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ハッピーエンド以外は認めません!

作者: KUMANO
掲載日:2025/10/04

何年か前に書いた小説を偶然発掘したのでこの場にて供養。

よくある終わりから始まるお話です

「どうしてこんなことになってしまったのだろう」

 


雲一つない蒼穹(そうきゅう)の下、運命の日が訪れた。


 王城前の広場、普段は民達の憩いの場として賑わっているこの場所だが、今日そこに集まっている民達の視線は、憩いの場と呼ばれるにしては到底似つかない、おどろおどろしい断頭台に注目されていた。

 

 処刑台には縄に繋がれた罪人2名、王女ラヴィーナとその臣下ルーナが、跪いた状態でその時を待っていた。

 

 物々しい雰囲気の中、銀色の鎧に身を包んだ、初老の処刑執行人が壇上に上がった。

 執行人は険しい表情のまま片手に持っていた羊皮紙(ようひし)を開く。


「これより、大罪人の処刑を執り行う!」


 威厳を感じさせるような声が広場に響き渡った。


「この2名はネーヴェ女王陛下の暗殺を企てた……__」

「(どうしてこんなことになってしまったのだろう……)」


 執行人が、2人にとっては全く身に覚えのない罪状を、事細く淡々と説明している。


 ルーナは(うつろ)な目のまま隣で跪いているラヴィーナを見た。ルーナよりも長い間牢に繋がれていたせいか、彼女はただ空虚を見つめていた。


 あんなに美しかった翡翠色(ひすいいろ)の瞳には光がなく、ぶつぶつと聞き取れない程の小声で、何かを呟いている。


 普段から気弱で、臆病な性格だった彼女は、幼い頃から姉王女の陰湿な嫌がらせを受け続けながらも、「いつか姉に認めて貰えるように」と必死に努力と研鑽を積み重ねてきた。ラヴィーナの臣下に抜擢(ばってき)された時、ルーナはそんな彼女の献身的な姿勢に心を打たれ、「このお方は私がお守りせねば」と剣に誓った。


 それなのに、なんて様だろうか。ルーナは己の不甲斐なさに唇を噛んだ。

 

「(あの男さえ……あの男さえいなければ……)」


 民達の(さけず)むような視線を受けながら、ルーナはこんなことになってしまった元凶であろう、男の顔を思い浮かべながら断頭台に首を預けた。


 首を固定されたその時、(せば)まった視界に突如、処刑台には似つかわしくない黒いヒールが入った。

 ルーナは茜色(あかねいろ)の眼球だけをどうにか動かして黒いヒールを履いた人物の顔を見た。


「いい気味だわ」


 そこには、王女ラヴィーナの実の姉であり、この『ブランシュ王国』を治める女王ネーヴェが、妖艶な笑みを浮かべながらルーナを見下していた。


「誓いを交わした主よりも男を選んだ愚かな女と……。臣下に裏切られた挙句、血の繋がったこの私を殺そうとした……(いや)しくて愚劣(ぐれつ)な妹王女には相応(ふさわ)しい最期ね」


 女王ネーヴェは、手に持っていた扇で優雅に自分の顔を仰ぎながら、ルーナの頭をヒールで踏みつけた。

 ルーナは歯を食いしばって屈辱に耐え、


「……愚劣は……どっちだ」


 と楯突(たて)いた。

 しかしその声に覇気はなく、女王ネーヴェには届かなかった。

 彼女は満足したのか処刑台を降り、絹のように長く、美しい金色の髪と、真紅のドレスを(なび)かせて、2人の首が落ちる様を、最も良く見える場所に用意された豪奢(ごうしゃ)な椅子に腰を下ろした。


「私の人生って……、なんだったのだろう」


 ルーナの脳内にはこれまで生きてきた30年間の記憶が走馬灯のようにどっと蘇ってきた。

 思えば両親を不慮の事故で失ったあの時から、彼女の全ては狂い始めていたのかもしれない。


「もし……、もし最初から全てをやり直せるのなら……、母さん……父さん」


 ルーナは叶うことの無い願いを込めながら目を閉じて、己の首を落とす刃を待った。


 しかし目を閉じたのも束の間、耳を劈くような大きな爆発音と大きな振動に、ルーナは驚きながら再び目を開けた。


 眼前には破損した刃が無惨に転がり落ち、固定されていた首は解放されていた。

 

