武神ライナス その2
万雷の喝采をその身に浴びて
武神ライナスは背後に控える精強な配下と
自身を歓迎するかつて配下であった軍勢の
狭間を、灼熱色の愛馬で北へ南へと闊歩した。
大いなる世界の覇者たる魔との戦いで
甚大なる損耗を得た城砦騎士団の要請を受け
西方諸国連合の中心国家の一つ、トリクティア
の正規軍の誇る州軍の長、千人隊長として
荒野の城砦へと赴任したのは4年前の事だった。
荒野の城砦で異形に対峙し死線をくぐる
城砦兵士らに比べれば随分格が落ちはするが
士気においては決して劣るものではない。
そうした想いを抱きつつ万来の兵らを見渡す
ライナスは、やがて静かに馬足を留めた。
するとどよめく軍勢の狭間を大慌てで
迫る者がある。豪奢な衣装と恰幅の良さは
兵士の纏うものではない。州都4万の民を
統べる執政官その人の姿であった。
共和制トリクティアの中枢から遠く離れたこの
イニティウムより返り咲きを狙う執政官としては
何としても是が非でも、高貴なる血筋や
民衆の人気といった大きな後ろ盾が必要だった。
そして結構な量の民兵も混じるこの軍勢から
最早神であるかのように崇められるライナスは
彼にとっては最高の後ろ盾となると思われた。
この執政官にとりここイニティウムは
自身の政治地盤から遠く離れた僻地に過ぎない。
そのため4年前の当地の将ライナスとは
まるで面識を持ってはいなかった。
よってここは一刻も早く昵懇となって
武神の加護を受けるに限るとて、矢も盾も堪らず
こけつまろびつ飛び出した次第であった。
「おぉ武神ライナスよ。よくぞ帰還した!
そなたの活躍は聞いておる。そなたこそ
我らトリクティアの誇り、いや人類の誇りだ」
どこか冷ややかな兵らの狭間から
大仰な仕草で近寄る執政官。
「何とも実に美々しい武者振りよ。
ワシは執政官の」
ライナスは音もなく下馬して地に立った。
それに合わせ騎兵らもまた一斉に下馬。
その様に何かあるとみた兵らは一気に静まった。
執政官はそうした様に思わず怯むも
すぐに気を取り直しなおも歩み寄った。
この執政官には権力こそ己が神。武神の威
何するものぞとばかりに進む様もまた
凡そ非凡なる胆力の成せる業であった。
ライナスはす、と東へ向き直り右手を前へ。
と、万の兵らは一斉に回れ右をして東を向いた。
唖然として振り返る執政官。自らの辿りきた
元の場所。ライナスや兵らの視線の先には
一台の屋根無し馬車があった。
ライナスは差し出した腕を胸前へと引き付け
敬礼の姿勢を取った。配下が、軍勢が一斉に
それに習い、号令一つなくなされるその仕草に
執政官はポカンと口を開けていた。
「何と素晴らしき武人であることか。
父上、わらわに婿をといわれるのなら
ああいう方にしてくりゃれ」
「無茶を言わんでくれ。
人の世にはおらんものだ」
初老の貴人は娘のおねだりに苦笑した。
「荒野にならばおるのかや。
ならばわらわが荒野に往くか……」
艶やかな黒髪の乙女はそう呟いた。
帝政トリクティアの皇族の末にあたる
古都イニティウムの公爵家令嬢。
名をウラニア。後の「迅雷公女」であった。
号令一つなきいきなりの敬礼に
呆気に取られはしたものの、すぐに
土着皇族の権威もまた捨て難しと思い返し
執政官は自らも敬礼に加わった。
そしてひと段落し振り返ってみたところ
ライナスは既に馬上にあり、南へ歩み出していた。
ここまできて、そうはさせじと執政官。
丸々とした身体を巧みに操り勢いよく
なおもライナスに駆け寄った。
なんとしてでも握手の一つもしてみせて
民の人気を得ねばならぬ。
「……いや、いやいや!
