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俺の妻が浮気……だと!?

作者: 美凪ましろ

・『既読』がつくのが遅くなった

・スマホを見てニヤニヤ

・常にソワソワ上の空

・話を振っても「え? なんだっけ?」

・遅く帰る日はやたらお洒落している


「どう見ても黒っすよ」話を聞き終えた八木沢やぎさわは次のように断言する。これ以上無いくらいに真っ黒けですよ、と。ジョッキを片手に彼は、「……奥さん。最近金遣い荒くなるとかしてません?」


「……把握しとらん」


「うっわー」と、タコの唐揚げに手を伸ばす八木沢。それ割りと旨いんだ。「別会計っすか? それね、百パーお金貯まんないパターンす。お互い、毎月いくら貯金するかだけでも決めといたほうがいいっすよー」


 ……若いのに。流石は三人の子持ちなだけあってしっかりしている。学生結婚だったんだとか。


 胸のうちに渦巻く不安の渦を直視せぬよう、俺は、一口ビールを含み、妻の顔を思い描く。


 ……顔から入ったんだよなあ俺。


 付き合ってみると、性格も良し。顔がいいオンナにありがちな自尊心とやらが見受けられないレアキャラ。おまいはビアンカかよと。わがままさえも愛おしかった、おれもまさよしみたく切々と歌い上げてみたかった。


「……うちのは、浮気なんかするキャラじゃないんだがなあ」


「真面目なヒトほどドツボにハマるもんですよ」と、八木沢は世の中のカラクリを説いて見せる。「『DV男は人当たりが良い』『あんなことするようなひとじゃなかった』……『外面がいい人間ほど内面が悪い』これ、人間関係のセオリーっすよ。んとに。


 話聞く限りは、奥さん、割りと生真面目な感じですもんねえ」


「そうそ。働いてんのに、あちこちに緑置いてっしなあ……」俺は駄目だ。ポトスですら枯らした経験がある。「玄関の魚眼レンズの上? だったかぁ? 試験管みたいなのに、緑の葉っぱちょこんと入れてたの見て、俺あれには驚愕した……」


 トイレには写真立てと、ちっちゃな花瓶に入れた、名も無き花。


 誰が見んだあれ。


 と、俺のなかの何割かは、妻に時間の余裕のあることを揶揄する意地悪い主張をし始めるのだが、大部分が『認めている』――。


 妻は、よく、やってくれている、と。


 だって俺あれで癒やされてるもん。


 デジカメの管理は、全部妻が担当。お腹を下したときなんか、スマホじゃなしに、美しい海をバックにしたウェディングショットを眺めっぱなしだ。そんなときくらいじゃないと結婚式の写真なんて見ない。


「……結婚を機に、楽な仕事に転職してくれたからさあ」と、妻の労苦に思いを馳せつつタコの唐揚げを一口。じゅわっと肉の旨味と香ばしい油の風味が広がる。旨。「近い将来、持ち家かマンション欲しいから、貯金も、してはいるみたいだから……」


「なのに浮気すると来た?」


「不確定だ」むっとして俺は八木沢に反論する。「だいたいな。あいつの好みは、五十代のおっさん代表、ジョニデだぞ? 『パイレーツ』のほうじゃなくて『シザーハンズ』のほうのな。あれを表現できる日本人なんかどこに居るってんだ? 外人でも、マリマンか若い頃のデヴィッド・ボウイくらいのもんじゃねえか?」ノエルの出身のマンチェでは、デヴィッド・ボウイといえばクネクネして歌う女みたいなイメージが強かったそうだ。いかにも北部出身のラッドな人間の思考回路。それを思い起こして言ってみると、……八木沢は、壁に貼ってあるポスターを見て、