 自由になった首を持ち上げて辺りを見回した。王女ラヴィーナは無事なようだ。

 この喧騒の中でも、先程と変わらず空虚のままだ。

 再び辺りを見渡すと、民衆の視線が一点に集中していることに気づく。女王ネーヴェも、民衆と同じ場所を憤怒の形相で見つめている。


「……なぜ……ここに……」 


 ルーナは驚愕した。


 彼らの視線の先には、先ほどまで思い浮かべていた。

 ルーナをこのような状況に陥れた元凶であり、彼女にとって最も憎むべきとも言える隣国の王子コルウスがいたからだ。


 鼠色の使い古されたルーブで全身を包み、ボロボロの包帯で片目を隠すように巻かれている。

 常人から見れば誰なのか全く判別がつかないが、瑠璃色の片瞳と、ローブの間から少しだけ覗く褐色の肌で、ルーナと女王ネーヴェは、すぐに彼の正体が王子コルウスであることに気付いた。

 

 王子コルウスは馬に跨ったまま魔法を放ち、断頭台を破壊していた。

 そして今度は無差別に魔法を放ち始めたのだ。


 突然のことに訳も分からず民衆は逃げ惑う。


「まだ生きていたのね……大人しく兄弟で殺し合っていれば良かったものを……」


 ネーヴェは徐に立ち上がると、傍に控えていた護衛兵に扇を渡し、代わりに細身の剣を受け取った。


「同盟を結んでいるアネモスの第三王子が、許可もなく勝手に我が領土に足を踏み入れ、あまつさえ民衆に手をあげるとは! なんたる裏切り行為か! 許されざるその罪、死をもって(あがな)いなさい!」


 女王でもあり、国内でも随一の剣の腕を持つネーヴェは、自ら王子コルウスに向かっていった。


 馬に(またが)ったまま応戦する王子コルウス相手に、ヒールを履いているのにも関わらず俊敏な動きを見せる。


 そして、そんなネーヴェの戦闘に奮起した兵士たちも武器を持ち、王子コルウスを打ち倒そうと広場は混戦状態になってしまった。


 沢山の兵士たちに囲まれながらも、王子コルウスは一人で戦い続けている。


「__……姫様!」


 混戦の最中、ルーナは落ちた刃で縄を断ち切ると、すぐさま王女ラヴィーナのもとへと駆け寄った。

 このような状況の中でも、彼女は魂が抜けたように呆けていて、相変わらず小声でぶつぶつと何かを呟いている。


「姫様! 気をしっかり持って! 早くここから……!」


 「逃げよう」そう続けようとした時、ふとルーナの耳に、何かがどさりと落ちる音が聞こえた。

 ルーナはまさかと思い音がした方へ視線を向けると、民たちや兵士たちの死体が転がっている中、攻撃を受けたのか落馬し、砂埃が舞う地面に伏している王子コルウスの姿が目に入った。


「……散々邪魔をしてくれたお前は……、この私が直々に殺してあげるわ」


 息を切らし、乱れた髪もそのままに、女王ネーヴェは王子コルウスの喉に、剣の(きっさき)を当てがった。そしてゆっくりと持ちあげ、勢いよく振り下ろそうとした時。

 女王ネーヴェの体に衝撃が走った。


「……やって、……くれた……わね……!!」


 女王ネーヴェの胸元を貫いた兵士の剣。


 剣が引き抜かれると同時にとめどなく血が溢れ、真紅のドレスが更に赤黒く染まっていく。


 女王ネーヴェは、己の手から離れそうになった剣を強く握りしめると、流れる血が周囲に飛び散るほどに勢いよく振り向き、剣を突き立てた張本人であるルーナに対して鬼の形相のまま剣を振り上げた。


