嘘つき……絶対に許さない!【連載版はじめました】
「エリシア・リュミエット。貴様と第一王子の婚約は破棄した」
国王に突然そう告げられただけでも、鈍器で殴られたような衝撃が走る。
しかし続いて司教が放った宣告は、その比ではなかった。
「エリシア・リュミエット。お前は己を聖女と偽り、神聖教団に混乱をもたらした。よってここに死刑判決を下す」
まるで意味が分からない。
当時、まだ九歳だったエリシアの右手に『聖女の紋章』を入れ墨したのは司教だ。
毎日、意識がなくなるまで回復魔法と浄化魔法の練習を強要したのも司教だ。
あのとき教団は、聖女を見つけられずに焦っていた。
世界に一人しかいないとされる聖女だ。
前任者が死んだあと、その紋章を受け継いだ者を即座に見つけられるとは限らない。
とはいえ、聖女の空位が十年以上も続くのは珍しい。
あまり長引くと、神聖教団の調査能力に疑いを持たれてしまう。
その焦りに目をつけたのが、この司教だった。
母親が死んで天涯孤独になったばかりの九歳のエリシア。魔法の才能があると評判だったから、育てて聖女としてでっち上げようというのだ。
エリシアは十二歳のとき、聖都に連れて行かれ、大勢の前で魔法を披露した。
企みは成功し、聖女認定された。
子供ながら杜撰な判定だと思ったが、教団としても、誰でもいいから聖女に仕立てたいという思いがあったのだろう。
それによって司教は教団内での発言力を手に入れた。
国王は教団から『聖女の活動補助金』とやらを毎年もらえるようになった。
エリシアの存在は、この二人にとって有益なはずだった。
なのに、どうして死刑を告げられたのか。
「なぜ嘘がバレたか分からないという顔だな。では教えてやろう。本物の聖女が見つかったのだ。お前のような入れ墨の紋章ではない。魔力によって黄金に輝く、真の紋章を宿した聖女がな」
司教は冷めた表情で語る。
その言葉でエリシアは全てを察した。
聖女は一人だけ。
本物が現われたなら、自動的にこちらが偽物になる。
司教と国王が共謀して偽物をでっち上げたと疑われる前に、全ての罪をエリシアに被せ、速やかに処刑してしまおうというのだ。
エリシアはよろめく。
なにを言ったところで、司教と国王が判断を覆すとは思えない。
それでも言わずにいられなかった。
「い、いくらなんでも酷すぎませんか!? 私は確かに聖女ではありません……けれど、聖女の役目を果たせるくらいの力を、努力で身につけました。あなたがたの命令に従って。命令するほうは、ただ怒鳴ったり鞭で打ったりすればいいだけですから、さほど胸が痛まないでしょうね。けれど私は……あんなに頑張って魔法を覚えて、聖女の力がないのに聖女の役目をずっと果たして……その結末がこれですか!?」
エリシアの叫びを聞いても、国王と司教は同情の色を浮かべず、むしろ怒りを滲ませた。
「なにを戯けたことを言う。余と司教が偽の聖女になることを命じただと? 世迷い言を。この国に偽の聖女がいた土地という汚名を着せた上に、余たちに罪をなすりつけようというのか!」
「なんと恐ろしい女だ。やはり『黒髪の一族』は邪悪な血が流れている。存在そのものが罪。もっと早く処刑すべきだった」
二人の視線は、エリシアをさげすんでいた。
まるで、本物の聖女が現われたのはエリシアのせい、と言わんばかりだった。
理不尽だ。しかし、この二人が理不尽じゃなかったことなんて一度もない。
「森はどうなるんですか? 私が聖女になる代わりに、森を守ってくれるとお二人は約束してくださいました。私を処刑して……あの森も切ってしまうおつもりですか!?」
エリシアがそう尋ねると、不機嫌だった国王の顔に、わずかな笑みが浮かんだ。
「そう言えば、お前との約束があるから、あの森を残していたんだったな。土地が足りていないのだ。早速、伐採してしまおう」
「陛下。伐採した木材で、教会の拡張工事をしていただきたいものですな」
「いいだろう。聖女が偽物だったのだ。せめて教会を立派にして、我らの忠誠心を示そうではないか」
二人が楽しげに語るのを聞いて、エリシアは我慢ならなかった。
玉座に向かって歩み寄る。
もちろん衛兵に止められ、地面に押さえつけられた。
「この不届き者め! 許可なく陛下と司教様に近づくんじゃない! 俺は最初から、黒髪が聖女だなんておかしいと思っていたんだ!」
兵士にそう怒鳴られ、エリシアは涙が出そうになった。
九歳で入れ墨を入れられてから、六年間。
ずっと頑張ってきたつもりだ。
自分の生活のためとか、森を守るためとか、理由は色々あったけど。身につけた魔法で人々を守りたいという気持ちだって確かにあったのだ。
偽物だけど、聖女を名乗ったからには、その役目を果たそうとした。
なのに処刑される。
黒幕だった国王と司教は無論のこと、一般の兵士さえ庇ってくれない。
「処刑は明朝に行う。それまで牢に放り込んでおけ。食事を出す必要はないぞ」
「ま、待ってください! 一つだけ聞かせてください……王子は……メイナード様は私との婚約破棄を承知なんですか?」
「ふふん。なにを言い出すかと思えば。承知に決まっているだろう。そもそもメイナードは、お前と顔を合わせるのが嫌で留学したのだぞ。心配せずに、心置きなく死ね」
そしてエリシアは冷たい牢獄に閉じ込められた。
鉄格子からわずかに差し込む月明かりを見つめながら、これまでの人生を回想した。
リュミエット家は代々、黒髪の女しか生まれない不思議な一族である。
この都市国家ドラゴエルの端でずっと暮らしてきた。