「福山雅治」


「系統違えよ」軽くビールを噴いた。てか共演者じゃねえか。CMの。……


 むしろ岩城滉一辺りかもな、と言ってみるとそーねー。と八木沢は相槌を打つ。なのに。


堀田ほったさんみたいなタイプを選ぶと来た……」くつくつと奴は俺の顔を見て笑う。失敬な。


 これでも。学生時代は、他の学校から、俺の写真をわざわざ撮りにくる女が居たくらいだったんだぞ。高値で売れたんだとか。


 しかしながら。


 あの頃に磨き上げた肉体は、いまや見る影も無し。ライザップのCMは、明らかに、俺みたいな体型の小金持ちをタゲりに来ている。奴らめ。英語にゴルフに料理だぁ? 手広くやりすぎじゃねえかよどんだけ成功すりゃあ気が済むんだ。目障りな。


 なにげに赤井英和のビフォアがショックだった。『人間失格』を知る側の俺としては。太宰じゃなくて野島伸司脚本のほうね。最近、野島お気にの桜井幸子が野島作品にあんまし出てこないのが寂しい。……


 小さい子を持つリーマンらしく、八木沢は、八時頃で切り上げた。俺もとてもじゃないけど、たまの定時上がりとはいえ、疑惑を抱えたままひとりで飲む気分になんかなれなかったので、一緒に新橋まで帰った。八木沢とはJR烏森口改札前で別れることになるが。


 烏森通りは、いつもひとが多い。……みんな他にすることねえのかよと毒づきたくなるくらいに。然しながら。


 俺も、ひょっとしたら、他人からそう思われているのかもしれない。このオッサン、どんだけ金持ってんだろう。……


 まだ入社一年目なのだろう。大学時代の若々しさを保ったまま、着慣れたリクルートスーツで騒ぐ連中。八木沢は、奴らを見て、「若いねえ」とぼやいていた。店の出入り口にて騒ぐ迷惑さを顧みない愚かしさは、俺に、青春というものの尊さを感じさせた。……


 * * *


 銀座線から小田急線に乗り換え、駅から徒歩五分。……ここいらは。


 地価が馬鹿高いので(世田谷でもないくせに)、『買う』としたらもすこし西に下らないとねーと。妻とはそんな話になっている。それか急行を諦めて各停に『変える』かだ。


 改札を出て左に折れ、俺みたいな賃貸なのかはたまたブルジョアジーなのかいまひとつ掴めない連中と足並み揃えて俺は歩く。……正直。ダブルインカムとはいえ。


 年収一千万。


 てもんのすごいリッチな生活が出来んのかと思っていた。


 確かに、『節約』とは無縁。が、例えば某芸人みたくフィリピン人ハウスキーパーを雇うところまでは行き着かない。

 

 だいたい、税金もろもろが馬鹿高えんだ。三分の一は持ってかれる。


 こんだけ持ってかれてんのに、安倍政権は、トータル五千三百億だかを増税する心づもりなんだとか。はー。自民党なんか二度と投票しねえわ。とかいって民主党も時々『やらかす』し。無党派層の気持ちが分かる分かる……。


 後ろポッケに入れた財布の感触を確かめる。


 年何回か旅行に行けば、二人合わせた月給以上の金がぱーっと消える。


 そして趣味のサッカー観戦。コンビニの買い物やらファミレスの外食やらで、店員に福沢諭吉さんを渡すと夏目漱石先生が返ってくるあの現象。万札は消えると早い。……


 妻は、スキンケアにこだわりがある。コスデコ(『コストコ』ならぬ『コスメデコルテ』な)やアルビオンを一度使うとやみつきになんだとか。化粧品もクレ・ド・ポーを愛用。一本だけで日本直販もビックリのお値段だ。残念ながら化粧品会社にその手の趣味は無いので、二個抱き合わせ販売なんかせず、でも妻お気にの街の化粧品屋さんだと、ドサドササンプルをくれるそうな。俺は……


 少年漫画集め。ゲームが趣味。ドラクエのオンラインにハマって金が貯まったとかいう人間も居るらしいが、俺もハマったクチだが、他の趣味も継続しているので、そんなには貯まらない。さぁて。


