表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死ぬ事以外かすり傷  作者: おっくん
1/1

ギランバレー症候群闘病記

「う~、冷えるなぁ…。」

そう独り言を呟いて俺は安全靴の中の爪先をぴこぴこと動かしてみた。

俺は元来冷え性に悩まされ、冬になると末端の感覚が無くなるほどであった。それが今年は例年より増して酷い。安全靴の爪先の鉄芯が冷えを増長させるんだろうと考える。

街はクリスマスムード一色。この年の春に未曾有の震災が東日本を襲った。自身がドラムを担当するバンドの活動と並行し九州地方の小さな印刷会社に勤める俺は紙やインク等の供給がようやく落ち着いたことにより物流の安定を感じる。毎年この時期になると仕事が立て込み、残業の毎日だ。煙草一本分の休憩時間を灰皿に揉み消し立ち上がる。

フォーム印刷と呼ばれる部署で印刷全般を担当するオペレーター。所謂、連続帳票類の印刷が主だ。全長三十メートルはゆうに超える機械を操作し、官公庁などに納める書類を作成する。

同僚達は定時の夕方五時に退社済み。広い工場で俺の担当する機械だけが唸り声を上げている。

数週間前にやがて一歳になる息子が肺炎で入院し、付き添い等で欠勤し職場に迷惑をかけたので償いの意味も込めての残業である。この時はのちにもっと長期休むことになるなど知る由もなく。


「顔、なんか大変なことになってますよ?」

翌日の昼、同僚が声をかけてきた。

便所に向かい鏡を見る。なるほど、蕁麻疹か。腕も袖をまくって見てみる。これまた酷いもんだ。なんか悪いもんでも食ったか?そう思いながら便所に来たついでに小便をすることに。何気に便器を眺めると真っ赤に染まっている。血尿。

何か自分の中で悪いことが起こっている予感がした。とりあえず仕事帰りに近所の皮膚科に行って診察を受ける。アレルギーの一種でしょう、と軟膏や飲み薬を処方される。そして、いつものように保育園に息子を迎えに行く。何か体のだるさを感じながらも夕飯の支度をする。妻はエステサロンを経営しており、帰宅はいつも遅い。結婚以来、夕飯の支度などは俺の役目だ。

夕飯の支度を終え、息子と風呂に入る。やがて一歳になる息子を抱え上げる腕にうまく力が入らない。冷え性が酷い足先に至っては痺れて感覚が無い。

湯船に浸かる。するとお湯の感覚がいつもと違う。なんとも言えない刺激を受けるのだ。お湯の中でも芯が冷たく痛む四肢。押し寄せる妙な不安感を抑えて風呂を上がり、息子の体が湯冷めしないように急いで拭く。しかし、うまく手が動かない。

俺はとんでもないことが起こっているような気がした。恐怖が襲った。息子と離れてしまわなければならないような妙な予感がした。思わず息子を抱きしめて泣いてしまった。息子はキョトンとしていた。

妻が帰宅し、家族三人で食卓を囲む。いつもなら晩酌をするのだが酒を呑む気分にすらならない。作った料理にも全く箸が進まない。妻に「疲れ溜まってんじゃない?今日は早く寝たら?」と言われて早々に横になる。とにかく全身をだるさが襲い、なかなか寝つけなかった。

翌日の朝、起床するも熱はあるし全身のだるさと手足の痺れが全く取れていないので職場に連絡し休みを取って近所の内科へ行く。一通りの検査を受けた後に医師に「明日、悪化しているようなことがあったら他の病院を紹介するので来てください」と言われ、点滴を受けて帰宅。その日も全く食欲は無く、寝室で過ごす。夜中、背中を今まで味わったことのない激痛が襲った。例えて言うならば子どもの頃、成長期に膝が痛む成長痛、あれを何倍、いや何十倍にもした痛みが背骨を襲うのだ。痛みで全く眠れない。たまらず起き出してフラフラした足でリビングへ行き、以前歯医者で親知らずを抜歯した際に処方されたボルタレンを飲む。痛みが少し引いたところでうつらうつらするとまた酷い痛みが襲う。その繰り返しで結局ほとんど眠れずに朝を迎えた。恐らく出産の際の痛みとはこんな感じなのだろうかと唸りながら考える。

