空色の石 ─ その夜、少年は女ではなく “謎” に出会った
─ 笑い話のはずだった
だが出会ったのは ”噂と一致しない女”
現実と夢の境目は、思っているより曖昧だ
それでも、人はそれを夢とは呼びきれない ─
真円の月がくっきりと浮かんでいる。夜半の空気は澄んでいて、吹く風も心地よい。
しかし、基礎代謝の激しいアルフにがっつりホールドされた俺は、冷や汗さえかいていた。
ちらりと横顔を盗み見るとすぐに気づかれて、笑顔全開で話しかけてくる。
「今から行く店は〈虹色の夢〉って名前のすごく評判の良い娼館なんだ」
「虹色の夢、ですか」
その瞬間、俺の頭の中に虹色のオーロラに彩られたピンクの館が出現した。アルフは続ける。
「そんなに大きな店じゃないんだが、何でも “ 雨のち雨 ”って絶世の美女がナンバーワンらしい」
「それ、名前なんですか?」
「けっ、どうせ奇抜な源氏名で客の興味を引こうって魂胆だろ。見え透いた商売だぜ」
「いやいやそれがどうして、常連客からは〈虹色の瞳〉って異名をつけられててファンも多いらしいぞ」
「目の色が虹色なんですか?」
「そこまでは知らん」
何故か胸を張るアルフに、ジーンが笑いながら指摘する。
「君の情報収集って、いつも肝心な部分が抜けてるよね」
「そのせいで何度、俺が再調査に行かされたことか」
デニスがやれやれという調子で手を上げる。
大体やり方が雑なんだよ、とイーヴォの声で幻聴が聞こえた。
(彼なら、言いそうだ)
含み笑いを堪えていると、アルフが目ざとく、
「お前まで笑うなよ。娼館の料金奢ってやらないぞ」
「別に行きたいとか言ってませんし」
「ほらほら、二人ともケンカしない」
「その点、俺はアルフより大分マシな情報をつかんでるぜ」
「デニス、その話は店の中でしよう。ほら着いたよ」
……思ったよりもこじんまりして大人しい建物だった。普通の宿屋みたいだ。
扉の上に掲げられている〈虹色の夢〉と書かれた派手な看板が場違いに浮いている。
「さぁ、大人の階段を登ろうか、ジュード」
三段登ると大人になれるのか、お手軽だな。
俺はそんな阿呆なことを考えていた。
「いやーん、可愛いー。初々しいーーっ」
「坊や、いくつ?ちゃんと成人してる?」
いきなり二人のお姉さんに挟まれてあちこち撫で回されたり、頭をわしゃわしゃされたと思ったら、不意に解放される。
「あ、これから彼氏と待ち合わせだったわ。バイバイ〜」
「朝からシフト入ったからしんどかったわ〜」
呆然と見送る俺に、ジーンが話しかける。
「あはは、弄ばれちゃったねぇ」
「……遊ばれてません」
他の面子はというと、デニスは女の子たちの写し絵に真剣に見入ってるし、アルフは写し絵帳片手に店のオーナーらしき人物になにやら話しかけている。
「えーと、ゆるふわ系で、ちょっとおっとりした感じで、顔のまわりを明るい巻き毛が柔らかい感じで包んでて、年上なんだけどちょぉっと子供っぽい表情が垣間見える、それでいて母性を感じるというか…、そんな子いませんかね」
ちょ、ちょ、ちょっと何言ってんの??!それ昨夜俺が酒飲まされた挙句に吐かされた、理想のほにゃららの相手じゃないか。
「…、だったよな、ジュード」
死にたい。
「(…アヴェーラったら遅刻してて、まだ仕度に時間かかりそうだって、三十分くらい)」
「(困ったね、今夜は人が足りないっていうのに、だらしない子だよ)」
「(それに希望に見合ってるの、巻き毛と年だけじゃないですか)」
聞こえてる、全部聞こえてる。霧の森で鍛えた聞き耳を舐めるなよ。
「さて、デニスが仕入れて来たっていう大分マシな情報とやらを聞こうじゃないか」
「それがなぁ、聞く相手によって全然違うんだよ」
「何だそれは。お前いつも俺には、裏を取れって口うるさく説教してるよな」
鬼の首でも取ったみたいに得意げなアルフに、裏は取ったさ、とデニスが言い返す。
「銀髪の妖艶な美女だって言うやつもいれば、亜麻色の髪で無垢そうな子だって言うやつもいる」
「瞳の色はどうなの?」
「それも、言うことがバラバラだ」
「虹色って話じゃなかったんですか?」
