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ビビりのワタル? うん、そう、オレのこと。  作者: 伊藤宏


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いやいや、甘い世界じゃないってのは覚悟してたよ、でもなんかイメージ違うんだよね。頭が追いつかないってかさ。これ、ほんとに現代? by 西園茜

西園茜は初めて触れた芸能界の常識に戸惑っていた。

信じられないことばかり。

でももう、決めたのだ。進むしかないのだ。

 「もうお正月もバレンタインもないからね、分かってるよね。クリスマスに遊べるのなんて今年で最後よ」

 そう言って、教官は机の上に置いてあった高さ十センチほどのクリスマスツリーを指ではじいた。

 ずんぐりしたツリーはひっくり返ってコツンと音を立てたあと、何度かゆらゆらと揺れて元に戻った。

 あぁ、これって起き上がり小法師だったんだ、て余計なことを考えてたら厳しい声で突っ込まれた。

 「あなたはこれから、人を愉しませる仕事に就くの、いい? みんなが遊びたいときに時間が空いてたら、恥だと思いなさい!」

 

 安斎登喜子。

 年は……、ママとおんなしくらいかな。

 元敏腕マネージャー。

 で、今は社長の右腕にして新人育成教官。ていう情報は、オリエンテーションときに、この人を登喜ネエって呼んでた子から学んだ。

 なんか業界では有名で、ときたまテレビにも出てるらしい。知らなかったけど。


 「だから西園さん、ありがたいと思ってね。準備期間がライバルより長く持てるなんて、こんなに有利なことないんだから」

 一変して猫なで声。

 コワ。




 急に呼びつけられたのだ。昭和かよって感じの、壁が煉瓦でできた飛沢町本社に。クリスマス直前に。

 で、いきなり言われた。「来週から寮に入ってもらうから」って。

 え、何で? 芸能活動は卒業したらって、確か言ってましたよね。ていう言葉は何とか飲み込んだ。けど、

 「あの、学校は、卒業できるんですよね」、と最低限の心配だけは口にした。

 返ってきた答は予想外に冷たかった。

 「卒業? そんなの西園さん、自分できちんと確認しなくちゃ。あなたが卒業を希望するんならこっちは配慮するけど、学校はあなたが主体で進めてちょうだい」

 当てにしちゃダメってことだ。

 だよね。確かに。もう社会人だもんね。

 明日先生に相談しよ。


 「でも、あなた私立よね」

 「はい」

 「で、受験もない、と」

 「はい」

 「じゃあ、どこに問題があるの」

 「はあ」

 と、ただ息を吐くように答えたあたしを見て眉間にしわを寄せた登喜ネエが、すっと顔を近付けた。

 そして声を潜め、

 「まさかとは思うけど、あなた、素行の方は問題ないでしょうね」

 「はい、まあ、わりと賢く生きてきた方なんで」

 登喜ネエは安心したのか「自分でいうかね」、と皮肉っぽく笑い、

 「じゃあ大丈夫だと思うよ。ほら、相澤すみれっているでしょ」

 すみれちゃん。最近、バラエティの雛壇で見かけるようになったJKキャラのめっちゃ乗りのいい子だ。

 「あの子、二年前におんなじようなパターンで入所したんだけど、年明けたらほとんど出席義務ないからって、卒業式まで週一も登校してなかったんじゃないかな」

 てことはすみれちゃん、ぜんぜんJKじゃないじゃん。

 恐ろしい世界だな。

 なんてあっけに取られてる場合じゃないぞ。

 「分かりました。明日にでも教務課の先生に相談してみます」

 ていう、ここまでが今さっきの話。


     ☆


 「でね、その寮なんだけど」

 「はい」

 登喜ネエは机の上にマンションの間取り図を広げた。

 ほお、

 1LDKか……。

 え、うそ! いいじゃん♪ 

 「リビング、広そうですね」

 「でしょう」

 「日当たりも良さそう」

 「そ、六階だから眺めもいいし、セキュリティーも万全よ」

 「いいんですか、こんなとこに住んで」

 これで繰り上げ入所をぶうぶう言ったら罰が当たる。

 「そんな喜ばれても困るんだけどね、四人だから」

 「よ に ん」

