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ビビりのワタル? うん、そう、オレのこと。  作者: 伊藤宏


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目が覚めた。これからは等身大の自分を生きる。イヤなことはイヤって言う。決めた。 by 検見川美貴

検見川美貴は、父親が逮捕されて以降、学校から遠ざかっていた。

久しぶりに登校してみたら……。

 門田政文がちっちゃい目を見開いて二歩下がると、重量級の尻に跳ね飛ばされた机が大きな音をたてた。と同時に、くわえてたプチクリームパンが床に落ちると近くにいたクラスメートが一斉に注目した。

 床に落ちて転がっているクリームパンに。

 政文が漏らした「あぁー」という悲しそうな声に。

 落ちそうで落ちなかった机の上の教科書に。

 そして傍らに立つ私、検見川美貴に。


 何よ。

 もうじき始業時間じゃない。何が珍しいっての。


 最初、教室の一角に留まっていた驚きが、倒れたドミノみたいにクラス全体に広がり、囁く声はざわめく波の音みたいに薄まった。

 でも、ときおり尖った言葉がいくつか水面から飛び出して、ぴゅっと頬の辺りを掠めていく。


 検見川じゃん……、

 何で。

 退学したんじゃないの。

 今さら?

 よく来れんな。

 まじかよ。


 時折、ざくっと身を切りそうなのも飛んでくるけど平気。私はそんなにヤワじゃない。

 だって誰も私に言ってないもの。ただ、勝手に呟いているだけ。お前らなんて徒党の群だ。


 私は自分の机を探した。

 ……。

 ない。

 なくなった空間すら存在しない。これってどういうことだろうと考えてたら、高野ゆかりが近付いてきた。

 周囲から人が引いていく真んなかを悠々と歩いてくる。私の真似かもだけど、こうして見ると、なんかバカみたいだな。


 「おはよ」

 腕を組んで斜に見上げた目に畏敬の念はない。私がどう出るかを見定めてる。そういう目だ。

 「私の机がないんだけど」

 「知らない」

 「知らないって何」

 ゆかりは後ろを振り返って大きな声で言った。

 「ねえ、だれか美貴の机どうなったか知ってる?」

 こないだまで検見川さんって顔色うかがってたの子が。

 内心ドキドキのくせに。

 まあ、ここが正念場だもんね。

 勝手にがんばんな。別にあんたと張り合おうなんて思ってないから。

 でもね。

 頭を下げるつもりも、ない。


 私は胸を張った。

 でも正直、胃の辺りが少し重い。なんか泥でも詰め込まれたみたいに苦しい。


     ☆


 ちょっと意地張ってはみたけど、ゆかりも、ほかの誰も教えてくれる気はなさそうなんで、あきらめて職員室に行って大塚先生を探した。


 いた。

 でっかい身体を丸めてノートパソコンで何かやってる。

 私は近くまで歩いて机の横に立った。

 先生はパソコン仕事に集中しているらしく、私に気付かないので「おはようございます」って静かに声をかけた。

 先生は、お化けに話かけられたみたいに肩をすくめて「びっくりしたぁ」て言って、私を斜めに見上げた。

 「検見川さん」

 一瞬言葉を見失ったように見えた。

 そして、「来たんだ」って囁いた。

 思わず漏れたんだろうけど、来たんだ、とはまたご挨拶な。

 「はい。来ましたけど、それが何か」

 大塚先生は若いだけに焦りを隠せない。私の方がまだ、修羅場を知っているかも。

 「君のお母さんから、当分休むって連絡があったので」

 あったので、何。

 私はそう問いかけたいのを堪えて次の句を待った。

 でも大塚先生は目を丸くするだけだった。


 「私の机が見あたらないんですが」

 「ああ、掃除んときにね、誰も触んないもんだから邪魔で、一旦片づけたんだ。当分休むって聞いてたから」

 と同じ言い訳を繰り返した。

 退学したわけじゃないのだ。なのに席を撤去するって何。担任がすることじゃないでしょう。

 それに、こうして登校したのだ。席を確保するのは学校の責任だろう。

 「第二準備室んのを、今日は使ってくれるかな。明日までには戻しておくから」

 「分かりました」

 ここで争っても仕方ない。


 言われたとこに行って、その「第二準備室んの」を見て呆れた。

 それはパイプ椅子に、申し訳程度のテーブルが付いた会議用の椅子だった。生徒が使うもんじゃない。

 教室に向かってそれを引きずりながら、今の自分のことを考えた。

 

 そうなのだ。

 今の私には何の力もない。


 今までの力は、突き詰めていえばパパの影響力だ。

 一部の政治家と結託してて、禿頭で頬が痩けた強面で、僧侶。そのちょいワルどころか激ワルのパパは、実際、裏社会とも繋がりがあって実はとんでもない強欲だってことは公然の秘密だ。

 その得体のしれない不気味さが、ママや、私のバックグラウンドとして利いてた。勝手に。そ、頼みもしないのに。

 

 その核であるパパがパクられたんだ。

 ママは一瞬にして権力の後ろ盾を失ったし、それに、私も。


 パパはたぶん、しばらく帰ってこれない。前にもいろいろあったから今度は懲役になるんじゃないかな。

 判決が出るまでは分からないけどこれだけは確かだ。検見川家はもう、平民以下ってこと。

 実刑が確定すれば陰口を囁かれる身分になる。

 ま、いいけど。

 そのころにはもう高校生じゃないし。


 でも、目が覚めた。


 これって、神様のお告げだ。

 自分を生きろって。

 178センチの等身大で生きろって。

 もう流されない。怒りに身を任せることも、周りが作った偶像を演じるのも、もうやめる!


 教室の一番後ろにパイプ椅子を置いて一時限目の教科書を出していたらゆかりがやってきた。

 「悪く思わないでね」

 「何がよ」

 後ろに新村早紀が控えている。何やら楽しそうだ。

 「一ヶ月も休んでんのがいけないのよ」

 そうじゃないだろ。

 「今はゆかりがリーダーってわけ?」

 「まあ、今までも事実上はそうだったから」

 私はお飾りに過ぎなかった、と言いたいわけだ。

 「で、美野里はどうしてんの、まだ、ハブってんの」

 「関係ないでしょ」

 元はといえば私の指示だ。関係なくは、ない。

 「私は、もうどうでもいいんだけど、美野里のことなんて。もういいんじゃない?」

 「あいつ学校こないからさ、ワタルに切り替えた。あいつ美野里に会ってるから」

 「はぁ?」

 思わず眉をひそめた。

 ゆかりがびくっと怯えたのが分かった。支配される者の癖がまだ、多少は残っている。

 「柿本君は何の関係もないでしょ」

 「美貴が口出すことじゃないよ」

 「私、そういうの好きじゃないな」

 「おい!」

 ゆかりが大きな声を出した。意外によく通る。

 この声はクラスメートに聞かせるための声だ。世代は代わったと知らしめるためだ。


 思わず、鼻で笑った。

 「なんか、猿みたいだね、私たち」

 ボス争いなら私は群を追い出される。それが猿社会の掟だ。


 チャイムが鳴って、英語のマルティネス絵里子先生が入ってきた。 

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