「いや、青だったってやつもいるし、灰色だってやつもいた」
しばしの沈黙のあと、アルフが声をひそめる。
「……それ、別人だろう」
「人気すぎて、密かに代役を立ててるとかかな」
「俺もそう思って確かめたんだが、全員が『レレイに間違いない』って言い張るんだ。お手上げだぜ」
情報が増えたのに謎はますます深まるなんて、本当に訳が分からない。
「あの…、ご指名のアヴェーラですが、張り切って粧しこんでるみたいで…、二十分ほどお待ち頂けますか」
物は言いようだ。
「いいよね、二十分くらい。皆で待とうよ」
「好みの子はキープしとこうか。オーナー、彼女たちの部屋に好きな菓子でも届けてやってくれ」
「アルフさんっ、あの」
「どうした?」
「先に行っててくれませんか。見られてるとその、恥ずかしい、ので」
しどろもどろに言い訳をする。
アルフが選んでくれた女の子を目にして、もし俺が少しでもがっかりした顔を見せたら、彼はすぐに気づく。
そんなことで気を使わせたくはなかった。
「それもそうだね、行こうアルフ」
「時は金なりってな」
ジーンとデニスが察してくれたのか、二人して席を立つ。
「おい、ジュードを置いていくつもりか」
「嫌だなぁ、少年のピュアな心持ちが分からないなんて、保護者失格だよ」
「俺等に取り囲まれてたら、リラックスできねぇだろうが。なぁ?」
「えぇと…正直言って、その通りです」
首をかしげながらも、仲間に急かされて階段を登っていくアルフジール。
三人の姿が視界から消え、することもなくなった俺は、ふと、部屋の隅で床を磨く少年に目を留めた。
俺と同い年くらいだろうか。ボサボサの髪を背中で無造作に縛っている。手は荒れていて、肌は髪の毛と同じくらい艶が無く不健康そうだった。
オーナーの子供かなと一瞬思ったが、全く似ていない上に、健康状態がまるで違う。もし息子なら間違いなく虐待だ。
ぶしつけな視線に気がついたのか、少年が顔を上げ、目が合う。平凡なヘーゼルの瞳が何故か印象的だった。
「お前、年いくつ?」
手桶に雑巾を放り込んだ少年が近づいてくる。怒らせたかと肝を冷やしたが、少年は笑顔だ。椅子を引いて背もたれを俺の方に向け、そのまま跨ぐように腰を下ろす。
「十六になったばかりです」
「ふぅん、俺いくつに見える?」
「同じ年…くらいかと…?」
「大ハズレ〜。二十一だよ」
「えぇっ!?」
「驚きすぎ。俺、背ちっこいからな。お子さま顔だし」
肯定すればいいのか否定すればいいのか分からず、俺は変な表情になる。
彼はニコニコして俺を見ている。って言うか、見つめられてる。先ほどの俺の無作法な視線のお返しなのか、全身くまなく観察されているようにさえ感じた。
「本物のお子さまが来るのは久しぶりだよな。な、ばあさん?」
「オーナーとお呼び」
ばあさん?そんな年にはとても見えないけど。それに仕事をサボって怒られたりしないのか?…やっぱり親子なのかも。
「いいな。とてもいい」
「は?」
「お前の顔、好みだ」
「えっ、いや、俺は男はちょっと…」
「俺じゃねぇよ。ばあさん、こいつ絶対レレイの好みだって」
「はぁ?この子の仲間が払った金で、レレイが買えるわけないだろ。馬鹿なこと言うんじゃないよ」
「でもこいつの目、空色だぜ。絶対に気に入るって」
「ふん、確かにこの辺じゃ青い目は珍しいけど、金が…」
「な、お前もホントは気が進まないんだろ?だったらレレイとお茶だけして帰れよ、それくらいならいいだろ」
いや、良くないでしょ、なに勝手に決めてるんだよ。オーナーの苦虫を噛み潰したような顔見えてないの?
「いいかげんにおし、クリス。いくらレレイと同郷だからって商売に口を出すんじゃないよ」
「…へぇ、そういうこと言うんだ」
部屋の温度が急に下がった錯覚に陥る。それくらい冷えた声色だった。
「俺が回収に行かされている未払い代金ってさ、あれレレイは了承してないんだろ。大方、次回の予約料だの計らい金だの理由つけて巻き上げてんだろうが。レレイが知ったら何て言うかな」
「…け、契約はあと半年もあるんだよ」
「黙れ」
その瞬間、何かが壁に突き刺さった。
(潜薄刃!?)
