ただ一つの光を守るための、蹂躙
大聖堂へと続く大通りは、分厚い鋼に覆われていた。
太陽の光を照り返す白銀の鎧。林立する長槍。そして後方に控える魔術師部隊。
三千。それが、教会の本隊である聖騎士団の総数だ。一国の軍隊すらも凌駕するその威容を前にすれば、どんな豪傑であろうと絶望に染まるだろう。
だが、私の心境は凪のように穏やかだった。
むしろ、高揚すらしている。
私の左腕の中には、この世界で最も尊く、最も美しい少女が収まっているのだ。彼女の柔らかな体温と、微かに震える吐息を感じるだけで、私の中に無限の力が湧き上がってくるようだった。
「リゼット……さん……。降ろしてください、私なら……」
「ダメ。言ったでしょ、お前は私が守るって」
ルミナが自分を犠牲にしようとする言葉を、私は優しく、しかし有無を言わさぬ強さで遮った。
私は彼女の頭をそっと私の胸元に押し当て、その視界を自分のマントで覆い隠す。これから起こる血みどろの惨劇を、この純真な瞳に焼き付けるわけにはいかないからだ。
「……目を閉じて、私の鼓動だけを聞いていて。すぐに終わらせるから」
そう囁き、私は右手だけで巨大な銀の大鎌を構えた。
前方から、騎士団長らしき男の怒号が響き渡る。
「放てェェェッ!!」
空を覆い尽くすほどの黒い影。数千本の矢と、魔術師たちが放つ炎や氷の弾丸が、雨のように私たちへ降り注いできた。
一歩でも動けば蜂の巣になるような飽和攻撃。
「……ふっ」
私は小さく息を吐き、大鎌を無造作に真上へと振り抜いた。
――ゴォォォォォォォォッ!!
大鎌が空気を切り裂くことで生み出されたのは、もはや暴風と呼ぶべき圧倒的な衝撃波だった。
頭上へ降り注ごうとしていた無数の矢は、見えない壁に弾かれたように空中で粉々に砕け散り、魔術による炎も氷も、暴風に飲み込まれて一瞬で掻き消える。
「な……!? 馬鹿な、たった一振りで魔術部隊の総攻撃を……!?」
驚愕に目を見開く騎士団長。
私は彼らの動揺など気にも留めず、石畳を蹴り飛ばした。
ドンッ!!
爆発のような踏み込みと共に、私の体は文字通り『飛翔』した。
瞬きする間もなく、三千の軍勢のど真ん中へと着地する。
「な、なんだ!? いつ間に……ひっ!?」
前衛の盾兵たちが悲鳴を上げる。
私は彼らを見据えることもなく、ただ右手首を返し、大鎌を水平に薙ぎ払った。
ズバァァァァァァァンッ!!
凄まじい風切り音と共に、白銀の刃が三日月を描く。
それだけで、私の周囲十メートルにいた数十人の重装騎士が、分厚い鋼の盾ごと綺麗に両断され、空高く吹き飛んだ。
「ぎゃあぁぁぁぁッ!?」
「ひ、ひぃぃ……! 逃げろ、こいつは人間じゃない!」
血飛沫が舞い散るが、私のマントに隠れたルミナには一滴の血も浴びさせない。
私は止まらない。
ルミナを抱いたまま、ただ直進する。
「邪魔だ。道を空けろ」
一歩踏み出し、振るう。
それだけで、数十の命が刈り取られ、血の道が拓かれる。
槍による刺突も、剣による斬撃も、私の肌に触れることすらできない。私が動くたびに発生する圧倒的な風圧と大鎌の軌跡が、あらゆる攻撃を無効化し、敵を肉片へと変えていく。
「と、止めろォォォ! 大盾部隊、陣形を組め! 絶対に通すな!!」
騎士団長が声を枯らして叫ぶ。
数百人の大盾持ちが密集し、文字通り鉄の壁となって私の行く手を阻む。攻城兵器ですら突破できないと謳われる、教会の絶対防壁だ。
「……無駄なことを」
私は歩みを止めず、大鎌を大きく振りかぶった。
ルミナを抱きしめる左腕に少しだけ力を込め、右手に渾身の気迫を込める。
私の中に満ちているのは、ルミナへの熱く重い感情だけ。彼女の未来を阻むこの壁が、どれほど分厚かろうと関係ない。
「ルミナの明日を邪魔するなァッ!!」
――轟音。
私が振り下ろした大鎌の切先が石畳に触れた瞬間、大地が爆発した。
大通りを覆っていた石畳が津波のようにめくれ上がり、鉄の壁を形成していた数百人の騎士たちが、まるで木の葉のように空高く巻き上げられていく。
「ごぁぁぁぁぁっ!?」
絶対防壁は、たった一撃で完全に崩壊した。
その光景を目の当たりにした残存兵たちは、完全に戦意を喪失し、武器を放り出して我先にと逃げ惑い始めた。もう、誰も私に向かって剣を振ろうとする者はいない。
「……終わったよ、ルミナ」
血の海と化した大通りを抜け、街の出口へと到達した私は、ようやく立ち止まった。
いつの間にか、あれほど騒がしかった軍勢の怒号は消え去り、静寂が戻っている。私はそっとマントをずらし、ルミナの視界を開いた。
「ん……? もう、終わったんですか……?」
まぶしそうに目を瞬かせるルミナ。
三千の軍勢を相手取った血みどろの激戦があったことなど微塵も感じさせないほど、彼女の体には一滴の返り血もついていない。
「ああ。私たちは、自由だ」
「ふふ、本当ですね。リゼットさんの胸の音、すごく力強くて……安心して、眠ってしまいそうでした」
私の鼓動を聞いて安心しただなんて、そんなこと言われたら、また心臓がバグを起こしてしまいそうになる。
私は赤くなりそうな顔を誤魔化すように、彼女を抱き直して街の外に広がる深い森へと足を踏み入れた。
教会の追っ手がかかるまでには、まだ時間がかかるはずだ。
森の奥には、私が個人的に使っていた小さな隠れ家がある。まずはそこで、彼女の傷ついた体を休ませなければ。
「ルミナ、もう少しの辛抱だからね。安全な場所まで連れて行くから」
「……はい。ありがとうございます、リゼットさん……」
ルミナは私の首に細い腕を回し、コトリと胸に頭を預けた。
全てがうまくいった。そう思った、その時だった。
「……ルミナ?」
私の胸に預けられた彼女の体が、異常なほど熱いことに気がついた。
急いで彼女の顔を覗き込むと、その白い頬は痛々しいほどに紅潮し、苦しそうな荒い呼吸を繰り返している。
「嘘……そんな、ルミナ!?」
度重なる拷問による疲労と、限界を超えたストレス。
私の腕の中で安心したことで、張り詰めていた糸がプツリと切れてしまったのだ。
ルミナは力なく私の腕の中でぐったりと意識を手放し、私はかつてないほどの焦燥感に襲われた。




