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二人分の足音の他に、カツカツと杖の先が床を叩く音と、シャリシャリという小鈴が擦り合う音が響いていた。
黄季と貴姫が並んで歩いていても、不審な目を向けてくる人間はいない。貴姫に目礼を送る通行人達は、皆貴姫を貴陽だと信じ込んでいるのだろう。
長官室での報告が終わった貴姫は、周囲の視線を誤魔化すために一度医局簡易休憩室に立ち寄ってから護衛と合流し、王城外に待たせている馬車で帰邸するという。
当初は慈雲が簡易休憩室まで貴姫を送っていこうとしていたが、貴姫は『慈雲兄様はあまり歩き回らない方が良いのでしょう?』とやんわりと慈雲の同行を辞退した。『だからってお前を一人で歩かせるのも危ないだろうが』と慈雲がごねたため、黄季が護衛を買って出て今の状況になっている。
──って、勢いで志願したはいいけども。
外見は完璧に貴陽を模してはいても、すでに黄季はこの人物が『貴姫』という別人であることを知っている。
それを踏まえた上でどう接すればいいのかも分からない上に、周囲の目を気にしながら雑談に花を咲かせるという器用な真似も黄季にはできない。
結果、長官室を出てからずっと、二人の間にはひたすら沈黙が横たわっていた。
「ふふっ」
そんな気まずさが伝わったのか否か。
不意に貴姫が小さく笑い声をこぼした。
「優しい方ですのね、黄季様」
「あの、えっと」
「大丈夫ですわ。今ならば、誰にも聞かれておりませんもの」
素の口調のまま言葉を紡ぐ貴姫に、黄季は思わず周囲へ視線を走らせる。そんな黄季をパチリと開いた瞳で見つめて、貴姫はさらに笑みを広げた。
「慈雲兄様とわたくし、両方を気遣って護衛を志願してくださったこともそうですけども」
顔ごと黄季を見やって笑った貴姫は、ひどく柔らかな表情をしていた。その笑みの中に慈しむような感情を見た黄季は、思わず息を詰めて貴姫を見上げる。
「気にしてくださったでしょう? わたくしが『忌子』と口にし、『お兄様と同じ』と口走った時に」
「あ……」
やはり気付いていたのだと、黄季はその言葉で覚る。対する貴姫は、黄季がこぼしたわずかな声にますます嬉しそうに笑みを深めた。
「黄季様、ご存知ですか? 男女の双子は凶兆であるということを」
「えっ」
もちろん、耳にしたこと自体はある。
一説に曰く。
男女の双子は、前世で心中した男女の生まれ変わりなのだという。前世で心中という罪を犯した二人は、今世では決して結ばれぬように、父母を同じくし、同じ腹から同じ瞬間に生まれる。もしくは『来世ではずっと共に生きる』という誓いを果たすために双子として生を得る、という解釈もあるらしい。
どちらも古くから言われてきたことだ。だが黄季は『そんな説が産まれるくらいに男女の双子が珍しいという話なのだろう』と思っている。そんなのはただの迷信にすぎないと、世の大半の人間は思っているはずだ。
「わたくし達は、その凶兆である男女の双子として生を得ました。その上、お兄様は、産まれながらにして強すぎる霊力を持ち合わせておりましたの」
柔らかな語調のまま、貴姫は語り続ける。前へ向け直された横顔には、穏やかな笑みが変わることなく浮かんでいた。
それでも貴姫は、『そんなのは迷信ですよ』と軽々しく黄季に言わせない緊張感を滲ませてもいる。
「お兄様は慈雲兄様に出会うまで、力の制御が一切できませんでした。お兄様を中心に怪異が発生することは日常茶飯時で、妖怪に身を狙われることも多々ございました」
──そういえば、俺も。
事の大小の差はあれど、周囲で不思議なことが起きることは時々あった。
ただ黄季の周囲は武芸に優れた肝が座った人間しかいなかったから、そんな些事を気にする者などいなかった。父や祖父、長兄、次兄は元より、母やすぐ上の双子の兄達でさえ、黄季に寄ってこようとする不穏な影は、それが『何』であるかを理解するよりも早く、そこらの武具をぶん投げて撃退していたような気がする。
──俺って、もしかしてかなり特殊な状況下で暮らしてたのか?
