離婚したい女と離婚したくない男の結婚
「新婦、カレン・アイラス。あなたはいついかなる時も夫を愛し、敬い、慈しみ、支え合うことを誓いますか?」
「……誓います」
「それでは誓いのキスを」
「……カレン。こっち向け」
「……わかってるわよ」
……
………
…………
……………チュッ
「これで二人は晴れて夫婦となりました。皆様、拍手を!」
私たちはたくさんの人に祝福され、永遠の愛を誓い合った。たとえそれが互いに望まぬ相手であったとしても。
◇◇◇
「カレン。ちょっといいか?」
それはある日の昼下がり。剣の訓練を終えた私の元に父がやってきた。
「お父様、どうかされましたか?」
「実はな、お前に縁談が来た」
「え、縁談ですか!?」
「そうだ」
私は驚きのあまり剣を落としそうになった。
「わっ!……その話は本当ですか?」
「本当だ」
「う、嘘じゃないですよね?」
「ああ。嘘じゃない」
「ようやく私にも縁談が……!」
私、カレン・アイラスに縁談が舞い込んできたのは、十九年間生きてきて初めてのことであった。貴族令嬢は十八歳が結婚適齢期と言われている。たとえ結婚はまだでも、その年齢なら婚約者がいるのが普通なのだが、私には婚約者すらいなかった。
アイラス家は伯爵家だ。家には何も問題はない。それならば縁談の一つや二つあってもおかしくないと思うのだが、なぜか私にはなかった。家を継ぐ五つ下の弟には既に婚約者がいるというのにも関わらずだ。だが両親は娘に縁談が一つも来ないことに対してまったく焦る様子もない。両親が焦っていないのならと、私自身もあまり気にしていなかった。
しかし友人たちが結婚に向けて忙しくしている姿を目の当たりにすることが増えてくると、さすがに焦りを感じるようになった。いくら剣の腕を磨いても女は騎士にはなれない。いずれは結婚しなくてはならない、という現実に気づいたのが十八歳の時だった。だが現実に気がついたからといって縁談が来るわけでもなく、私はあっという間に十九歳を迎えてしまう。
そんな時に突然やってきた縁談。この縁談は私にとって最初で最後の縁談になる可能性が高い。それならたとえ相手がどんな相手でも嫁ぐ覚悟はできている。
(デブでもハゲでも歳の離れたジジイでも!どんな相手だって構わないわ!)
「……それで、お父様。私の縁談のお相手はどなたなのですか?」
「ゴホン。カレン、喜べ!相手はなんと……」
「なんと……?」
「あの!」
「あの?」
「レイノ・ウィズバーテン君だ!」
全くもって想像していなかった名前。
レイノ・ウィズバーテン。
デブでもハゲでも歳の離れたジジイでもない。ウィズバーテン公爵家の美しき天才だ。
「…………嘘」
「嘘じゃないぞ!ははは、嬉しいだろう?お前はレイノ君のことが昔から好きだったもんな!」
「……はい?」
私は呆然とした。父は私がレイノ・ウィズバーテンを好きだと勘違いしている。一体どうしてそんな勘違いをしているのか。
「お前はいつも『レイノが!レイノが!』と言ってたもんな」
「そ、それは……!」
(たしかに!たしかに言っていたけれども!)
「まぁそう照れるな!」
「ち、違う!」
「ははは!」
父には私の反応がただの照れ隠しに見えているらしい。
「それにレイノ君もお前のことが好きなんだから二人は両想いってやつだな!よかったな!」
「…………は?」
「いやぁまさか―――」
父の一言に私の思考は停止した。父はまだ何か言っているようだが全く頭に入ってこない。
(これは一体どういうことなのよ……!)
