あの藤木伸也がだよ……、いやまぁ、ずいぶんとひどいことしてたけど、あれはきっと、自分の弱さを隠すためだったんだろうな。私も人のことは言えないけど、そこは直視しないと。by 検見川美貴
検見川美貴は、藤木伸也に呼び出された。
久しぶりに会った藤木は、かつての横暴ぶりが消え、別人のように弱気になっていた。
「そんなのはさぁ、自分で考えるしかないんだよ。いないよ、コロった人間に手ぇ差し伸べてくれる人間なんて、リアルには」
カコーン!
「だってよぉ」
ぼこ。
「私くらいだよ、話聞いてあげんの」
キーン!
うん、詰まったけどレフト線ぎりぎり。二塁打コースってとこか。
「行ったってどうせ退学んなるんならさ」
ばこん。
セカンドへのショートフライ。こいつ、人を脅しつけるときは威勢いいけど、ほんと、運動神経鈍いな。
「退学決まる前に転校なり通信制に編入するなり。先生に相談」
カコーン!
お、惜しい。
「すりゃあいい話でしょ」
アホが。こっち見てどうする。
「でもどんな顔して行きゃあいいんだよ」
ぶぉん!
空振りだ。
よそ見してるから。
「どんな顔も何も、藤木伸也はその顔しかないでしょうが」
カコーン!
ラスト二十球目はホームランの的に当たった。
電子音のファンファーレが鳴り、プロジェクションマッピングの花火が上がると周囲のおじさん達が一斉に私を見た。
恥ずかし。
「お前すごいな」
最後の一球を振りもせずに見送った伸也があきれたように私を見た。
やっぱり、体幹は何やるにも基本ね。
伸也なんて、声も聞きたくなかった。
そう思ってたけど。
何度も電話掛けてくるんじゃしょうがないじゃない。
しかも出てあげたら「ありがとう」って何よ。「申し訳なかった」って、なんだよ、伸也らしくもない。
それに私は何もしてない。
伸也のお父さんの借金が帳消しになったのは、パパのやってた金融業がそもそも違法だったからだ。それだけだ。元本なんてとっくに返し終わってたっていうんだから……。
伸也がやってたことはクソだ。
ろくなもんじゃない。
でもろくなもんじゃない選手権だったら私だって、メダル級だ。
だから。
私には今の伸也をあざける資格はない。
それに、伸也は一回切った相手だからさ。それは私にとっては余裕だし、伸也の声に偽りがないことも分かった。
でもねぇ。
今さら顔付き合わせて話すのも照れるから。それでバッセンにしたんだけどここまで打てないとはね。
笑える。
この運動神経でよくみんなを牛耳ってたもんだ。
「今なに、アパート戻ってんの?」
「いや、家族そろって黙ってバックれたら解約されてた。家賃も溜まってたみたいだしさ、こないだはひどい騒ぎで周りの住人にも迷惑かけたって、不動産屋にさんざ怒られた。今は仁科町のアパート、親父と。すんげぇ古いの」
「ふぅん、じゃあ当分はそこ」
「分かんね。てか離婚になりそうなんだ」
「じゃあ大学は」
「とんでもないよ」
「あきらめなくっていんじゃない? だって元々奨学金借りる予定だったんでしょ」
自販機でペプシをふたつ。その紙コップのひとつを手渡し、私たちはロビーのベンチに並んで腰掛けた。
こうすればお互い、顔を見ずに話せる。
「離婚かぁ。うちもどうなるかなぁ」
「まあこっちは決まりだな。俺から見たらどっちもどっちだけど」
「伸也はどうすんの」
「どうもこうも。もう養ってもらうって年でもねえじゃん」
「まあ、そうだね」
空気が少し、重さを増した。
「お袋はもう随分前から家に帰ってないし、このまんまんなるんじゃないかな」
「お父さん、今何してんの」
「元の仕事に戻った」
「建築関係、だっけ」
この問いには答えず、伸也はコーラをひと口飲んだ。で、
「美貴はどうすんだよ、卒業したら」
「語学の専門学校に行くことにしたの」
「もったいねぇ! 大学行かねえんだ」
