女神像を作った男
「ああ、あそこにいますよ」
とコルヌが指差す。
長い金髪巻毛の若い男がどっかりと古い木の椅子に座り、分厚いガラスの器で酒を呑んでいた。
「ちょっと降りてみてもいいですか?」
どうぞ、と言われ、馬車を止めてもらう。
「あなたがあの女神像を作ったのですか?」
ハルモニアがそう問いかけると、巻き毛の男は整った顔をこちらに向け、ぞんざいな口調で訊いてくる。
「お前は誰だ」
「王の妃候補のハルモニア様だ、クレイン」
とコルヌが答えた。
クレインは足を組み、テーブルに片手をついて、椅子を揺らしながら言う。
「ほう。
お前もあの像のようになりたいのか」
お前を石像にしてやろうかという脅しかと思ったが違った。
あの像のモデルは、かつてのこの国の正妃だということだった。
「あの、あの像ヒビがはいってますが、直さなくていいのですか?」
「……貴族連中が一部の材料の納入費を懐に入れ、安い業者に発注したからだ」
それで、像の劣化が部分的に早いのだとクレインは言う。
「ちなみに、あの松明持ってる手首も危ういな」
とクレインは真上を指差した。
斜めに掲げられた女神の手は、この酒場の上まで来ている。
「えっ?
だったら……っ」
「無理だ。
俺にはなにもできない。
……俺にはもう才能なんてないんだからっ」
「いや、ヒビ直すのに、才能いらないのでは……?」
「こんな世界など、滅びてしまえばいいっ」
突然、クレインは叫び出した。
芸術家特有のめんどくささだ、とクレインを眺めながらも、ハルモニアは訴える。
「いやいやいや。
このままだと、滅びるのは、この街だけですよ。
っていうか、この屋台街も手首直撃ですよっ」
よく平気で呑んでるな、と思ったが、
「そんなにすぐに割れて落ちては来ない。
遠い未来ではないかもしれないが」
そう言ったあとで、厭世的な芸術家は背後の女神像を見上げながら言う。
「我が一族は確かにあれの修復をする権利を持っているが。
そもそも、王の許可がないと無理なんだ。
そして、王でもあの像に触れる許しを出すことは容易ではない。
自分の許可なく像に触れるなと言った正妃は今はもういないから」
正妃の権力が絶大なのか。
その正妃の権力だけが、絶大だったのか――。
……でもそうだな、とクレインは言った。
「新たな正妃が誕生し、その者がおのれの像を欲しいと言えば、あれを打ち壊し、新しい像に造り替えることができるかもしれないな。
ただ、今の王は正妃はそれなりの権力を持つようになるのでいらないと思っているようだし。
それでも、有力な貴族連中から強く押されて、正妃になるような娘は、像を欲しいなんて言わないだろうよ。
あの像、夜はいいが、昼間は街に大きく影を作って不評だから。
像ができたときには、あまり力のなかった貴族の家が、今は大きく台頭してきていて。
像の影になっていることを口では、
『正妃様の像の影になっているなんて、名誉なこと』とか言っているが。
自慢の庭の薔薇が枯れたりして、内心、ご立腹なのをみんな知っているしな。
自分の姿を後世に残そうとか、近隣の国々にも見せつけたいとか。
そんなことを考えるような娘でない限り、像より、宝石でも王にねだって終わりだろ」
そこでクレインは、地味な身なりのハルモニアを鼻で笑って言う。
「あの像を撤去したいのなら、お前自らが正妃となり、像を作らせるしかないのではないか?
ただ、お前は美しいが、有力な後ろ盾など持っていそうにもないな。
コネもなしに、王にすぐに目通り叶うかどうか。
まず、そこから難しいんじゃないか?」
確かに。
王の妃候補として連れてこられている娘はたくさんいるようだし。
有力なバックがついている娘が優先だろう。
ハルモニアはヒビの入った女神の手首を見上げる。
でも、さすがに、あれを放ってはおけないな。
この国の人たちは、簡単にあの女神の像をどうこうできないようだし……。
国を救うために来ただけだから、側室でいいと思っていたけど。
この美しく楽しげな海辺の街と住民たちを守るために、正妃にならねば!
っていうか、まず、王様に会わなきゃな……。
クレインが言うように、強い後ろ盾のない自分には、まず、そこが難しそうだったが――。