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戦士の歌  作者: Iz
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閃剣のグラドゥス その9

鳴り止まぬ歓声の中、グラドゥスは

大の字となって地に転がるアクタイオンを見ていた。

やがて鉤付きの棒を持った死体回収人数名が

おっかなびっくりやってきて、グラドゥスの顔色を伺いつつ

アクタイオンを引っ掛けて運ぼうとしていた。


グラドゥスは溜息をついて言った。


「ったくいつまで寝てやがる。

 負けに酔ってんじゃねぇよ。起きろ、アクタイオン」


アクタイオンはその声にカっと目を見開きガバリと跳ね起きた。


「誰がアクタイオンか!」


「お前だよ」


「……」


「……」


「貴様ァッ! この期に及んで素直に本名呼びとは卑怯な!」


「ワケわかんねぇぜ……

 良いからさっさと起きて歩いて戻れ。無様晒して死にてぇのか」



剣闘試合において、実際に死者が出るのは極稀であった。

技量が未熟過ぎて加減や回避ができず、その末に死亡する

いわゆる「事故死」と、試合で無様を晒した結果、

その応報及び観客へのご機嫌取りとして処刑される「刑死」

まともな剣闘試合であれば、合計しても全体の1割程度のものであった。


専門の養成学校で資金と時間と労力をつぎ込んで

仕上げられた剣闘士は所有者にとって極めて重要な財産であり、

気軽にこれを死なせていたのでは所有者は瞬く間に破産してしまう。


また闘技場の側としても、剣闘士を集める際

これを死傷せしめた場合には、

主催者は所有者に多額の賠償金を支払う旨の契約を結んでいた。

そもそも剣闘試合の観覧は無料であるため収入もなく、

剣闘士の死が嵩めば出費は加速度的に跳ね上がる。

待っているのは身の破滅だった。


要するに、グラドゥスのような飛び入りの参加者でもない限り、

借り物である正規の剣闘士は極力死なせたくはない、

というのが主催者の偽らざる心情であった。だがそれも、

闘士当人がダダをこねては是非もなかった。



「見ろよ、執政官のヤツ青ざめた顔してるぜ。

 お客がキレて処刑を求めりゃ、賠償金で大赤字だろうからな」


「フン、良い気味だがな。

 まぁ折角助かった命を粗末にする気はない。

 今日のところは潔く負けを認めてやろう。

 俺の寛大さに感謝するのだな!」


「へいへい、そりゃお優しいこって」


グラドゥスは地に突きたった自らの槍を引き抜き、

柄に食い込んだ両手剣を蹴って外した。

グラドゥスは無言で槍の具合を確かめた。柄の半ばまで

両手剣の打ち込みが食い込んだことで、相当耐久性が落ちていた。

最後の試合が済むまでもつかどうか、どうにも微妙なところであった。


「俺様の剣、使いたくば使うがいい。

 その槍よりは遥かにマシというものだ」


アクタイオンはそう言い残して通路へと消えていった。

毅然とした態度で通路へと去るアクタイオンには

観客から拍手が贈られていた。


「こんなゴツい剣が振れるかよ。

 まぁ手土産としちゃ、悪くないか……」


グラドゥスはそう言うと

アクタイオンの剣を回収人に取り置きさせ、自らの槍を構えた。

グラドゥスの視線の先、正面の飾りの多い通路からは、

ゆっくりと一人の男が歩み寄っていた。


右手に銛、左手に大きな投げ網を持ち、兜は付けず肩当てのみ。

観客に晒すその素顔はまだ若く、隆々と発達した体躯には不釣合いな

印象すらあった。男はゆっくりと闘技場中央まで進み、歩みを止めた。


「まずは礼を。あんたが見せ場をくれたお陰で、

 一人も死なずに済んだようだ。まったく大した腕前だ」


男は堂々とした声でグラドゥスにそう言った。


「まあお客だって、別に死体が見たいワケじゃないからな」


グラドゥスは男の声に気軽に応じた。


「その通りだ。観客の望みは血沸き肉踊る戦いであって、

 血肉そのものではないのだから。技量の限りを尽くして

 観衆を楽しませ、その代価として歓声を得る。

 それが剣闘士というものだ」


男は大きく頷きそう言った。


「ようやくまともなのが出てきたな。

 その物分りの良さで俺に勝ちを譲ってくれんかね。

 賞品の首飾りが入り用でなぁ」


「それは無理だ。あの男は首飾りを誰にも渡す気がない。

 身内に勝たせて賞品に出さず、代わりに後ろの女にくれてやる気だ」


男の背後には貴族と護衛に囲まれた恐ろしく身なりの良い女性がいた。


「あの女、皇族かなんかだな。首飾り一個で観客も闘士も皇族も転がして

 見せるとは、あの執政官の野郎もなかなかの食わせもんだなぁ。

 問題はてめぇの金じゃなく税金でやってるところだが」


「まぁ俺には政治のことは判らんが。

 ともあれ雇い主の命だ。お前を勝たせるわけにはいかん。

 ……それに」


男はニヤリと笑った。


「主も客も大事だが、もっと大事なものがある。

 それは強敵とまみえ相対し、力の限りを尽くして戦うことだ。

 その上で勝てればいうことはないな」


男は銛を旋回させつつ右足を引き、斜め後方に切り払って

左構えとなった。そして緩やかに突き出した左手から僅かに

投げ網を垂らし、盾にも鞭にもしようという構えを取った。


「そいつは同感だ。今夜の酒はとびきり美味いはずだ」


グラドゥスは槍を軽くしならせ調子を確かめ、

男の方へと槍を伸ばした。男もまた自らの銛を前へと

伸ばし、グラドゥスの槍にかつりと当てた。

二人はその後距離を取り、互いの挙動を見据えつつ

静かに戦いの時に備えた。


張り詰めた空気が闘技場を覆い、観客の声が途切れ始めた。

やがてしわぶき一つ聞こえぬほどになり、息詰まる静寂の中

高らかに銅鑼が打ち鳴らされた。再び堰を切ったかの如き歓声が起き、

いよいよ最後の一戦がはじまった。

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