◇◇◇
私とレイノ・ウィズバーテンとの関係は一言で言えば『犬猿の仲』である。
私がレイノに初めて出会ったのは十歳の時。父に連れられて行ったウィズバーテン公爵家で出会った。ウィズバーテン公爵家は代々王家の護衛騎士の任を担っており、王家の盾と呼ばれている由緒正しい家だ。
この国では剣を嗜む貴族の女性は少ない。それも当然で、剣を嗜んだところで結婚の役に立たず、むしろ敬遠されてしまうからだ。
それでも私が剣を持つ理由は幼い頃、森で獣に襲われそうになった私を助けてくれた女性がとてもかっこよかったから。私は名前も知らないその女性に憧れ剣を持つようになったのだ。
運のいいことに私には剣の才能があったようで、それがウィズバーテン公爵様の耳に入り、私を公爵家に招待してくれたというわけだ。
そして公爵様のこの一言がレイノとの因縁の始まりだった。
『よかったら息子と勝負してやってくれないか?』
レイノは私の一つ歳上の十一歳。この頃すでにレイノは天才だと言われていて、そんな相手に勝てるわけないと思いながらも、公爵様の提案を断るわけにもいかなかった。
「カレン・アイラスと申します。よろしくお願いいたします」
「はぁ。やるだけ無駄なのはわかってるから一人で剣を振ってた方がマシだな……」
父親に言われて仕方なくと言わんばかりの表情と態度。さすがにイラッとしたが、相手は格上の公爵家の嫡男である。私は無言で剣を構えた。
「それでは、始め!」
「仕方ないからすぐに終わらせてやる。さっさとかかってこい」
「ではお言葉に甘えて。……いきます。はあっ!」
「っ!」
―――ガッ!カン!カン!カーン!
「そこまで!アイラス嬢の勝ち!」
「はぁ、はぁ……」
「……くそっ!」
信じられないことに私はレイノに勝ってしまったのだ。それに加えて公爵様が驚きの言葉を口にした。
「アイラス嬢さえよければうちで訓練しないか?」
名門ウィズバーテン公爵家で訓練を受けられるなどまたとない機会だ。レイノに多少の気まずさを感じながらも、私の返事は一つだった。
「はい!よろしくお願いいたします!」
それから学園に入学するまでの五年間、私はウィズバーテン公爵家で訓練を受けさせてもらうことになった。家から通うのに時間がかかり、二ヶ月に一度のペースでしか参加できなかったが、さすが名門。短い時間でもとても充実した訓練を受けることができた。ただ行く度にレイノに絡まれ、勝負をさせられることになったのだが。
「おい。俺と勝負だ!」
「……また?」
「なんだ?俺に負けるのが怖いのか?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあやるよな?」
「はっ!売られた喧嘩は買ってやるわ!」
「絶対負けないからな」
「それはこっちのセリフよ!」
私が十二歳の頃まではたまに勝てる時もあったが、それ以降は体格や筋力に差が出てきたこともあり、まったく勝てなくなってしまった。レイノもそれをわかっているはずなのに私の負ける姿をよほど見たかったのかずっと勝負をさせられ、こいつ本当に性格が悪いなと何度思ったことか。だけど私は『負けるからやりたくない』などとは絶対に言いたくなかったので、勝負を受け続けたのだった。
学園に入学後も学園にはレイノも在籍しており、顔を合わせる度になにかと私に絡んできた。
授業で分からないところを先生に質問していると、
『なんだ?こんなのもわからないのか?特別に俺が教えてやってもいいぞ』
『……結構です』
全学年合同のダンスの授業では、
『なんだそのドレスは。似合ってないな』
『……そうですね』
クラスの男子生徒と話していると、
『お前には不釣り合いだ』
『……関係ないのでほっといてください』
こんなことが二年間も続きイライラで頭がおかしくなりそうだった。だけどレイノは公爵子息。訓練の時とは違い学園にはたくさんの目があり、伯爵令嬢ごときが生意気な態度を取るわけにもいかず耐えに耐えたのだ。
(どうせ私は天才の誰かさんと違って、頭はよくないし、可愛いドレスは似合わないし、縁談一つこない残念な女ですよ!)
私の成績は中の中。可愛いドレスが似合わない残念な体型。女性としての魅力が皆無。
自分で言ってても悲しくなるのに、なぜレイノに言われなければならないのか。
(なーにが美しき天才よ!ただの嫌味な男じゃない!)
