小日向に傷付いて欲しくないなんて、全部自分勝手なワガママだわ。私も貴女も、何も変わらない」
「師匠……」
「星奈も、小日向も、野乃花だって私は失いたくない。今だって、貴女達を失ったらと思うと怖くて仕方が無いのよ」
そっか……師匠も、怖かったんだ。一人で居ることも、仲間を失うことも、何もかもが怖かったんだ。私と、同じなんだ。
「だから……お願い、小日向。私は貴女とずっと一緒に居たい。これからは、ただ守るだけじゃなくて、お互いに背中を預け合う仲間として」
「……私、また逃げ出すかもよ?」
「安心しなさい。その時は、また私が今みたいに手を掴んで、引っ張ってあげるから」
「そっか……あはは。なら、心配いらないや」
一巡の風が吹いた。師匠の嬉しそうな顔が、よく見える。
──あぁ、凄く久しぶりに……師匠の顔をちゃんと見た様な気がする。元々、師匠は良く笑う人だった。なのに、ここしばらくの間笑顔なんて見たことが無かった。
「ごめんね、ししょう……ほんとうにごめんねぇ……!」
「私こそ、ごめんなさい。貴女を独りぼっちにさせてしまったわ」
「うぇええぇん……!」
師匠を抱きしめる。細くて、私よりも小さな身体。大好きな、私の師匠。もう絶対に、手放したりなんてしない。私は泣きながら、師匠の手を強く握った。
きっと、これからも私達は弱いままだ。弱いまま、私達は生きていく。
でも、もう大丈夫。手の震えは、とっくに止まっていたんだから。




