※※※※※
物心ついた頃から父母はなく、兄弟親類の類も存在していなかった。
永膳に拾われて郭家に仕えるようになり、やがて泉仙省へ出仕することで知り合いと呼べる者は増えたが、類縁と呼べる者は変わることなくこの世に一人も存在していない。
この世に生まれ落ちた瞬間から縁が希薄な自分は、思えば誰かを偲ぶということを知らない。何かに祈るという感覚も分からない。偲ぶ対象も祈る存在も持たないまま、ただただ孤独に息をしてきた。
だからきっとあの八年間、自分は降霊術の類を試すようなことをしなかったのだろう。
『永膳は生きている』と、一縷の希望に縋っていたわけではなく、ただ単純に故人との向き合い方が分からなかった。だからただひたすら、生きているとも死んでいるともつかない状態で、彼が迎えに来るのを待っていた。そうすることしかきっと、あの時の自分にはできなかったのだろう。
「……こんなところで何してやがる」
『故人を偲ぶという感情を知らない』という点では、彼も同じであったはずだ。
自分と違って類縁に恵まれていたはずなのに、思えば自分は彼が故人を偲ぶところも、何かに祈るところも見たことがない。
彼がそうであったからこそ、自分はこう形作られたのだとも言える。
「今更、何の真似だ」
今になってそんなことを思ったのは、自身の心境に変化があったからなのか。
あるいはこんな展開を、頭の片隅で予想できていたからなのか。
地面に跪き、ただの瓦礫の山と化したかつての郭家の祠堂に頭を垂れていた涼麗は、顔を上げてからゆっくりと立ち上がり、声の方を振り返った。
その上でついっと瞳をすがめた涼麗は、低く声の主の名を呼ばう。
「……永膳」
再び国を焼こうと目論むかつての主にして相方は、涼麗がその名を声に出したというのに酷く不機嫌そうな顔をしていた。
※ ※ ※
声が飛んでくるまで、気配も存在も掴めなかった。相対している今でも、視線を逸らした瞬間にフッと姿が掻き消えてしまいそうなくらい、目の前の光景には現実味がない。
──この状況が想像できなかったと言えば、嘘になる。
泉仙省が総力を上げて行方と根城を追っているのに、手がかりすら掴めていない相手が目の前に忽然と現れた。
組んだ相手の思惑はあれども、自身を完全に手元に囲い込むためだけに国を焼こうと動いている相手。一対一で対面すれば、自身の技が相手に有効かも、そもそも抵抗が許されるかも分からない。
はっきり言ってしまえば、命の危機に直面している状況だった。下手をすれば己の命運とともに、国の命運までをも今の自分は握っているのかもしれない。
それらのことをきちんと理解できているはずなのに、涼麗の心は不思議と凪いだままだった。瓦礫の山を背景に立つ永膳の姿はデキの悪い絵のようにチグハグにも思えるのに、なぜか驚きも焦りも今の自分の中には生まれてこない。
──場所が、場所だからか。
今自分達が立っている場所ならば、自分が顔を知っている幽鬼の一体や二体、不意に現れてもおかしくはない。そんな心境が自分の中にはあるのかもしれない。
郭家本邸跡地。
今涼麗がいるのは、屋敷跡とも言えない、荒れ果てた場所だった。かつてここに見る者全てに畏怖の念を抱かせるような高雅な邸宅があったことなど、今のこの景色から想像できる者など誰もいないだろう。
大乱が終結したあの日、永膳によって破壊されたのであろうその場所は、八年が過ぎた今も手つかずのまま放置されている。
一等地にあるこれだけの敷地が八年も手つかずのまま放置されているのは不自然とも言えるが、血筋に連なる者が軒並み死に絶えたせいで必要な手続きを行えていないと考えれば筋は通る。
それに加えて、高位呪官一族の屋敷跡という曰くが効いているのだろう。有形無形を問わず何が残されているのか分からない敷地に手を出したいと思う無謀な人間はいなかったということだ。
だからこそ、涼麗は誰にも見咎められずにこの場に立つことができた。
「……この局面で、お前をこんな場所に、一人で送り込むなんて」
