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戦士の歌  作者: Iz
19/24

武神ライナス その4

東西に長い楕円に似た平原の中央に横たわる

平原とよく似た形状をした大国、トリクティア。


かつて古くは当地にあった大国の荘園であった

と伝わり、帝政トリクティアの始まりの地でも

あるトリクティア西果ての州都イニティウム。


そのイニティウムの中枢、政庁や公館の連なる

目抜きの広場や大通りから、やや西に外れた

閑静な一画に、古い屋敷があった。


当節はすっかり見掛けなくなった精緻せいちな装飾に

彩られた屋敷。屋敷の周囲に広がるひなびた味わい

のある十分な広さの庭。これらを囲む鉄柵の

外を、数百の兵が列を成して警備していた。


州都を守備する千人隊のうちでも生え抜きの

猛者である彼らの役目とは、昼夜を問わず

引っ切り無しに押し掛けてくる貴賓珍客きひんちんきゃく

数々を、徹底して屋敷から追い払う事にあった。


世界を統べる大いなる魔が一柱。

中でも図抜けた狂猛振りを持って数千とも

万とも言われる城砦兵士らをほふった冷厳公

「フルーレティ」を討って凱旋した武神。


その武神に束の間の安息をと願う

元配下たる将兵らによる計らいであった。






屋敷の主はフルミナなる年配の婦人であった。

イニティウムでも名家の遠縁で、代々主家の

乳母を務めた一族のすえに当たる。


もっとも主家は辞して久しい。今は末の娘と

最後に乳母を引き受けた、自身を母と慕う

子らが共に暮らす家族であった。


深夜。身内のみが用いる屋敷の三階、

その廊下を大きな影が音も無く、

西の外れの一室へ向け歩んでいた。


居室の扉は影の来訪を待ち構えるかの如く

僅かに開かれ中の仄灯りを漏らしていた。


「兄者、起きておられたか」


影は武神ライナスその人であった。

巨躯に似合わずするりと入室し物珍しげに

室内を眺めていた。ライナスがこの部屋を

訪ねるのは初めての事であった。


ライナスの妻グラティアと義兄グラドゥスは

共にイニティウムきっての名家の子であり、

共に妾の子であった。


既に嫡子ある名門貴族と当時風靡(ふうび)した歌姫との

庶子であったため、二人は実家たる名家に

己が居場所を持たなかった。それゆえ乳母の

フルミナが引き取って、我が子と共に

慈しみ育てたのだ。


よってグラドゥスとグラティアにとっては

ここが実家であり、フルミナこそが母であった。

ライナスが荒野の戦地に赴いてからはグラティア

もまた、この屋敷へと戻っていた。



「そろそろ来る頃だろうと思ってたぜ。

 あっちじゃ夜は戦どきだ。

 そうそう眠れるもんでもねぇよな」



ライナスの義兄たるグラドゥスは

杯を傾けつつ軽く笑った。


荒野に棲まう異形の軍勢はとりわけ夜に

跋扈する。これと戦う城砦騎士団もまた

夜の闇に身を沈め戦に臨むのが常だった。


「ハハ…… お見通しで」


苦笑するライナス。

顎で椅子を示すグラドゥス。


「お前ぇは酒より茶だったな。

 器がアレだが味は保障するぜ」