しかし現実は悲しいもので、レイノは頭よし、見た目よし、家柄よしで結婚したい男ナンバーワン。いつも女子生徒からキャッキャ言われていた。
(こっちは縁談一つ来ないっていうのに、選り取り見取りで羨ましいわね。はぁ……)
女子生徒はレイノの婚約者の座を狙っているのだ。美しき天才と呼ばれるレイノには婚約者がおらず、みなその座を射止めようと躍起になっていたのだが、結局レイノは婚約者を作ることなく学園を卒業していった。
この時の私はただ嫌味を言ってくる奴と顔を合わせることがなくなることにホッとしていた。まさか一年後に自分がレイノの婚約者に選ばれるなど夢にも思わずに。
◇◇◇
(私とレイノが結婚?あり得ない!)
貴族令嬢として生まれたからには、望まぬ相手との結婚は覚悟していた。だから相手がデブでもハゲでも歳の離れたジジイでも受け入れるつもりだったが、この縁談だけはどうにかお断りしたい。ウィズバーテン公爵家に相応しい家門の令嬢はごまんといるのだ。必ずしも私である必要はないはずだ。
「お父様。喜んでいるところ申し訳ありませんが、この縁談は」
「そうそう。それにレイノ君と結婚すれば、お前はまだしばらく剣を持つことができるもんな!よかったな!」
「え?それはどういう……」
「ん?ほらレイノ君と結婚すればお前もウィズバーテン公爵家の一員になるだろう?そして王家にはもうすぐ学園に入学する王女殿下がいらっしゃるじゃないか」
「あ……」
王女はまもなく学園に入学し、そして学園卒業と同時に隣国の王太子である婚約者と結婚することが発表されている。王族は学園に入学する年齢になると、同性の専属護衛をつけるのが習わしで、学園内にその護衛を連れていくことが許されている。同性が選ばれるのはいついかなる場所でも対応できるようにするためだ。王女は卒業後に隣国に嫁ぐことが決まっているが、卒業までの間は当然護衛が必要になる。
「まさか……」
「お前に学園在学中の三年間、王女殿下の護衛をお願いしたいそうだ」
「そ、それは本当ですか?」
「ああ」
「っ!」
そろそろ剣を置かなければと覚悟していたのに、数年ではあるがまだ剣を持つことを許されるのだ。こんな魅力的な話はない。
(でもそれだとレイノと結婚するしかない……)
レイノとの結婚はお断りしたい。だけど護衛の話は受けたい。
「まぁ大変栄誉なことだが、その代わり王女殿下がご結婚されるまでは子を儲けることはできないがな」
「っ!それよ!」
どうしたものかと悩んでいた私は父の言葉で閃いた。
(そうよ。王女殿下の護衛は三年間。その間は間違っても子どもを作ることはできない。ということは白い結婚になるじゃない!)
白い結婚は三年経つと離婚することができる。ウィズバーテン公爵家には王女殿下の護衛となれる者がいない。だから私をレイノの結婚相手として選んだのだろう。
三年で離婚など不義理かもしれないが、 公爵家は名誉を、私は剣を持ち続ける資格を得ることができるのでお互い様だ。それにレイノも私とは結婚したくないはず。それなら三年後に離婚すればすべて丸く収まるのではないだろうか。
「三年。三年我慢すれば……」
「カレン?」
「……お父様!」
「な、なんだ!?」
「この縁談……、喜んでお受けします!」
カレン・アイラス、十九歳。
こうして私は期間限定の永遠の愛を誓い、カレン・ウィズバーテンとなったのだ。
◆◆◆
「新郎、レイノ・ウィズバーテン。あなたはいついかなる時も妻を愛し、敬い、慈しみ、支え合うことを誓いますか?」
「誓います」
「新婦、カレン・アイラス。あなたは―――」
俺は今日、大好きな幼馴染みと結婚する。好きだと自覚してから、この日を迎えるまで本当に長かった。
(ようやく、ようやくだ……!)