いつもの起床時間にベッドを出ようとすると足の感覚が全くなく、うまく歩けない。膝が折れてしまうのだ。全身を襲うだるさと痛みも相変わらず。妻の肩を借りて昨日の内科へ。俺の姿を見た医師は血相変えて「これはいかん。脳神経外科に紹介状書くからすぐに行ってください」と俺と妻に告げた。

妻の運転する車で近くの脳神経外科に行き、妻に受付をしてもらう。その間もきつくて座っているのがやっとの状態。体を起こしておくのがきつい。見兼ねた看護師さんが空いているベッドに案内してくれる。

医師がやってきて問診を受ける。うーむと唸り、医師はこう言った。

「髄液検査してみようか」

背骨に注射針を刺し、中の髄液を取って検査するとのこと。処置室に運ばれ、目にした注射針の太さにギョッとする。

体を丸めて横になるよう言われ、背中を消毒される。背骨をズンっと押すような鈍い痛みが襲う。刺すような痛みではなく殴られたような重い痛みだ。

検査結果を待つ間、また先ほどのベッドで横にならせてもらう。眠ろうにも眠れず、ただただ待つ。

どれくらい経っただろうか。医師が枕元にやってきてこう言った。

「大きい病院で診てもらいましょう。救急車で搬送します。」と。

この街で一番大きい医療センターに搬送されることになった。初めて患者として救急車に乗る。バンドのツアー中にメンバーに運転を任せて寝て移動した事はあるが、足を伸ばして天井を見たまま車で移動するとは何とも不思議な感覚である。今、どこらへんを走ってるんだろうか、などと思っているうちに医療センターに到着した。ガラガラとストレッチャーで運ばれる。ライトの眩しいベッドの上にせーのと乗せられ、あっという間に服をひん剥かれる。

「おお、立派な刺青ですね、背中もかな?」などと独り言のように男性看護師が言う。答える余裕など無い。ましてやこっちは煌々と照らされた中でフルチンである。

様々な器具が体に取り付けられ、まな板の鯉状態。

遠くの医師同士の会話が耳に入った。

「ギランバレーの初期段階かな。」

以前、テレビのドキュメンタリーで目にしたことがあるな、と思いながらも同時に頭の中ではイアン・ギランがバレエをしていた。こんな状況でもこんな馬鹿げたことを思いつくんだから、まだ死にはしねぇだろ、などとも思った。


とりあえずなのだろう、内科だかなにかの空いてるベッドに運ばれ、即入院となった。原因がわかるまではここで過ごせとのこと。

幸か不幸か現代は携帯電話一つでネットでの調べ物が可能である。なんだか感覚のおかしい指で携帯電話を開き症状を打ち込み検索する。やはり出てくる病名は先程聞いたアレである。年間10万人から20万人に一人の確率なのか。なるほど、あの安岡力也がなったアレか。大原麗子もなのか。お、サンフレッチェの佐藤もか、などと記事を読みながらここ数日の睡眠不足からか漸くウトウトと睡魔が襲ってきた。


「おい、おい。大丈夫か?」

微睡んでいる俺の目の前にバンドメンバーのCの顔があった。その後ろには地元バンド界の先輩ドラマーK村さん。

妻からの連絡を受け、二人で飛んできてくれたのだ。

「どうもいかん。体がうまく動かん。」

俺はベッドから起こそうと試みるがうまくいかない。それを制する二人。数日後には年末恒例のオールナイトライブが控えている。この時はまだ「ライブには間に合うかなぁ」などと思っていた。少し会話をして、二人は心配そうな様子で帰っていった。

