知と血
白い壁に蛍光灯が反射して、余計白く見える。
彼は、幾重にも重なるドアを通って、中に入っていく。明るい廊下は、ずっと先まで続いていて、先が見えない。
途中で横に曲がり、ドアを開ける。そこにも、また同じような廊下。彼はその途中で足を止めて、右のドアを叩く。
程なくして、ガチャリと音を立てて、ドアが横にスライドする。
部屋の奥には、二人掛けのテーブルと椅子、製図台。取ってつけたような薄いピンクのキッチンが浮いて見えた。
椅子には紺色のスカートと白いブラウスを着た少女が座っていた。
「こんにちは」彼女は微笑む。「計算はもう終わりましたよ」
テーブルの上には、数字がびっしか書かれた紙が置いてあった。
奥の製図台には、斜めに書かれた緩い放物線。
「ありがとう。今週のノルマはこれで終わりだね」紙を取る。
「えぇ…………でも、このようなものをどう使うのですか?」彼女は首を傾げる。「3000gほどの推進飛翔体なんて、使えませんよね。ペイロードもほとんどありませんし、斜め上に発射しても到達高度が減るだけですから………」
「その質問は、規約違反だ」一瞬手を止めて、答える。
「すみません」
「…………まあ、気になるのもわかるがね。大したものでは無い。それとも、何か環境に不満が?」
「いえ、環境に不満はありません。食事もおいしく頂いています。ただ、外に出られないのは少し………」
「それは仕方がない。体が弱いのだから」
「ええ」彼女は苦笑する。
「今度くるのは来週になる。何か欲しいもの、必要なものがあれば言ってくれ。電話はつながっているな」
「ありがとうございます。電話の方には、この前お世話になりました」
「じゃあ」彼は席を立つ。
「ああ。待ってください」席を立つ音。
振り返って、彼女を見る。
「お茶を淹れたのです。飲んで行きませんか?」
結局、お茶を飲んで行く事にした。
「この前計算した回転する飛翔体ですが、何故ローリングさせるのですか?」
「物体が持つエネルギーは、主に質量と運動で表される。直進運動はすでにしているから、その直進運動に影響を与えない運動方向が望ましい」
「…………なるほど、ピッチやヨーではなく、ロールなのはそのせいですね」
「ああ。あと、ジャイロ効果で直進性が高まるのもある」
「でも、影響が全くない訳ではありませんよね」
「ああ。横風を受けると、特にな。後ろから見て時計回りに回転している場合、右から来た風を押し下げるから、反作用で上に浮く。逆に、左から風が来た場合は空気を押し上げるから、下に沈む」
「では、右回りと左回り、どちらがいいと考えますか?」
「………どちらでもいい、というが正直なところだな」鞄を手に取る。「では、今度こそ失礼する」
「ええ。どうもありがとうございます」彼女がそう言うと、ドアが開いた。
地上階に出る。居るのは、彼とあと一人だけのようだった。
地下に比べると、幾分「生」を感じさせる。しかしおそらく、散らかっているだけであろう。
マニュアルを引っ張り出す。青い表紙。その中に、先程の紙を挟み込んだ。
鍵付きのチェストの中にそれを放り込む。
「よう」茶色い服の男が話しかけてきた。「彼女とはよろしくやってるか?」
「………その言い方には語弊があるだろう」不機嫌そうに返す
「まあまあ………今日は何をしたんだ?え?」気味悪い笑み。
「計算結果を受け取って、少し話しただけだ」
「嘘付け」息を吐くような笑い声。「それだけじゃないだろ?」
「茶を飲んで、少し話しただけだ」
ヒュー、という口笛。しつこい。
「絶対お前に気があるぜ。あの女。仕事だけならそこまでしねぇって」
「彼女と俺はただの仕事で付き合いが有るだけで、何も疚しいことは無い」
「ほー」明らかに納得していない顔。「ま、良い。で?その結果は?」
「もう提出した」
「お仕事の早いこって。……………で、勘付く様子は?」一転した真面目な顔。
「無いな」今日の様子を思い出しながら言う。「あの分なら大丈夫じゃないか?」
「ま、それなら良いがな。ったく、言い訳ばっかり上手くなる」
「まあな」鼻をならす。「仕事だ」
「気が滅入ってくる」頭を掻いた男は彼を見つめる。「いつまで続けるつもりなんだ?上は」
彼は黙って階段を上った。
靴音が響く廊下を再び歩く。前と同じドアを通ると、彼女は立っていた。
彼は驚いて立ち止まる。
彼女の白い指は、黒い拳銃を握っていた。
闇色の銃口が、こちらを睨んでいる。
彼女の目は、彼を睨んでいた。
「待ってくれ…………どうしたんだ?いきなり」彼は彼女を見る。「環境への不満なら………」
「違います」彼女はっきりとした声で言った。
「じゃあ、なんだ?」幾分、落ち着きを取り戻す。「何か言いたい事があるのなら、何でも………」
「違います」
「…………何でも、言ってもらわないと分からない」
「では、何ですか?」彼女の目に涙が溜まる。「私が作っていたものは…………」震える涙ぐんだ声。
動揺。銃口が少し揺れる。
沈黙。
「何だったのですか………」
自分の息遣いが、やけに大きく聞こえた。
喉が乾く。
息を吐く。
「君が…………」
下に向けていた視線を、彼女に戻す。
「君が作っていたものは…………」
彼女の引き結んだ口。
沈黙。
息遣い。
「兵器だ。戦争のための…………」
彼女は、銃を下げた。
彼はため息を吐く。
彼女の瞳は、
意思を取り戻し、
「やめろ!」
下げられていた銃は、
ゆっくりと持ち上がり、
「落ち着け!」
彼は走り出す。
それは、遅すぎた。
銃口は、こめかみへ。
「待て!」
「さよなら」
閃光
爆音
衝撃
彼女の躰は、
弾んだように見え。
硝煙
残響
不躾な白い部屋。
彼女の肌も、白い。
紅い血だけ。
なんてことを…………
彼女の手は、銃を放していた。
彼はそれを拾い上げる。
彼は掠れた声で呟いた。
「なんて、馬鹿なことを………」