 子ども。


 マイホーム。


 ……を考えるなら、そろそろ真剣に考えなきゃだな。


 吐く息が白くなる季節を迎えた。遠い夜空を見上げた。下弦の月が美しい。……



『月が、綺麗だね』



 温泉宿にて。繋がったまま、見上げた夜空があまりにも綺麗で。妻は俺の腕のなかで涙を流した。あの頃の。


『尊さ』というものを、結婚して五年も経過したいまも保っていたとしたら、そっちのほうが『レア』だ。靴底のように。


 互いに対する『リスペクト』の気持ちは、年々すり減っていく。


 居てくれて『当たり前』。


 してくれて『当たり前』。といっても。


 夫婦は、靴みたいに、買い替えがきかないので、なんとか手持ちのアイテムで凌がなければならない。ここで俺のけんじゃの石ならぬ道具が登場。鈴木亜美の好む『WHITE KEY』ならぬシルバーキー。愛の巣へと繋がる魔法のアイテムだ。


「たっ、……だいまー」


 ちょっと飲んでくるとは言ってある。よって、玄関なら見てすぐの右手の台所に見当たらない。……とすると左手か。シャワー音はしない。


 住人が不在の室内を訝しげに眺めやりつつ、とっとと上着を脱いで続いて革靴も脱いで上がると、「おかえりー」と遅まきながらドア越しの声。どうやら、風呂上がりのスキンケアの真っ最中のようだ。妻は。


 風呂上がりのエッチが大嫌いだ。


『やり直し』になるのが、うんざりなんだとか。というわけで。


 残念。


 おれは、諦念とともに、寝室に上着とコートを、ネクタイを皺にならないようハンガーにかけると、ワイシャツのボタンを外しながら洗面所へと直行する。……スライド式の扉を開くと、


 くんくん。


「なんかいい香りすんなあ」


「こないだ買ってきたのよ」と妻はくすくすと笑う。パジャマの袖に滑らかな腕を通すと、「お店で見てね。ボトルが透明で綺麗でしょう? 実際にボディシャンプーやクリーム、使わせて貰うと、もう、すごくって。……でも」


 長い髪を後ろに流すと、妻は、俺の目を見て、


「しばらくは、『我慢』しなきゃかも」


 その潤んだ瞳が、俺の日頃隠し持つものに火を点けた。


絹子きぬこ


「だめ、りょうちゃ……」


 ん、と言いかけた艶やかな唇を塞いだ。


 お互いのやり方はもう、分かっている。


 いろいろ……話したいこともあったはずなのに。


 お疲れさま。いつもありがとう。それに……



 最近、『変』だぞ。どうした?



 そんな疑問なんか瑣末だと思えるくらいに、俺たちは激しく求めあった。


 鏡越しに映る妻の官能を貪り。滅多に聞けない喘ぎを脳に刻み込み、獣かと思えるくらいに腰を振り。洗面台に支える妻の手が滑ってしまっても、それでも俺は妻の細い腰に両手をがっちりと添え、迸る自分の想いを伝えた。……


 * * *


「――絹子」


 なぁに? と妻の声。


「俺、……君に聞こうと思っていたことがあったんだけど。


 なんか、どーでも良くなっちゃった」


 はだかのまま抱き寄せると彼女は背中を小刻みに揺らして笑う。「『本能』のまま突っ走るのね。なんか、りょうちゃんらしい……」


「ん」


 ――女の口のなかって、あまい味がするんだな。


 ひとしきり堪能した俺を見ると、妻は、そんな俺の鼻の頭につんと指先を添え、


「……ちゃんと。


 目を見て話そうと思っていたのよ……」


 わたし。


「『ひとりぼっち』じゃ、なくなったってこと……」


 ――うん?