距離を保ったまま涼麗と対峙した永膳は、薄く笑みを湛えながらも瞳の奥に警戒心を覗かせていた。こちらの思惑を図るような感情を滲ませたまま、永膳は涼麗との間に言葉を置いていく。
「泉仙省は何を企んでやがる」
「……泉仙省は、関係ない」
そんな永膳に体ごと向き直り、涼麗ははっきりと答えを口にした。
「私がここにいることは、誰も知らない」
「は?」
「私は、私の意志で、ここに来た」
涼麗が明確に自我を示し、己の内心をはっきりと口にするという状況自体に永膳は違和感と不快感を抱いているのだろう。涼麗の答えに永膳は分かりやすく顔を歪める。
そんな永膳の反応を見ても、涼麗の心は微塵も揺らがなかった。
「けじめを付けるならば、今しかない。そう思ったから、ここに来た」
「……けじめ、ねぇ?」
涼麗の言葉に面白くなさそうな表情を浮かべた永膳は、チラリと涼麗の背後に視線を投げる。
永膳も分かっているはずだ。涼麗が先程まで跪いていた瓦礫の下には、郭家累代の祖先の位牌が埋もれていることを。
──かつての私は、この周囲の土を踏むことさえ、許されていなかった。
次期当主筆頭候補であった永膳を誑かした、どこの馬の骨とも知れぬ魔性のモノ。
郭家の人間から見た涼麗の印象は、おおよそそんな感じだったのだろう。涼麗からしてみれば自身に永膳を籠絡してやろうなどという思惑はこれっぽっちもなく、永膳が勝手に自分に執着して勝手に色々していただけなのだが、郭家の人間にはそうは思われていなかったらしい。
優秀な次期当主に道を踏み外させた、彼の人生における唯一最大の汚点。永膳を信奉していた人間ほどその認識が強かったらしい。
そんな涼麗は、郭家の屋敷の中でも、何ヶ所か近付くことを禁止させれていた場所があった。郭一族の祖霊が眠る祠堂はその筆頭で、近くを通りかかるだけでも嫌な顔をされたことを覚えている。
永膳自身が『馬鹿馬鹿しい』という認識と態度を隠していなかったせいで、双方に板挟みになって不自由をすることも多々あった。今から思い返せば、双方の不満が一方的に涼麗にぶつけられていたせいでかなり理不尽な処遇を受けたものだ。
──そのこと自体に、何かを思うことは、当時はなかったが。
ならばなぜ今になって、郭一族が眠る場所に頭を垂れようなどと思ったのか。
その理由を明確に説明しろと言われても、いまだに涼麗は己の胸の内を上手く言葉にできずにいる。
「……お前の方こそ、なぜ、ここに現れた」
上手く言葉にできない内心を緩く首を振ることで意識から追い出した涼麗は、ひたと永膳を見据えたまま己から問いを切り出した。そんな涼麗の言葉に、永膳の視線が再び涼麗へ据えられる。
「今、この局面で、お前がわざわざ私の前に姿を現す意味が、どこにある?」
呪詛陣を発動させるための仕込みはおよそ完了し、都を満たす陰の気も極まりつつある。永膳が根城に引きこもっていても、事態はつつがなく進行していくはずだ。
それでもなぜか永膳は、今この瞬間に涼麗の前に姿を現した。いくら自身の実力に自信があろうとも、勝ちを前にして慢心するような永膳ではない。不用意に涼麗の前に姿を現し、大願成就を目前にしてヘマを踏むような危険を永膳は侵したくなかったはずだ。
──冥翁とて、それは同じはず。
慎重で用心深い性格の二人が揃って、最終戦を目の前にしたこの瞬間に動きを見せた。それらを『偶然の一致』で片付けられるほど、涼麗は楽観的な性格をしているわけではない。
──あるいは、永膳の目的は……
「お前の関心を引くようなものが、ここに存在しているのか?」
その疑問を胸に、涼麗は鋭く永膳を見据える。
対する永膳は、涼麗の問いにニヤリと笑みを深めた。
「俺の興味関心がどこにあるかなんて、お前には分かりきったことだろうが」
今度の笑みは、瞳の奥の奥にまで染み込むように広がった。
その上で永膳は、フワリと涼麗へ片手を差し伸べる。
「今ならば、邪魔されない」
まるで、あの日の再現のようだった。
