歌姫の肖像 後編
それから数日が経った。
ランドは完全に引き篭もっていた。
その在り様は実に徹底的であり、
まったく姿は見せぬものの
一度分をサイアスの厚意で追加された
計3度の食事の器は、常に知らぬ間に空だった。
さらにはやれ「から揚げが食べたい」だの
「今日はパスタが良い」だのと書置きも
添えられ、サイアス一家の面々は
顔を見合わせ呆れ苦笑していた。
ランド専用の小工房「ランドのアトリエ」は
四戦隊営舎の兵士向け二人部屋の内装を撤去し
改築したもので、通路に面した通常の扉の他
隣室たるランドとシェドの居室に続く
もう一つの扉が設置されていた。
そしてそちらを経由して
時折自室には戻っているようで
相部屋のシェドの言によれば
「ランド? あの裏切り者か……
まぁ元気は元気だよ。まぁ……
あいつも引き篭もりのプロだ。
ツボはきっちり押さえてるって」
とのことだった。
シェドがさらに語るには、
長期的な引き篭もりに欠かせぬのは
規則正しい食事と睡眠、適度な運動。
なのだそうだ。要するに人並み外れて
健康でないと、そうそうできないことらしい。
シェドは10年以上。
ランドは実に20数年に渡り
自宅に篭り続けたその道の達人である。
元箱入り娘扱いながら、伯父に連れられ
出歩くのが何よりの楽しみだったサイアスには
少々理解し難い境地であった。
また、シェドはランドを裏切り者と呼んだ。
なぜならこの数日間、ランドはまったくの
面会謝絶を保っているわけでもなかったからだ。
実は日に一度から二度、資材部から
若手職人のステラが訪れ、画材や手料理らしき
何物かの差し入れをしていたのだった。
「あいつとはズッ友だと思ってたのに……
一人だけ彼女作りやがってぇ!
ムキャァッ!!」
吠えつつ伝令修行に突っ走っていくシェド。
どうやらランドは健康で文化的な生活を満喫
しており、心配する必要はなさそうだ、と
とりあえずサイアスらは安心していた。
一方周囲のそうした思惑とは裏腹に、
ランドは深く懊悩し苦慮していた。
描けない。描けないのだ。サイアスの肖像が。
サイアスの姿はこれまでに
憧憬の念を抱きつつそれはもう、
サイアスの嫁衆に粛清されそうな程
つぶさにつぶさに観察してきた。
だがいざ描こうとすると、筆が止まる。
理由について心当たりはあった。
サイアスの造形は完璧に過ぎ、
途轍もなく無機的に過ぎたからだ。
人間味が欠片もない、まさに
人形のような外見をサイアスはしていた。
その様を正確に筆写することのみはできる。
だがそれはあまりにも無機的で、「生きて」
いない、魂のないただの記号に過ぎなかった。
だが実物のサイアスは生きており、
取り澄ました表情も多いが時には笑い、
怒りもする。いうまでもなく生きた人だった。
無機物としてのサイアスなら描ける。
だが命をもった人としてのサイアスは、
どうしても再現できなかった。
サイアスの纏うガンビスンや姿勢の案といった
断片を書き付けた無数の紙片の散乱するなか、
画架のキャンパスは白いまま。この数日
ランドはずっとその状態で
苦慮し懊悩していたのだった。
「技術的な助言なら出来るかも知れないし、
書物に当たれば判るかも知れないけれど。
私では力になれないわ……」
定期的にランドの様子を見に来てくれる
資材部所属の若手職人ステラはそう語った。
ステラは木工と彫金、絡繰細工等を学んでおり、
無から有を生み出す創造者の心を有していた。
むしろそれゆえにこそ、ステラに
ランドへの助言は出来ないとも言えた。
ランドとて鍛冶や兵器設計、築城等
多岐に渡る分野で才能を発揮する
一流と呼べる水準の職人である。
そして何より、描いた異形、眷属が
「まるでそこに生きているようだ」
と評される程に秀でた絵師でもある。
不調ながらも取り合えず、サイアス当人
以外の要素。すなわち衣装その他の無機物と
構図光源色調等についてはきっちり選定を進め、
「ちょっと休んでみるかな……」
これ以上根の詰めようがないという所まで
持ち込んだ上で、いっそ休んでみることにした。
淡く差し込む陽の光、時折聞こえる鳥の囀り。
古いが質の良い丁度品、そして誇らしげな
壁の辺境領主ロンデミオン家の紋章旗。
棚や壁にずらりと並ぶ、稚拙ながらも楽しげな
父母らの姿、人や馬。風景を描いた絵の数々。
飾られた絵たちを眺め仄かに微笑む
その女性は、穏やかな声で語りかけた。
「とても絵がお好きなのですね。
見ているだけで楽しくなってきます」
――懐かしい声。遠い昔の声。
耳にしたのはいつだろう。
10を少し超えた頃か――
「でも、上手じゃありません。
ちゃんと描けていないんです。
何ていうか。父も母もこんなちんちくりん
じゃあないし、馬ももっとかっこいい。
本当はもっと素敵なのに、
もっともっと、素敵なのに。
描いてみると上手くいかなくて。
描いてるときはとても楽しいんですけど。
はぁ…… 僕も先生みたいに
上手く描けたらなぁ……」
――懐かしい声。幼い声。
10を少し超えた頃の、僕の声だ――
「あなたが私の歳になるころには、
きっと私より遥かにお上手に
なっていますよ。それに。
いかに上手く描くか
いかに正しく描くか。
それよりももっと大事なものを、
貴方はもう、御存知なのですから」
女性は柔らかい眼差しで笑んでいた。
――懐かしいなぁ。優しい方だった。
いつかまた、お会いできるだろうか――
「遥か昔には、物事をありのままの姿に