と手ずから入れた茶を出した。


専らワイン用な足付きの陶器の杯は

金色に近い淡い緑の輝きを湛えていた。


「ほぅ、東方の」


ライナスは嬉しそうに目を細めた。


ライナスは専ら茶を好んだ。

出陣の前は常に泰然と。

戦勝の後は浮かれる戦友と楽しげに。

茶を酒のように楽しむのが慣わしであった。


「玉露とかいったかな。

 あっちの馴染みが送ってくれたんだよ」


喜ぶ義弟の様を眺め

満更でもなさげなグラドゥス。


「平原全土に昔馴染みが居られるのですな」


早速茶を楽しみつつ応じるライナス。


茶の渋みとまろみが少しずつ

一柱の武神を一個の武人へ。

そして一人の人へと立ち戻らせていく。


「断っとくが女じゃねぇぞ?」


と、自身は酒盃を傾けるグラドゥス。


「然様な事は聞くまでもなく」


ライナスはサイアスがグラドゥスにするように

涼しげな表情でしれっと毒を吐いた。


「フン。言ってろ……

 どうだ荒野あっちは。相変わらず荒れてんのか?」


そんな態度もまた懐かしいのか、

グラドゥスは目を細め遠くを見つめた。



「剣聖閣下が宜しく伝えてくれと。

 兄者が城砦を去られてからは、

 閣下も随分と大人になられました。

 弟子や配下からも慕われておりますな」



どこかもう一人の弟のように、気に掛けていた。

かつての弟子にして上司、悪友にして戦友。

そんなローディスの息災に安堵したものか


「ハハハ。そうか。しかしまるで俺が

 諸悪の根源だったみてぇな言い草だなおぃ」


とグラドゥスは快活に笑った。



「いえむしろ……

 今も気に病んでおられるものかと」



一方のライナスはやや苦渋を見せた。

気に病んでいるのは自身も同じだと、そう

言わんばかりに。


剣聖や武神にそうした思いを抱かせるだけの

過去が、三者の間には有った。


「……しょうがねぇヤツだな。

 俺ぁこうしてピンピンしてるってのに」


グラドゥスは特に気にした素振りを見せず

小さく肩を竦め、再び杯を仰いだ。


その様にライナスは仄かに笑んで



「仇を取るまで引退はせぬと仰せです」



と剣聖の言を代弁した。



「おぃおぃ、勝手に俺ちゃん殺すな殺すな。

 ……ってかあの野朗次は何時沸くんだ?」



「参謀長曰く、あと9年」



厳とした口調でライナスは応じた。




かつて二度目の顕現となる宴において

際限なき暴威を奮い、対峙した剣聖率いる

第二戦隊を半壊させ敗走にまで追い込んだ、

そんな大いなる魔が在った。


そして伯爵級とされるその魔から

未だ生ある戦友らを逃がすため、唯独り

殿しんがりに侍って時を稼ぎ、瀕死の重傷を負うも

美事撤退を成功させた騎士の中の騎士。


それが剣聖の副官にして剣の師たる城砦騎士。

「閃剣のグラドゥス」その人であった




「ほぅ…… 

 その頃にゃあいつは40半ばってとこか。

 無茶しなきゃいいんだがな」


呟くようにそう告げるグラドゥス。



窓の外に続く深い夜。高みに灯る星と月。

この夜は荒野にも城砦にも続いている、と

グラドゥスとライナスは暫し物思いに耽った。



「勿論お前ぇも無茶すんじゃねぇぜ?

