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「結論から先に申し上げますと。冥翁こと冥寧伴の出自は磐燎王家。修行を積んだ場所は、磐燎王族に縁がある寺院です」
貴姫は体を起こすと、落ち着いた声音で語り始めた。
「とはいえ、五十三年前の沙那軍による磐燎征伐により、その寺院も灰燼に帰しております。現在を以て再興は為されておりません。冥翁が十五で国を失った後の足取りは、ほぼ追えませんでした」
「よく調べがついたな」
「お陰様で、随分情報網が広がりましたわ」
慈雲の感嘆の声に、貴姫は妖艶な笑みを浮かべる。その様は貴陽の装束に身を包んでいても、滴るような艶を隠しきれていない。
「磐燎?」
対して氷柳はいまいち話についていけていない雰囲気で首を傾げていた。
そんな氷柳に対し、自分も知っている単語が出てきた黄季は思わず問いを口に出す。
「磐燎って、先々帝の時代に滅ぼされた小国ですよね? 確か、今で言うと沙那の北西域の、国境周辺にあたる範囲の」
「さすが黄季様」
二人の会話に黄季が口を挟んでも、貴姫は妖艶な微笑みを崩さなかった。それどころか貴姫は嬉しそうに笑みを深めながら黄季を振り返る。
「祖父君から何か伺っておられましたか?」
「いえ。詳しく聞いたことはないんですけども……」
「おい、貴姫」
途端に貴姫の話相手は黄季にすり替わる。
だがその流れは呆れを顔に浮かべた慈雲によって遮られた。そんな慈雲の視線は、なぜか貴姫ではなく氷柳に向けられている。
「俺達にも分かるように話せ。さもないと涼麗が拗ねて面倒なことになる」
「あら」
その言葉に目を丸くした貴姫は、優雅に袖先で口元を押さえながら氷柳へ視線を向けた。黄季もつられるように氷柳を見やると、確かに氷柳は若干面白くなさそうな顔をしている。
──いや、でも『拗ねる』って表現はどうなんですか、長官。
そんな幼子のような表現を、はたして二十八歳男性に使って良いものなのかと、黄季は思わず今この場にはあまり関係のないことを思う。
「そんなに特別な話ではありませんわ。磐燎征伐は、黄季様の御実家である鸞家にとってとても大きな出来事だったというだけで」
そんなことを考えている間に、貴姫はコロコロと鈴を転がすように笑いながらあっさりと種明かしを口にした。
「鸞家が五獣を降りる契機になったのが、この磐燎征伐だというお話ですわ」
『ねぇ、黄季様?』と貴姫は黄季に向かって首を傾げる。
そんな貴姫へ、黄季は曖昧に頷き返した。
「祖父がはっきりとそう明言したことはありません。磐燎征伐の詳細を口にしたところも、聞いたことはないんです。ただ……」
黄季は言葉を探すように一度一行を流し見てから、自分が知っていることをゆっくりと口にした。
「祖父の父であり、時の筆頭将軍だった曽祖父が磐燎で討死したという話と、それが酷く惨く、理不尽な……起こす必要なんてなかった戦だったという話は、祖父自身がこぼしているのを聞いたことがあります」
「起こす必要がなかった?」
「はい。詳しい話は、分からないんですけども」
慈雲の声に頷き返しながら、黄季はその話を耳にした時のことを思い返す。
あれは、皇帝の勅使が『鷭の麒麟児が十歳になったら軍部に仕官させよ』と鷭家に命じた直後のことだったと思う。
その日は珍しく、深夜に人目を忍ぶようにして祖父と父が差し向かいで酒を呑んでいた。
勅命に逆らうことなどできない、しかし理不尽極まりない下命に従いたくはない。そんな心境を前に、二人は酒でも呑んでいなければやっていられなかったのかもしれない。
『あの子を軍にやってしまったら』