「うん、人生なんていつ終わるか分かんないからさ、だったら無駄を切って密度上げるしかないじゃん。私はやっぱり、イタリアに行きたいから」
「モデルか」
「うん」
やっぱり伸也だけだ。こういう話をバカにしないでまじめに聞いてくれるのは。
「でもいきなり外国って、きつくねえか」
「逆。日本にいる日本人なんてさ、ちっとも珍しくないでしょ」
「……ああ。なるほど」
うつむき加減だった伸也の横顔が少し、縦に動いた。聞いてくれていることを確かめて、私は続ける。
「でも向こう行ったからって、すぐに仕事取れるなんて思ってないよ。だからね、学校行っている二年間で少しは実績作りたいって思ってる」
気配で、伸也がこっちを向いたのが分かった。
顔の右半分に視線を受け止めつつ、先を続けた。
「何しろさ、失ったものがすっごいくだらないものだって分かったから」
「それは俺もだ。あぁ、違うか、うちの場合は借金だもんな、重かったわ」
「私のことも?」
思わず顔を見そうになって、何とか踏みとどまる。
「いや」
伸也はそれ以上言わなかった。
きっと重かったんだ。
だから伸也は逃げた。
でも、もういい。
そういう現実も何も、私を動かしていた得体の知れない力も全部ひっくるめて。もう、全部なしにして、
「これからは等身大を生きるんだ」
「でっけえ等身大だな。ワン、エイティ!」
「そんなにでかくないよ」
「幾つよ」
「百七十、八」
「二センチっきゃ変わんねぇじゃんかよ」
伸也のやつ手ぇ叩いて笑いやがった。笑ったの、今日会って初めてだ。
「学校はどうなってんの」
「くっだらないよ、相変わらず」
「美野里は。あいつどうなったの」
なぜ美野里だ。真っ先に。
「好き、なの?」
思わず見ていた。
「……いや」
その言葉を聞いて、顔を前に戻した。
伸也が言葉を継いだ。
「アイドルだったんだよ」
「アイドルって、美野里が?」
「ああ」
「アイドルにしてはちょっと、地味じゃない」
「俺にとっちゃ、あぁいう、地に足が着いてるっていうか、普通で、生活が透けて見えるような感じが、良かったんだろうな」
「普通とか生活感とかって、本人聞いたら怒るよ」
「だな」
今日、二度目の笑い。
「学校、来れば」
何も答えないのは、怖いからだろうか。
「熊谷君たちも、もうそんな目立つことはできないと思う。先生たちもめっちゃ警戒してるし。それにさ、なんたって今の学校には藤木伸也っていうワルがいないんだから」
「お前なぁ」
「いやほんと、あのころに比べれば平和だって」
「検見川美貴が、よく言うわ」
ほんとだ。
周りのことをくだらないなんて、ほんとは言えた義理じゃないんだ。
「来てみてダメだったら、逃げればいいんだし」
「まあ、な」
「私はそう思って行ってるよ」
伸也は紙コップのコーラを呷るように飲み干すとガリっと氷を噛んだ。
それから私たちはいろんな話をした。
ワタルが置かれてる状況とか、伸也の復学や大学進学の可能性なんかについて。
進学は、お金の問題だけじゃなかった。伸也の場合、まず受験資格を確実にしないと。
でもきっと大丈夫。
ちょっとずつでも前に進んでればいつか道は開ける。たとえ、少しくらい方向が変わったとしても。考えてるより時間がかかったとしても。
最初に会って欲しいって言ったのは伸也だけど、本当は私が会いたかったのかもしれない。会って自分が立ってる位置を確かめたかったんだ、きっと。
そう言おうと思った瞬間、先を越された。
「今日はありがと、会ってくれて」
「うん」
「美貴」
「え」
「いろいろ、申し訳なかった、ごめん」
伸也が頭を下げた。
それだけの動作でも軸がぶれてるのが分かる。
「あんたさ、少し身体鍛えなよ、もてないよ、球速八十キロで空振りしてちゃ」
上げた顔が情けなく笑った。