隣に座ってたのに全くモーションが見えなかった。
刀身から柄まで一体成型されたごく薄い形には見覚えがありすぎる。今朝武器屋で、デニスが試し投げをしていたのと同じ奴だ。
(盗賊、なのか?)
頬にごく浅い傷をつくられたオーナーの顔は青色を通り越して白くなっていた。
「行こうぜ。レレイもきっと喜ぶ」
言うなり俺の腕を強引に掴み、振り返る。
「いいよな、ばあさん?」
ぞっとするほど綺麗な笑みだった。
「ばあさんの言うことは気にすんな」
いつの間にか、腕の代わりに手を引いている少年—クリスが楽しげに階段を上がる。
「お前、名前は何ての?」
「…ヘリウララス。ジュード・──」
一瞬だけ、言葉が引っかかった。
「俺は、クリストファ。レレイはトーファって呼んでる」
「トーファ?……クリスじゃないんだ」
「紛らわしいだろ」
「誰と?」
トーファは答えずに廊下を奥へと進む。突き当りがレレイの部屋らしかった。
後に立つ俺を無言で横に立たせると扉をノックする。
「レレイ、連れて来たぜ」
扉の向こうから少しくぐもった声が答える。
「もう少し待って頂いて」
(……鳥?)
俺は軽く頭を振った。烏のわけが無い。
そもそも烏は喋らない。
(緊張、してるのかな)
そうでなきゃこんな妙な考えが浮かぶはずがない。
トーファは目を細めて、探るような眼差しを向けてから、
「…ふーん」
それだけ言うと、踵を返して階段へと向かった。靴音が遠ざかり、やがて階下へと消える。
──随分と長い間扉の前に立ち尽くしていた気がするが、実際には大した時間じゃなかったと思う。
「どうぞ、入って」
声の主は、部屋の奥の寝台の横に置かれた寝椅子に座っていた。
ごくゆるいウェーブのかかった栗色の髪が小さな顔を縁取っていて、まるで等身大の人形みたいだった。
「座って」
彼女が指し示したのは、向かいのソファではなく、カウチ。つまり彼女の隣。
「えっ…っ…」
俺は固まった。いきなりですか。無理です。お茶するのにその距離はないです。
レレイは、側の小机から茶器を取り、卓上の杯に茶を注ぐ。
「では、好きなところに座って。何ならベッドでも構わないわ」
構いますとも。俺は向かいのソファに腰を下ろす。真正面は避けた。
レレイは軽く微笑むと、自分のカップにも茶を注ぐ。俯向くと耳飾りがチラリと覗いてドキリとする。
豪奢な金の刺繍が襟元や袖口に施された上品なドレスはまるで、
「お姫様みたいだ」
知らず声に出していた。
「そうよ」
彼女はおもむろに立ち上がると、ドレスの裾をふわりと翻した。
「妾こそは─」
声どころか、纏う空気までもが変化する。
「東方の古き帝国の第一皇女、礼玲である。故あってこの国で娼婦をやっておるのじゃ」
無茶苦茶な設定なのに思わず納得しそうになる。
「……面白くなかった?」
彼女はこてんと首を傾げる。
その仕草はたいそう可愛らしく、皇女演技との落差が激しすぎた。
(なんだか変な人だな)
レレイはそのまま、少し離れた飾り棚へ歩み寄り、ボトルを一本選ぶと振り返って尋ねてくる。
「酔うのは嫌い?」
「嫌いとか好きとかより、そもそも大して強くないです」
………しまった。
『こいつ見た目も中身もお子さま』だって思われる。
ん、待てよ。確かお茶だけって話では?