ルーツは別の国にあり、何百年前か前に、この国へ移住してきたらしい。
人々が言うには、とある国がドラゴエルに侵略戦争を仕掛けて返り討ちにあい、滅びた。リュミエット家はその生き残りで、お情けでこの国に住ませてやっているらしい。
嘘か本当かは分からない。
とにかくリュミエット家は『黒髪の一族』と呼ばれ、忌み嫌われていた。
しかしリュミエット家の人間には、黒髪以外にも、回復魔法に高い適性を持つという特徴があった。
それを応用して作ったポーションは絶大な効果がある。
重い怪我や病気になったドラゴエルの住民が最終的に頼るのはリュミエット家だった。
ところが、そのポーション作りの才能が、逆に不幸を招く。
エリシアの母は取引先の店にポーションを卸しに行く途中、強盗に襲われ、死んでしまった。当然、強盗の狙いはポーションだ。
エリシアは父親が誰か知らない。九歳で天涯孤独になってしまった。
幸か不幸か、エリシアの魔法の才能は、歴代リュミエット家でも最強クラスだった。
司教に目をつけられ、偽の聖女になることを強要される。断れば当然、口封じに殺される、というのは子供の頭でも理解できた。
九歳だったエリシアは考えた。
お母さんが死んで、ひとりぼっちになったのに、生きる意味はあるのだろうか、と。
自分にまだ残されているもの……一つだけあった。
それは家の近くにある森だ。
毎日、お母さんとそこを歩いた。薬草の育て方も使い方も習った。
国の人たちは「異国から持ち込まれた植物が生い茂る穢れた森」と言うけれど、エリシアにとって思い出の場所だった。
あの森があれば、思い出は残るし、お母さんに教わったポーションを作り続けることもできる。
だからエリシアは司教の命令を聞く条件として「森の保存」を出した。その条件をのんでくれないなら死んでも言うことを聞かない。なにせ生きる意味がないのだから。
かくしてエリシアは血が滲む努力を重ね、聖女ではないのに聖女と見紛う魔法を身につけ、十三歳で偽の聖女としてデビューし、本物並に働いた。
十四歳になった辺りで、第一王子との婚約話が出てきた。
なにせ聖女である。
邪を払う力を最高神から与えられた聖女。
それと王子が婚約すれば、神聖教団におけるドラゴエルの存在感がますます上がる。
とはいえ黒髪の一族だ。
この国の人間にとって、リュミエット家と関係を持つなど、考えただけで怖気が走るだろう。
リュミエット家は、他人とまともな交流をもてない。
恋愛だの結婚だのはあり得ない。友達さえ作れない。
せいぜい行きずりの男と一夜の関係を持って、なんとか子孫を残すのがリュミエット家にできる関の山。エリシアはずっとそう思っていた。
だから政略的な意図が見え見えの婚約話とはいえ、少しばかり嬉しかった。
しかも相手が第一王子というのも気になる。
彼には噂があるのだ。
それも容姿に関する、悪い噂である。
渾名は『竜王子』。
その名の通り、皮膚が竜のようなウロコ状であるとか。鋭い牙が生えた恐ろしい顔つきだとか。
とにかく、その風貌のせいで第一王子なのに式典などに出席させてもらえず、王位継承権を弟に譲るしかなかったらしい。
汚らわしい黒髪と人々に囁かれるエリシアとしては、まだ見ぬ第一王子に親近感さえ抱いていた。
「顔合わせの日が楽しみですね」
そして請われるがまま、聖女として働いた。
土地に瘴気がたまったと言われれば、そこに赴いて浄化する。怪我人が大勢出たと言われれば、フラフラになるまで回復魔法を使う。日々、ポーションのストックを作り続けるのも忘れない。
ドラゴエルの人たちは感謝の言葉をくれない。聖女だからそのくらいして当然だという顔をする。
黒髪の一族に助けられるなんて屈辱だ。そう面と向かって言う人さえいた。
「じゃあ死ねばいいんじゃないですか?」と返してやると目を丸くして固まるから面白い。
ある日。
いつものように瘴気を浄化するため町の外に出た瞬間、声をかけられた。
「はじめまして、聖女エリシア。今日からあなたの護衛を引き受けるメイナードだ。あなたの婚約者の第一王子……いや、竜王子と言ったほうが通じるかな?」
それはエリシアより少々年上の、十代後半の少年だった。
若いのに老人のような白髪である。
けれどスラリと背が高く、皮膚は艶やかで、表情にはハツラツとした自信があった。顔立ちも整っており、まるで絵本に出てくる美形の王子様だ。
エリシアは失望を禁じ得なかった。
噂になるほどの不細工じゃなかったのか。
黒髪の一族である自分がこんな美少年と並んで歩くなんて、逆に惨めになってくる。
これは王族から自分に対する嫌がらせじゃないのかと真剣に思った。
「……どうしたんだ? 返事をしてくれないと困る。なぜ大きなため息をついたんだ? やはり、この白髪が気になるのか? それとも犬歯か? いや、ウロコが見えてしまったか……」
王子は急に不安をありありと浮かべた。
言われてみると、彼の犬歯は牙のようだし、袖や首筋から見える皮膚の一部が爬虫類のウロコのようになっていた。
しかし、それがどうしたというのか。
彼が美形であるのは変わらない。
「失礼しました。竜王子という渾名からして、どんな人相の化物が来るかと楽しみにしていたんです。なのに綺麗な顔立ちだったので拍子抜けしてしまって」
エリシアが悪びれずそう答えると、王子はポカンとする。
「本当に失礼なことを言うね。いや褒められているのか……?」
「まあ、どちらかと言えば褒めてますね。実のところ、かなり好みの顔です、王子様」
