えいぷりるふーるねた2017
「にしてもデッケぇ屋敷だな……
宣教師ってなそんなに儲かんのか?」
暗鬱に曇る鉛空の下、鬱蒼と茂る林の先。
房総の断崖に建つ洋館があった。
亜米利加より渡来したぷろてすたんとなる
宗派の宣教師、とやらがほんの数年前に
建てたその館は、もう何百年もそこに佇む
かの如き重厚な気配を発していた。
ぼやいて見せたのは洋館の正門を目指す
3名のうち、一際うらぶれた風体の男。
被服はそれなりに瀟洒だが、いかんせん
一挙手一投足が野暮ったさに満ちていた。
「んー、逆かも知れないね。
お金が有り余ってるから布教にハマれるのかも。
遠路遥遥本邦にまで、誠に御苦労様だけどね」
歳の頃はほぼ同じだが、長身で
随分垢抜けた印象を持つ男が
先刻のぼやきに応じてみせた。
房総の漁村、石升村に訪れた宣教師については
当時よりその魁偉な容貌と奇矯な行動が噂と
なっていた。しかしとかく金離れが良かった
ゆえかどこからも具体的な陳情は起きず。
公儀としても見慣れぬ南蛮渡来な諸事に対する
ごく有り触れた田舎の反応、程度に見做して
今にして思えば不思議な程何の調査も行わず、
いつの間にかそうした風聞も収束し
もとの鄙びた漁村に戻っていた。
が、その一方で当初より徐々に周辺域での
神隠しが増え始め、今では月に一人は
人が消えるという。当節戸籍の管理は
十全ではなく、さらに被害者であるはずの
付近住民が捜査に対し頗る非協力的で
陳情すらなされぬ事も多かった。
「ふぅん? つか実際来てみりゃ
おっそろしく気味悪ぃ感バリバリやな。
地元民どもも顔付きがもぅヤヴァげだし、
こりゃ十中八九、クロだべさ!
おぃ、お前はどう思う?
はぃ意見述べる!」
「うぜぇ…… ま、眷属絡みで
間違いのねぇところだろうけどな。
俺としちゃ基本、こいつが撃てりゃ
後のこたぁどうだって良いんだよ」
先の二人より一枚以上は人相風体のよい、
しかし剣呑な気配のその男は、右腰に吊るす
青みがかった鉄地の拳銃をそっと撫でた。
エンフィールド・リボルバー。
先に結ばれた軍事同盟に基づき秘密裏に
提供された大英帝国製の中折れ式拳銃で、
本家英国ですら未だ「開発中」の
機密兵器であった。
背には同じくリー・エンフィールド小銃。
左の腰には3名揃いの拵えを持つ軍刀があった。
「またそれかよ……
お前も大概病気だな」
「お前ぇだって
咖喱と珈琲ばっかじゃねぇか。
しかも珈琲はベトベトのギトギトに
しやがって」
「俺っちの魂がそう要求してんだよ!
きっと前世は咖喱の国の王子様だぜきっと」
うらぶれ男はそうのたもうた。
「ベトギト珈琲はどうなんだ。
前世の国とやらでも反乱が起きる
レヴェルだろ」
「なんやシャレオツな! 負けへんでぇ!
これは俺の存在理由! 見てろや。
ゆくゆくはご当地愛飲料にしてやらぁ」
「ちょっとそれ迷惑すぎるんだけど……」
長身の男が心底迷惑そうに物言いを付けた。
ただし後世、ベトギトのヤバミな甘みを持つ
その珈琲は当地の魂の愛飲料となったという。
「ハハハ、大変だな蘭戸。
精々阻止に励めよ」
顔をしかめる隣県出身の蘭戸に対し
剣呑な気配の男は他人事として笑った。
「他人事かい?
