閃剣のグラドゥス その2
それから月日が流れ、サイアスは9歳になっていた。
相変わらず無口で大人しく粛々とした生活をしていたが、
それでも伯父との交流で得た笑顔を
折につけ周囲に見せるようになっていた。
好みを聞かれれば答えるようになり、
選択肢があるときは自分から何かを選ぶようになった。
徐々に「自分」を出すようになったのだった。
グラティアは渋々ながらも兄の功績と言い分を受け入れ、
日帰り程度の外出であれば、月に数度は認めるようになっていた。
ただ、伯父と遊ぶ時間が増えた分、
サイアスへの教育熱はさらに強烈に加速した。
サイアスが9歳になって暫く経った頃、平原中を震撼せしめる
一大事が起きた。もっともそれは良い意味での一大事であり、
平原西方諸国は人の可能性を讃え未来を信じ、大いに沸いた。
それは、平原の西方、魔の棲まう荒野において、
当時猛威の限りを尽くしていた魔の一柱、冷厳公フルーレティを
城砦騎士団が撃破したという一報であった。
冷厳公フルーレティは赤と金の翼を持つ巨大な蒼白い狼の姿で知られ、
ひとたび現われると天に咆哮を轟かせ、
無数の雹を落として部隊を壊滅に至らしめた。
近年の宴で何度かその姿が目撃されており、配下の
羽牙やできそこないを率いて死と恐怖と絶望を撒き散らしていた。
この魔によって落命した城砦兵士の数はおよそ1500名といわれており、
平原の兵力で換算すれば、
大国トリクティアを二度は滅ぼせる程の脅威であった。
平原を沸かせた吉報は、
この魔を撃破した英雄の名をも、高らかに謳いあげていた。
その名はライナス。元イニティウム州都守備隊の長にして
トリクティア正規軍千人隊長であり、
今は城砦騎士として知られるライナスと、
彼の率いる第二戦隊の決死隊であった。
ライナスはこの功績により当代3人目の城砦騎士長となり、
新たに編成された第四戦隊の長に就任。
また平原西方連合軍の管理する辺境の地、ライン川流域に領地を与えられ、
開拓村を経営することとなった。これに伴い、領主の証である姓を得て
ライナス・ラインドルフとなり、領地の受領及び経営のため、
一年間平原に帰還することになったのだ。
イニティウムの屋敷は熱狂の坩堝と化していた。
連日のように王侯貴族から面会の要請が入り、次々と祝賀が届き、
寄贈品が山のように積み上げられた。
サイアスは父の成しえたことがどれ程のものか
想像し尽すことはできなかったが、
とにかく人々の笑顔と興奮が誇らしく、心地よかった。
それと同時に自分もいつかこの偉業を継がなければと、
身の引き締まる思いを抱いていた。
城砦側の事情もあり、ライナスの帰還が2ヶ月先と確定したことで
ようやく連日の寝不足から開放された屋敷の住人たちではあったが、
州都は依然お祭り状態が続いており、数々の催しが開かれていた。
その一方でライナスの子サイアスへの周囲の視線が激化しており、
身の安全を確保するためもあって、殆ど屋敷から
出ることができなくなっていた。たまにグラドゥスが連れ出す際も
目深にローブをかぶって巡礼者の振りをするなど、
いちいち変装しなければならなかったのだ。
もっともサイアスは、この状況をかなり楽しんでいた。
変装して普段と違う自分になり、お忍びで街を訪れるという状況は、
籠の鳥か囲いの牛かというサイアスには、まさに大冒険だったのだ。
ただ、かなりの頻度で女装させられるのは
どうにも気が進まないようだった。
「お、旦那に坊ちゃん。今日は行商人の格好かい」
すっかり馴染みになった露店の店主はそう言った。
件のあの日から月に一、二度現われては金を落としていくグラドゥス。
そして見栄えが良いだけの客引き用の安物を巧みに避けて
毎度最も価値の高い石だけを選んでいくサイアスは、
この露店の唯一にして最大の顧客だった。
この二人のお陰で定収入を得られるようになったこの男は
方々駆け巡って仲間を集め、さらに良い品を手に入れては売りに出し、
そうこうするうちに評判もあがって、今や州都で一番の宝石商であり、
王家御用達の品々をも扱うようになっていた。
もっとも、小洒落た店の奥に引っ込んで揉み手を摺っての商売は
どうにも性に合わないらしく、店の管理は家中に任せ、
自身はあいも変わらぬ露店の店主だった。
「旦那、もちっと物腰柔らかくしねえと、
それじゃただの追いはぎだぜ。客がビビって逃げちまう」
そう言って店主は愉快そうに笑った。
「うるせぇ、お前が言ってんじゃねぇよ」
グラドゥスは笑いながらそう言った。かつては冒険者だったという
強面のこの店主もまた、礼節踏まえた大商人と言った体ではなかった。
「しかし御二人方、いいとこに来たねぇ。
今日は飛び切りの見世物があるぜ」
「見世物? 売りもんじゃねぇのか?」
「あぁ、こいつは御注文の品ってヤツでね。
流石にちょっと流せないな。まあ滅多に出ない品なんで、
是非見てってくれよ」
そういって、店主は鍵付きの金属の箱から、羅紗の袱紗に包まれた
首飾りを出した。首飾りには親指の爪程の大きさの珠石が
数珠となって繋がり、中央には親指一本分程の大きさの勾玉が付いていた。
サイアスは思わずあっと声をあげて驚いた。
陽光の下に照らし出された首飾りがまるで生き物の如くに波うち蠢き、
ギョロリとサイアスを見つめた、そんな気がしたからだ。
「へっへっへ。どうよ坊ちゃん。流石にビビったろ?」
店主はたいそう得意げにそう言った。
「おぅ、旦那ちゃんもビビったぜ…… 一体こりゃどういう仕組みだ」
グラドゥスも驚いた風だった。
「旦那ちゃんて。勘弁してくれよ、あんたいくつだ……」
「うるせぇ歳のことはほっとけ。それより、これは何だ?」
「あぁ。こいつはな『竜紋石の首飾り』さ」
店主は得意げにそう語った。