嘘ではない。
エリシアも年頃の娘ゆえ異性の好みくらいあるし、それは世間一般の基準からさほどズレていないはずだった。
ところが――。
「そうか。好みの顔か。初めて言われたよ。君は面白い人だな、聖女エリシア」
彼は頬を少し朱に染め、実に嬉しそうに呟いた。
そのあどけない様子を見て、エリシアまで赤面しそうになった。
「白状すると、俺も同じ感想を持ったよ。忌まわしい黒髪の一族だなんて言われているけど、艶やかで美しい黒じゃないか。それに顔立ちも、かなり綺麗だと思う。いや、かなりと言うか……凄く?」
精一杯の勇気を振り絞って白状したという様子だった。
何気なく伝えたエリシアが軽率に思えてきた。
恥ずかしい。
いや、一番恥ずかしいのは、やはり綺麗と言ってもらえたことだ。顔と、それから一族の黒髪を。お母さんと同じ黒髪を、艶やかで美しいと。
お世辞でもそう言ってくれたのは、この王子が初めてだった。
「ありがとう……ございます。王子は女性を口説き慣れているのでしょうか……?」
「まさか! 不慣れもいいところ。君になんと声をかけようか凄く悩んだんだ。沈黙が返ってきて本気で不安だったよ」
「そうですか……不安にさせてしまい申し訳ありません。私も不慣れなものでして」
「そう言ってくれると安心できるな。気を遣わせて済まない、聖女エリシア」
彼が「聖女」と口にするたび、胸の奥になにかが引っかかるような感覚があった。
なにせ本当は聖女ではないのだ。
嘘つき、と言われている気分になる。
「王子。私たちは婚約者らしいので、いちいち聖女とつけるのはやめませんか?」
「分かった。なら君も俺を王子と呼ぶのをやめて、名前で呼んでくれ、エリシア」
「……分かりました。メイナード様」
聖女、と呼ばせないのもまた、言い逃れしているようで後ろめたい。
どう足掻こうと、罪悪感は消えないのだ。
なにせ嘘をついているのは確かなのだから。
モヤモヤしたものを抱えながら、エリシアはメイナードと共に歩く。
目的地は、泉。
そこに瘴気がたまり、モンスターの発生源になってしまったのだ。
泉が近づくにつれ、モンスターの遠吠えも近くなっていく。
そして森を進んでいると、大木の影から、イノシシ型のモンスターが飛び出してきた。目線の位置がエリシアの倍くらい高い。大型犬も丸呑みにできそうなほど巨大なイノシシだった。
「ここは俺に任せろ!」
と、メイナードが腰の剣に手をかけた。
しかし、エリシアはすでに精霊に祈りを捧げ、魔法を実行していた。
地面から蔓植物が幾本も生え、触手のようにイノシシに巻き付く。一つ一つが人の腕よりも太い。それが全身を締め付けるのだから、モンスターといえどひとたまりもなかった。
骨が砕ける音を響かせながら、イノシシは地面に崩れ落ち、そのまま動かなくなる。
「話には聞いていたが……なんというか……強いな……」
「私、回復魔法と浄化魔法と防御魔法を得意としていますが、精霊に呼びかけて植物を操るのも得意なんです」
「今まで護衛を必要としなかった理由が分かったよ」
そこから先もエリシアは、現われたモンスターを植物の触手で薙ぎ払い、あるいは食虫植物を召喚して食わせ、あるいは毒鱗粉で溶かす。
「……俺は、かなり鍛えているほうだと思っていた。剣技も魔法も、国で一番だと自惚れていた。だが君と戦ったら、一分も保たないだろうな」
「ご謙遜を。メイナード様の噂は聞いています。風貌だけでなく、その実力も竜の如し、と。ぜひ拝見したいものです」
「その噂を囁いている連中は、遠回しに俺を化物と言いたいのだろう。いや、遠回しではなく率直か」
「私にそんなつもりはありませんよ。むしろ『黒髪の一族』としては、竜王子に親近感さえ抱いていたくらいです」
「そうか。実は、俺も同じことを考えていたんだ」
「私たち。案外、上手くやって行けそうですね」
エリシアは舞い上がっていると自覚しつつも、そう言ってみたくなった。
すると向こうもまんざらではないようで、嬉しそうに頷いてくれた。
「よし、次は俺がモンスターを倒すぞ。実力を見せてやろう――」
「え」
せっかくメイナードが張り切っているのに、エリシアはいつもの癖で現われたモンスターを瞬殺してしまった。
「ご、ごめんなさい。なにせ護衛がつくなんて久しぶりで……」
「いや……いいんだ。君に怪我がないのが一番だ」
結局、竜王子の実力を見る前に、目的地に到着してしまった。
ここは本来、美しい泉である。
しかし今は不気味な霧に覆われ、常人ならば近づいただけで気絶するような瘴気が渦巻いていた。
エリシアは両手を合わせ、目を閉じて集中する。
そして浄化魔法で瘴気を祓った。
たちどころに霧が晴れ、美しい風景が目の前に広がる。
「やはり聖女というのは凄いな……俺は逃げ出さないようにするので精一杯だった。なのにエリシアは……あんなに濃い瘴気を一瞬で消してしまった」
「メイナード様が隣にいてくれたから、私は安心して浄化魔法に集中できたんですよ」
実際、逃げ出さなかっただけ大したものだ。
エリシアが聖女認定を受けた直後は、ドラゴエルの兵士が何人か護衛としてついていた。が、瘴気に近づくと腰を抜かしてしまい、使い物にならない。だからエリシアはずっと一人で仕事をしていた。
それなのにドラゴエルは、神聖教団から聖女活動補助金とやらをもらっている。いい商売だ。
「メイナード様。帰りはエスコート、よろしくお願いしますね」
とはいえ、すでに瘴気を祓ったし、森にいたモンスターはあらかたエリシアが殲滅した。