涼麗と対であることを示す、死装束にも似た揃いの白衣。その衣に包まれた腕を涼麗へ差し出し、傲岸不遜という言葉そのものの笑みを永膳は浮かべていた。その表情の中には『己が差し伸べる腕を拒否されることなど、万にひとつもありはしない』という絶対の自信が滲んでいる。
以前、永膳が同じように手を差し出してきた時には、場に慈雲や貴陽がいて、黄季が生死の境をさまよっている状況だった。涼麗の意識を永膳から引き剥がす要素が随所にあふれていた。
だが今は、それがない。
二人がいるのはかつて永膳だけが涼麗の『絶対』だった時代を過ごした場所で、この場にいるのは涼麗と永膳の二人きり。涼麗を支配しようとする永膳を邪魔する存在はここにはない。
「お前は、俺のモノだ。氷柳」
その絶対的な有利を確信した上で、さらに永膳は言葉に笑みと圧を込めた。
呪力が巡る言葉は、ただの音でありながら強烈な支配力を以て涼麗の意識に揺さぶりをかける。涼麗が優れた退魔師であるからこそ、その影響から逃れる術はない。
「最終通告だ。今ならお前にだけは優しくしてやる」
意識を絡め取ろうと這い寄る力の流れを感じながらも、涼麗はひたと永膳に視線を据えたまま動こうとしなかった。凪いだままの涼麗の瞳に何を感じたのか、永膳は顔に広げた笑みをさらに深める。
「今すぐ俺の元に帰ってこい」
絶対の勝利を疑っていない表情に、涼麗は一度ゆっくりと瞬きをした。
次いでゆるりと唇が開く。
「断る」
その上で発された声音は、直前までの唇の動きからは想像もつかない、涼麗が操っているとも思えない強い力を帯びていた。
そのたった一言にパンッと場の空気を割れる。短いからこそ絶対の拒絶が込められた言葉は、永膳によって紡ぎ上げられた不可視の鎖をいともたやすく打ち砕いた。
その鮮やかなまでの『否定』に永膳が愕然と目を見開く。そんな永膳を真っ直ぐに見据えたまま、涼麗は傲慢なくらいに深く冷笑を浮かべてみせた。
「今の私はお前のモノではない。私の隣も、周囲も、居場所はとうの昔に埋まっている。お前が居座れる席はもう残っていない」
傲慢でありながら高貴で、苛烈でありながら涼やかな。それでいて神々しいとさえ言える涼麗の嘲笑を、永膳は今初めて目にしたのだろう。大きく目を見開いたまま涼麗を見つめ返す永膳からは、先程までの余裕を微塵も感じられない。
「お前はあの時、私に言ったな? 『浮気だ』と」
そんな永膳を涼麗は凍て付いた瞳で睨め付けた。かつての絶対君主の存在が、今は妙に小さく感じられる。
「そもそも、先に私から手を離したのはお前の方だ。その離した手で冥翁の手を取り、さらに魏浄祐を口説き落としたそうだな?」
きっと今の涼麗の姿を見たら、黄季は目を丸くしたのち、表情を強張らせたままソロリと一歩後ろへ下がることだろう。『氷柳さん、もしかしなくても、ものすごく怒ってます?』とも口走ったかもしれない。
──そうだ。私はずっと、怒っていたんだ。
黄季を殺されかけた、あの時から。浮気だのなんだのと詰られた、あの瞬間から。……いや、本当は八年前、炎の中に置いていかれた、あの日から。
自分はずっと、永膳の所業に怒っている。
勝手に様々な制約を押し付けられ、振り回され、従って当然で文句のひとつさえ口にすることは許されない。そんな状況は理不尽極まりないもので、そこに怒りという感情が湧くのは当然のことなのだと、最近になって知った。それらのことが分かるようになって、やっと自分はあの頃から怒っていたのだと、自分自身の心に気付けた。
人形のように存在してきた自分でも、所有者であった存在に対して怒ってもいいのだと知った。そう在ることが、自分にも許されるのだと、……そもそも自分は『物』ではなく『者』であるのだと、教えてもらった。
こんな自分にも、本当は感情があって、何かを思う心があって。どこにいたいのか、どうありたいのか、己で飛ぶ空を選んで、自由に飛ぶことが自分にだってできたのだと、あの雛鳥が教えてくれた。
自分の望みのままに、飛び出していっても許されるのだと。
涼麗の無二の相方は、涼麗を肯定してくれた。