黄季がなぜそんな二人の姿を知っているのかと言えば、たまたま夜中に目が覚めたからだった。きっと喉が乾いて目が覚めて、水でも飲もうと部屋から抜け出した道中で、たまたまそんな二人の姿を目撃したのだろう。
『先の陛下のようなことを、当代様もなさるのかもしれない』
父上の首が磐燎で落ちてなお、先の陛下は鸞の妄執から解かれることはなかった。あのまま我らが軍部に残っておれば、あの惨く理不尽な戦は周辺各国にさらに戦火を広げておったであろう。
先の陛下は、鸞を失うことでしか止まれなんだ。
先の陛下の栄華を知る当代様は、恐らく再びその栄華を求める。鸞を失って止まった戦火は、鸞を得たことで再び燃え上がる。
あの子には、旗下に一族の者がいなくても、それを成し得るだけの才がある。父上を越える才覚が、恐らくあの子にはある。それをよりにもよって当代様に知られてしまった。
『あの子は、恐らく平穏には死ねまい』
歴代の優れた鸞の将軍が、皆そうであったように。その才を、よりにもよって愚帝に見抜かれてしまった将が、皆そうであったように。
きっとあの子も、戦場で、天寿を全うすることなく死ぬだろう。愚かなる国主に使い潰され、首を刎ねられて果てることになるのだろう。
歴代でも指折りの名将であったはずなのに、仕える主が愚かであったせいで無惨な最期を遂げることになった己の父が、そうであったように。
『儂は憎い。あの愚か者の血筋が、心底憎くて仕方がない』
息子に血を吐くように内心を吐露しながら、祖父は泣いていた。
そんな二人の雰囲気と、何より祖父が口にした言葉が恐ろしくて、黄季は震えながらその場を後にすると、兄達が眠る間に体を割り込ませて無理やり眠りについた。
後から『いずれきっと役に立つ』と叩き込まれた教育の一環で、祖父が口にしていた『磐燎』という地が沙那国境北西域を指すのだということも、かつてそこに小さな国があったことも知った。
その国が先々帝の気まぐれによって攻め落とされたのだということも。先々帝が直々に虐殺を命じたために、王族を中心とした国政中枢部の人間が皆殺しにされたということも。そうでありながら、磐燎を攻め落とす価値は、外交的にも資源的にもなかったのだという話も。
知って余計に怖くなった。自分はそういう悪意に満ちた場所にやられるのだと理解して、たまらなく逃げ出したくなったことを覚えている。
「磐燎は、先々帝である迦巖帝の勅命により攻め落とされました。迦巖帝は虐殺を命じたため、王族を筆頭に高位貴族は皆殺しにされ、都は焼き払われております」
貴姫は慈雲へ視線を戻すと、分かりやすく磐燎征伐の内容を説明した。
「征伐には、五獣から鸞軍と麟軍が派遣されております。総大将は当時の筆頭将軍であった鸞紫帥。記録によれば、鸞紫帥は戦の最中に戦死しており、鸞軍の指揮は鸞紫帥の副将を努めていた鸞紫彩が引き継いでいます」
「鸞……」
「鸞紫帥は俺の曽祖父、紫彩が祖父です」
ポツリと声をこぼした氷柳には、黄季から説明を添えた。黄季が控えめに添えた言葉に、氷柳と慈雲が無言のまま目を見開く。
「鸞紫彩様は、磐燎征伐完遂後に筆頭将軍の座を与えられましたが、三年後にその座を返上されました。同時に鸞一族は揃って軍を辞し、本家である黄季様の御実家のみを都に残し、沙那の各地に離散されております」
説明を続けながら、貴姫はチラリと黄季を見やった。『あっていますか?』とも『辞した理由をご存知で?』とも解釈できる貴姫の視線に、黄季はひとまず曖昧に頷くことで返す。
「当時の鸞軍は規模こそ沙那軍全体の一割強といったところでしたが、その一割強で沙那の軍事力の四割を担っていたと言われております」
鸞一族が揃って軍を辞したことを受け、旗下の兵も大半が軍から去ることを決めた。皇帝は他軍の将へ引き抜きを打診することで旗下を引き留めようとしたらしいが、ほとんどの者がその話になびくことはなかったという。