案の定、森を抜けるまで戦う機会はなく、メイナードは物足りなそうな様子だった。
「おかげさまで今日の仕事は無事に終わりました。町に帰りましょう」
そう口にしたエリシアの視線の先には、こちらに近づいてくる都市国家ドラゴエルが見えた。
動く町は珍しい存在だ。
だが、こうして実在する。
精霊の力を使い、土地を浮遊させる、古代文明の技術。
もはや新しく作ることは不可能だが、残されたものを利用するのは今の人々にもできる。
ドラゴエルは現代に残された数少ない機動都市なのだ。
目の前まで来たドラゴエルの階段に、二人は飛び乗った。それを上って城門をくぐる。
門番は任務を終えて帰還したこちらに「お疲れさま」とも言わず、遠くを見つめるばかり。
黒髪のエリシアはともかく、メイナードまで無視するとは。どうやら竜王子は想像していたよりも嫌われているらしい。
歩きながらメイナードは肩をすくめる。
「まだ十七歳なのに真っ白な髪も、牙も、ウロコも、みんなには不気味で仕方ないんだよ。親でさえ俺を嫌っている」
「はあ……私は個性的で素敵だと思いますけどね」
「ありがとう。エリシアの黒くて長い髪も素敵だよ」
「ど、どうも……」
メイナードは先程よりもスマートに褒めてきた。その余裕のある笑顔を見て、エリシアは妙にそわそわしてしまう。照れ隠しに自分の髪をなでる。
城壁に沿って路地を進んでいくと、周辺の建物が貧相なものに変わっていく。
やがてなにもない荒れ地になり、その先に森が広がった。森の入口には平屋の小さな家がある。
「メイナード様。ここまでついて来ちゃいましたけど大丈夫ですか? 普通はあの森を怖がって近づきませんよ。黒髪の一族が外から持ち込んだ、怪しい植物が群生する邪悪な森だとか言って……」
「君を家まで送り届けるのが護衛の役目だと思っているから。それにしても、この国の人間は、リュミエット家が作ってきたポーションに助けられてきた。そのポーションの材料はあの森の薬草だろう? それを邪悪呼ばわりとは、おかしな話だ」
「私もおかしいと思いますが、こういうのは理屈じゃありませんからね」
「全くだな」
彼は自分の白髪を摘まむ。
エリシアは、竜王子に抱いていた親近感が間違いではなさそうだ、と安心しながら森に踏み入る。
すると木々の間を飛び交う、淡い光が見えた。
「これは、蛍か?」
「いえ。植物を司る精霊。アルラウネですよ」
「アルラウネ……この国に加護をもたらしているという?」
「ええ。この子たちのおかげで、この国はモンスターを寄せ付けませんし、近くに瘴気が現われたら移動して逃げることもできます」
「まさか精霊をこの目で見ることができるなんて……それにしても、この全てがアルラウネなのか?」
「はい。この子たちは沢山いますけど、みんなで一つの存在なんです。全にして一、一にして全、というやつですね。色んなところにいますけど、この場所が特にお気に入りらしく、人の目に見えるくらい集まってるんです。アルラウネ、今日もありがとう。みんなのおかげで、お仕事が無事に終わりました。これからもよろしくお願いします」
エリシアが感謝を述べると、無数の発光体が嬉しそうに点滅する。
「そうか。精霊の力でこの国は守られているんだもんな。俺も祈りを捧げるとしよう」
誰かと並んで精霊に祈るのは、母親が死んで以来だった。
そして今日会ったばかりなのに、メイナードに対する好感度は、母親に次ぐものになっていた。
その日から、エリシアが町の外に出るときはメイナードと一緒だった。
森で薬草を摘むのも、たまに手伝ってくれた。
一緒に精霊へ祈る。無事に暮らせることを感謝する。
そして色々なことを語り合った。
「俺の体はドラゴンに呪われてるんだよ」
「呪い、ですか」
「そう。エリシアの一族が来るより昔……この国はドラゴンに支配されていたらしい。ドラゴンは人々に生贄を求め、逆らうと口から火を吐いたり、建物を踏み潰したりと暴虐を繰り返した。けれど人々は立ち上がり、力を合わせてドラゴンを倒した。この国に平和が戻った。けれどドラゴンの恨みは消えなかった。だから、たまに俺のような体の者が生まれる。呪われた子として、俺は親からも疎まれたわけだ」
メイナードは袖をまくった。
思ったよりも筋肉質な腕だった。その皮膚のところどころからウロコが生えている。
「そうだったんですか。けれどメイナード様がなにかして呪われたならともかく、ドラゴンの逆恨みじゃないですか。それでメイナード様が疎まれるのは筋違いでは?」
「こういうのは理屈じゃない。そう言ったのは君だよ」
「なるほど。確かに」
二人は多くの時間を共有した。
エリシアは母親が死んだとき、自分の人生は半ば終わったと思っていた。しかし、生きるのも悪くないと思えてきた。この安らかな毎日がずっと続いて欲しいと願った。
ところがメイナードには不満があったらしい。
「エリシア。俺は聖都に留学しようと思う」
初めて会ってから半年ほど経ったある日、彼はそんなことを言い出した。
「なぜ、でしょうか?」
エリシアは自分でも驚くほど動揺した。メイナードにしばらく会えなくなると想像しただけで、世界が暗闇に包まれた気分だった。
「俺は未熟だ。人間として未熟なのは、まだいい。しょせんは十代の小僧だからね。けれど聖女の護衛役なのに、聖女より弱いなんて。自分が情けない。俺はいつもエリシアの背中を見ているだけだ。俺はエリシアを守れるようになりたい。一年間だけ許してくれ」
エリシアは色々と言いたいことがあった。