 家具はベッドのみ。薄暗い六畳の寝室に、やけに大きく妻の声が響いた。彼女は驚愕に目を見開く俺を見ると満足気に笑い、「そうよ」と頷く。


「……ほんとに?」俺は彼女の髪をかき分け、透き通るような頬を撫でる。


「ほんとに。ほんと」ぷっくり。涙の膨らみが、滑り落ちていく。「りょうちゃん……ごめんね。言うのが遅くなって。あのね。


『前のこと』があったから……


 ちゃんと、胎動が確認できてからと、そう、思っていて……」


 頭のなかでパズルのピースが組み上がる。――俺は、なにを見ていた?


 疑惑に駆られるばっかりで、なんにも……


「すまない」と、俺は、妻を、抱いた。「ごめん。君にひとりで背負わせていて……だけど」


 両の肩を支えると、俺は、海の底のような瞳を覗き込み、


「『これから』は、みんなで、分かち合っていこうな。


 ……ごめんな。俺も。


 仕事のことでバタついていて、余裕が、なかったのかもしれない」


「仕方ないよ。りょうちゃん、忙しいんだから」


「でもな。家族のことだぞ。仕事なんかより大事」


「仕事あってこその家庭よ。お金がすべてだとは思わないけど、ある程度のお金がないと、生きていけないのは事実」


 ……兼業主婦らしい意見だ。俺は。


 まだまったいらな彼女のお腹に手を添え、


「……見た感じ、全然変化ないのにな。不思議だな」


 宇宙の真理。人間の到達しうる神秘に、思いを馳せる。


「……『命』が、宿っているんだな……」


 俺の頭を撫でる妻の手つきはやさしい。正直。


 結婚六年目。


 授からないものかと、諦めかけていた。――このあと聞いたところによると。


 妻は平日、クリニックに通っており。いわゆるタイミング法を試していた。毎日体温を測り基礎体温を記録し、然るべきタイミングでセックスを行うというもの。確かに、なんか誘われることあるなーとは思っていたのだが。また、朝は起きるのは俺のほうが早いゆえ気づかなかった。……ただでさえ仕事で忙しい俺に精神的負荷をかけたくないがために、黙っていたとのこと。


 最近やたらぼうっとしていたり、ニマニマしていたのは、エコー画像や妊婦向けサイトをスマホで見ていたがため。既読がつくのが遅かったのは、自分が嘘をついていることに罪悪感を感じたゆえ、LINEのチェックを控えていたとのこと。めかしんでいた日は、クリニックに行く日だった。赤ちゃんの様子が知れると思うと自然、こころが弾むというもの。


 つわりは、まだ、無いらしい。だが……


「げっ」とスマホをタップし続ける俺は声をあげた。「すまない。妊娠初期にセックスしたからといって、流産することは無いが、『精液』には『陣痛促進剤』と似た成分が含まれている……」


 ごめんなさい二度としません。


 俺は、ベッドの上で土下座をした。そんな俺に、「りょうちゃん」と手を伸ばす妻。顔を起こせば、……


「いいのよ。わたしもなんか、ムラムラしてたから。けどね。


 赤ちゃんのためには、……本番は我慢、しようね?


 りょうちゃんのこと。これから、いくらでも、いっぱいかわいがってあげるから」


「んとに?」と、彼女のお腹に頬を擦り寄せる俺。「もちろん」


 母のような彼女の手が――愛おしい。


 手を繋ぎ合い。互いの想いを――確かめる。


 狭くて薄暗い寝室には、溢れんばかりの愛に、満ち満ちていた。――


 * * *


「うぎゃあああっ!」


 どうしたの、と駆け寄る妻に、俺は、


「『かかった』……」


 おむつを交換されると、赤ちゃんは、気持ちよくなってつい、してしまうらしい。


 男の子に多いんだとか。


 ……頭っからションベンまみれの俺に説明してくれた妻は、「……あとはしておくから、シャワー、浴びてきたら?」


「……そうする」と、立ち止まると、「ごめん。俺。いつまで経ってもレベル1のままで」


「いいじゃない」と、片手で赤子の両足首をまとめるとぐいっと上にやり、器用におしりふきでうんちを拭き取る妻。「『レベル7』まで行っちゃうと、とんでもないことになっちゃうのよ?」