さらに言えば、特殊かつ幸せな状況下であったとも言える。
「わたくし達、十四歳の春に慈雲兄様に出会うまで、自分達はさっさと死ぬべき存在だと思っておりました」
だがそんな呑気な回想は、貴姫がこぼした言葉に軽やかに吹っ飛ばされる。
「父にも、母にも、継母にも、異母弟妹達にも。いとこ、おじ、おば、その他一族郎党。煌家は同族内で毒が飛び交うのが常ではございますけども、わたくし達ほど死を願われた『煌家の人間』も、歴代を広く眺め回してもそういない。そう断言できるくらいに、わたくし達は周囲に死を願われてもおりました」
「えっ」
「ご安心なさって。そんなことは言う輩は、もう生き残っておりませんから」
『お兄様と二人で、皆鬼籍に叩き込んでやりましたわ』と告げた瞬間だけ、貴姫は毒が滴るような笑みを浮かべた。ゾクリと背筋を震わせるような冷気は、恐らく殺気に類するものだろう。
「『人生、一度きりしかねぇっつーのに、何かに囚われて己を枠にはめて、その中で腐っていこうとするなんて、クソつまんねぇヤツ』」
そんな貴姫が、不意に冷気と毒気をかき消した。
──その言葉……
貴姫が口にした言葉に、なぜか聞き覚えがあった。ハッと貴姫を見上げると、貴姫は悪戯が成功した幼子のような笑みを黄季に向けている。
「『護衛』という名目で慈雲兄様達が煌家に招かれたのが、わたくし達と慈雲兄様の馴れ初めになるのですが」
キラキラと目を輝かせたまま、貴姫は内緒話をするかのように衣に包まれた指先を口元に添えた。そのまま黄季へ笑みかける貴姫は、今までになく無邪気で楽しそうな表情を浮かべている。
「慈雲兄様ったら、お兄様がいつもの調子でひねくれたら、いきなりそんな啖呵を切ってきたんですのよ」
随分酷いことを言う人間だと、その場にいた貴姫は思ったのだという。今までの自分達が歩いてきた道を、特に兄が負わされた苦境を一切知らないくせに、一体どこからこいつは物を言っているのかと。
「だけどね、慈雲兄様は、続けてこうも言いましたよ。『ただ生まれてきただけで死んだ方がいいと言われる命があってたまるか』って」
初めてだった。
十四年、物心ついた時から、ひたすら死を願われてきた。そうでありながら煌家当主と正妻の嫡子であった自分達は、正統すぎる血筋と立場のせいで簡単に殺されることもなかった。
ただひたすらに飼い殺され、息をすることを許される代わりに、ありとあらゆる理不尽と罵声と言いがかりを浴びせかけられる毎日だった。正直、物心がつく前に、物事を理解できるだけの学をつけさせる前に殺してくれた方が、いっそ楽だったと何度思ったかも分からない。
そんな自分達の生を、初めて認めてくれたのが慈雲だった。顔を上げろ、しょぼくれてんじゃねぇと、初めて叱ってくれたのが慈雲だった。
『周囲に死ねと言われたからって理由だけで、お前ら簡単に死ぬっつーのかよ。つまんねぇ野郎だな』と、発破をかける言葉は大概なものではあったけども。
それでも『テメェらが「生きたい」って思ってるなら、周りが何を言ってこようが「うるせぇ」って叩き落して、胸張って生きてりゃいいだろうがよ』と、出会って間もない慈雲だけが言ってくれた。
「その言葉にお兄様ったら、人生で一番驚いた顔をしていらっしゃったわ。今でもあの時以上に驚いているお兄様を、わたくしは見たことがありませんのよ」
その時の光景を思い出したのか、貴姫はコロコロと鈴を転がすように笑う。
──えっと、……長官?
貴陽と貴姫の中で今の話は美談というか、人生を変えた契機ということになっているらしいが、それにしても慈雲の発言も大概だ。
氷柳からこぼれ落ちる話を聞いている分には、慈雲は昔から今と変わらず常識人であった印象がある。そんな慈雲がほぼ初対面に近かった煌双子にここまでの啖呵を切ったというのは、当時の煌双子がそれだけ手に負えない状態であったという証左であるのかもしれない。
──でも、煌先生と貴姫さんがそんな風になるのも、仕方がないことだったんじゃないかな。
凶兆である男女の双子。さらにその兄の周囲では怪事が多発しており、『不幸を招く忌子』という認識が周囲にはあった。
そんな状況に物心つく前から置かれていれば、心は静かに腐っていくものだと黄季は思う。
「慈雲兄様は、わたくし達のことを終始一貫して、あくまで『ただのクソガキ』として扱いましたわ」
簡単に乗り越えられる過去ではない。過去になったとはいえ、簡単に口にできることでもない。
だが貴姫は、そんな当時の自分達の状況を朗らかに笑い飛ばした。声音はコロコロと上品だが、空気はケラケラと表した方が正しいくらいに軽い。
恐らくここに貴陽がいたら、本当にケラケラと笑っていたことだろう。そして貴姫と声を揃えて言ったはずだ。
『慈雲の言うことは正しかった』と。その上で『それにしても言葉選びが大概だよねぇ! 不敬罪で首を飛ばされててもおかしくないよ!』とも口にしたはずだ。
「信じられます? わたくし達、『男女の双子』やら『忌子』やらを抜きにしても、二極が片翼、煌家の嫡子ですのよ? それを『クソガキ』って」