あなたが後ろにいてくれるから前だけに集中できる、とか。
ただそばにいてくれるだけでいい、とか。
会えないのは寂しい、やだやだ、いかないで、びええええんっ、とか。
しかし同時に「王子様に守られる聖女」というのに憧れるのもまた事実。
実のところ、現われるモンスターを片っ端から瞬殺してメイナードになにもさせない自分はどうなんだ、と考えないわけではなかった。
たまに思い出したように「きゃー、メイナード様、助けてー」と手を抜いても、彼はちっとも嬉しそうではないし。
もしメイナードが本当にエリシアより強くなるなら、それは大歓迎だ。
一年という期間を設けてくれたのも助かる。
それくらいならギリギリ我慢できるはず。寂しくて胃がキリキリするだろうけど。
「分かりました。けれど一年だけですよ。必ず帰ってきてくださいね。私、待ってます」
断腸の思いでメイナードを聖都に送った。
そして半年が経った、ある日。
エリシアは「三カ所の瘴気を一日で祓え」と無茶な仕事を押しつけられた。なんとか片付け、魔力が枯渇したフラフラの状態で国に帰ると、国王と司教に呼び出された。
その次の日。
今現在。
エリシアは偽の聖女として、広場で十字架に縛られていた。
いつもなら、こんなの簡単に逃げ出せる。
だが、昨日使い切った魔力が回復していない。
なにせ、あれからなにも食べていないし、牢屋の冷たくて硬い床で一晩過ごしたのだ。当然、一睡もできていない。
更に、広場に集まった国民たちの、エリシアの処刑を心底から歓迎している様子が神経を抉った。
嫌われていたのは知っている。
しかし大勢の怪我や病気を治したし、瘴気を祓った回数だって数え切れない。
なのに老若男女が所狭しと集まり「殺せ、殺せ」の大合唱だ。
ああ、確かにエリシアは『偽の聖女』だった。主導したのは司教と国王だが、エリシアがみんなを騙していたのは間違いない。
けれど、だからって、こんなに死を望まなくたっていいじゃないか。
「この国で生かしておいてやった恩を忘れて、聖女様を騙るなんて。恩知らずな奴だよ」
「本当ね。やっぱり黒髪の一族は、見た目が不気味なだけじゃなくて、性根からして邪悪なのよ」
「俺たちが飲んでたポーションって、実は毒が入ってたんじゃないか?」
「あり得るぜ。それで俺たちを病気にして、さも自分で治してやったみたいな面してたんだよ」
「瘴気もあいつの仕業に違いない!」
頑張れば少しは認められるなんて思っていた。
たとえ相手がこちらを嫌っていても、人々の役に立つのは悪いことじゃないと、自分に言い聞かせていた。
けれど、この国の人間になにか期待するなんて、間違いだったのだ。
「これより偽聖女の処刑を執り行う!」
司教が叫ぶと、歓声が上がった。
そして司教の眼前に、手のひらサイズの火球が現われた。攻撃魔法である。人間一人を焼き殺すのに十分な威力があるだろう。保身しか考えていないような男でも、司教ともなればこのくらいの魔法は使えるらしい。
周りの人々は、偽聖女が丸焼きにされるのを、今か今かと待ちわびている。
しかし、そう簡単に死んでやるものか。
「防御障壁だと!? そんなものを作る力がまだ残っていたか……」
火球はエリシアに当たる直前で消えてしまう。
司教が何度撃っても、何度でも防ぐ。
防ぐたびに、ゼロに近かった魔力が更に削られ、意識が朦朧としてくる。
それでもエリシアは死にたくなかった。
まだ自分の中に、残されているものがあるから。
「エリシアよ。もがき足掻いてどうするつもりだ? そうやって時間を稼いでも、なんにもならんだろう?」
国王が不思議そうに言う。
「私は……メイナード様が帰ってくるまで待つと約束したんです。あと半年もあります。それまで死ねません……!」
「愚かな。メイナードは貴様との婚約破棄を承知したと言っただろう」
「信じません」
「貴様のそれは信頼ではなく、そうであって欲しいという願望にすぎん」
そうかも知れない。
そうかも知れないけど、エリシアには、もう縋るものがないのだ。
何発の攻撃魔法に耐えたか分からなくなった頃、遠くから煙が見えた。エリシアの家がある方向だった。
「ま、さか……」
「当然だろう? お前が偽物だったなら、あの森を残しておく理由がない。ゴミは速やかに処理せねばな」
お母さんと暮らした森が。メイナードと過ごした森が。
燃えている。
エリシアの心を折るために火を放った。そう分かっていても、折れるものは折れる。
ここでエリシアが死ねば、偽聖女をでっち上げたのが司教と国王だったという証拠が消える。エリシアの死は、この二人を利する。そう分かっていても、これ以上は耐えられそうにない。
「ふん。確かに貴様とメイナードは醜い者同士、惹かれ合っていたかもしれん。だが貴様が偽の聖女と知り、騙されたと気づいたメイナードが、かつてと同じ気持ちを持ち続けるわけがなかろう?」
国王の言葉は、決定的に心を抉ってきた。
そうだった。自分は嘘つきだった。
この半年間の日々は、嘘の上に成り立っていた。それが暴かれた今、もはや約束もなにもない。
それでも、それでも、会いたい。
「メイナード様……」
炎が迫る。
今度こそ防げない。
自分は全身を焼かれて苦しんで死ぬのだ。
「させるかぁぁぁぁっ!」
と。そのとき。
雄叫びをあげて、エリシアの前に躍り出る人がいた。
剣に魔力を乗せて、火球を切り裂いてしまったではないか。
その声。白い髪。
間違えるわけがない。
「メイナード様!」
「済まない、間一髪だった!」
どうしてここに?