 ……宮部みゆきだっけか。


「さーさっぱりしたねこうちゃん」台のうえから降ろされ、近頃お気に入りのつかまり立ちをする。どうぞ! と自慢げな感じがするのは気のせいでは無い。肉がついてきたせいか、どっしりして見える。お相撲さんみたいだ。ゼロ歳児は。大概。


 輪島功一か朝青龍辺りにくりそつ。


 ……自分の子?


 と、洗濯機に脱いだ衣類を突っ込み、ONにする俺は、



「『エドワード・ファーロング』辺りなー」



 なんか言ったぁ? と妻の声。なんでもなーい、と声を張り、リアムのアンセム、『Wall of Glass』を高らかに歌い上げる。立て続けに兄貴のアルバムが出たことでも印象的。2017年はギャラガー祭り! とでも言うべき年だった。……ギャラガー兄弟ってもう一人お兄ちゃん(長男)が居たと思うけど。長男の兄貴に対しては、リアムのアルバムにちゃんと感謝のクレジットが載せてあったけど、当然ながらノエルの名前が無いのがファンとしては切なかった……いつか海原雄山と山岡士郎みたく、仲直りして欲しい……俺の目の黒いうちに。


 感慨深くティーン・エイジャーの頃を振り返る俺の耳に、現在、フル稼働で育児を行う妻からの声が届く。


「パパ悪い! こうちゃんミルク吐いちゃった! タオル! 取ってきてくれる!?」


「分かったー」


 ……幼子がいるとおちおち風呂も落ち着いて入れない。妻とて、リビングにゼロ歳児をひとりにしておけず、急いで廊下から走り戻った様子だ。


 さて、と。


 受け取ったタオルを一旦洗濯機を停止して再び突っ込むと、「お昼どうする? うどんでい?」


「んーお願い」ゼロ歳児は着替えさすのも大変だ。ぱち。ぱち。ぱち。股のあいだのボタンを留めるのも地味に面倒くさい。……のだが。


 妻は、やはり、楽しんでいる。顔を見ればそれは分かる。


 諦めていただけに、なおのこと、嬉しいのだろう。


 それは、俺とて同じだ。


 愛妻の隣に膝をつき、――ちゅ。


「ちょっともう!」照れた妻が愛おしい。「するならほっぺにしなさいよ! こうちゃんが真似したらどうすんの!?」


「えーパパとママは唇じゃなきゃ駄目でしょ、そんなん」


 すると妻は逆転裁判のごとくビシ! と指を向け、「……こうちゃんの前ではほっぺね。これ絶対!」


 あー。うー。


 ぱちぱち。


 なにを思ったか、この子は拍手をしている。


 黒目がちの目。ぷっくらした頬。肉付きのいい、ちっちゃなもみじの手……。赤ちゃんとは。


 なにをしても、許される存在。


 なにをしても、愛されるべき、存在。……ということを。


 いましがた、実感する。仕事で不在がちな俺としてはなおのこと。


「ほんならパパご飯作ってくんね」


「あ、ありがと」おもちゃで遊び始める相手を務める妻に一旦背を向け、台所へ向かう。


 先ず、たまねぎから攻略。肉から切るとまな板がべたべたして苦手だ。たまねぎを元入れてあったタッパーに入れ、豚肉の切り落としをカット。生協のが肉厚で旨いんだ。


 無論、この間に、うどん用の鍋に湯を沸かすことも忘れない。第二の手順。乾麺大好きな俺だが、ここは冷凍の麺。太くて、冷蔵のとはコシが桁違いだ。あれを食うと冷蔵のが食えなくなる。