「それでは誓いのキスを」
「……カレン。こっち向け」
(カレンと、キス……)
神聖な儀式だとわかってはいても、大好きなカレンとのキスにドキドキしないわけがない。だがそれをカレンに気づかれるのはなんとなく恥ずかしく、ついぶっきらぼうな言い方になってしまった。
「……わかってるわよ」
そう言ってカレンは目を閉じた。
―――ゴクリ
純白のウエディングドレスを纏った、俺の大好きな幼馴染み。今すぐ抱き締めたい衝動に駆られるがグッとこらえ、カレンの肩に手を置いた。
(三年。三年の間に絶対カレンを振り向かせてみせる!)
……
………
…………
……………チュッ
「これで二人は晴れて夫婦となりました。皆様、拍手を!」
俺たちはたくさんの人に祝福され、永遠の愛を誓い合った。彼女が俺のことを好きではないとわかっていながらも。
◆◆◆
王太子の執務室にて。
「ねぇ、レイノ。なにかいいことでもあったのかな?」
「……別に、なにも」
「嘘はよくないよ?」
「……アーノルド」
「ん?なんだい?」
「知っててわざと聞いてるだろ」
「えー?そんなことはないよ?」
「嘘つけ」
「まぁ多分?レイノの大好きな幼馴染みとの結婚が決まったからかな~とは思っているけど?」
「……」
アイラス伯爵家から縁談の返事が来たのは昨日のこと。そして今日先ほど父が国王陛下に報告をしたばかりだ。
「あ、やっぱり当たってた?」
「……なんでもう知ってるんだよ」
「なんでって、そりゃあレイノの顔を見れば誰だってわかるよ?」
「顔?」
「そう、顔。いつも護衛中は無表情なのに今日は恐ろしいほど笑顔だから、きっとすごくいいことがあったんだろうなってね!」
「……」
「まぁ正直に言えば、結婚の話は父上から至急連絡が来て知っていただけなんだけどね?」
「……王太子殿下?」
「ははっ。そう怒らないでくれよ。レイノだって僕の妹の護衛任務を出しにしたんだからさ」
「うっ!……すまん」
アーノルドの言う通りで、王女殿下の護衛任務がなければカレンは俺との縁談は断っていたはずだ。だが王女殿下の護衛任務と俺との縁談を天秤にかければ、カレンは間違いなく前者を選ぶことはわかっていた。男としてはとてつもなく情けないが、俺はどうしてもカレンと結婚したかったのだ。
「別に怒ってないよ。まぁウィズバーテン公爵家じゃなければ不敬罪にしていたかもしれないけどね」
「……申し訳ございません」
「ははは。気にするなって。それに僕としてもアイラス嬢が妹の護衛を務めてくれるなら安心さ。なんてったってあのウィズバーテン公爵が認めているんだからね。それに彼女は“美しき天才”にも勝ったこともあるんでしょう?」
「……なんでそれも知ってるんだよ」
「さぁ、なんでだろうね?」
「はぁ……」
主であり友人でもある男に対してため息をつきながら、俺はふとあの日のことを思い出した。
◆◆◆
たしかあの日はよく晴れた日だった。前日降っていた雨は止み、太陽が顔を出していた。
「レイノ。今日はこの後客が来るから訓練場で待っていなさい」
「……わかりました」
父から同じことを言われるのは何度目だろうか。面倒だが父の指示に従わないわけにはいかない。
「はぁ……」
父の言う客とは俺の婚約者候補だ。俺が十歳になった頃から、数ヶ月に一度の頻度で婚約者候補を公爵邸に招いている。たしか今回の客で五人目だ。
俺の結婚相手に求める条件は貴族であり剣を扱えること。もちろん年齢や性格も結婚生活を送る上で重要ではあるが、最も重要なのは身分と実力だ。
ウィズバーテン公爵家は、代々王家の護衛任務を担ってきた。今現在王家にいる護衛対象は国王陛下、王妃陛下、王太子殿下、王女殿下の四名だ。国王陛下の護衛は父が、王太子殿下の護衛は学園入学時に俺が就くことが既に決まっている。また本来護衛対象である王妃陛下には護衛は不要とのこと。そうするとあとは王女殿下の護衛だけなのだが、今のウィズバーテン公爵家には王女殿下の護衛に相応しい人材がいない。だから俺の結婚相手には、王女殿下の護衛を務めることができる身分と実力が必要なのだ。