君の主家にも送り付けるよ?」
長身の男は呆れて肩を竦めた。
「やめろ! 大将はともかく
嫁御衆にブッ殺されちまう……」
剣呑な気配の男は心底怯えた様子であった。
「ぷぷぷ! へぃへぃビビってるぅー」
うらぶれた男は全てを棚上げし
打っ遣って囃し立てた。
「こいつ…… てか宍戸よ。
たまにゃ怯えて見せるくらいの方が
女にゃモテるんだぜ」
剣呑な男はうらぶれた男に冷笑した。
「ちょ、マジで! 詳しく話せや!」
唐突に興奮するうらぶれた男。
「ま、おめーにゃ無駄な知識だったな。
一人で咖喱でも食ってろ『入道』」
入道とはまるで女性と縁のない
在宅出家の如きこのうらぶれた男に
付けられたあだ名であった。
「なんやて工藤!」
「誰が工藤だ」
その時、チリンチリンと背後から。
ついであわわとふためく声がして
「ぐぇぁ!!」
と何かがうらぶれた男にぶち当たり
ガシャンと金属音がした。
「あちゃぁ、やっちった……」
止まらぬとみるやさっさと飛び降り
シュタっと着地を決めた軍服の女が
倒れた自転車を引き起こした。
「おぅ朝倉よくやった。
てかそれ止まらねぇのか」
剣呑な男は軍服の女を賞賛し、問うた。
「ブレェキのゴムを切らしてるそうです……
大英帝国からの取り寄せは大変だそうでー」
ロードスター。当代最新型となるこの
安全自転車もまた、軍事同盟に基づき
試作品が数代提供された機密の品であった。
「壊してねぇだろうな……」
「ひぃぃ、どうしましょう大尉!」
「まず俺の心配をしやがれこの朝倉饅頭ガニ!」
華麗にブレーキ代わりを勤めたうらぶれ男、
宍戸少尉は大いに吠えた。
「はぁぁ!?
フラレ饅頭ガニはあんたでしょうが!」
「まぁまぁ宍戸も朝倉君も落ち着いて。
何か伝達事項でも?」
と長身の男、蘭戸中尉が問うた。
「っとそうでした! 閣下からです。
『君らが油を売ってる間に
地上海上双方の封鎖線が完成した。
状況に変化が起こる前に踏み込め』
だそうでっす!」
「ゃ、やべぇ。急がんと!」
うらぶれた男を筆頭に、三人衆は慌てだした。
現階級こそ異なるが、3名は元来同僚であり
莫逆の友というか悪友であった。
「んじゃ伝えましたのでー。
ごぶうんをー」
社交辞令を投げ捨てて再びロードスターで
爆走する軍服の女、朝倉軍曹。あの勢いでは
先方でも確実に停止できぬと思われた。
「文字通り鉄砲玉みてぇな女だな」
「ははは、うまいこと言うね」
蘭戸は笑い、足を早めた。
目的地となる正門まではあと少し
といったところであった。
「さて、根回しは済んでるってこったな」
「じゃろなー。押し通って問題ないべ」
正門前に着いた三人衆は改めて洋館を見渡した。
一言で言えば、丘の上にも関わらず
そこは海底のようだった。
正門前に立って見やればその洋館は
随所に湿り気を伴って至る所が苔むしていた。
門の奥の庭は荒れ放題で辛うじて玄関へ続く
石畳が痕跡を留め、玄関は海中深くへと続く
洞穴のように黒々と鉄色に濡れ光っていた。
背後に崖、そして大洋が広がることもあり、
まるで洋館全体が時化に海に顔を出した
海坊主か何かのように見え、口中に
飛び込むような錯覚を覚え三人衆は
知らず知らず固唾を飲んだ。
「……帰りてぇ」
館のそこかしこの窓に帳はなく、しかし
室内は暗がりに満ちていた。そして時折
暗がりに何かがギョロリと光り、慌てて
目を向けるとただの暗がりに戻っていた。
「同じく」
蘭戸は宍戸に同意して庭の立ち木や漆喰の
傷んだ壁を見やった。方々の木陰や狭間からは
何者かがぬらりと覗き見るようでいて、
いざ凝視すると何もなかった。
「手ぶらで帰るのか?