ライナス殿! まったく見事な武人振り。
感服したぞ! ワシは執政官の」
「知っておる」
ライナスは馬足を止め、一呼吸置き
「我が名を冠した剣闘試合で
義兄者に獣をけしかけて
罪人扱いした男だ」
と睨めつけた。
先月。冷厳公フルーレティを討った
ライナスの凱旋を記念して、この男は
州都の予算で大規模な剣闘試合を開催し、
その優勝賞品として法外な値段の首飾りを購入。
無論州都の予算でだ。そして身内に優勝させて
首飾りを己がものとし、その上で公女への
貢ぎものとしようと画策した。
自らの懐をまるで痛めることなく
民の人気と公女の機嫌とを総取りし、
自身の基盤を磐石化する計画であったが
甥っ子のためにちょいと一肌脱いでみた
他ならぬライナスの義兄グラドゥスが
しゃしゃり出てきて番狂わせ。首飾りを
掻っ攫われた、という経緯があった。
その大番狂わせな活躍ぶりには
民も公女も大いに沸いて喜んだため
結果として損はなかったものの、
その過程には大いに問題が残った。
この執政官はグラドゥスの優勝を阻止すべく
あろうことか猛獣をけしかけたのであった。
剣闘試合において猛獣との対戦は
大抵罪人に対する公開処刑の一環として
用いられており、少なくとも貴族であり
栄誉ある元城砦騎士グラドゥスに対して
おこなって良い仕打ちではなかった。
執政官は自身の権力のみに専心し、
他者に敬意を払うところがなかった。
皇族に対しても血筋が欲しいだけで
敬意なぞ何一つ抱いてはいない。
それは莫大な人気を持つライナスを前に
背後の貴人らを放り出して追従に向かった
ことからも明らかとなっていた。
この大いなる名誉毀損に対しては試合中に
公女自身により物言いが付けられ執政官は
大いに慌てたが、結果としてグラドゥスが
優勝に至ったのだし問題あるまいと高をくくった。
そしてライナスに関しても遥か遠方の荒野で
詳細は知るべくもなかろうと適当に口封じだけ
しておいたのだが実際のところはとうに筒抜け。
そして存分に怒りを買っていたようだった。
「っ! っっヒィ!?」
いかに胆力があろうとも
魔をも弑する武神に睨まれては堪らぬ。
執政官は腰を抜かしてひっくり返った。
大いに仰天した執政官は万の兵士を動かして
己が身を護らせようと試みた。しかし
兵士らは武神の僕であり、むしろ主の怒りを
己が物として執政官に向ける風であった。
執政官は言葉を失い後ずさった。
するといつの間に間合いを詰めたのか、
ひっくり返った執政官の背後には大柄な
漆黒の軍馬がおり、黒一色の甲冑を纏った
壮年の武人が
「斬りますか?」
と右手で自身の口髭を撫でた。
「ヒッ、ヒィィ!
わ、ワシは執政官だぞ!」
執政官は地位を盾に抗った。
「だからどうした」
漆黒の武人は憮然と返じた。
「!?」
荒野より来たこの連中には平原の理や
人の世の栄誉権勢なぞまるで通じぬ。
忠義と武勇、それあるのみ。ようやく
そのように理解したものの時既に遅し。
執政官は蛇に睨まれた蝦蟇の如く
脂汗を垂らし身動き一つできなくなった。
州都4万の民の頂点にある執政官の威を
まるで意に介さぬ漆黒の武人の右手は
口髭を離れ自然に腰へ
「捨て置け。仮にも執政官だ。
身の不始末は自ら裁くだろう」
再び南へ歩み出した馬上から声が響いた。
その声音は微かに明るい気色をはらんだ。
「できぬ場合は」
執政官をじろりと睨み
漆黒の武人はなおも問うた。
「地の果てまでも追って討て」
馬上に揺れ、遠ざかる背が言葉を残した。
「御意」
漆黒の武人は抜きかけた剣を
鞘へと戻し、キンと鍔を鳴らした。
「! !! ヒィッ! ヒィィッッ!!」
鍔鳴りの音で金縛りが解けたのか
声にならぬ悲鳴を上げ、迫り来たったのと
同様に、こけつまろびつ執政官は逃げた。