もう終わったはなし 2
お姉ちゃんが昏睡状態に陥ってから、一ヶ月が過ぎた。身体は既に傷が塞がっていて、何処も悪いところなんて無いというのに、お姉ちゃんはまだ目覚めない。
「変異種の干渉……それって、本当なの?」
「あぁ。もちろん、そうではない可能性はあるが、少しでも可能性があるなら潰しておきたい」
奏さんが危惧していたのは、お姉ちゃんが変異種の攻撃を受けている可能性だった。精神に取り憑き、少しずつメンタルを削る……そして、生殺し状態で神力を吸い取る。そんな、陰湿な戦い方をする奴も居るらしい。
「儂が知っているケースじゃと、身体は全く平常なのに目を覚まさず、そのまま永遠に眠ったままになった巫女もおる。天がそうならないとは、言い切れんからな」
「……っ! そんなこと、絶対させない……!」
「……天川さん。それで、私達は何をすれば?」
「天ねぇに取り憑いてる変異種をぶっ飛ばせば良いの?」
「それが出来れば一番じゃが、こういった手合いは総じて隠れるのが上手い。まず、見つける頃には手遅れになるじゃろうな。そこで、これの出番じゃ」
そう言って、奏さんは1枚の鏡を取り出した。くすんだそれは、曇っていてまともに鏡として使えそうもない一品だった。
「これは、元々、ある巫女が神力兵装として用いていたものでな。今となっては一部の機能を使用するのが精一杯じゃが、その中に心に侵入するという能力がある」
奏さんは愛おしそうに鏡を撫でると、私を見つめた。
「大切な妹で、心を許しておる星奈であれば、天の心に入るのも容易いじゃろう。変異種が居るとすれば、必ずそこに根を張っているはずじゃ」
「お姉ちゃんの、心の中……」
正直に言ってしまえば、私は怖かった。お姉ちゃんが、私のことを疎ましく思っているのではないかと、そう考えてしまったから。
「……なぁ、天川師範。それは、星奈一人じゃないと駄目なのか?」
「私達も、星ちゃんと、戦いたい」
「二人とも……」
そんな時だった。二人が、私の手を握ってくれた。どうしようもなく臆病な私を元気づけるように、力強く握りしめてくれた。たったそれだけのことで、何でも出来そうな気分になるのだから、本当に不思議だ。
「ふぅむ……あくまで心に入るのは星奈。すみれと巴はサポートに徹するのであれば、それほど影響は無いだろう」
「それで十分だよ。二人とも、ありがとう」
覚悟は決まった。私達はその日のうちにお姉ちゃんの元へ行き、準備を整えた。
少し痩せたお姉ちゃんは、未だ痛々しい姿をしていた。これ以上、お姉ちゃんが傷付いて良い訳がない。これからは、私達がお姉ちゃんを守る。
「お姉ちゃん……今、行くからね」
お姉ちゃんの手を握りながら、私は鏡を見つめた。しばらくすると、鏡面に何かが映り始めた。ぼやけたそれをジッと見ながら、私は少しずつ、意識を落としていった……
1
「……え? せん、ぱい……?」
「鷹司か……なんで、戻ってきた」
雪が降っていた。周囲に人気は無く、風の音だけがただ耳を吹き抜ける。真っ白な地面の一部が、赤黒く染まっていた。地面に倒れ伏したまま、動かない先輩巫女の出血によって。
「は、早く再生の護符を!!!」
「無駄だ。もう、手遅れなんだよ」
赤髪の巫女が、諦観の言葉を吐く。いいや、そんなはずない。だって、先輩は私達の中で二番目の実力者だったんだ。いつも強くて、周りをよく見ていて、口足らずなこの人のフォローをいつもしてくれていた。
それが、こんな呆気なく、死んだ? そんな、嘘だ。これは、悪い夢なんだ……
「一条……やっぱりお前も、私を置いていくんだな」
悲しげなアカネの顔が、これが現実だと告げていた。その日は、どうやって帰ったか覚えていない。気がついたら制服を着たまま、布団を被って震えていた。
「震え……止まらない」
手が擦り切れて、筋肉が悲鳴をあげて、毎日のように苦痛に苛まれる。一体、いつになったら終わるんだ? 今日もまた、私は益体のないことを考えている。
先輩が死んでも、世界は何一つ変わらない。皆、何にも無かったみたいな顔して普通に暮らしている。私の胸の中には、悔恨と絶望ばかりが渦巻いているのに。どうして、私は普通に暮らせないの?
「……星奈、すみれ、巴」
部屋に飾っていた写真を抱きしめる。中学生になった三人が、とても良い笑顔で笑っている。あぁそうだ、私は彼女達の笑顔を、平和を、未来を守るため、巫女になった。その結果として、三人はこんな風に笑っていられる。
けれど、考えてしまう。どうして、私がこんなことをしなければいけないの、と。大切な妹達が幸せな横で、私はどうして、こんなに苦しくて仕方がないのか、と。
「駄目よ……考えちゃ、駄目」
先輩で、巫女が死ぬのは4人目だ。中には私の後に入ってきて、すぐに死んでしまった子も居る。多分、次に死ぬのは私だ。今のメンバーで一番弱いのは、私だから。
「やめろ……やめて」
きっと痛いだろう。身体が裂けて、血が溢れて、変異種に食い殺される。私が守ろうとしたものも、守り続けると約束したものも、全てが台無しになる。私が、弱いから。
「もう、いや……!」
何も守れない。何も残らない。何も救われない。全部、私がしてきたことは無駄になる。全部全部全部全部……!!! 私の、せいで……!!!
「誰か……助けて」
あぁ……どうか、お願いします。私はどうなっても良いから、せめてあの子達だけは……妹や遺された巫女達を、どうか救ってください。私のしてきたことは無意味じゃ無かったって、証明してください。それだけが……私の、たった一つの望みです。
2
「──なに、これ……」
まるで、私がお姉ちゃんになったみたいだった。お姉ちゃんの絶望が、苦痛が、恐怖が、濁流のように流れ込んできた。
「う”ぅ……! おねぇ、ちゃん……!」
涙が止まらなかった。私が、学校で退屈な授業を受けている間も、お姉ちゃんの心は擦り切れていた。私がお姉ちゃんを待っている間も、お姉ちゃんは傷付きながら戦っていた。お姉ちゃんは、お姉ちゃんは、お姉ちゃんは……!
「ごめんね……お姉ちゃん」
頭の中がぐちゃぐちゃだった。お姉ちゃんへの愛と、後ろめたさが混ざり合ってどんどん濁っていく。お姉ちゃんはずっと、こんな風に苦しんでいたんだね。ほんの少しだけ、理解出来たよ。
「星奈……今日はもう――」
「平気、です……お姉ちゃんは、もっと苦しかった。私がこの程度で、弱音吐いてられないですから」
「私達も、まだ……大丈夫」
「グスッ……私らは、この事実から目背けちゃ駄目だから。ちゃんと、背負わないと」
すみれと巴にも、あの光景が見えたようだった。二人とも、私と同じくらいお姉ちゃんのことが大好きだから、きっと辛かっただろう。でも、進むことを選んだ。それが、私達のすべきことだから。
「じゃあ、もう一度行くよ……」
目指すは、お姉ちゃんのもっと深いところ。深層意識の奥の奥。お姉ちゃん自身ですら、無意識の領域へ。そこにきっと、お姉ちゃんの原点があり、もし存在するなら変異種もそこに居るはずだ。
眩い光と共に、私の意識は再度、深いところへと落ちていったのだった。