 まぁお前ぇの場合は向こう一年、

 こっちで飛び切りの苦労が待ってるが」



ややあってそう茶化すグラドゥス。



「正直気が重いですな。

 とは言え後々の事を思えば致し方なし」



苦笑し首を振るライナス。時とともに

その苦笑は消沈に、そして懊悩おうのうに変じていった。





「グラティアやサイアスには……

 済まぬことをしたと思っています」



ライナスは苦しげに言葉を紡いだ。



「4年放置の事か?」


「無論それもありますが……」



再び沈黙するライナス。

やがて憔悴した様子で語るのは



「人の世の守護者、その重荷を背負うのは

 我が身一つで良かったのです。それを」



「所領の事か」



表面的にはそれであった。

そして、その本質とは。



「如何に後事のためとは申せ、領主となれば

 地に縛られる。あの子もまたいつの日か、

 荒野にやらねばなりません」



己が一子、サイアスの事であった。


大いなる人の世の守護者。絶対強者たる

城砦騎士の称号は当人限りのもので

世襲ではない。


城砦騎士団員の立場も同様で親がそうだから

子も行かねばならぬということはない。単に

国家なり共同体なりに対しての戸数に応じた

割り当てに過ぎない。


だが所領を得て世襲の領主となれば話は別だ。

領主の子は領主。騎士団領の領主は自動的に

騎士団員。よって子々孫々に渡り連綿と

城砦騎士団員としての責務を負う事になる。


つまりはいつかライナスの跡目として

荒野の死地へと赴くこととなる。

そうした可能性を示唆していた。



「……」



ライナスの懊悩を我が物として、

グラドゥスは暫し瞑目した。



「あの子には…… サイアスには

 余生を穏やかに過ごして欲しかった」



しぼり出すように、

うめくようにライナスは語った。



「何の因果か気性以外母親と瓜二つだからなぁ

 むしろ母親以上に華奢で命に力が無ぇ」



グラドゥスもまた、低くそう呟いた。





生まれつき色味が極端に薄く華奢で

生気もまた薄い。乱世を生き抜く力に乏しく、

それどころか余命すら危ぶまれる程の、およそ

夢幻の如き儚げな、そんな姿を武神の子は

成していた。


医療や衛生に関わる多くの事物が

文明もろとも滅んだ後な当世において。

乳幼児が成人たる10代半ばまで生き延びる

可能性は、高く見積もって五分と五分。


その上一際華奢で生気に乏しいとなれば

まず長くは保つまいとされていた。


多くの者に護られ慈しまれて10年は生きた。

続く10年もあわよくば。されどさらなる

10年は最早この世には無かろう。それが

武神の子(サイアス)が生まれながらに背負う運命であった。


長く見積もって20と数年。平和な平原の

平穏なる屋敷に篭りきり、多くに護られ

安寧のうちに過ごすならば、短いとはいえ

最大限の余生を全うはできよう。


そんな子に。屈強な猛者すら数年と待たず

命を落とす異形への餌箱、果て無き死地。

荒野の城砦への赴任を押し付ける。

それがライナスの領主就任であった。


大魔をしいし天下に名を轟かすライナスも

一柱の武神である前に一個の武人であり、

一個の武人である前に一人の子の親であった。


余命乏しき我が子に対しなお率先して死ねと

命ずるなど、身の張り裂ける思いであった。


灯りと暗がりの入り混じる、ランプの照らす

居室のうちで、酷く暗い影を落とすライナス。


その姿に暫時鎮痛な面持ちを向けるも、

グラドゥスはすぐに首を振った。





「だがなライナス。あいつは……

 サイアスはとっくに決意してんだぜ?

 所領の有無やら領主の責務なんざ関係ねぇよ。


 誰が止めようといつの日か、お前を追って

 荒野に往くだろう。憧れてんのさ。お前にな。

 武名や強さじゃねぇ。その直向な生き様にな」



「……私は」



言葉を続ける事あたわず、

ただ静かに瞑目するライナス。



「まだ10かそこらの、どうみても

 長生きできそうにねぇひ弱なガキがだ。


 人の世のために命張ろうって、とっくに

 覚悟決めちまってんだぜ。大したヤツだよ。

 

