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圧倒的敗北と、芽生えた疑念

私の大鎌の冷たい刃先が、首筋の皮膚を薄く一枚だけ切断し、一筋の赤い血がツーッと騎士の首を伝い落ちる。

 死の恐怖に直面した名門フローゼル家の長男は、呼吸すら忘れたように硬直していた。


「さあ、選べと言ったんだが?」


私が氷のような声で促すと、騎士はガタガタと震える唇を必死に動かした。


「な、なぜだ……っ。なぜ、教会はあの娘を魔女として処刑しようとした……! 教会の庇護なく『奇跡』が使えるなどあり得ない。だが、あの娘が民に施していたのは、間違いなく本物の治癒……神の教義に従う我々にしか扱えないはずの、清らかな力ではないか……っ!」


命乞いではなく、己の信じていた教義の矛盾に対する困惑。

 どうやら、この男はただの傲慢な馬鹿ではあるが、根っからの悪党というわけではないらしい。教会の末端で、純粋に「教義こそが絶対の正義」だと洗脳されているだけの哀れな駒だ。


「答えは単純だ。彼女が無償で奇跡を与え続ければ、教会が『お布施』という名目で弱者から搾取している莫大な金が手に入らなくなるからだ」

「なっ……! そ、そんな金のために……命を……!?」

「それに、自分たちでコントロールできない規格外の力は、教皇たちにとって恐怖でしかない。だから『魔女』というレッテルを貼り、異端として排除しようとした。それが、お前の信じる正義の正体だ」


私は大鎌を引き、騎士の胸ぐらから手を離した。

 ドサリと地面に崩れ落ちた騎士は、折れた自慢の剣の破片を見つめながら、呆然と呟いた。


「我々が守っていたものは……一体、なんだったというのだ……」

「もし本当に騎士としての誇りがあるなら、自分の目で真実を確かめるんだな。……さっさと部下を連れて消えろ。二度と私のルミナに近づくなよ」

私はそれだけ言い捨てて、隠れ家へと背を向けた。

 背後から、気絶した部下たちを抱えて這うように逃げ去っていく騎士の気配がする。次に会う時、彼が教会の犬のままなら今度こそ首を刎ねるだけだ。


◆ ◆ ◆


手に付いた朝露と微かな血の匂いを泉の水で念入りに洗い流し、私は隠れ家の扉をそっと開けた。


「……リゼットさん?」


ベッドの上で、ルミナが上体を起こしていた。

 まだ少し顔色は白いが、昨夜の危険な熱はすっかり引いているようだ。黄金の瞳が、私の姿を捉えてホッと安堵に緩む。


「目が覚めたか。気分はどうだ?」

「はい、おかげさまで……。あの、リゼットさん、どこに行っていたんですか? 目が覚めたら隣にいなくて……少し、怖かったです」


きゅっとシーツを握りしめ、上目遣いでこちらを見つめてくるルミナ。

 ……だめだ。外で血生臭いやり取りをしてきた私の心臓が、一瞬でキュンと音を立てて浄化されていくのがわかる。可愛すぎる。


「すまない。少し外の空気を吸いに行っていただけだ」


私は彼女を不安にさせないよう、騎士たちの襲撃のことは伏せたままベッドのそばに腰を下ろした。

 ルミナは私の顔を見上げると、ふいに手を伸ばし、私の冷え切った両手を彼女の小さな手で包み込んだ。


「あ……リゼットさんの手、すごく冷たい。外、寒かったですよね」

「気にするな。私はこれくらい――」

「だめです。私が、温めますから」


ルミナは自分の両手で私の手を包み込んだまま、はぁーっと温かい息を吹きかけ、一生懸命にさすってくれる。

 治癒の奇跡なんかじゃない。ただの体温。それなのに、凍てついていた私の心の一番深いところまで、じんわりと温かいものが染み渡っていく。


「……お前は、本当に」

「え?」

「いや……ありがとう。すごく温かいよ」


私は堪えきれず、ルミナの肩を引き寄せて、その華奢な体をぎゅっと抱きしめた。

 驚いたように肩をビクッとさせたルミナだったが、すぐに私の背中に腕を回し、優しく撫でてくれた。

 この温もりを、この笑顔を、絶対に守り抜く。たとえ世界中のすべてを敵に回そうとも、私だけは彼女の絶対的な盾になるのだ。


甘く、静かな朝の時間が流れていく。

 だが――私たちが身を寄せ合う隠れ家から遠く離れた、王都の裏路地。

 そこには、私たちに迫る『最凶の絶望』が、静かに息を潜めていた。


◆ ◆ ◆


「……フローゼル家の小童が、全滅させられたか。聖騎士団三千も、たった一人に突破されたと」


血の匂いが染み付いた教会の地下暗殺部隊の拠点。

 黒い外套を深く被った『その人物』は、報告書を無造作に炎の中へ投げ捨てた。

 一切の感情を感じさせない、氷のように冷たく静かな声。

 教会の暗殺部隊を束ねる長であり、かつてリゼットを拾い、殺人術と狂った教義のすべてを叩き込んだ張本人。リゼットの『元上司』にして、育ての親。


「……あれは、私が丹精込めて作り上げた、最高傑作の『人形』のはずなのだがな。どうやら、どこかで致命的なバグを起こしてしまったらしい」


元上司は、鞘に収まった禍々しい黒塗りの双剣を撫でながら、暗い悦びの混じった笑みを浮かべた。


「可哀想に、リゼット。今、私がこわしてやろう」


最強の死神のすべてを知り尽くした、最凶の暗殺者。

 その歪んだ愛情に満ちた刃が、私たちのささやかな平穏を引き裂くために、ついに放たれた。

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