──だから、私は、
「先に浮気に走ったのはお前だ、永膳。お前に私を詰る資格はない。私をほっぽって八年も好き勝手にしてきたお前が一方的に悪いに決まっている。この一連の件に関して、私が責められなければならない謂れはどこにもない」
己の在る場所は、己で決める。
その覚悟とともに永膳を睨み付けた涼麗は、スルリと顔から表情を消すと、己から旧主へ絶縁状を叩き付ける。
「今更私の片翼面をするな。私はそこまで安くはない」
涼麗の宣言に、永膳の顔からはようやく驚愕が消えた。スルリと真顔に戻った永膳は、涼麗に負けず劣らず凍て付いた視線を涼麗へ向けている。
それでも涼麗は、不思議と今の永膳に己が負けるとは思えなかった。
「私は私の片翼と居場所を己で選んだ。私がお前を選ぶことは、金輪際ない。とっとと炎の向こうへ帰るがいい」
徹頭徹尾、拒絶と冷気を込め、永膳を貫くように言葉を投げつける。
永膳が涼麗を言葉で縛ろうとした時と同じように、涼麗の言葉には涼麗が行使し得るありったけの呪力が載せられていた。
その力にあてられたのか、場の空気は冬の早朝を思わせるような鋭い冷気を帯びている。夏の気配を色濃く残す日差しの下で、不可視であるはずの冷気が氷霧となってキラキラと輝く幻影が見えるような心地がした。
「……黙って聞いていれば、調子に乗りやがって」
永膳が低く呟くまでに、短くない時が必要だった。
沙那最高峰を冠した退魔師同士が相対する緊張に、鳥のさえずりはおろか、虫の羽擦れや草木がそよぐ音までもが死に絶えたかのように場から消え失せる。
「八年の間に、随分な勘違いをするようになったもんだ」
永膳の瞳からは、奥の奥まで感情が抜け落ちていた。そうでありながらその瞳の奥底には、怒りと執着をドロドロに混ぜて煮えたぎらせた激情が横たわっていることを、涼麗は知っている。
チロチロと赤い燐光が舞う瞳は、八年前よりも闇を深くしていた。それを察していながらも、涼麗は冷めた視線を永膳から逸らさない。
「忘れるな、氷柳」
その視線に、何かを思ったのか。あるいは、先程の涼麗の言葉が、少なからず永膳の気勢を削いだのか。
それだけの激情を涼麗に向けていながらも、永膳は涼麗の間合いに踏み込もうとはしてこない。
ただ、鋭さを増した言葉が、抉るように涼麗に向けられる。
「俺はあの日、世界にお前を取られるくらいならばと、自身が焼け死ぬ道を選んだんだ」
──知っていたさ。
何度も何度も、なぜあの日、永膳があんな行動に走ったのかと、ずっと考え続けていた。国のために自らを犠牲にするなど、……ましてや涼麗を残して自分だけが死に逝くなど、およそ永膳らしくない行動だと分かっていたからこそ、ずっとその答えは出なかった。
八年間、考え続けて。黄季を弟子に迎えて後に相方となり、紆余曲折を経て自ら外へ出ていく道を選んで。
その果てに、ようやく最近、答えが見えたような気がした。
──己の手元から奪われるくらいならば、いっそ。
その答えは、涼麗の中にもそれに匹敵する執着が芽生えたからこそ、思い至るようになった代物だったのかもしれない。
──そう。今の私には、永膳の執着を理解できるだけの『執着』がある。
そのことを思った瞬間。
涼麗の脳裏を過ったのは、蘇芳の袍と、どんな時でも陰ることのない、光を想起させる温かな声だった。
「お前が何を勘違いしようが、お前は俺のモノだ」
「お前こそ勘違いをするな」
涼麗に八年の疑問を解決させる執着を覚えさせていながら、その存在は決して涼麗に破滅的な願望を抱かせない。
涼麗が一連のことを語って聞かせたら、きっと彼は困ったように笑いながらこう言うことだろう。
『そんな状況になる前に、とりあえず相談してもらってもいいですか?』と。『解決できるかどうかは、分からないんですけども。とりあえず一緒に悩んで、解決策を探すことくらいはできると思うんですよね』と、頼りなく、でも温かく、涼麗の言葉を受け止めて、笑いかけてくれるはずだから。