 しかし女王ネーヴェの剣がルーナを斬るその前に、彼女に負けず劣らずの剣の腕を持っていたルーナが、紙一重でネーヴェの身体を斬り捨てた。


「……その男を殺すのは……私の役目」


 倒れ、動かなくなった女王ネーヴェを一瞥(いちべつ)すると、すでに虫の息状態のまま仰向けに倒れている王子コルウスを見下ろした。


 そして痩せ細った手で、王子コルウスの首を片手で掴み、血に塗れた剣を突き立てた。


 少しでも動かせば彼の首を貫ける。


 だが中々ルーナの手は動いてくれない。


「あなたのことが憎い……。私の全てを奪ったあなたが……、心の底から憎らしい、殺したい程に……。なのに……」


 ルーナの両目からぽたぽたと涙がこぼれ落ち、彼の頬を伝う。


「どうして……、どうしてこんなにも悲しいの……」


 ルーナの心を支配している憎しみの感情の中で、僅かに残っていた彼への愛情が、殺すことを拒絶していた。


 確かに二人は、一時期に親密な関係になっていた時期もあった。

 しかしお互いの身分の差や、長引く戦争と彼の腹心の死を機に、次第に様子がおかしくなっていく彼を見るのが辛くなったルーナは、彼の元から離れるという道を選んだ。


 だがルーナに対して歪んだ愛情を募らせていた彼は、ある日ルーナを無理矢理連れ出し、長い間狭い部屋に閉じ込めていた。

 ルーナが「主の元に返してくれ」とどんなに懇願しても聞き入れず、一方的に彼女を愛した。

 

「……ルーナ……」


 剣を突きつけながらも躊躇(とまど)い続けるルーナに、今にも消えてしまいそうなくらいに小さい声で、王子コルウスが重い口を開いて訥々と話し始めた。


「こんな愛し方しか……、知らなかった俺を……、許さなくていい、憎んでくれていい……。それでも俺は……、今でも、そしてこれからも……、死んでも、……ずっと君を愛している……」


 コルウスは最後の力を振り絞り、右手でルーナの頬を伝う涙を拭くと、ゆっくりと力尽きた。

 

「散々人を(もてあそ)んでおいて……復讐もさせてくれないだなんて……最悪だわ……」


 ルーナは剣を捨て、拭ってくれた彼の右手をそっと握りしめた。


「あなたなんて嫌い。大嫌い……。でも……私は……嫌いな感情と同じくらいに、あなたのことを……」


 次の言葉を紡ぐ前に、突如ルーナの体と、王子コルウスの遺骸(いがい)が炎で包まれた。


 生きたまま、皮膚が焼け(ただ)れていく耐え難い激痛の中ルーナは悶え苦しんだ。

 そんなルーナを、先ほどまで光が入っていなかった瞳からは打って変わって、怨恨(えんこん)の炎を瞳に燃やした王女ラヴィーナが、手に魔力を溜め込んで再び魔法を放とうとしていた。


「ずっと……、ずっと一緒にいてくれるって、約束したのに……!、そんな男を選ぶだなんて……! この裏切り者!」


 姉に認めて欲しくて、ルーナと共に修練を積んだ魔法で、王女ラヴィーナは再び魔法を放った。

 憎しみの炎はルーナの体を燃やし尽くしていく。


「(あぁ……、私も……、憎まれる側の……人間……だった……)」


 ルーナは薄れ行く意識の中、肌は黒くなり骨が見えかけている腕をラヴィーナに伸ばす。


「ひめ……ふが……いない……。わた……ゆる……し、て……」


 そしてルーナはコルウスだった遺骸(いがい)の傍に倒れ絶命した。

 