今までに父が公爵邸に招いた令嬢は四人。四人とも身分は問題なかったが、剣の実力を見るために父は俺と令嬢を勝負させたが全員あまりにも弱かった。そもそも俺の容姿に見惚れていて、まったく話しにならなかったのだが。令嬢たちもまさかこの勝負が婚約者選びだとは想像もしていなかっただろうが、それでもあわよくば俺に気に入られようという下心が見え見えで、あまり気分がいいものではなかった。
(どうせ今日も同じ結果になるのはわかりきってる)
「面倒だな……」
既に俺は大人にも負けない程の実力があり、将来を期待されているのだ。だから令嬢がどれだけ頑張ったって俺に一太刀すら与えられないことがわかっているからこそ、時間の無駄に思えて仕方がない。王女殿下のためだとはわかっているが、そもそもまともに剣を振れる貴族令嬢がいるのだろうか。
「父上も早く無駄だと気づいてくれるといいんだが」
王女殿下は七歳だ。専属の護衛をつけるまでにはまだ時間はある。それなら無意味な見合いを続けるより、他の方法を探した方がいいのではと思ってしまう。
「……まぁ今日はもう仕方ないからさっさと終わらせよう」
◆◆◆
『よかったら息子と勝負してやってくれないか?』
訓練場で待っていると父が客を連れてやって来て、いつもの言葉を口にした。
「カレン・アイラスと申します。よろしくお願いいたします」
今までの令嬢は全員同い年か歳上だったが、カレン・アイラスと名乗った令嬢は俺より一つか二つ歳下のように見える。この令嬢もただお遊びで剣を振り回しているだけだろう。
(こんな子ども相手じゃ……。さっさと終わりにしよう)
「はぁ。やるだけ無駄なのはわかってるから一人で剣を振ってた方がマシだな……」
俺は気だるげに剣を構えた。相手も剣を構える。
(ふぅん。構えはなかなか様になってるな。だけど……)
天才と呼ばれる俺に勝てるわけないのに、令嬢の青い瞳に闘志を感じた。
(あの目、生意気だな)
「それでは、始め!」
「仕方ないからすぐに終わらせてやる。さっさとかかってこい」
俺は令嬢に先攻を譲ってやった。先攻を譲られて負ければもうそんな目はできないはずだ。
「ではお言葉に甘えて。……いきます。はあっ!」
「っ!」
―――ガッ!カン!カン!カーン!
(なっ!)
勝負が始まった途端、目にも止まらぬ速さで攻撃を仕掛けてきた。なんとか攻撃を受け止めたものの完全に油断していた俺は続け様に攻撃され、剣を弾き飛ばされてしまった。そして気づけば首に剣を突き付けられてしまっていたのだ。
「そこまで!アイラス嬢の勝ち!」
「はぁ、はぁ……」
「……くそっ!」
(俺が負けただと……?)
いくら油断していたとはいえ、自分よりも歳下の女に負けたなんて信じられないし信じたくない。それに父は自分の息子が負けたというのに、信じられない言葉を口にした。
「アイラス嬢さえよければうちで訓練しないか?」
(うちで訓練だと?……まさかこいつが、俺の婚約者に?)
今すぐ婚約者になることはないだろうが、公爵家での訓練に参加させるということは、父はこの令嬢を認めたということ。
「はい!よろしくお願いいたします!」
これが俺のカレンとの出会いだった。
◆◆◆
(今思い出しても最悪の出会いだったな……)
出会いの日以降、カレンは公爵家の訓練に参加するようになった。公爵家と伯爵家は距離が離れているため二ヶ月に一度の頻度ではあったが、俺はカレンが参加する度に勝負を挑んだ。
「おい。俺と勝負しろ!」
「……また?」
「なんだ?俺に負けるのが怖いのか?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあやるよな?」
「はっ!売られた喧嘩は買ってやるわ!」
「絶対負けないからな」
「それはこっちのセリフよ!」
最初は負けた悔しさからだったが、勝負をする度に強くなっていくカレンに興味を持った俺は、自然とカレンを目で追うようになっていた。訓練中の真剣な顔や、食事をおいしそうに食べる顔、先輩相手に緊張した顔、楽しそうに笑う顔。
(俺には笑った顔なんて一度も見せたことないくせに……っ!……俺は今、何を考えたんだ?)
