眼が笑ってないお姉さん
「わ、私の名前は九重野乃花と言います。助けて頂き、ありがとうございました」
「気にしなくて良いのよ。先輩が後輩を手助けするのは当然だわ」
私のセーフティハウスで、助けた新人巫女の手当てを行う。幸い、顔に受けた傷は残るようではないので、私はホッと息を吐いた。
「あの……その腕、平気なんですか?」
「えぇ。今回は千切れなかったから、数時間もすれば治るわよ」
「痛く、ないのですか?」
「あまり感じないわ。巫女なんて怪我をするのが自然だから、慣れちゃったの」
包帯と治癒の護符でぐるぐる巻きになった腕を撫でる。身体は治癒や巫女の力で何とか出来ても、おかしくなった神経にまでは作用しない。まぁ、痛みで判断が鈍ることも無くなったので、私としてはむしろラッキーだと感じている。
「慣れたって……一体いつから巫女を……」
「そうね……九重さん、歳はいくつ?」
「え? こ、今年で16になります」
「私は14の時からよ。もう5年も経ってしまったのね」
それにしても……彼女は、星奈と同い年なのか。神力の総量も妹と比べて遜色無い。そんな彼女が今日、死にかけた。そしてこれからも、その高い神力を目当てに変異種は九重さんを襲うだろう。まるで、妹が巫女になった結果を見せられているようだ。
「そんなことより……九重さん。少しお話をしましょう」
「は、はい! なんでしょうか!」
「貴女は、巫女を続けるべきではないわ」
「え……? ど、どうしてそんなことを……」
「今日、貴女は死にかけた。それも、普通型の変異種にね。他に理由が必要かしら?」
「…………」
九重さんの素養が素晴らしいのは事実だ。しかし、それ以上にリスクも大きい。彼女がこのまま順調に成長すれば、きっと今以上の神力を持つことになるだろう。それを目当てにした変異種も、自然と増えていく。
変異種は狡猾で残忍だ。勝てないと分かれば逃走し、徒党を組んで罠を仕掛ける。時には近しい人間を人質に取る個体も居れば、住居を特定して長期間に渡って嫌がらせを行って消耗戦をする個体もいる。そういう奴を、見てきた。
彼女の神力を取り込めば、間違いなく特殊としても上澄みの個体、最悪不滅の変異種が誕生するだろう。そうなってしまえば、もはや取り返しがつかない。
「貴女に才能があるのは確かだわ。けど、だからといって、巫女の責務を背負う必要なんて無いのよ」
「……じゃあ、誰が変異種を倒すのですか?」
「私がやるわ。これまでだって、そうしてきた。これからも、同じこと続けるだけよ」
「っ……! なら、誰が鷹司さんを助けてあげられるんですか!?」
「……それは」
終わることのない責務。止まらない負の連鎖。いつかは来る、絶対の死。
私は、目の前の少女の言葉で目を背けていたそれらを思い出してしまった。
「私には……必要、無いわ。これまでだって、そうやってきたの」
「そんなのっ……! そんなの、おかしいじゃないですか!!!」
「誰かが……誰かがやらなきゃいけないのよ。だから、私がやらなきゃ。じゃないと、みんな死んでしまう」
五年。その間、私は何人を見送ってきただろう。皆、尊敬に値する良い子だった。皆、幸せな未来を夢見ていた。皆、もっと生きたいと願っていた。
私が彼女達に報いるたった一つの方法……それは、もう誰も巫女を死なせないこと。そのためになら、私がいくら傷ついたって構いはしない。
「……会って間もないけれど、私は貴女が死んだら悲しいわ。巫女としてではなくて、普通の女の子として生きて欲しい」
「鷹司、さん……」
「お願い……これ以上、私に誰かを看取らせないで」
心からの本心だった。いくら身体が傷付こうと、いくら痛くても、一番辛かったのは大切な人との別離だったから。それに、九重さんは星奈と重なってしまってどうにも気になってしまう。
「私は死にません」
「巫女は皆そう言うのよ」
「だとしても、私は死にません」
「っ……!」