 有象無象の死体が転がり、誰もいなくなった広場。

 肉が焼け焦げたような鼻をつく臭いが辺りに漂う中、一人残された王女ラヴィーナは、フラフラとあてもなく彷徨っている。


「誰か……、誰でもいい……。私を……誰か私を愛し……」


 泣きながら彷徨う王女ラヴィーナの胸元を、細身の剣が貫いた。

 奇しくも姉、女王ネーヴェと同じ箇所に剣が刺さり、彼女は最期まで愛を求めながら崩れ落ちた。


 そしてすでに死んでいてもおかしくない程の血を流しながらも執念で立ち上がり、実の妹を刺し殺した王女ネーヴェは、軽蔑の眼差しで死んだ妹を見下ろした。


「お前だけ、生き残……るのだけは……私が絶対に……ゆるさない……」


 雲一つない蒼穹(そうきゅう)の下。

 愛憎(あいぞう)渦巻く哀れな者たちの一生が、(ようや)く幕を閉じたのだった。



 *****



「…………は?」


 苦しいほどの暑い夏が(ようや)く過ぎ去り、秋を知らせる鈴虫の音色が美しく奏でる10月の某日。


 もうすぐ31の誕生日を迎えるしがない会社員の秦優里(はたゆうり)は、寝室のベッドに寝転がりながら、貴重な休日を趣味の読書に勤しむことで満喫していた。


「こんな誰一人救われない終わり方ある?」


 優里が今まで読んでいたのは、本屋で何となく気になって購入した『愛憎相半(あいぞうあいなか)ばする』という題名の小説だ。


「ありえないんですけど! ていうか王子の散り際のセリフ何!? 『こんな愛し方しか知らない』……って! 確かに戦争の最中唯一信頼できる腹心を失って以降殺戮に狂っていく過程で倫理観も一緒に狂ったならわかるけどさぁ! にしてもよ! 女王と妹王女もすれ違いすぎ!! ちゃんと腹割って話し合え! 主人公も主人公で受け身体質がすぎる! 読んでて正直うざったい! 全員揃って拗らせすぎ! この小説最初から最後までまともな人間が王子の腹心くらいしかいねぇ! どうなってんだ!」


 優里は小説の感想という名の登場人物に対する鬱憤を一息で捲し立てた。


「か〜〜っ!! こいつら全員の根性と倫理観叩き直して〜〜!!」


 優里が読んでいた『愛憎相半ばする』は、勇猛な騎士が治める「ブランシュ王国」という国の王女様に仕える一人の女性魔法剣士を主人公に、彼女を取り巻く様々な愛憎が入り混じる群像劇だ。


 そして優里が読んできた幾多の小説の中でも特に悲劇的な、誰も救われることのない物語。

 

 主人公の名前はルーナ・クレシエンテ。


 「ブランシュ王国」と隣接している、叡智(えいち)に富みんだ魔導士が治める「アネモス王国」との国境付近にある小さな村で生まれた。

 ルーナは優しい両親と共に幸せな幼少期を過ごしていた。

 しかし彼女が5歳になるころ、両親は仕事中不慮の事故に巻き込まれ他界してしまう所から物語は始まる。

 

 幼くして孤独になり、悲しみに暮れていた時、村の外れにある森の奥にひっそりと住んでいたとある老人に拾われ、

 彼と共に過ごすことを余儀なくする。そこからルーナの波乱万丈とも言える一生を、第三者視点から描いている。

 

 この小説の見どころは、主人公であるルーナだけでなく、登場人物の心情的変化を細かく描写している所だ。


 特に、ルーナの人生を大きく左右させることになる「アネモス王国」の第三王子。コルウス・アートルムは、初登場時点ではまともな人物として描かれていた。


 しかし南の大国「アレーナ帝国」との戦争を(つづ)った章では、彼の腹心であり、コルウスが幼いころからずっと傍にいて、どんな時でも味方でいてくれた臣下。レインという男を、戦いの中で(うしな)ってから心身を病んでしまう。


 そしてその傷は、主人公ルーナでは癒すことが出来なかった。

 

 更に、コルウスは心の傷を無理矢理埋めるかのように、殺戮(さつりく)の快楽に溺れてしまい、歪んだ愛情をルーナに捧げ狂っていく様を、まざまざと見せつけられる。

 

 他にも、主人公ルーナの主である「ブランシュ王国」の第二王女、ラヴィーナ・ベンティスカと、彼女の実の姉でもあり、後に父である国王を暗殺して王となるネーヴェ・ベンティスカ。

 

 この姉妹のすれ違いから生まれてしまった情恨(じょうこん)の連鎖等……。


 読み進めていると読者の精神をも抉ってくる、異色の作品だ。

 

「……あ、今度作者さんのサイン会やるんだ」


 優里は一頻り感情を爆発させた後、気晴らしにSNSでも見ようとベッドに寝転がり、スマートフォンを手にとった。

 しばらくダラダラとスマートフォンをいじっている中で、自分の思いを自由に呟くことのできるアプリを開いた時、とある呟きが優里の目を引いた。


『『愛憎相半(あいぞうあいなか)ばする』発売記念! 原作者「月読右近(つくよみうこん)先生」のサイン会を実施いたします! 日時と場所は下記URLをご確認ください__……』

「えっ! 割と近所じゃん!」


 『月読右近』はマイナーな作家で、優里もこの小説を手に取った時初めてその名前を知った。

 小説を読んでいる途中、優里は『月読右近』がどのような経歴を持つ人物なのか、気になって調べてみたのだが、情報全く出てこなかった。


「……電車で一駅だし、行ってみようかな」


 優里は『月読右近』がどのような人物で、どのような思いでこんな悲しい小説を執筆したのか、気になって仕方がなくなった。


「よし! 行こう! そしてあわよくば直接聞いてみよう!」


 優里はベッドの上に仁王立ちすると一人意気込んだのだった。


 ******

 