どうしてだかカレンが他の男と話している姿を見ると胸がざわつく。
(これは一体なんなんだ?)
そんな今までに経験したことのない感情に振り回されていた頃、父から話があると呼び出された。
「アイラス嬢を正式にお前の婚約者にと思うのだが、どうだ?」
「こ、婚約者……?」
「ああ。元からそのつもりで彼女を連れてきたが、うちで訓練するようになってから時間も経ったことだしそろそろと思ってな」
そうだった。カレンが俺の婚約者候補だったことを父の言葉でようやく思い出した。
(あいつが俺の婚約者……)
そう考えた瞬間、突然胸が激しく鼓動を打ち、頬が熱くなった。
「っ!」
「お前のそんな反応は初めて見るな」
「あ……いや、これは!」
「ははは!別に恥ずかしがることじゃないぞ。好いた相手が婚約者になるのだから喜べばいいじゃないか」
「……好いた、相手?」
「なんだ?自覚してないのか?」
「……」
(俺があいつを好き……?)
それからはどんなに頭で違うと否定しても、カレンの一挙手一投足に振り回される自分がいて。彼女に会えない時間が寂しくてもどかしくて。だけど彼女を目の前にすると上手く話せなくて。
日に日にカレンに対する想いが募っていき、もう認めるしかなかった。
俺はカレンが好きなのだと。
◆◆◆
「それで?結婚が決まったのはめでたいけど、ちゃんと対策は考えているの?」
「……対策?」
「妹の護衛期間は三年だ」
「?それは当然知ってるが……」
「白い結婚」
「っ!」
「白い結婚は三年で成立する。ちょうど妹の護衛期間と同じだね」
アーノルドの言葉に頭を思いきり殴られたような衝撃を受けた。結婚さえしてしまえば、あとは何年かかってでもカレンを振り向かせればいいと思っていたが、三年しか猶予がないことに今さら気がついたのだ。
(護衛期間中は子どもを作ることはできない。ということは必然的に白い結婚になる。そしてその間にカレンを振り向かせることができなければ……)
「離婚、されちゃうかもね?」
「り、離婚……」
「だからそうならないようにちゃんと対策は考えてるの?」
「そ、それは、俺の気持ちをしっかり伝えて……」
「驚くほど言葉選びが下手なのに?」
「うっ」
「ほら、思い出してごらんよ。学園で頑張ってアイラス嬢に話しかけていたことをさ」
「……」
アーノルドに言われ忘れたいと思っていた自分の黒歴史を思い出す羽目になった。
例えば教師にわからないところを質問しているのを見かけたときには、一緒に勉強しようと誘いたかったのに、
『なんだ?こんなのもわからないのか?特別に俺が教えてやってもいいぞ』
『……結構です』
全学年合同のダンスの授業では、カレンが着ていた当時流行りの可愛い系のドレスがカレンの雰囲気とは違っていたので、キレイ系のドレスの方が似合うと言いたかったのに、
『なんだそのドレスは。似合ってないな』
『……そうですね』
カレンが男子生徒と話しているときに、鼻の下を伸ばしている男子生徒に対して警告しただけなのに、
『お前には不釣り合いだ』
『……関係ないのでほっといてください』
と、このようにどうしてもカレンを前にすると素直に言葉が紡げずに失敗ばかりという情けない結果になっていた。
「言葉っていうのは相手に伝わらなくちゃ意味ないからな~」
「……わかってる」
「仕方ない。こうなったら僕がアイラス嬢を絶対に振り向かせるようにやる気を出させてあげようか?」
「っ!遠慮する!」
こういう時のアーノルドは厄介で、自分がやると決めたことはなにがなんでも絶対に実行する男なのだ。ここは断るに限る。
「そう?それは残念」
「……まったく残念そうじゃないが」
「そんなことないよ?まぁ助けが必要な時は言ってくれ。僕はレイノの味方だからね」
「あ、あぁ」
胡散臭い笑顔の王太子には間違っても頼らないと俺はこの日誓ったのだった。