「あーちょっとこうちゃんのおかゆ、あっためといてくれるー?」


 カウンター越しで会話が出来るので、カウンターキッチンはこういうところが便利。


「了解」事前に妻が小分けにして冷凍してあるので電子レンジでピ。


 プロセスその三。続いてはパウチ。湯を沸かしてルーを入れるやり方もあるのだが、ここは横着をさせて頂こう。――こないだ買った、レトルトのカレーうどんのタレには、人参やお肉などの具材も入っているのだが。残念ながら主張感はそれほど。なので俺はこの手のレトルトに頼る場合は毎回具材を足す。ミートソースには挽き肉、アサリのスープにはアサリ。例外は、カレーライス用のレトルトカレーのみ。あれだけは足すと味が完全変わるので、かえって旨くなくなる。――


『気を悪くしないでくれよ。だけれど。おまえがなにを考えているかは、おれにはお見通しなんだ』


 ……リアム、あのアルバム、ほぼ全部『兄貴』についてだよな。ロキオンの児島さんもしのさんもだーれも突っ込んでないけど。……地雷なんかいな?


 兄弟だと、友達とは事情が違うんだろうなー。喧嘩しても、あれだけフェイマスになっちまったら、仲直りも厳しいだろう。それにしてもギャラガー兄弟を捨てた父親、今頃なにやってんだろ。それこそ、『supersonic』trainに乗って酒を浴びるだけ飲んで、労働者階級に身を落とす貧しい生活をしているに……違いない。うし今日の結論。


 ――父親は、父親の役目を果たすべし。


 料理をすると、料理にひたむきに向き合う自分と、サブカルネタを考え出す自分の両方が現れて、なかなか面白い。もっと面白いのはこのフライパン。こないだ買ったばっかの、直系28cmのフライパンは、底が深く非常に使い勝手がいい。鍋的にも使えるしガンガン強火もオッケーまったく焦げないと来た。学生時代に、中華料理のバイトをしていた俺としては――といっても、ファミレスだが――中華鍋がベストなのだが。あれはメンテが大変だ。一度結婚式のカタログギフトで購入した妻は、結局錆びさせて、泣く泣く捨てた。


 あっという間に炒めてあっという間にタレを入れて茹で上がったうどんを投入し完成。


「出来たよー」


 呼びかけると、息子は、しゃんしゃんと鳴る鈴のおもちゃで遊んでいた。……そうか。この子にもいずれ『クリスマス』という概念を教え込まなければならない。子どもたちに夢を与えるという名目で、親たちの財布の紐を緩ませるあれな。


 ダイニングの短辺には、子供用の椅子がくくりつけられている。取り外し可能、体重制限有りのやつだ。宙に浮いたデザインでおふくろが大丈夫なの? とか心配していたが……。妻曰く『掃除がし易いから助かる』。ぼちぼち手づかみ食べもし始めているこうちゃんに食事をさせるには、下にビニールシートが必須。が、もちっとこうちゃんが重たくなったら、足の付いた子ども椅子を買おうと思う。


 妻は、こうちゃんから見て右手の、ダイニングの定位置につく。無論、あたたかいカレーうどん入りのお椀は出来るだけ彼の手に届かぬように寄せた。


「たまには先食べたら?」と、おかゆ入りの器を手に取る妻を見て俺。「うどん、伸びちゃうだろ……」


「えーでも」


「あーんして食わせるなら俺でも出来るよ」


「じゃあ、……やってみる?」


「うん」


「……ありがとう」


「いーえ」


 二度と来ない、このときを楽しみたいのは、誰だって同じ。特に。


 初めての我が子を授かったときなどは……。


 ずず、と妻が麺をすする。「あ。これ旨。すごく旨い」


「だろー?」と俺はスプーンでこうちゃんにおかゆをふーふーして食べさせ、笑いかける。「結構工夫してんだぜ? 休日の昼食部隊と呼んでくれー」


「……頼りにしてるわ」そっと。俺に手を伸ばす妻。「いつも、本当に、ありがとう……」


「礼を言うのは俺のほうなんだぜ」と、手を重ね、「君のほうが、こうちゃんのお世話にかかりきりじゃないか。なんか、ないのか? 病院行きたいとか一人でスタバ行きたいとか美容院……は、こないだ行ったっけか」


