育ての親、最凶の暗殺者
一挙二話更新します
大樹の枝から見下ろす、漆黒の外套。
太陽を背にしているため顔は影に覆われているが、そこから放たれる絶対零度の殺気は、私の細胞一つ一つに恐怖の記憶を呼び起こしていた。
「さあ、おしおきの時間だ。……まずは、その後ろにいるゴミから掃除してやろう」
元上司――『師匠』が枝から音もなく飛び降りる。
ふわりと、まるで重力など存在しないかのような軌道。
だが、次の瞬間、その姿が空中で陽炎のようにブレた。
「……っ!!」
縮地。いや、それ以上の何か。
私が瞬きをしたその刹那には、師匠はすでに私の懐――大鎌の刃が絶対に届かない『死角』の距離にまで潜り込んでいた。
「ルミナ、離れろッ!!」
私は叫びながら、大鎌の『柄』の部分で師匠の脳天をカチ割ろうと、咄嗟に腕を振り下ろす。三千の騎士の盾を紙くずのように粉砕した、私の膂力による絶対の一撃。
しかし。
――カキィィンッ!
「なっ……!?」
甲高い金属音。
師匠は手にした黒塗りの双剣の片方で、大鎌の柄を『受け止める』のではなく、斜めに滑らせるようにして『受け流した』のだ。
私の圧倒的な破壊力は、師匠の卓越した技術によって力のベクトルを完全に逸らされ、空しく地面を叩き割る。
「大振りが過ぎるぞ、リゼット。……大鎌の弱点は懐の防御の薄さ。私が口酸っぱく教えたはずだが?」
「くぁッ……!」
力の抜けた私の姿勢の崩れを、師匠が見逃すはずがない。
もう片方の黒剣が、蛇のように私の右肩から胸元にかけてを浅く、しかし確実に切り裂いた。
「あぐっ……!」
「リゼットさんッ!?」
血飛沫が舞う。私がルミナと出会ってから、初めて流した『自分の血』だった。
背後で悲鳴を上げるルミナ。彼女が癒やしの奇跡を使おうと一歩踏み出した気配を感じた。
「だめだ、ルミナ! 動くな! お前の魔力に反応して、こいつは一瞬でお前を殺すぞ!」
私は痛みを噛み殺し、強引に後ろへ跳躍して距離を取った。
呼吸が荒くなる。右肩の傷が熱い。だが、それ以上に背筋を凍らせるのは、師匠の全く底の見えない静かな瞳だった。
「……おかしな指示を出す。以前のお前なら、後ろの娘を囮にしてでも、私の隙を作ろうとしたはずだ」
師匠は剣についた私の血を払い、ゆっくりと歩み寄ってくる。
足音がない。殺気もない。ただ、そこにあるのは『純粋な死』そのもの。
「誰かを背に庇いながら戦うなど、三流のやることだ。……その甘さが、お前の太刀筋をひどく鈍らせている。重心が後ろに偏っているぞ」
言われなくても分かっている。
私の戦い方は、広範囲の敵を一人残らず殲滅するための『蹂躙』だ。だが今、私の後ろには絶対に傷つけてはならないルミナがいる。
大鎌を本気で振り回せば、その余波だけでルミナを巻き込んでしまう。だから、無意識のうちに力をセーブし、彼女を庇うような窮屈な動きになっているのだ。
「うるさい……! 私はもう、あなたの操り人形じゃない!」
私は左手から魔力の塊を放ち、牽制しながら大鎌を横薙ぎに振るう。
だが、師匠は魔力弾を最小限の首の動きで避け、私の大鎌の刃を双剣で挟み込むようにして弾き返した。
ガガガガッ!! と火花が散る。
勝てない。
私の筋肉の動き、呼吸のタイミング、大鎌を振るう際の癖。そのすべてを、目の前の男は知ら尽くしている。私が何をしようと、手の中に収まるおもちゃの動きを予測するのと同じなのだ。
「人形に戻れ、リゼット。感情など、殺人鬼には不要なバグでしかない。……お前が壊れたのは、あの魔女のせいか」
師匠の冷たい視線が、私の背後にいるルミナを射抜いた。
ルミナが恐怖に肩を震わせる。
「ルミナを……魔女と呼ぶなァッ!!」
私は怒りに任せて、力任せに大鎌を振り下ろす。
だが、それこそが師匠の狙いだった。
「……やはり、容易い」
大振りの一撃。
師匠はそれを避けることすらせず、私の影の中へ溶け込むように前傾姿勢をとった。
そして――すり抜けた。
私の大鎌が空を切るのと同時に、師匠は私の脇をすり抜け、完全に私の背後……ルミナの目の前へと踊り出たのだ。
「あ……」
「ルミナッ!!」
ルミナの黄金の瞳が、限界まで見開かれる。
振り返ろうとする私の体は、大鎌を振り抜いた直後の慣性で、致命的なまでに遅い。
「バグの原因は、物理的に取り除くに限る」
感情のない声と共に、師匠の黒塗りの刃が、無防備なルミナの細い首筋へと容赦無く振り下ろされた。
時間が、ひどくゆっくりと流れていく。
届かない。私の手は、愛する光へ届かない。
「いやああああぁぁぁぁッ!!」
私の生涯で最も悲痛な絶叫が、森の奥に木霊した。