***
そして現在、夫婦の寝室にて。
(これは予想外よ……)
今夜は初夜であるが、私たちは初夜を迎える必要がない。だからのんびりとお互い別々の部屋で休めるものだと思っていたのに、まさかの同室だったのだ。侍女に案内されて入った部屋にはすでにレイノがいた。
「ど、どうして」
「どうしてもなにも、俺たちは今日から夫婦だろう?」
「っ!そ、そうだけど……!わざわざ一緒の部屋の必要はないじゃない!」
「仕方ないだろう?夫婦は同じ部屋で寝る、これが我が家の決まりだからな。……ほら、さっさと寝るからこっちに来い」
そう言ってベッドに腰かけているレイノが手招きをした。
「い、行かないわよ!私はソファで寝るから!じゃあ……ちょ、ちょっと!」
白い結婚になるから一緒に寝ることはないだろうと思っていたのに、初日から予想が外れて戸惑いを隠せない。だけどそんな姿をレイノには気づかれたくない私は急ぎソファがある方に向かおうとしたが、レイノに腕を捕まれてしまった。
「お前が俺のことを嫌いなのはわかってる」
「そ、それは……」
(あなただって私のこと嫌いじゃない!)
そう言ってやりたかったのにあまりに突然のことで言葉が出てこない。
「だけど俺たちは夫婦だ。お前が嫌がることは絶対にしないと約束するから一緒に寝るぞ!」
「きゃっ!」
急に身体が浮いたと思ったらレイノに抱き抱えられていた。
「お、降ろして!」
「ダメだ。……くそっ。なんでこんなに軽くて柔らかいんだよ……」
「何をごにょごにょ言ってるのよ!」
「っ、何でもない。ほらもう寝るぞ」
そう言って私をベッドの上に降ろし、レイノは反対側からベッドに潜り込んだ。本当は今すぐ逃げ出したいが、そんなことをしてしまえばなんだか私が負けを認めたようではないか。それは絶対にあってはならない。もうここまできたら覚悟を決めるしかないようだ。幸いベッドはとても広いので端の方で寝ればなんとかなるだろうと思い、私もベッドに潜り込む。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続くと、結婚式の疲れも相まって眠くなってきた。
(もう寝ちゃおうかな……)
私はあまりの眠さに瞼を閉じた。
「カレン」
「……」
「寝たのか?」
「……」
(……眠いのになによ。めんどくさいし寝たふりしちゃおう)
私はレイノの問いかけに微動だにせず、寝たふりをすることにした。どうせ嫌味か小言でも言うのだろうから無視をするのが一番だ。
「……寝た、よな?」
私が何も反応を示さないことで寝たと思ったようだ。本当はまだ寝ていないがこのまま諦めて
さっさと寝てほしい。
「……カレン」
(っ!)
耳元で私の名前を囁いた。あまりに突然のことで、驚きで声が出そうになったがなんとか堪える。
(きゅ、急になんなのよ!なんだか声もいつもと違うし……)
驚きからか、私の名を呼ぶ声が恐ろしいほどに優しいからか、心臓の音がうるさく目が覚めてしまった。しかし今さら寝たふりを止めるわけにもいかないのでこのまま耐えるしかない。
(ゆ、指一本でも触れたらその時は……)
「……三年後の今日、俺はお前と本当の夫婦になりたい」
「……」
「……どうか俺のことを受け入れてくれ」
「……」
「……おやすみ、カレン。いい夢を」
―――チュッ
唇に柔らかくて温かい何かが触れた。これは結婚式での誓いのキスにとても似ていて……
(え……?今のは……、キス!?)
指一本でも触れたら殴ってやろうと思っていたのに、現実にはレイノの行動が予想外すぎて動くことすらできなかった。
(こ、これは、どういうことなのよーーー!)
私のことを嫌いなはずの男からの突然のキス。
戸惑いと混乱で一睡もできず朝を迎えるのだが、私は知らなかった。隣で寝ていたレイノも、緊張から一睡もできずに朝を迎えていたことを。