私が偽物でも助けてくれるんですか?
ずっと騙していたのに?
言葉が溢れ出しそうになって、けれど、どうしてか最初に出たのは「嘘つき」だった。
メイナードは面食らった顔になる。
「帰ってくるのは一年後の約束。あと半年もあるじゃないですか。私、それまでここで頑張るつもりだったのに……嘘つきです」
「そうか。君なら本当に自分でなんとかしてしまいそうだ。やはり早く帰ってきて正解だった」
そう微笑んで、エリシアを縛る鎖を斬ってくれた。
久しぶりに地面に足がついた。
メイナードに抱きつこうとして、よろめいてしまう。
彼は抱きとめてくれた。目の涙を拭ってくれた。
そのときエリシアは初めて自分が泣いていたと気づく。
死ぬのが怖かった。メイナードに会えたのが嬉しかった。二度も泣いたのだ。さぞ凄い量の涙だろう。
「メイナード! お前、どうしてここにいる!」
息子の姿を見て、国王は目を血走らせた。
「本物の聖女が見つかったと、聖都では大騒ぎだった。それはつまりエリシアが偽物だったということ。そうなれば父上。あなたがエリシアを罪人として裁くのは想像できた。しかし、まさかいきなり処刑するとは思わなかったぞ!」
やっぱり。メイナードが婚約破棄を承知したなんて、嘘だったのだ。
「黙れ! 聖女を偽るなど死刑以外にありえるか! なあ司教!?」
「そ、その通り! メイナード殿下。その偽聖女を庇うのであれば、あなたも罪に問われますぞ」
国王と司教の言葉に続いて、国民たちもメイナードを非難する声を上げる。
それに対する彼の答えは、
「黙れ!」
の一喝だった。
それだけで広場が静まりかえる。
「確かにエリシアの紋章は偽物だったかもしれない。だが彼女の功績は本物だろう。回復魔法やポーションで何人が命を助けられた? もし彼女が瘴気を祓わなかったら、浄化魔法の使い手を高い金で雇わなければならない。この国はエリシアが支えていた。それを処刑し、その様子を楽しむなど、愚の骨頂! それに父上、司教殿。あなたたちが偽の聖女を用意したという噂が、聖都で囁かれている。俺はずっと肩身が狭かったよ」
「根も葉もないことを!」
「そうか。だが俺の婚約者を殺そうとしたのは紛れもない事実。俺はエリシアを連れてこの国を出る。邪魔をするな。切るのは親子の縁だけにしたい。俺たちの前に立ち塞がるなら、誰であろうと真っ二つに斬る」
「ほざけ! やはり、お前のように呪われた者は、生まれたときに殺すべきだった……兵ども、奴を王子と思うな! 偽聖女ごと殺せ!」
「……行くよ、エリシア。俺はずっと君の背中を見てきた。今日は俺が先陣を切る。必ず俺が守る。もう君のそばを離れない。だから、ついてきてくれ」
「はい! どこまでも!」
もうエリシアには簡単な魔法を使う力も残っていない。群がる兵士に飛び込むのは自殺行為だ。
それがどうした。
メイナードがエスコートしてくれるのだ。ならば行くに決まっている。
「そこを退け! 邪魔立てするなら斬ると言ったはずだ!」
兵士たちではメイナードの相手にならなかった。
当然だろう。
この国の兵士は長い間、エリシアの影に隠れ、モンスターと戦ってこなかった。新兵は実戦経験なし。ベテランは鈍っている。
そのツケを今、彼ら自身の命で払っている。
「だ、誰かメイナードを止めろ! 奴を仕留めた者には、望むだけの褒美をやるぞ!」
そう国王が叫んだ、次の瞬間。
ズドンッ、と爆発音が響いた。
メイナードの胸に穴が開いていた。貫通している。糸が切れたみたいに倒れ、地面に血の池を作った。
エリシアはわけも分からず駆け寄り、肩をさする。
動かない。返事がない。
死んだ? こんな呆気なく? お別れの言葉もなしに?