 ゼロ歳児の育児をしているとドライヤーをかけるどころの騒ぎでは無いらしく。


 妻は、先日、ロングヘアをばっさり切ってきたところだ。


「ないわ」と麺をすする妻。エロいことをするときと同じで、頬に縦の線が入る。……痩せたな。「なんかねー。こうちゃん見てると『満たされ』ちゃって。


 ひとりになりたいとか、あんまり思わないの……」


「へー」一旦やましい思考は仕舞い、俺も美味しいカレーうどんを食しつつ、「会社の後輩なんかさあ。三人子ども居っから、ときどき嫁さんひとりにさせる時間作ってるってゆーぜ。……君にもなんかさあ。


 必要なのかなあと思って……」


「欲しい時は自分から言うわよ」ごちそうさま。素早く片手で残り汁をすすり、席を立つ妻。子どもが生まれてから、異様に食べるのが早くなった。「歯磨きしてくるから、そのあいだこうちゃんのことお願い」


「んー行ってら」と、俺は妻を見送った。育児休業中の妻だが、育児は異様に疲れるものらしい。昼寝をするのが日課。……職場戻ってやってけんのかなあわたし、と妻は不安がっているが。


 そしたら、それは、そのとき。


 いままでやっていけたんだから、大丈夫なんじゃない? ――俺も出来るだけのことはするから。


 と、伝えたときの、妻の顔が忘れられない。――ありがとう。


 りょうちゃんとこうちゃんが居るから、わたし、頑張れるよ……。


 さて。平日は帰りが遅くなりがちな俺だが、休日くらいはパパ業を頑張らなきゃならない。


 こうちゃんは、どっち似とも言われる。……あまり、どちらかに極端に似ていると、相手のほうがコメントに困る。ママに似ていると、出産育児の苦労が報われるが、父親側の親戚はいい顔をしないし。逆もまた然り。特にじいじばあば関係。彼らは、自分の子どもに似ているとは言わず、相手側の家系に似ていると濁す。これ絶対。


「こうちゃーん」この子、一口が大きい。スプーンいっぱいにおかゆをよそうと、


 にぱあ。


 と、笑いかけてくれるのがパパはものすごく嬉しい。お口の周りがおかゆだらけじゃないか。あとでママに拭いてもらわないと。……うどんに目をやるけど、なんか、ちょっとくらい伸びたって平気さ。それよりも。


 それよりもさあ。僕は。



 君のことが、大切で大切でたまらないんだよ……。



 その想いを言語化してみる。……? 無垢な瞳は理解していない。それでもいい。これからいっぱい、……人生は。


 ワット・ア・ライフ。いいことばっかりじゃないけれど。


 宇多田ヒカルも歌っている通りで、傷つくことも大切。だけれど君は。


 ひとりでは、ない。


 寂しくなったら、パパに言いな。


 悲しくなったら、ママの胸で泣きな。僕たちは、いつだって。



「君の味方なんだよ。



 ……愛している」



 後ろで立ち止まる足音の気配。随分と、……早かった。全部が全部、聞かれていたのだろうか。夫としては、ちょっぴり恥ずかしい気持ちが入り混ざる。言葉を知らないこの年頃の子どもにこれを言うのは、自己満とも取れるから……。


 けれど、妻は。


 まっすぐ、僕たちの元へと向かうと、二人同時に抱き寄せ、



 ――みんなみんな、大好きよ。



 僕たちの、胸に抱える真実を、言語に変換して見せたのだった。



 *


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