「先史から清までの中国造形」
中国の造形芸術は、長い歴史の中で思想や技術の変遷を反映しながら発展してきた。その起源は新石器時代に遡り、仰韶文化や龍山文化の時期に初期の芸術的表現が見られる。彩陶人面魚文鉢や黒陶猪文鉢といった、彩陶や黒陶と呼ばれる彩文土器には幾何学模様や動物の図案が描かれ、玉琮といった玉器は社会的地位や宗教的な象徴として重要な役割を果たした。
殷王朝では青銅器の鋳造技術が高度に発展し、饕餮文方鼎等の祭器や武器に象形文字や精緻な文様が施された。青銅器は儀式や社会階層を象徴する重要な役割を果たしており、特に宗教儀式における不可欠な道具であった。続く周王朝では、礼制が重視され、神々を敬う物であった青銅器が、王室から家臣へ下賜する政治的実用的性質に変化し、造形的に穏やかになった。
秦王朝では統一国家としての文化が築かれ、不老不死を求めた思想に影響された羽人像といった空想上の事物を象った造形や、死後の霊魂に対する思想に影響された兵馬俑に代表される写実的な造形が現れた。漢王朝においては儒教や道教が発展し、金縷玉衣や、武氏祠画像石といった墓室装飾や壁画が盛んに制作された。
六朝から隋唐時代にかけて仏教美術が大きく発展し、敦煌石窟、雲岡石窟や龍門石窟が開窟され、精巧な仏像や壁画が制作された。唐代には国際交流が盛んになり、西域や中央アジアの影響を受けた三彩騎駱楽人等の唐三彩と呼ばれる色鮮やかな陶器が作られた。
五代、宋代になると、文人画の隆盛により水墨画が芸術の中心となり、自然や詩的情緒を描く独特の美学が確立された。また、磁器生産が発展し、景徳鎮を中心に青磁や白磁といった高品質な製品が多く作られた。元代ではモンゴル支配の下、多文化的な要素が融合し、新たな技術や様式が取り入れられるようになった。
明代では、宮廷文化が隆盛を迎え、工芸品においても華麗さと精緻さが追求された。特に青花磁器はその代表であり、国内外で高い評価を得た。清代には技術革新がさらに進み、細密画や刺繍、玉細工といった精緻な工芸品が数多く制作された。また、西洋との交流により松鶴図のような写実的な技法が一部導入され、伝統的な美術と外来文化の融合が新たな表現を生み出した。
以上のように、中国の造形芸術は先史時代から清時代までの長い時間をかけて発展してきた。その表現は宗教、思想、社会制度、技術革新、国際交流と深く結びついており、各時代の文化的特質を反映している。
参考文献
金子典正編『アジアの芸術史 造形篇Ⅰ 中国の美術と工芸』(芸術教養シリーズ3)、藝術学舎、2013年