「ひひひ……ひひ! やったぞ! ついに兄貴を倒した! ずっと目障りだったんだよ。王位継承権は俺にあるのに。呪われた竜王子のくせに。剣でも魔法でも勉学でも俺はお前に勝てなかった。けど、やっと勝ったぞ!」
叫んでいたのはメイナードの弟。第二王子だ。
その手には煙を出す長い筒があった。
銃。
火薬を使って弾を発射する装置。
話は聞いたことがあるが、まさかこの国にもあったとは。
道理で魔力を感じなかったのに攻撃が来たわけだ。
「メイナード様……?」
エリシアはまだ現実を受け入れていない。
どう見ても心臓を貫かれている。
死んでいる。
それを認められない。
回復魔法を全力で使って傷を塞ぐ。
元通りだ。完全に塞いだ。
なのに鼓動がない。呼吸が聞こえない。
死の直後は細胞が生きているから回復魔法が効いて傷が塞がる。だが、それで生き返ったりはしない。
魔法師の常識だ。
その常識を今のエリシアは認められない。
「偽の聖女め! 次はお前の番だ!」
また銃声。
弾丸が飛来する。
しかし地面から触手状の植物が生え、弾丸を叩き落とした。
「なっ! 偽の聖女のくせに生意気にも魔法を使うか!」
そんな第二王子の声は、エリシアに微塵も届いていなかった。
何発撃たれても、無意識に弾くのみ。
エリシアが見ているのはメイナードだけだ。
「必ず守るって、君のそばを離れないって、言ったじゃないですか。なのに、どうして死んでるんですか……? なんとか言ってください! 嘘つき……嘘つき! 絶対に許しません!」
あなたには私をエスコートする義務がある。
私と二人で逃げるのでしょう?
邪魔立てする者を全て斬るのでしょう?
そう口にした以上は、やる義務がある。
「生き返ってください」
世界の根本を覆すようなお願い。
否、命令だ。
このまま死ぬなんて許さない。
「生き返れ」
エリシアの右手にある入れ墨が、光り輝いた。
紫色の光。
溢れ出す膨大な魔力。
最早それは入れ墨ではない。
偽物が本物に裏返る。
メイナードの体から昇っていく霊魂を握りしめ、強引に肉体へ押し戻す。
死ぬな、死ぬな。私を置いていくのを許さない。
どんな姿になろうとも、私を守り抜いて、私のあとに死ね。
それ以外の結末など許さない。
「見くびるな。死んでたまるか」
メイナードは目を見開いた。
そして彼は――ドラゴンになった。
巨大な翼。長い尻尾。鋭い牙と爪。四本の足で大地を踏みしめ、町全体を揺るがすような咆哮を上げる。
エリシアなど簡単に丸呑みにできそうな巨体だが、それを前にして少しも不安を感じなかった。
雪のような純白のドラゴン。なんて美しい――。
ただし、そう感じたのはエリシアだけらしい。
「ば、化物め! ついに正体を現したなぁ!」
第二王子がドラゴンに発砲を続ける。
ドラゴンはウザったそうに、それを踏み潰した。
あちこちから悲鳴が上がる。
多くの者は逃げ出した。果敢に向かってくる兵士もいたが、ドラゴンはそれを炎の息で焼き払った。
「エリシア。乗れ」
ドラゴンの放った声は、間違いなくメイナードのものだった。
迷わずその背中に飛び乗ると、彼は羽ばたいた。
この町も浮遊しているけど、そんな些細な高さではなく、あっという間に雲の上に来てしまった。
「メイナード様。どこに向かっているんですか?」
「君の精霊の導くままに」
そう。
メイナードの周りには、蛍のような発光体が無数に浮かんでいた。
どこまで飛んでも、どこまでもついてくる。いや、こちらの進む先を指し示しているのだ。
「声?」
今までだって精霊の声を聞いていたつもりだった。
しかし今はハッキリと言語として聞こえる。
「ああ、なるほど。そういうことだったんですね……では帰りましょう。私たちの故郷へ」
精霊が指し示す方角へ、エリシアとメイナードは飛んだ。
「くそっ、どうなってるんだ! なぜメイナードがドラゴンになる!? 奴はただ呪いを受けているだけではなかったのか! 司教、説明しろ!」
「そう言われても、私にもなにがなんだか分からん!」
国王の問いに、司教は怒鳴り返す。
「その問い。我が答えよう」
傲慢な声だった。
誰だ、と怒鳴ってやろうとした国王と司教は、その男の服装を見て固まった。
神聖教団の大幹部。枢機卿の法衣にほかならなかった。
だが、どう見ても三十歳前後と若い。
なぜこんな若造が枢機卿という地位に?