 そうさ、中身はお前と瓜二つなんだよ。

 武神ライナスの子、サイアスはな」



グラドゥスの声が、そしてサイアスの覚悟が

どこまでもその身に深々と響いていた。

やがて長き沈黙の果て、ライナスは



「私には過ぎた子です」



と何とか一言、口にした。


グラドゥスはこれを



「馬鹿野朗、そこは自慢の息子って言うもんだ」



いさ



「……はい」



ライナスは静かに、しかと頷いた。





「流石に平原に戻ってくると

 心も幾分脆くなりますな……」


ややあって落ち着いたものかライナスは

室内に飾られた武器を手にして眺め、

照れを隠しはにかみつつそう言った。


「お前がまだちゃあんと人間だって証拠だよ」


グラドゥスは義弟のそんな有様を笑った。


「相変わらず手厳しい。

 弱みを握られたのは迂闊うかつだったか」


嘆息交じりに苦笑するライナス。



「ぬかせ。まぁこっちの事ぁ心配すんな。

 サイアスもグラティアも皆まとめて

 俺の命ある限り、必ず護り抜いてやるよ」



とのグラドゥスの一言に



「それでは足りませんな。

 子々孫々でお願いしたい。

 そのためにもまずは嫁取りを」



とやり返す事にした。


「やめろっつぅの! 酒がマズくなんだろ!」


露骨に顔をしかめ喚くグラドゥス。


「深夜に騒ぐのは感心しませんぞ」


しれっと澄ましてライナスは告げた。



「こいつめ…… そういや俺に対してだきゃ

 常に一言余計なとこもお前ぇそっくりだぜ、

 サイアスはよぉ」



片眉を上げ苦虫をよく噛んだ顔のグラドゥス。



「つまり自慢の息子ということで」


「けっ、やかましいわ!」



そう吠え返し、昔のノリを思い出したか

二人してグラドゥスとライナスは笑っていた。





その後も、往年の紅蓮の愚連隊では常に

こうしたノリだったのであろう、そう思わせる

軽妙で快活な会話を肴にして、二人は酒なり

茶なりを楽しんでいた。



「ベオルクたちはアウクシリムで休暇なのか?」


「あの者らにも半年間の特別休暇が

 出ております。今は新領への移住者を

 募るべく伝手を当たってくれておるようです。


 流石に我ら一家のみで赴いても

 長く暮らしてはいけませんからな」


「確かにな。そういうのぁ疎いんだよな俺ら。

 持つべきものは良き配下だな」



ともかく戦特化の生き様な武神ライナスは

およそ生活感というものが皆無であった。


副官在任時に面倒な庶務雑務を全て上官にして

弟子たる剣聖に押し付けていたグラドゥスに

至っては言わずもがなといったところ。



「まったくで…… とまれあの者らは規定の

 帰境分をそうした用途に用い、その後

 新領の調査に先行してくれるようです。

 平原では私を動かしたくないようで……」


「クク、影響力があり過ぎるからな。

 町ぐるみで移住希望されちまっても困る」



どうにも不本意げなライナスに

グラドゥスはクツクツと笑ってみせた。



共に天下異数の武人同士。

自然に話題は戦へと向かい、



「フルーレティ討伐ではあの者らにも随分と

 無理をさせました。中でもベオルクの功は

 一方ならず。ゆくゆくは騎士長にも至るかと」



昔馴染み悪友かつ戦友の話などするうちに

やはり先の宴や魔が話題に上った。



「ほほぅ…… そういやフルーレティてのぁ

 ベルゼビュート級だって話だったが。

 結局どうやって〆たんだ?」



興味深げに問うグラドゥス。


ライナスもまたとくと語るにやぶさかならず

といった風情であったが、その一方で

懐より取り出した玻璃の珠時計で時刻を確認。


荒野の城砦であれば第二区分も程なくとなる

5時に差し掛かった辺りであった。



「ふむ、そうですな……

 そろそろ夜も明けます。部屋に居らぬと

 大騒ぎになりそうなので一先ず戻りますよ。

 

 また深夜に。冷厳公フルーレティ討伐の、

 その顛末をとくとお聞かせいたしましょう」



小さく肩を竦めるライナス。

少なくとも向こう一年は平原に留まるのだ。

焦る事もなかろうと顎鬚を撫でもったいぶった。


「ハハ、何だか昔話みてぇだな」


こいつの勿体振り髭も久しぶりだ、と

笑うグラドゥスは古い物語を思い出した。



初夜に妻を殺す暴君に嫁いだ姫が

夜毎に僅かずつ語って聞かせる冒険物語。

続きを聞きたい暴君は姫を殺さず生かし続け

夜毎に物語に聴き耽り。ついには改心し

仲睦ましく暮らしたという。

そんな昔話があった。




いにしえの、千と一夜ひとよの物語。


もっとも夜は魔の世界。


人には千の日の物語。




「ハハハ。確かに。

 まぁ美姫はご自身で手配ください」


親しい者にだけ見せる涼しげな、

そして屈託ない笑顔でライナスは笑った。


「一言余計だっつぅの!」


盛大に顔を顰めるグラドゥス。

茶目っ気たっぷりにおどけるライナス。


そして肩を揺らして背を向け再び音もなく

ライナスはグラドゥスの居室を辞した。

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