死ぬより酷ぇ目に遭うぞ」
「ちぃ、万事休すかょ……」
魔界の入り口の如き洋館の異形に
三人衆がしり込みする中、
ギキィ
と軋んで門が開いた。
「開いたね……」
と蘭戸。
「自動かい。シャレてんな」
「んな訳ねぇだろ……」
宍戸は呆れつつ門に手を掛けた。赤錆び
何故かフジツボがびっしりな門は
手が触れただけで蝶番が崩れ、
派手に音を立て倒れ落ちた。
ぐゎんがらんと鈍い金属音が響き、
奥へとこだましぉおぉおんと鳴った。
その声はどこか異形の咆哮に似て
邪な某かが哄笑するようでもあった。
「……まぁ気付かれてんなら仕様がねぇ。
ここは正々堂々お招きに預かろうじゃねぇか」
「お、おぅ」
宍戸は頷き一歩歩み出て、
「そうだね……」
大尉と呼ばれた剣呑な男と
蘭戸中尉は宍戸少尉の背後に回った。
「なんで俺ッちが先頭なんだよ!」
「銃は距離取ってナンボだぜ」
「僕は周辺を警戒するから」
「そんなん俺っちがやるわぃ!」
「悔しかったら偉くなれよ」
「ちくしょぅ…… ちくしょぉぅおぉぉっ!!」
この期に及んでも三人衆の息の合いは
絶妙の域にあり、どこか飄々と楽しげであった。
「おぃ、いい加減にしとかねぇと
マジでブッ殺されるぞ」
「そらあかん。そらかなん。
くそ、しょうがねえ。いっちょいくか!」
意を決した宍戸少尉を盾にして
おっかなびっくり進む三人衆。
折りしも鉛色の空に遠雷が響き
不穏の気配を煽っていた。
時は大正11年。大戦後の世界情勢が
目まぐるしく動く中、帝国内では太平を謳歌し
忍びよる次なる戦の暗雲やその軋む身を顧みぬ
ままに進む頃。遠く異国で権勢の衰えた
異形の集団が再起を期して大挙渡来、
隠密裏に各地で勢力を伸ばしていた。
事態を重く見た政府は平穏の気風を崩すことなく
内々にこれらの処理を進めることを企図。
華族出身の貴村沙耶少将を司令官とする
対異形殲滅特務部隊、通称「沙耶小隊」を
発足させ、軍と警察を隷下に置く超法規的強権
を付与。異形の流入元たる他国との連携を
取りつつ事態の収拾に当たらせた。
此度の敵は亜米利加合衆国マサチューセッツ州
インスマスより石升村へと流れてきた
「くとぅるう」なる異形の神を信奉する一団。
宣教師を語る首魁がこの地に訪れるや
別個に各地へと移住していた信者が次々に
集いきて次第に人口を侵略し、遂には村一つを
占拠するに至った。
これら異教徒はその実異形の徒であって
付近の民を浚っては喰らい、異形の民と
入れ替えてさらに近隣へと勢力を拡大していた。
「閣下、三人衆、突入しました」
「そう。漁村の方は?」
「洞穴への道を除く全てを封鎖。
追い込みを開始しております」
男装の麗人としか見えぬ美々しい将は
配下へと頷きを返し、海兵より無線機を
受け取って朗々たる美声を以て号令を発した。
「旗艦『御中主』より各員へ。
洋館より上がる信号弾を待ち、敵拠点である
断崖下の洞穴へ艦砲射撃をおこなう。
成果を確認後、封鎖線を維持したまま
少数精鋭で洞穴へ突入。残敵を掃討せよ」
無線が次々に了解を告げ、
沙耶少将は物憂げに陸を見やりその時を待った。
暫時の後、陸の丘から蒼の信号弾が上がった。
「照準、断崖下の洞穴。
14cm単装砲、射撃用意」
沙耶少将の声を海兵が伝達し
次々に指令が伝播して
「照準、断崖下の風穴、
14cm単装砲、準備よぉし!」
と威勢の良い声が返ってきた。
「撃て!!」
旗艦と左右の艦艇から1射ずつ。
艦砲が火を噴き轟音が大気を震わせた。
全弾過たず洞穴へと直撃し、
そして掃討作戦が開始された。
時空を超え、運命の輪に導かれ
再び集い戦う者達。此度の彼らの怨敵は
南蛮渡来の大邪神。乱世の果ての平穏を
乱す異形や許すまじ。大正伝奇活劇
「沙耶戦記」。いざ始まり、始まり。