いや。つい先日、本物の聖女を見つけた枢機卿が、そのくらいの若さだったと聞いた覚えがあるぞ。と、国王と司教は頭をグルグルさせる。
「だが答える前に、そなたらの罪を問いたい。エリシアを聖女に仕立て上げ、己の地位の向上に利用した。それについての弁明をここに許す。ああ、言っておくが、当時エリシアを聖女に認定した者たちが、そなたらと共謀していたのは知っている。すでに投獄済み。我が聞きたいのは罪の有無ではない。あのような少女を利用した、そなたらの羞恥心の構造を知りたいのだ」
なにもかもお見通しという顔だった。
枢機卿という地位の人間が来てしまった時点で、国王と司教は詰んでいるのだ。
「若造が……一人で来たのが間違いだったな。ここでお前を消せばどうとでもなる!」
無謀にも司教が向かっていった。
が、次の瞬間、重力魔法で平らになった。もう人間だった痕跡は残っていない。ただの赤い塊だ。
「ふむ。興ざめだな。小物すぎて話をする気にもなれん。国王よ。そなたはどうだ? 興に乗ることを言ってみよ」
「お、お待ちください、枢機卿猊下!」
「ああ、待つとも。言ってみろ」
「エリシアを偽の聖女としてでっち上げたのは、全て司教の企み。我々は騙されたのです」
「そうか」
「そこで、どうか教団のご支援を。エリシアがいなくなれば、瘴気を祓う者もいなくなります。幾人か僧侶を派遣してもらえないでしょうか?」
「これは異なことを言う。偽の聖女が去っただけで回らなくなるのか、この国は」
「それは……それだけエリシアと司教の企みが巧妙だったのです。この国はそれに巻き込まれただけなのです!」
「ああ、国王。興ざめだ。もっとまともな言い訳が欲しかった。そなたが司教と共謀していた証拠は、いくらでもあるのだ」
「そんな……ああ、しかし! 最後にエリシアの右手が輝きました! あれはつまりエリシアが本物の聖女だったということになりませんか!? 本物ならば私は教団を騙したことにならない!」
「うむ。その通り。エリシアは聖女として覚醒した。聖女は一時代に一人、というのは誤りである。一人では対処しきれない危機が迫っていると『世界』が判断したなら、聖女は二人でも三人でも生まれる。ゆえにエリシアは本物の聖女だ。この我が確認した」
「おお、それでは……!」
「つまり、そなたは本物の聖女を処刑しようとしたわけだ。さて、この罪、どう裁いてくれようか?」
国王はついに全ての希望を失った。
だから、そこらに落ちている剣を拾って、枢機卿に斬りかかるしかなかった。
黙っていれば処刑される。ならば万が一の可能性に賭けて――。
国王も重力魔法に潰されて圧死した。
「愚かな。大人しく聖都で裁判を受ければ、死だけは免れたかもしれないのに。興ざめ極まる。しかし『黒の聖女』と『竜の王子』の覚醒に立ち会えた。得がたい体験であった」
枢機卿は立ち去ろうとする。
ところが民衆が群がってきた。
「枢機卿様! 国王が言ったように、この国には瘴気を祓える者がおりません! どうかおめぐみを!」
「慈悲を請う相手が違うのではないか? この国を守護する精霊がいるであろう。その精霊に祈るがいい」
「精霊に、祈る……?」
民衆たちはポカンとした顔つきになる。
「まさか、誰も精霊に祈ったことがないのか? やれやれ。この国は本当にエリシア一人で支えられていたらしい。もはや慈悲をかける必要なし。全員ことごとく死ぬがよい」
枢機卿は霧のように消えてしまう。
聖女になったエリシアは、前よりも精霊の言葉を聞けるようになった。
だから分かる。
――あの国はもともとドラゴンの姿をした精霊の加護を受けていた。
ほかの国々に攻め込み略奪を繰り返していた。それをドラゴンに咎められた。
ドラゴンの言葉を邪魔に思い、ついにはドラゴンに攻撃を仕掛けてしまった。
おかげでドラゴンの加護を失い、モンスターをはね除ける力も、都市を移動させる力も失った。
だから、ほかの国を滅ぼして、アルラウネという精霊と、それに奉仕する巫女の一族を誘拐し連れてきた。奴隷のように無理矢理に祈りを捧げさせた。
それによって、なんとか都市は力を取り戻した。
やがて時間が経つにつれ、自分たちが巫女の一族を誘拐してきたことも忘れ、黒髪の一族としてさげすんだ――。
これが都市国家ドラゴエルの歴史である。
だがドラゴンの精霊は人間を見捨てていなかったし、アルラウネはもといた国を忘れていなかった。
二つの精霊の導きによって、エリシアは先祖がいた土地に辿り着いた。
その土地をメイナードと一緒に『再起動』させ、浮遊させた。
エリシアの意のままに動く土地は、やがてドラゴエルの近くまでやって来た。
精霊の加護も、聖女の尽力も失い、モンスターによって全滅していた。
もうただの廃墟だ。
生き残りはどこにもいない。
エリシアとメイナードを縛るものは、一つも残っていない。
もう不安なんてない。
だってエリシアにはお母さんに教わったポーション作りの技と、魔法と、聖女の力がある。
メイナードには鍛え抜いた剣技があるし、精霊の加護によってドラゴンに変身できるようになった。
しかも薬草が生い茂る土地ごと移動できる。
なにより二人が一緒にいられるなら、不安なんてあろうはずがなかった。
二人なら幸せになれる。たとえ不幸でも乗り越えられる。
黒聖女と竜王子は微笑み合い、自由に、広い世界へ旅に出た。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
少しでも面白いと思ったら『評価』してくださると嬉しいです。
連載版はじめました。
タイトルを『黒聖女と竜王子の最強な町作り』に変えました。
また連載版はハイファンタジーの方が相応しいと思いジャンル変更しました。
それでもエリシアとメイナードがちゃんとイチャイチャしているのでご安心ください。
https://ncode.syosetu.com/n1123hy/
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よろしくお願いします。