 そうしてあっという間に翌週の土曜日となり、優里は高揚とした気分のまま、サイン会が催される書店へと足を運んだ。


 書店の入り口には、「『月読右近』先生のサイン会はこちらです」という看板が立てかけられていた。

 その看板の通りに歩いていくと、イベントスペースが設けられておりすでに30人ほど並んでいた。


「思ったより人いるな……」


 優里はカバンから本を取り出して最後尾に並び待つこと約30分。

 ついに優里の順番が後もう少しというところまで回ってきた。

 『月読右近』がいるであろうスペースはパーテーションで仕切られており、中を確認することはできない。


「あの壁を隔てた向こうに……! 『月読右近』先生がいらっしゃる……!」


 段々と心臓は高鳴り、本を握りしめる手からは汗が滲んでくる。

 優里は少しでも緊張を和らげようと一度大きく深呼吸をした。

 するとパーテーションの向こう側から、書店員が顔を出し「次の方どうぞー」と声をかけてくれた。


 優里は生唾をごくりと飲み込み、意を決して歩き出した。


「し、失礼いたします……」


 中に入ると、全身を真っ黒な服に身を包んだ人物が座っていた。

 サインペンを持つ手でさえも、黒い手袋を着用している。


 フードの隙間からは長く黒い髪が垂れている。

 顔にはお祭りの屋台でよく売っているような狐のお面を被っていた。

 見えているのは口元のみで、自らの素性が明るみに出ないよう徹底的に対策している、というのが一目で分かった。


「あ、……あの、……お、お願いします!」


 優里は『月読右近』が放っているその面妖(めんよう)な雰囲気に少し狼狽えた。

 だが急がなければ、時間がなくなってしまう。という焦りから、どもりながら本を手渡した。


「あの……、あの……、面白かったです!」

「……そう。ありがとう。楽しんで貰えたのなら嬉しい」


 右近は慣れたようにサラサラとサインを書いていく。


 先週に聞こうと思っていた内容はすでに頭から抜け落ち、全く捻りのない感想だけが優里の口から溢れた。

 すると右近の口からはとても落ち着いた、聞いていて心地の良い女性の声が聞こえた。

 

「……あの、どうして、バッドエンドにしようと思ったのですか?」


 洗練された、美しいサインが書かれた本を受け取った優里は、「今を逃したら、もう二度と会えないかもしれない」と思い、ずっと聞きたかった疑問を口にした。


「あっ! す、すみません……! け、決して批判の意図は……!」


 しかしすぐに優里は謝罪した。

 緊張のあまり歯に衣着せぬ言い方をしてしまい、右近が気を悪くしてしまったのではないかと思ったからだ。

 当の右近は仮面のせいで表情が読み取れない。


「……あなたにとってはこの物語がバッドエンドに映ったのね」

「……右近先生にとっては……違う……んですか?」

「違うも何も……、私はこの終わり以外の終わりを知らないもの」

「……?」


 まるであの物語はバッドエンド以外あり得ない。

 そう断言しているようにも捉えられ、優里は思わず首を傾げた。

 そんな優里を見て、右近はほんの少しだけ口角を上げながらサインペンを置き、机の上に両肘をつきながら尋ねてきた。


「あなたは彼らを幸せにしたいと思う?」

「え? ま、まぁ……できるなら」


 優里は右近がどうしてそのようなことを聞いてくるのか全く理解できず、更に首を傾げた。

 けれども何も答えない訳にはいかず、ひとまず当たり障りのない回答をすると、右近は更に口角を上げて、まるで暗い森に潜む魔女のように妖しく笑ってみせた。


「ふふ……そう。だったら……、やってみる?」

「へ?」

「『私』ができなかったこと、『あなた』がやってみせて?」

「……え?」


 仮面に遮られてよくは見えないが、仮面の奥から優里の全てを見透かしてくるような、どこか神秘的で、それでいて畏れすらも感じられるような鋭い眼差しを感じ取った優里は息を呑んだ。


 すると右近は手招きをするかのようにゆっくりと右手を差し出した。


「『あなた』が彼らを、幸せな結末に導いてみて」


 予想だに出来ない言動に、優里は面を喰らいながらも「それは一体どういう意味だ」と、問おうとしたその時、仮面の奥に見えた瞳が、一瞬だけ赤く輝いた。ような気がした。

 