写し取る、そんな道具があったといいます。
物事の姿をそのままに写し、描く。
それも絵の魅力の一つだとは思います。
でもそれだけならそうした道具には
敵いっこなくて、絵はとっくに廃れて
なくなっていたのではないでしょうか。
でもそうはならなかった。
なぜなら絵には、他にも素敵な魅力が
たくさんあるからです」
「うーん? なんだろう」
「たくさんあって、
一つには絞れません」
「ずるいなぁ」
――まぁ、本当にずるいなとは思った――
「ふふふ。そうですね……
じゃあ一つだけ。
絵には描いた者の想いが宿るのですよ。
可愛い。怖い。かっこいい、楽しい。
いろんな想いが、絵には宿るのです。
それは絵になったものの想いではありません。
描いた人の想いなのです。
何かを描こうと想い、何かを描いている
その最中に描いている人が感じたこと。
思ったこと。伝えたいこと。
そうした想いが絵には宿るのです。
絵だけではありません。
何かを作り、生み出すというのは、
皆、想いを宿すということ。
言い換えれば想いが姿を得たものが
絵、なのです」
「んー。よく判りません」
――うわっ、何てことを……
我ながら残念な子供だな――
「言葉になっている必要はないのです。
貴方の絵を見れば伝わってきます。
お父様やお母様への想い、馬や景色への想い。
そして何より、絵を描くことが大好きだ
という、その想いが。とても素敵なことだと
私は思いますよ」
――あぁ、何で忘れてたんだろう。
いつからか「描きたい」が「描かなきゃ」に
代わってたのか。そりゃ描けないよね――
「ありがとうございます。先生」
「ふぉっ!? お、おぅ……」
「!!!?」
夢の中の先生に伝えるつもりが、
寝言となって口をついたらしい。
パチリと目を開けたランドの顔の真上には、
気遣わしげに覗きこむ、シェドの
火男面があった。
「ま、まぁそこまでいうのなら
弟子にしてやらんこともなぃ」
「……何でだろうね。
表情の変わらないお面なのに
酷く得意げに見えるのは」
折角の思い出が台無しになった気分で
ランドはげんなりそう告げた。
「ひとえに俺っちの人徳やな!」
シェドはなおいっそうのことドヤった。
「はぁ…… ていうかシェドさ。
いつまでそのお面被ってるんだい?
もうビンタの痕取れたんじゃないの?」
諸事情あって顔いっぱいに手形が付き、
それを隠すべくお面をしていた、はずだが
「何か落ち着くんだよなーこれ。
人肌のぬくもりっつぅかさぁ」
「素材について調べた方が……
いややめとこ、怖くなってきた」
ランドは首をひとつ振り、
のそりと寝台から起き上がった。
「まぁ良か良か!
それより先生って誰よ」
シェドの問いに対しランドは
「絵の先生だよ。東方出身の方で、
西方諸国を旅した帰りにロンデミオンに
一月程滞在なさっててね。父が頼んでくれて
絵を教えてもらっていたんだ」
と答えてみせた。
「ほへー。有名な人なのけ?」
「山嶺高軒先生」
「ヤマネコ…… 何?」
「山嶺、高軒。雅号だね」
山嶺高軒。本名リンセ。
東方より西方に至って諸国を巡り、
平原中に多くの名画を描き残している。
その筆致は繊細にして優れた写実性と
高い叙情性を兼ね備え、特に人物画は
「髪一筋にまで魂が宿る」と謳われる。
ロンデミオンを去った後の消息は不明。
故郷に戻ったとも、今も旅しているのだとも。
「ふーん? ……爺さんか」
雅号から、
何となくシェドがそう言った。
「残念。綺麗なお姉さんでした」
「ふぁっ!?
また裏切るのかハイランダー!!」
シェドは激昂しまくった。
「ぇぇ……
それだと君に会う前から、とっくに
裏切ってる、てことになるんじゃない?」
「お、おぅ、そうやな。
んじゃノーカンか……」
とりあえずシェドは納得したらしい。
「じゃあそういうことで僕は絵を」
「待て! やっぱお前ダメ!
ステラっての何よ!!」
「君も頑張りなよ。
応援してるから」
「ぅおぃ! をぃい!?」
ランドはさっさとアトリエに移り、
内側からガチャリと鍵を掛けた。
――そうだった。
大事なのは自分が何を描きたいか。
何を想うのか、だった。そして僕は
仕事だから絵を描いていたんじゃない。
絵が好きだから描いていたんだ。
答えは僕の中にあったんだ。
もう、迷わないさ――
後日。荒野を遠く離れた平原の西方、
サイアスの所領たるラインドルフ準爵領に
城砦から一枚の絵が届けられた。
サイアスの母グラティアは、
その絵を一目見て泣き崩れたという。
後世において戦場画伯、或いは画聖と
謳われることとなるランド・ロンデミオンは、
自らの誇るべき主君サイアス・ラインドルフを
描いた多くの作品を残した。それらの多くは
サイアスの所領に在し、時に諸方へと
渡って遍く衆目に愛でられたという。
だがランドが最初に描いたこの一枚だけは
グラティアは決して手放さず、自室に飾り
日々語りかけ、余生を過ごしたのだと伝わっている。
肖像画がうまく御覧になれない方は、
以下のアドレスよりご確認ください。
http://20127.mitemin.net/i224971/
本肖像画は
イラストレーターの山猫ケン様に
依頼し、描いていただきました。
素晴らしい筆致でサイアスに姿と命を
与えてくださったことに、この場を借り
心よりの感謝と御礼を申し上げます。
なお本肖像画は
山猫ケン様の2017年の著作物であり、
本著作の諸権利はIzが有しております。
無断転載、二次配布、加工等は禁止いたします。