 復唱と同時に頭んなかに何かがぴこんと立った。警戒、という名のびっくりマーク。

 どういうことだ。

 「どうって、だから四人部屋」

 登喜ネエにはあたしのびっくりマークが見えてるのか、それがどうかした? て顔で見てきた。


 もう一度、間取り図に目を落とす。

 リビングはまあ、広そうだけど……。

 「もしかしてあなた、ひとりで住むと思ってたの?」

 思ってました、けど何か。

 「へぇ、そうなんだ、ふうん。まあそんなもんかな、今どきの子は」

 て、あたしの心を見抜いた登喜ネエは説明を続けた。

 「あのね、スタートは大部屋よ、今も昔も。特にうちの社長は古い人だから、そういうとこ律儀に守りたがるのよ。他はせいぜい、指導を兼ねて先輩とふたり部屋、くらいだからまぁ、驚くのも無理はないんだけど」

 そうか、そうなのか。

 ふたり部屋スタートが標準か。

 て、腕を組んで目をつむったら、さっきまで舞い上がってた自分が、バカみたいな顔して遠ざかってった。

 ……。

 にしてもだよ、とぱちっと目を開けたら、登喜ネエともろに目が合った。

 「あなた今、寝室がひとつしかないって、思ってた?」

 そう、それです、それ!

 「リビングに二段ベッドをね、二台入れてあるの。えっとね」

 こんな感じ、とボールペンで間取り図のなかに長方形をふたつ書いた。

 広かったリビングがほぼ埋まった。

 「元の寝室は共同のクローゼットにしてるみたい。西園さんはこっちの、窓際のベッドの下の段。たぶん、だけどね」

 ほぉ窓際か。まあ、それはせめてもの幸い。

 「窓際って、夏、暑さで目が覚めるって話だけど、新入りじゃしょうがないわね」

 「……」

 言葉にならん。

 「それから防音とかしてないから、部屋で騒いだり発声とかもしないこと。他にもいろいろ決まりがあるけど、チャミイって子がリーダーしてるから、入ったらその子に聞いて」

 チャミイって誰だ。

 聞いたことない。てことはやっぱ練習生、かな。

 なんかどんどん怖いイメージが膨らんで、寮はもはや、収容所かなんかにしか思えなくなった。

 「リーダーなんてね、なっちゃお終いなの。そりゃ四人部屋に二年もいれば自然とリーダーになっちゃうんだけど、それって芽が出ないってことじゃない。だって仕事が入るようになればよ、スケジュールはばらばらんなるし、そしたら相部屋生活なんてどだい無理なんだもの。そんときは、強制的にここの四階に引っ越してもらうから、いい?」

 早口で突きつけられる現実は理解するだけで精一杯。もう、赤ベコ人形みたくうなづくしかない。

 

 「相部屋にもいいとこはあるのよ。家具や電気製品もそうだけど、食器なんかもだいたい揃ってるから、部屋着だけ持ってけば大丈夫」

 いやいや、いくらなんでも。

 「特に今回は、前の子が急に出てっちゃったから」

 「え」

 今なんて?

 「寝具とか、いやじゃなきゃそのまま使ってもいいよ」

 「えぇ?」

 寝具はヤだよ、ていうか、何なんだ出てったって。

 「ほんとはね西園さん。あなたは卒業まで待って、それから寮に入ってもらう計画だったの。でも急だったんだものぉ」

 売れてひとり部屋、か。

 「引っ越されたんですか」

 「ならいいんだけど、脱落。田舎に帰るって急によ、大泣きしてさ。荷物もそのまんまで、ほんっといい迷惑。あなたも潰されないように気をつけてね。練習生だって、寮に入ったらその日から競争なんだから」

 早くもプレッシャーで潰れそうになってるあたしを、登喜ネエは嬉々として畳みかける。

 「あなたが現場で試されるのは順調にいって四月だから、これは、事務所からあなたへの愛! 考えられないくらいの超ぉラッキー!」

 と、手のひらを上に向けて天の何かに感謝を捧げた。

 そして「よかったわね、お正月からレッスン漬けの日々が送れて」と締めた。

 ……ドSだ、この人。

 

 ああ、どうしよう。

 覚悟を決める暇もなく、どんどん流されてく。

 ……。

 いやダメだ。惚けてる場合じゃない。

 溺れるぞ、しっかりしないと。

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