結果、沙那の軍事力は大幅に削られた。
「そのために迦巖帝は各地に吹っかけていた戦を止めざるを得ず、沙那と周辺各国には平和が訪れました」
「迦巖帝って、そんなに意味もなく戦に明け暮れてたのか?」
「直近の沙那の絶頂期は、まさに迦巖帝の御代にあたります。今からは想像もつかないほどに、沙那は豊かで強国だったのです」
鸞家は沙那建国の折よりその武力を振るってきた一族だ。その鸞家に愛想を尽かされたのが迦巖帝の、引いては沙那の運の尽きだったのだと貴姫は語る。
──多分、じいちゃんが、それほどの決断をしたのは。
止められなかったからなんじゃないかと、黄季は思う。
直接祖父の口からそう聞いたわけではない。だがあの時、祖父は父を相手に言っていた。『先の陛下は、鸞を失うことでしか止まれなんだ』と。
その言葉はつまり、そうなるよりも早く、祖父は皇帝を止めようと動いていたとも解釈できる。
当時の筆頭将軍を討死させてでも、皇帝は戦火を広げることをやめはしなかった。無意味な進軍を続けさせた。そんな皇帝にはもうついていけないと、新たに鸞の将軍の座を継いだ祖父は考えたのかもしれない。
それならば、鷭の家訓の意味も、痛いほどによく分かる。
『武を以て国に関わるべからず』
自分達がかつて司っていた武力は、国を狂わせた。その力を再び国に与えてしまえば、同じ歴史を繰り返すことになる。
それが祖父には痛いほどに分かっていたから、己の血族達に国と関わることをきつく禁じていたのだろう。
「磐燎征伐で、王族を始めとした国政中枢部の人間は、皆殺しにされたのですよね?」
思わぬところで聞くことになった自身の一族の話にギュッと拳を握りしめながらも、黄季は気になっていた疑問を貴姫に向けた。
「ではなぜ、王家に縁がある冥翁は、生き残ることができたのですか?」
「冥翁は王の息子ではありましたが、忌子として外に出されておりました」
黄季の問いを受け、貴姫も話を本筋に戻す良い機会だと考えたのだろう。スッと笑みをかき消した貴姫が、改めて視線を慈雲へ据える。
そんな貴姫の視線を受けた慈雲が、わずかに目をすがめた。
「忌子?」
「お兄様と同じです、慈雲兄様」
そう答えた瞬間、貴姫の声にスッと冷気が宿ったような気がした。
「生まれながらにして強い霊力を持ちすぎたために、忌まれて寺へとやられたのです」
──え?
さらに続けられた言葉に、黄季は思わず凍り付いたように貴姫を見つめてしまった。
──煌先生と一緒?
「赤子には、力の制御などできません。身を守る術もございません」
己の言葉に黄季が凍り付いたと分かったのだろう。貴姫は黄季を振り返ることなく淡々と言葉を続けた。
「呪術と縁のない家にそういった子供が生まれてしまうと、周囲は何が起きているのか分からない。赤子の周囲で起こる怪事の原因が分からない。だけど赤子が原因であることだけは分かる」
だから分かりやすく、その赤子自身が遠ざけられる。場合によっては、殺されてしまうこともある。
「下手な貴族の正統な血筋に生まれてしまうと、安易に『殺す』という手段も取れなくなります。……当人にとって喜ばしくないことに」
「貴姫」
「分かっております、慈雲兄様」
貴姫へ飛んだ慈雲の声には明確な険があった。牽制するような声だったというのに、それを受けた貴姫は一瞬、声音に嬉しそうな雰囲気を滲ませる。
「とにかく。正統な王の子でありながら強すぎる霊力を宿して生まれてきた冥翁は、生まれてすぐに王族縁の寺へ預けられました。冥翁はそこで僧として生きていたのです」
「だから征伐を生き延びることができたし、術者として修行を積むこともできた」
「はい。冥翁の術の基礎は、間違いなくこの時代に作られたものだと。これはお兄様の推測になります」