「__……不思議な人だったな〜」


 優里は右近のサインが入った小説を両手で大事に抱えながら電車を待っていた。


 陽は傾き、茜色に輝く夕焼けは妖しくも美しく駅のホームを照らし、何羽もの烏が忙しなく鳴きながら空を飛んでいる。


「最後の……どういう意味だろう……。もしかして、原作者公認の二次創作を書けと!? いやいやいや語彙力ぽんこつな私が小説なんて書けるわけないし! 多分右近先生なりの冗談……だよね?」


 最後に右近が残した言葉。

 その真意を聞く前に書店員によって、時間ですと追い出されてしまっていた。

 おかげで優里はもやもやとした感情が残ったが、それよりも原作者に会え、会話もできた喜びの感情の方が圧倒的に大きく、それはまさに天にも昇る心地だった。

 

「また会えるといいなぁ……」


 優里はホームの最前列で電車を待っていた。

 

 「〜番線に電車が参ります。危ないですから__……」という無機質なアナウンスが流れる。


 全国の駅のホームではここ数年で、飛び込み事故などを防ぐためのホームドアが、新しく設置され始めている。


 この駅も例外ではなく、つい最近ホームドアが設置され電、車が止まるまでは勝手に開くことは、何らかの誤作動が起こらない限り、絶対にあり得ない。


「(明日の仕事が憂鬱だ……。そして後ろの人近すぎ……)」


 電車が迫ると同時に、優里の後ろに並んでいる客たちが次第に距離を詰めてくる。

 中には仕事を終えて、一刻も早く電車の席に座って一息つきたいと思う人たちがいるから、自然の流れではある。だがどうしてもこの圧迫感は苦手だと、優里は心の中でため息をついた。


「(今日の夜ご飯何にしょうかな……)」


 暗くなり始めた駅のホームに、電車の接近を知らせる警笛が響く。


 その時だった。


「……は?」


 優里の目の前に設置されているホームドアが、まだ電車が来ていないのにも関わらず勝手に開いた。

 呆気に取られていたのも束の間、優里の背中に強い衝撃が走ると同時に、身体がホームドアを超えて線路に投げ出された。


「(あ、終わった)」


 宙に浮く身体。

 目前に迫る電車。


 人は死を覚悟した時、意外と冷静になれるらしい。

 優里の視界には、自らの手から離れて宙を舞うサイン付きの本と、本の背後に見える、血のように染まる茜空(あかねそら)


 そしてその景色を最期に優里の視界は真っ暗になってしまった。


「(死んだ……のかな……?)」


 電車に轢かれた割には不思議と痛みはなく、かといって身体は動かない。

 真っ暗な視界の中ずっとふわふわと、例えるのなら、水中を漂うかのような不思議な感覚に包まれていた。


「(お母さん……お父さん。ごめんなさい……こんな親不孝者で……きっと地獄行きだな……)」


 優里は実家の両親へ、ろくな恩返しも出来ず先に死んでしまった後悔と共に謝った。

 そして己の魂の行く先は極楽浄土などではなく、地獄の炎に焼かれる苦しみを、許されるその時まで味わい続けるのだろうと覚悟していた。


「(赤い……光……?)」


 そんな時、真っ暗だった視界の中に、最期に見た茜空のように赤い光が突如現れた。


「(……そうだ、きっと……、地獄への入り口だ……)」


 優里はすぐにあの光の正体は地獄の炎なんだと気付く。


 本当は地獄なんて行きたくない。

 けれども意に反して赤い光はどんどん明るみを増し、優里の視界を赤く染めていく。


「(逃げられない……。せめて苦行の先にある来世が……、ほんの少しでも良い人生になりますように……)」


 これから先に待ち受けるだろう永い苦行と、来世への願いを込めながら、輝く赤い光に身を預けた。


「いってらっしゃい」


 優里の視界が真っ赤になったその時、耳元で艶やかな女性の声が聞こえた。

 その声は優里の切実な願いとは裏腹に、彼女のこれからの門出を祝うような、欣喜(きんき)に満ちた声だった。

 


「……どこ、ここ……」



 赤い光が収まり、重たい瞼を上げた優里の視界には――

 一面の緑が広がっていた。

 

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