「大きな犠牲を払えば何もかもを自由にできるという理が通るならば、世界はとうの昔に壊れている」
その温もりに背中を支えられるような心地を覚えながら、涼麗は永膳の言葉を跳ね除けた。
永膳の言葉にまとわりつく力は、もはや涼麗を支配できない。心を揺らすことさえない。
その感触が永膳には分かったのだろう。
不機嫌に目をすがめた永膳は、低く舌打ちを放つとそのままフッと姿を消した。後に残されたのは、先程までの邂逅は白昼夢だったのかと疑いたくなるような静寂だけだ。
涼麗はしばらくその場に立ち尽くしたまま、入念に周囲の気配と呪力の流れを探る。感覚を研ぎ澄ませて周囲に己を同化させていると、やがて消え失せていた自然の音が涼麗の周りには帰ってきた。
その中に微かな衣擦れの音を聞いた涼麗は、静かに瞼を押し上げると音の方へ顔を向ける。
「いつまでそこに隠れていらっしゃるのですか?」
相変わらず涼麗の声に感情らしい感情は宿っていないが、険がないということは相手にも伝わったのだろう。
永膳が現れる前からそこに潜んでいた人物は、涼麗の言葉を受けると大げさなくらい盛大に溜め息をつく。
「隠れるに決まっているだろう。何なんだ、あいつは。見つかったら問答無用で殺されそうじゃないか」
涼麗がこの局面で、わざわざ単身で、こんないかにも永膳の目に止まりそうな場所まで足を運ぶに至った理由。
その人物は、いかにもくたびれたと言わんばかりの歩調で柱の影から姿を現した。
「我が異母弟ながら、何であんなにおっかないことになってるんだ」
育ちの良さが滲む上品な顔立ちをした男だった。そうでありながら線の細い体は、そこらの庶民と大差ない、擦り切れている上に着丈も合っていない衣に包まれている。
緩く斜め後ろに結い上げられた黒髪は、日の光に当たると熾火を思わせる暗赤の艶を帯びていた。その髪色は、彼に今は絶えた一族の血が流れていることを物語っている。
「涼麗。お前、あいつが来るかもしれないと分かっててここに来ただろう?」
「御冗談を。貴方様の方が、永膳と私が鉢合わせるかもしれないと分かった上で、ここに隠れていらっしゃったのでしょう。私に永膳を追い払わせるために」
己と相対する位置で足を止めたその人へ向かって、涼麗は両袖を重ね合わせるように手を重ね合わせると優雅に膝をついた。
家僕が主家の貴人へ向ける礼を、その人は当然のものとして受け入れる。
「御無沙汰しております、雪榮様」
郭雪榮。
呪術大家『四鳥』が一角、郭本家の血を引いていながら、あの大乱に関与しなかった人物。高名な呪官一族の次期当主の座を争う立場に選ばれていながら、あえて呪術師になる道を選ばず、当主争いからも自ら降り、郭本邸を出奔したという変わり者。
永膳の異母兄にして、涼麗の師の一人。
この世で唯一と断言してもいい、郭本家直系の生き残り。
この場に足を運ばせた本命へ、涼麗は改めて口を開いた。
「八年前につけられなかった『けじめ』をつけていただきたく、汀涼麗、御前へ参上致しました」
「けじめ、……けじめ、ねぇ?」
涼麗の口上に、雪榮はスッと目をすがめた。その瞳の奥には事態を冷静に分析している色と、面倒事をいかに回避してやろうかと画策している色が当分に混ざっている。
「……まぁ、この八年、頑なに私に直接顔を見せようとしなかったお前が、こうしてわざわざ私の前にまで足を運んできたんだ。私は最近、店を閉めて行方をくらませていたというのに、それなり以上の労力をかけて居場所を突き止めてまで、な」
気だるさが勝る表情を浮かべながらも、わずかな沈黙の後に雪榮が口にした言葉は涼麗の要求を受け入れるものだった。
面倒くさいという感情を隠さないままわずかに笑みを浮かべると、雪榮の面差しは途端に永膳と印象が重なる。
「それに免じて、とりあえず話は聞いてやろう」
まぁ、きな臭さしか感じないがね。
その上で投げやりに呟く雪榮を、涼麗は挑みかかるように見上げていた。
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