『どうせ自分達の生存を願う人間なんていない』『護衛も体面を保つだけのものだから、別に必要ない』と捻たことを言う煌双子に対し、慈雲は終始一貫して『何もできねぇガキは粋がってねぇでちゃんと護衛されとけ!』と雷を落としては結界が展開された部屋に二人を放り込むという所業を繰り返したのだという。
さらに『忌子? 何だそりゃ。退魔師やってる俺から見りゃ、お前は羨ましいくらいに才能にあふれ返ってるっつーの! 嫌味か自慢か何なんだそれはっ!』『お前みてぇなやつが忌子って呼ばれんなら、泉仙省は忌子の集団だっつーの!』という発言まで飛び出てきた時には、さすがに貴陽も貴姫も開いた口が塞がらなかったらしい。
「それで最後には『忌子が招いた災い』を偽装して、泉仙省を巻き込んだ上でわたくし達を殺そうとしていた当主の思惑を真正面からことごとく全部ぶち壊して、当主に説教をかました上で護衛任務を完遂させたんですもの。これで惚れるなと言われる方に無理があるとは思いませんこと?」
──何と言うか……
とにかく、慈雲らしいと思う。黄季が知っている『長官としての慈雲』ではなく、氷柳達とともにいる時に感じる『素の慈雲』といった印象だ。
同時に、理解した。
──そんな風に助けられたら、そりゃあ煌先生も懐くよな。
かつて天才後翼退魔師として名を馳せた貴陽は、それ以前に薬学の才人でもあるという。素直に煌家の薬師として精進を重ねていれば、齢二十六の今をして医局大夫の座に上り詰めていてもおかしくなかったという話だ。
実際のところ、呪術医官として再出仕を決めた時から現在に至るまで、貴陽の元には御殿医としての引き抜きの話がひっきりなしにかかっているという。医師薬師としての貴陽の腕前は、それだけ広く、高く評価されているということだ。
そんな貴陽が、それらの座を蹴ってまで退魔師となり、現役を退かざるを得なくなった今なお、泉仙省近くにあろうとする理由。
その中心に慈雲の存在があるだろうということは予測できていたが、まさかそこまでのことがあったとまでは予想できていなかった。
「慈雲兄様、今でも怒ってくださるのよ。お兄様が『忌子』とか、『死ぬべきだった』とかと言われると」
『わたくし達、もう自力で報復ができないほど、弱くはありませんのに』と続けながらも、貴姫は嬉しそうに頬を緩めた。長官室で慈雲に向けた笑みと同じ笑みが貴姫の顔に広がるのを見た黄季は、時間差で貴姫の表情の理由を知る。
──自分達のために長官が怒ってくれているって分かったから。
煌家当主という権力を手に入れ、自分達に降りかかる理不尽を自力で跳ね除けることができる力を手に入れた。
貴陽と貴姫は、もはや弱者ではない。むしろ世間一般から見れば、敵う者などそうそういない強者とさえ言える。
それでも慈雲は、貴陽と貴姫に降りかかる理不尽を怒ってくれる。昔と変わらず、自分達の絶対的な味方でいてくれる。
そのことが貴姫にとっては、この上なく嬉しいのだろう。
「ねぇ、黄季様。わたくし達はね、……わたくしとお兄様はね、慈雲兄様が何と言ってくださっても、冥翁と同じですの」
そんな貴姫が、不意に纏う空気を変えた。
ピリッと張り詰める空気に、黄季は思わず足を止める。
「世界は『たった一人』によって成立している。その『たった一人』に執着して、その一人のためならば世界が滅びようが構わない。世界が『たった一人』を害するならば、わたくし達は躊躇いなく世界を滅ぼす道を選びますわ」
淡々と語る貴姫も、黄季の一歩先で足を止めた。黄季を振り返った貴姫の顔には、静かな覚悟が滲んでいる。
「冥翁はそうでありながら、その『たった一人』を世界に奪われた。冥翁が己の人生の全てを投じて沙那と沙那の皇帝一族を呪った気持ちが、わたくし達双子には痛いほどに分かりますのよ」
静謐で、同時に悲しみも感じさせる視線は、真っ直ぐに黄季に据えられていた。
慈雲がどれだけ自分達を肯定しようとも。どれだけ『違う』と言ってくれても。
決して自分達は、慈雲と同じ立場には立てない。
自分達は、どうしようもないほどに狂っている。そうでしかいられない。
その事実を静かに受け止めた上で、慈雲が思うような『真っ当な存在』ではいられないことを憂う、そんな表情であるように思えた。
「お気を付けになって、黄季様」
そんな美しさと儚さを同居させた表情のまま、貴姫はわずかに唇に笑みを刷いた。
「わたくし達のような手合いは、覚悟の据わり方が常人とは懸け離れておりましてよ」
あなたはきっと、慈雲兄様と同じ側にいる人間。
そして郭永膳は、間違いなくわたくし達と同種。
「どれだけ狂っていると自覚していても。倫理にもとると理解していても。執着が全てを上回り、その執着を貫くことを優先する人間が、この世界には存在するのだということを、……貴方様は、理解しなければならない」
そんな助言を口にしながら。
『毒花』と呼称される佳人は、どこか寂しげに笑っていた。