大きく踏み込んで一歩、一瞬で距離を詰めて九重さんをベッドの上に押し倒す。知り合いが『瞬歩』と呼ぶその一つの動作だけで、彼女は頸動脈にナイフを突きつけられていた。
「私がその気だったら、貴女は死んでいたわ」
「……でも、死んでません」
「詭弁よ。変異種はこの程度じゃない」
じっと九重さんの瞳を見つめる。眼鏡を掛けた、綺麗な茶色の瞳。私たちは、そうして数分の間見つめ合っていた。言葉は無くとも、目を逸らしたら負けだと思ったから。
「なら……鷹司さんが、私を守ってください」
「……は?」
不意に、九重さんはそんな言葉を発した。彼女は私の視線から目を離さず、潰れた右腕に両手を添えてきた。
「私は愚かです。巫女の責務の重さも、辛さも、自分の弱さすら分かっていませんでした。その結果、鷹司さんにこんな怪我を負わせてしまいました」
「えぇそうよ。だから──」
「でも、私は巫女を止めません。たとえ死ぬと分かっていても、私は巫女を続けます。その道中できっと、私は今日のように危険な状況に陥ることでしょう」
九重さんの手は震えていた。どれだけ強がろうと、彼女はまだ15才の少女で、子供だ。今日だって、トラウマになってしまうのが普通だろう。
「その時は、鷹司さんがまた助けてください。そうしたら、私は死にません」
「貴女、どれだけ無茶苦茶なこと言ってるか分かってるの?」
「分かっています。だから、その代わりに鷹司さんがピンチになったら、今度は私が助けます」
そんな少女が、必死に言葉を尽くして私を納得させようとしている。絶望しか無い巫女を続けるためだけに。
「私は弱いです。でも、それは鷹司さんだって同じはずです」
「……貴女よりは強いわ」
「弱いことは否定しないのですね」
「事実だもの。所詮、私はドーピングと小手先の技術で凌いでいるに過ぎないから」
それはきっと、彼女の信念がためだろう。私が誰にも死んで欲しくないと願うように、彼女の巫女としての原点がためだろう。
「すぐに追いついて見せます。そのまま追い越して、鷹司さんが助けてと言ったら、その時は必ず手を取って、一緒に走ってあげます」
「だから……それまでは守ってくれって?」
「そういうことです」
けれど、彼女がこうして巫女を続けようとしている一番の理由は……
「もう、貴女を一人にはさせません」
私を、孤独から救うためだ。自らの信念と同じほど、私のためを思ってくれているのだ。そう思うと、私は否定の言葉を口にできなかった。
「はぁ……さっきまであんなに泣いてた癖に、強がっちゃって」
「なっ……! べ、別に泣いてませんし!」
「下手な嘘ついちゃって。今も少し涙目よ」
「うぅ~……! って、何笑ってるです!」
「え? ふふっ、いやいや笑ってないわ」
「嘘が下手なのはどっちですか!」
久しぶりに、貼り付けた笑顔ではない、本当の笑みが浮かんだ気がする。そういえば、こうして本音で話し合うなんて、何時ぶりだろうか。そんなことすら、私は忘れかけていた。
「……ありがとうね、九重さん。貴女の気持ち、とても嬉しいわ」
「野乃花、です。苗字じゃなくて、ちゃんと名前で呼んでください」
「分かったわ、野乃花」
ベッドの上で私たちは向き合った。私にはもう、迷いは無かった。
「承知したわ。貴女のことは、私が絶対に守ってあげる。その代わりに、私と一緒に戦ってくれる?」
「もちろんです、鷹司さん」
「……私も、天で良いわ。これからは仲間、だものね」
「っ……! はい! 天さん!!!」
嬉しそうにこちらへ抱きついてくる野乃花を受け止める。同い年だからだろうか、やはり星奈が重なって見えてしまう。
……星奈も、私の境遇を知ればきっと同じ事を言うのだろう。その時、私はどうすれば良いのだろうか。今も、答えは出ないままだ。
それでも、私は足掻く他ない。野乃花を、星奈を、私の手の届く人達を守るため、私は巫女としての責務を全うする。
「末永く、これからもよろしくお願いしますね!」
それがもし、自らの命を差し出すことになろうと、だ。