レレイは銀のベルを手に取り、二度三度と振った。音がしないのが不思議だと思っている間に、扉が叩かれる。
「レレイ様、お呼びですか」
「蜂蜜酒を薄めて…、それとも軽めの果実酒を少し温めてもいいわね。どちらが好き?」
「えぇと、果実酒で?」
「聞こえた?それをお願い」
「…本日は短いお時間のご案内となっておりますが…」
大分戸惑っている様子だ。そりゃそうだ、俺だって戸惑ってる。
「構わないわ。今は、私の時間でしょう?」
「…承知いたしました」
うわ、押し切ったよ、流石ナンバーワン。メイドさん、後で叱られないといいけど。
──程なくして、果実酒が届いた。
湯気とともに、甘酸っぱい香りが立ち上る。
レレイが壺を傾けると、杯にとろりと酒が落ちた。
「どうぞ」
勧められるがままに、口にする。潰した木苺が混ぜてあるのか、酸味が効いている。
空のグラスとボトルを手にしたレレイが向かい側に座る。
「いい香り、私もそっちにすれば良かった」
そう言うと、グラスを手にしたままこちらを見ている。
「……」
なんとなく気まずくなって酒壺を差し示す。
「飲みます?」
レレイは頷くと、自分のグラスには触れずに、俺の飲みかけの杯を手に取った。
「……え」
「甘い」
それだけ言って、もう一口、二口。最後まで飲み干して、二杯目を注ぐと俺の前に差し出す。
「はい、どうぞ」
どうぞ、って…え?自分のグラスがあるのに何で。
「飲まないの?」
「……飲みます…」
「美味しい?」
「はい」
「はいじゃなくて、うん」
「うん」
「これ、好き?」
「…うん」
「じゃあ、これは良いものね」
綺麗な笑みを浮かべたレレイは、理由は分からないが、嬉しそうに見える。
「そうだ、私の宝物を見せてあげる」
そう言うと、寝台脇の引き出しから小さな箱を取り出し、そのままベッドに腰掛けて手招きする。
俺は頬が熱くなるのを自覚しながら、近付いた。
「座って」
ためらいながら隣に座ると、レレイが箱の蓋を開ける。
川原で拾ったような磨かれた小石の中に、いくつか光を閉じ込めたようなものが混じっている。
レレイは迷いなく、その中のひとつを摘まみ上げた。
「ほら、あなたと同じ色」
俺と同じ?ああ、目の色のことか。確かトーファもそんなことを言っていた。
「これが一番好き」
空色の輝石を、傍らの灯りに翳して、残念そうな声でごちる。
「あぁ、駄目ね、陽の光でないと綺麗に光らないわ」
「青い目が好きなの?」
レレイの瞳は緑がかった灰色だ。
「好きよ、大好き」
「青い空って貴重なものだと思わない?陽の光を浴びると生きてるって実感できるでしょう」
ちょっと大げさだな、と思った。確かにこの国は霧の国なんて呼ばれてるけど、それは山間部や森の話で、それにしたって昼間の霧は大したことはない。王都周辺は年中晴れやかな空が広がっている。
「よく分からないけど…、俺には、普通のことだし…」
「この世界には一生日の光を浴びることなく死んでいく者もいるのよ」
何を言ってるんだ?生まれてから死ぬまで、ずっと?
「焦がれてるの、ずっと、ずっと、昔から」
レレイは詠うように言葉を紡ぐと、傍らの燭台に息を吹きかけた。薄闇の中、衣擦れの音が微かに耳に届く。
ゆっくりと細い指が近づき、俺の頬を包んだ。
「綺麗ね、とても綺麗」
指先から熱が伝わってくる。灰緑色の瞳が息がかかるほどに近い。
「空色の石を眺めるよりずっと楽しいわ。でも」
「眺めてるだけじゃ物足りないかも」
「俺は……」
何かを言おうとして…、うまく言葉にならなかった。息が出来ない。
視界が揺らぎ、手を取られて─。
けれど、その先の事ははっきりとは思い出せない。
─────夢を見ていた─────。
現実のような幻想のような、妙な夢だった。
部屋で焚かれていた香りが、微かに漂っている。
烏の翼を持つ男が、水面を覗き込んでいる。水は、虹のように輝きながら揺れていた。
ふと、視線が合う。
「─────」
何かを言われた気がしたが、思い出せない。
「……レレイ?」
部屋の灯りは消えたままで、人の気配は感じられなかった。
俺の身体には毛布がかけられ、暖炉に小さな火が燃えていた。なのに、肌寒い。
起き上がると、身体に微かな違和感が残っていた。甘い香りと、何かの余韻が。
小机の上にはあの小箱が蓋を開けたまま置かれていた。立ち上がって中を覗くと、空色の石だけが無くなっていた。
(レレイは…もう、戻らない)
そんな気がする。
衣服を身につけると、俺は窓に近づいた。
どれくらい時間が経ったのかは、月を見れば分かるだろう。
窓は少し開いていた。足元に黒い羽根が落ちている。
なんとはなしに拾い、懐にしまった。
理由は分からなかった。
─ End ─
【次回予告】
王都で出会った “良い弓” は、ジュードの手には馴染まなかった。使い慣れた弓は当たる。だが、それでいいのかは分からない。
削れば近づくはずだと信じて、少年は未完成の弓と向き合う。
※次回は、『ザエッダの弓手 04:未完の弓』の予定です。