貴姫の言葉に、慈雲は思案するように視線を伏せた。一方、そんな慈雲と貴姫を眺めている氷柳は、相変わらず内心を読ませない無表情を保っている。
「……分からないことがある」
数拍だけ落ちた沈黙は、慈雲によって破られた。
「冥翁は、父である磐燎王から忌まれて、王宮から寺へ出されたんだろ? 国を滅ぼされた恨みから人生をかけてまで沙那への復讐を果たす、なんていうほどの思い入れが、やつにはあるのか?」
「実際のところ、冥翁が磐燎王族からどのような扱われ方をされており、どのような感情が双方にあったかは分かりません。ただ、冥翁の執着がどこにあったかは、何となく推測がついております」
慈雲の指摘にも、貴姫の言葉は揺るがない。
スッと心持ち姿勢を正した貴姫は、感情を交えない声音のまま言葉を続ける。
「冥翁には、母を同じくする姉がおりました。この姉だけが、冥翁と親しい交流を持っていたそうです」
焼け残ったわずかな記録や、生き残った僧達の弟子など、貴陽と貴姫の手勢がわずかな縁と情報を辿って探し当てた情報に、かなり推測も交えた話だという。
ただそれだけでも、点と点が線になるだけの力はあった。
「近隣諸国に広く名を知られる、有数の美姫であったそうです」
名を玉華。
磐燎王族と国政中枢部の虐殺を命じていた迦巖帝だったが、同時に何人か興を引かれた人間の名を上げ、それらの人間は生かして連れて帰ってくるようにと命じてもいた。
冥翁の同母の姉である玉華姫は、その中でも筆頭に名が上がっていたのだという。
「玉華姫は沙那の後宮へ連行され、かなり手酷い扱いを受けたそうです。……その記録は、大乱の戦火を免れ、現在も王宮に存在しております」
散々迦巖帝とその周囲に嬲られた玉華姫は、後宮に連行された翌年に命を落とした。病死であったのか、殺されたのか、……あるいは自死であったのか、記録は見つからなかったという。
玉華姫の死に関して記録されていたことと言えば、亡骸が弔われることなく王城前の広場にさらされたということだけだった。
「その時点の冥翁の足跡については、辿れてはおりません。ただ」
貴姫は一度そこで言葉を区切る。
その後に続いた声は、やはりどこまでも静かだった。
「一人の若い僧が、あまりに惨いその状況に、供養を申し出たという記録が見つかっております」
「若い、僧」
それがかつての冥翁であったか否かは分からない。
だが貴姫の声音は、その人物が冥翁であることを確信している響きがある。
「きっとお兄様やわたくしならば、どれだけの時間をかけてでも、どんな危険を犯しても、何を犠牲に払ってでも、たどり着いたと思います」
その証拠に、貴姫は少しだけ寂しさが漂う微笑みを慈雲に向けたようだった。
「冥翁は」
そんな貴姫を真っ直ぐに見据えたまま、慈雲はゆっくりと唇を開く。どこまでも淡々と調べ上げた事実を並べていく貴姫に対して、慈雲が貴姫を質す声はわずかな迷いに揺れているように聞こえた。
「姉を殺されたその恨みから、沙那の都ごと皇帝一族を呪い落とそうとした、と?」
「その可能性が高いと、わたくし達は推測いたしました」
その揺らぎを聞き取った貴姫は、口の端に浮かべた笑みをわずかに深めたようだった。まるで『仕方がないですね、慈雲兄様は』とでも言いそうなその雰囲気に、黄季は思わず内心だけで小首を傾げる。
──貴姫さんは、どうしてこの状況で、そんな表情を長官に向けるんだ?
「わたくしからの報告は以上になります」
そんな疑問を向ける黄季の前で、貴姫はもう一度優雅に慈雲へ頭を垂れた。
「お役に立てましたかしら? 慈雲兄様」
そう告げて小首を傾げた貴姫は、その瞬間だけ無邪気に、朗らかに笑っていたような気がした。