夕飯がベッドに運ばれてくる。当然のように食欲など全くない。味噌汁を汁のみ少し啜る。体を起こしておくのもきついのですぐに横になる。

小便に行くにも足がおぼつかないので点滴の台を歩行器のようにしてトイレに向かう。立って用を足せないので座ってする。真っ赤に染まる便器。気分が滅入る。

消灯の時間になるも、背中を襲う激痛と隣のベッドの老人の鼾で一睡も出来ずに朝を迎える。

翌日は「明日が祝日ですので」という理由でありとあらゆる検査に車椅子で連れ回される。夜はやはり全く眠れない。堪らずナースコールを押し、まずは鎮痛剤をもらう。その後、看護師さんからの勧めで睡眠導入剤を服用することに。恐らく生まれて初めて飲む。なるほど、効くもんだ。ガキの頃、周りでハルシオン遊びが流行ってたなぁなどと思ってるうちに眠りに落ちた。

しかし、すぐに疼く背中のせいで起きる。鎮痛剤が切れるとダメのようだ。

翌朝、神経内科の医師がベッドにやってきた。検査の結果、病名が確定した、と。

ギランバレー症候群。何らかのウイルス感染により体の中の抗体がウイルスではなく誤って自らの神経を攻撃してしまうことにより四肢の麻痺などが起こるものである、と。入院当初、携帯で調べた内容と同じ文言が俺に伝えられる。

病名がわかったのでいざ病棟移動である。神経内科病棟に移るわけだが、妻に頼んで個室にしてもらった。この無様な姿を他人に見られるのが嫌だったのだ。面会も許可制にした。見られたくない人間は断ろう。そう思った。

体の麻痺は日に日に、いや時間を追うごとに悪化していっている。もう既に脚の感覚はほぼないに等しい。指も上手く動かない。折りたたみの携帯電話を開くのも一苦労するので開きっぱなしで枕元に。そして、麻痺は顔面にも及び始めた。呂律が回らない。目がちゃんと閉じない。目が閉じないので眼病を併発した。体は動かず寝たきり、言葉はうまく話せず、目もよく見えない。頼んで持ってきてもらった本を読もうとしてもページが捲れず断念。

こらえ切れず一人ベッドで号泣。タイミング悪く食事の配膳。気まずそうに去っていく看護助手さん。

この頃からこの病気の治療の一つ、免疫グロブリンの点滴が始まった。医師から「保険適応外、一本五万円を一日五本、五日間」との説明に一瞬気が遠くなった。百二十五万円か…。


街はクリスマスに浮かれている。夕飯にケーキがついていた。もちろん食べる気など一切起こらない。ちょうどやってきた妻が俺の好きなソフトドリンクを持ってきてくれていたので飲むことにする。ストローで啜るが、何度飲んでも咽せる。ゆっくり飲んでも器官に入ってしまう。咳き込むが筋力が衰えているのでうまく出来ずに息が詰まる。

翌日そのことを看護師さんに伝えると血相変えた主治医が飛んできた。

「とうとう麻痺が嚥下の筋肉にまで及んだのだろう」と言う。この日から飲み物全てにとろみをつける粉が入れられることになった。

背中を襲うあの激痛は相変わらずで、主治医が見兼ねてステロイド系の強い鎮痛剤を注射してくれるようになった。日中は妻が背中をさすってくれる。これで幾分か楽になるのである。

夜中は激痛でうなされる。この頃になるともう既に自分で寝返りが打てないので二時間おきに看護師さん二人掛かりで寝返りさせてくれていた。床擦れ防止とのこと。

血栓防止の弾性ストッキングも着用することに。

そして真夜中、いつもの背中の痛みに耐えかねてナースコールを押す。

テンション低く現れた当直の看護師。今時のコである。背中の痛みがあるので少しさすってもらえないかと頼むと面倒くさそうに舌打ちと溜息のコンボ。それの連続技。そして申し訳程度にさすり、舌打ちと共に出ていった。

俺は悔しさに震えた。怒りは通り越して悲しくて情けなかった。真夜中だが堪らず覚束ない手で携帯電話を操作し、妻に電話をした。妻はすぐに出てくれた。

「もう帰りたい」

無理なことはわかっていた。単なる我儘であることも。でも、言わずにはおれなかった。


翌日、妻は朝から見舞いに来てくれた。俺の書斎から見繕った、と大量の漫画を持って。よりによって「ヒミズ」

暗いの持ってきたねぇ、などと呂律の回らない口で話す。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